第96話 懺悔室 その3

「あ、兄上……!?」


 壁の向こうでがたがたと人が動いている気配がする。 

 これは、万が一取っ組み合いの喧嘩でも始まった場合、どうするのが正解なのだろう。

 この壁のマニュアルの他に、どこかにトラブル対応Q&A集とか置いていないものだろうか。

 仮にないとしたら、作っておいた方が良いのではないだろうか。


「え、えーと……」


 リリアは困った様子だったが、やがてやけっぱちといった様子で言った。


「か、神はあなたを赦すでしょう! と、共に祈りましょう。今度こそ、礼拝堂へどうぞ!」


 勢いで言い切った。

 勢いは大切だ。堂々と言いきれば誤魔化せる場面も意外と多いものだ。事態がややこしくなっているときは、特に。


 壁の向こうの男たちは沈黙し、やがてがたがたと音を立てて懺悔室から出ていった。

 よかった。とりあえず出ていってもらえれば、喧嘩でも起きたら衛兵が飛んできてくれるだろう。あとは野となれ山となれである。


「リリア。よく乗り切ったね。意外と向いているんじゃないかな?」

「え? あ、え、えへ、そ、そうですかね。すごい、テンパりましたけど。デュフ」


 心からリリアを称賛すれば、彼女は照れたように頬を覆って笑った。

 また少し「デュフヒッ」が出ていた気がするが、今日は頑張りに免じて許そう。


「でも何か、どこかで聞いたことある声、……だったような」


 ぽつりとリリアが大きな独り言をこぼす。そういえば、そろそろこの癖も気をつけてもらった方がいいだろう。

 聞かなかったフリをやめて、敢えて問いかける。


「あれ? 何か言った?」


 私が首を傾げると、リリアははっと口を覆った。あの大きな独り言、本当に無意識でやっているらしい。


「あ、いえ、ひ、独り言です、フヒ」

「じゃあ、私に話してほしいな。せっかくふたりでいるんだから」


 そっと彼女の手を握って、至近距離で微笑んで見せた。リリアの頬がぽっと赤く染まる。

 これで多少でも気を付けてくれるようになればめっけものだ。

 だいたい、本当に知り合いだったとしたら気まず過ぎる。気にしないのが吉だろう。


 かたかたと音がした。反対側の懺悔室のドアが開いたようだ。


「あ、あのー……お話、聞いてもらってもいいでしょうか」


 控えめな声がする。若い男……いや、少年と言った方がしっくりくるような声だ。

 気配からして、今度は1人。当たり前である。普通は1人で入るものだ。


「どうぞ」


 リリアが先ほどよりやや自信の感じられる声で返事をした。

 壁の向こうで、誰かが椅子を引く音がした。


「神父様、神様。どうかぼくの罪をお聞きください」


 少し間があって、壁の向こうの少年が話し出した。


「ぼくは義理の姉に恋をしています」


 ごん、と隣から小さな音がした。


 前のめりになったリリアが、額を目の前の壁に打ちつけたらしい。

 気持ちはわかる。さっきから懺悔の内容がいやに昼ドラじみている。

 何なのだ、大丈夫なのか、この国は。


 懺悔室がいつもこのような悩みばかりだとしたら、この国の未来と神父様の精神状態が心配になってくるところだ。

 それとも今日はお祭り騒ぎだから、普段と客層が違うのか? 


 私の心配をよそに、懺悔は続く。



 ◇ ◇ ◇



 道ならぬ恋だとは理解しています。


 ぼくは養子ですが……跡取りは他に決まっていますので、ぼくも姉もゆくゆくは家を出ることになります。

 ぼくが姉と結ばれることはきっとないでしょう。


 姉は変わり者で、今は婚約者もいません。

 変わり者ですが、とても優しくて、強くて、かっこよくて……とても魅力的な、ぼくの自慢の姉です。


 ぼくは、誰かに必要とされたかった。愛されたかった。

 親に捨てられたぼくを救ってくれたのも……物のように扱われて自分の価値を見失いそうになったぼくを大切だと言ってくれたのも、今の家族です。

 愛してくれたのも、今の家族です。


 だから、ぼくは家族に恩返しをしたいんです。その気持ちに嘘はありません。

 父も、母も、兄も、姉も……みんなに幸せになってほしい。その手伝いがしたいんです。

 家族が幸せになるためには……ぼくは姉と結ばれることを願ってはいけない。


 ぼくなりに考えました。姉の魅力をもっと多くの人に知ってもらおうと……もっと普通のご令嬢のようにふるまってと、姉に働きかけたこともありました。

 でも、今は……もしも、もしもこのまま、姉と結婚したいという男が現れなければ……もしかしてと、そう願ってしまうのです。


 ただの家族では、ぼくはもう足りない。姉弟という関係では、ぼくはもう足りないのです。

 だって、姉がぼく以外の誰かを愛するところを……ぼく以外の誰かと結ばれるところを、見たくないと思ってしまったから。


 貴族の養子として、弟として、これが正しい願いでないことはわかっています。

 しかしそれでも……ぼくは彼女に、恋をすることを、やめられないのです。

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