第82話 お坊ちゃんには刺激が強かったようだ
リリアとともに殿下に連れて来られたのは、生徒会室だった。
聖地巡礼……もとい、学内巡視の時に外からは見ていたが、中に入るのは初めてである。
同じことを考えているのか、リリアも部屋の中をきょろきょろと見回していた。
その片隅に、見覚えのある藍色の頭が見えた。
「アイザック」
呼びかけると、中にいたアイザックが顔を上げた。片手を上げて、彼に挨拶する。
机にかじりついていた彼の周りには、たくさんの帳簿が積み上げられていた。
彼は眼鏡の奥の目を細め、じっと私を見る。
「……僕は疲労で幻覚を見ているのか? バートンがいるように見える。あと、王太子殿下も」
「暇そうにしていたから、人手として引っ張ってきたんだ」
殿下がにっこり笑ってアイザックに言う。
アイザックがめちゃくちゃ小声で「ないよりはマシか」と呟いたのが聞こえたが、お前、それはどういう了見だ。
見ればアイザックはげっそり疲れた様子だし、手元の紙には桁の多い計算式がずらりと並んでいる。
私の生徒会のイメージとずいぶん違う、と感じた。
ゲームの中では概ね主人公と攻略対象が乙女ゲーム的なあれそれをする場所であって、仕事をしている描写はほとんどなかったからだろう。
「真面目に仕事してるんだな」
「当たり前だろう」
「もうすぐ開催の剣術大会の準備と、秋の学園祭の予算の割り当てを決めているんだ」
「……まだ半年も前ですよ」
「もう半年後だ」
殿下の顔に、私は眉間に皺が寄るのを感じる。
来年の話をすると鬼が笑うと言うが、私は半年先の話だって笑ってしまう。
半年後にはルート分岐であるダンスパーティも終わっているのだ。「まだ」であってもらわなくては困る。
「殿下、何故正装で? まだお戻りになったという話も聞いていませんでしたが」
「ああ、先ほど帰ってきたところだからね。陛下に挨拶をして、その足でここに来たんだ」
アイザックも私と同じ疑問を抱いたようだった。返ってきた殿下の答えに、思わず彼を2度見する。
帰ってきたその足で、わざわざ学園に生徒会の仕事をしに来たのか?
いくら病気が治ったからと言って、元気になりすぎではないだろうか。
もしくは、とんでもないワーカホリックか、どちらかだ。
「……無事のご帰還、何よりです」
「ありがとう。留守を任せて悪かったね」
アイザックよ、その挨拶の点数を聞いてみてくれ。きっと30点だと言われるぞ。
その後も、殿下とアイザックは一言二言言葉を交わしている。
そういえば、ゲームではこの2人の組み合わせは「生徒会組」とか呼ばれていたなぁ、とぼんやり思い出した。
「リリア嬢はこちらを頼むよ。この帳簿を隣の書庫に戻して、このメモにある書類を代わりに持ってきてほしい。書庫は全部日付とファイル順になっているから、棚をよく見れば分かるはずだよ」
「は、はい!」
殿下がリリアに帳簿の束を手渡し、その上にメモを載せる。大した量ではないが、小柄なリリアが持つととても大荷物に見えてしまう。
レディにこんなに荷物を持たせては、ナンパ系の名が廃るというものだ。
「では、私もリリアと一緒に」
「きみはこっち」
よたよた歩くリリアの後ろをついていこうと思ったところ、殿下にがしりと肩を掴まれた。
そのまま無理矢理椅子に座らせられて、目の前に帳簿と書類の束が積まれた。
「ほら。前年と前々年の予算がこれだから、その積算と今年の積算、こっちが物品の価格表、これを……」
桁の多い数字がたくさん並んでいる。見ているだけで頭痛がしてきそうだ。私の知っている学園祭の規模じゃない。
アイザックが動員されているのも頷ける。
すでにげんなりしている私をよそに、殿下は嫌に上機嫌でアイザックに向き直る。
「ギルフォードは書庫でダグラス嬢の書類探しを手伝ってやるといい」
「は!?」
「いえ、僕は計算の途中ですので、殿下がご案内されてはいかがでしょう」
「は!?」
思わず殿下とアイザックの顔を仰ぎ見てしまった。
じゃあ私にそれをやらせてくれたらいいのではないだろうか。
もしかして、私がここで「じゃあ私が」と言ったら「どうぞどうぞ」となるやつだろうか?
そう思って立ち上がろうとするが、肩に置かれたままの手に圧を感じる。
トラディショナルジャパニーズジョークは通用しないらしい。
これは、先ほど手を捻り上げようとした私への仕返しに違いない。
いや、さすがの私もあれは悪かったとは思っている。
だからと言ってこれは見過ごせない。アイザックか殿下のどちらかとリリアがふたりっきりになってしまう。
生徒会室のイベントといえば、王太子殿下が高いところにある本をリリアに取ってやるイベントに、アイザックが倒れてきた本棚からリリアを庇って押し倒したような態勢になるイベントと、ドキドキのイベントが目白押しだ。
まずい。
「アイザック! 君の方が数字と『よろしくやってる』だろ!」
「なっ!」
わざと汚い言葉――訓練場の教官仕込みだ――で言えば、殿下とアイザックの両方がぎょっとして身を竦めた。
よし、引いている。お坊ちゃんには刺激が強かったようだ。
その隙を突き、ひらりと肩に置かれた殿下の手を取って立ち上がる。
「お前、どこでそんな!」
「頼むよ! それじゃ!」
くるりと王太子殿下を腕の下で回して躱すと、アイザックの肩をぽんと叩いてから、書庫へ向かう。
「リジー!」
怒気を孕んだ殿下の声をスルーして、私は書庫に滑り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます