第81話 30点満点でですか?
それから、私とリリアは時折裏庭のベンチで過ごすようになった。
アイザックやロベルトの邪魔が入らないので、私としては非常にありがたい。王太子殿下様々である。
……まぁ、クリストファーが乱入することはあるのだが。
その日も二人で話していると、背後に気配を感じた。
次いで、砂を踏む音がする。咄嗟に立ち上がった。
視界の端に、不思議そうな顔で私を見上げるリリアが映る。
「……リジー?」
聞き覚えのある声がした。はて、この声は。
「リジー!」
振り向くと、両手を広げた何者かが私に抱きつこうと腕を広げているところだった。
無意識のうちに体が動く。
その腕を躱して背後に回り込み、その腕を捻り上げ……ようとして、その何者かが王太子殿下であることに気づいた。
これはまずい。王太子の腕を捻り上げたら、さすがに怒られるどころの騒ぎではない。
すんでのところで踏みとどまり、そのまま背後をすり抜けて対面に戻ると、殿下の両手をぎゅっと握って笑いかけた。
「これは殿下! お久しぶりです」
「うん? 気のせいかな? 今何か不穏な気配を感じたのだけど」
「気のせいでしょう」
必要以上ににこやかに笑って、これ以上の追及は無用と言外に伝えながら、目の前に立つ殿下の様子を窺う。笑ってはいるが、誤魔化しきれたかは分からない。
殿下が西の国に行っていたのは4カ月程度だったと思うが、背が伸びた気がする。
踵を抜いたら私の方が低いかもしれない。男子三日会わざれば括目してなんとやら、だ。
最後に見た日に髪を切っていたが、さすがにそのときの散切り頭のままのわけもなく、毛先がずいぶん軽く整えられていた。
銀糸の髪の透明感が際立っていて、ゲームの時からその髪型でしたっけ? という感じの仕上がりだ。
しかし顔だけでなく全体像を見てみると、僅かに違和感を感じる。
制服ではなく正装していることもおかしいが、何だか、身体つきが少ししっかりしたというか、日に焼けたというか。
元の顔がお綺麗なだけあって繊細な雰囲気は失われていないが、今にも消えそうな儚さのようなものが薄くなっている気がする。
病気が治っただけで雰囲気まで変わるものかと少々驚いた。
「……リジー」
呼びかけられて、殿下の顔に視線を戻す。笑顔とも泣き顔ともつかない顔をしていた。
いつの間にか、私の手が握っていたはずの殿下の両手に包み込まれているのに気づく。
久しぶりに学園に来て見知った顔を見たものだから、生還の喜びを実感した……というところだろうか。
彼自身は、死ぬわけはないなどと知らずに、治療へと旅立ったわけだし。
「戻ってきたよ。君のところへ」
「はぁ」
「何か気の利いたことの一つでも言ったらどうなの?」
会って早々、無茶ぶりである。
逡巡してから、私は騎士の礼を取った。
「お帰りなさいませ、王太子殿下。国民一同、殿下のご帰還を心よりお待ちしておりました。ご無事で何よりです」
「30点」
「30点満点でですか?」
「100点満点で、だ」
無茶ぶりな上に、点数が非常に厳しかった。とんでもない上司である。
もう少しゆっくりしてきてくれてもよかったのだが。
「ところで」
殿下が妙にわざとらしい咳払いをして、私の背後を覗き込む。
「そちらの、ご令嬢は? きみが誰かといるなんて珍しいね」
まるで人を寂しいやつのように言わないでもらいたい。
学園内では単独行動を取ることが多かっただけである。
「ああ。彼女は……」
紹介しようとリリアの方を見ると、彼女はベンチでこちらを振り向いたままの状態で硬直していた。
その視線の先は、王太子殿下である。
そういえば、彼女は前に「王太子推し」とか口走っていたかもしれない。
まずい。これは非常にまずい。
完全に殿下の顔面の美しさにノックアウトされているようで、目の前で手をひらひら振っても反応がない。
何故帰ってきてしまったのだ、この王太子。帰ってくるにしろ、もう少し先でもよかったはずだ。
しかも何故、今日に限ってさらに顔の良さが引き立つ華美な正装で現れたのか。
空気を読んでもらいたい。
「リリア、りーりーあ」
「っふはひ!? な、ななん、何でしょう!?」
肩を叩きながら名前を呼ぶと、やっとこちらを見た。どうやら息まで止めていたらしい。
その顔は上気していて、私は事態が非常によろしくないことを理解する。
よし、ここはプランBだ。いや、何がプランAかは知らんけど。
「殿下、ご紹介します。彼女はリリア。私の恋人です」
満面の笑みで言い切った。
一瞬沈黙が訪れる。
「っどぅえ!?」
「ふふ、なんてね」
リリアが悲鳴とも何ともつかない声を上げた。
その反応に、私はおかしそうに笑って見せる。
「……面白い冗談だね」
リリアを見ていた殿下が、ふっと冷笑しながら私に言った。いつも以上に貼り付けた笑顔である。
なお、この場合の「面白い冗談だね」は、貴族用語で「くだらない嘘をやめろ」の意味である。
いや、別に殿下を騙せなくてもいいのだ。これでリリアの意識がこちらに向きさえすれば、成功である。
私は殿下の冷ややかな視線を受けて、軽く肩を竦めた。そして今度はきちんとリリアを紹介する。
「リリアは聖女の力に目覚めたそうで、この春から転入して来たんです。リリア、こちらはエドワード殿下だ……なんて、紹介するまでもなかったかな」
「お、王太子殿下!」
リリアは慌てた様子ながらも、きちんと淑女の礼をしてみせた。
その様子に、不覚にもじーんときてしまう。
少し前の彼女なら、王太子を前にしてスライディング土下座をかましていてもおかしくない。
特訓の成果が出ていてとても嬉しい。
「お、おは、お初に、お目にかかります。聖女として、この学園に転入させていただくことになりました。り、リリア・ダグラスと申しましゅ!」
「あ……ああ」
噛んでしまったが、挨拶も及第点だ。私は心の中でリリアにスタンディングオベーションを贈る。
どこか上の空の様子だった殿下は、目の前で頭を垂れるリリアに視線を向けた。
「そうか、きみが……ダグラス家の養子の」
「は、はひっ!」
「驚いた。ついこの前まで庶民だったのだよね? さすが、公爵家の『お友達』の指導が素晴らしいと見える」
「そうでしょう」
私は得意げに胸を張る。
これでも公爵家の端くれ、礼儀は嫌というほど叩き込まれて来たのだ。淑女の礼も臣下の礼も、騎士の礼までなんでもござれだ。
もちろん、リリアが一生懸命特訓をしたからこそのお褒めの言葉である。
微笑みながら彼女に目を向ければ、リリアもちらりと私を見上げた。
殿下の物言いが回りくどすぎて、褒められたことに気付いていないらしい。
「リリア。とても素晴らしい挨拶だったよ。殿下も褒めてくださっている」
「え? あ、そ、そう……なのですか?」
頭を撫でてやると、リリアが恐る恐ると言った様子で殿下の顔色を窺う。
「……もちろんだとも」
殿下はいつもの王太子スマイルを貼り付けたよそ行きの笑顔で頷いた。
その微笑みに、リリアの肩がびくっと震える。
おっと、まずいまずい。リリアがまたあのお綺麗な顔にあてられてしまう。
そっと彼女の肩に手を回し、意識をこちらに向けさせる。
「ほらね。ふたりでたくさん練習した甲斐があったろう?」
「ふたりで?」
あえて「ふたりで」を強調して言えば、リリアの頬がぽっと赤くなる。
そして私を見上げて嬉しそうにはにかんだ。ふにゃりとはにかむと、またたいそう可愛らしい。
私がやけに強調するものだから、殿下も気になったのか聞き返して来た。
「私の家で、ふたりで特訓したのです。リリア嬢はとても一生懸命で、教える私もつい熱が入ってしまいました」
「きみの家で?」
「はい」
「……きみの部屋で?」
「? いえ、サロンですが」
私がそう答えると、殿下はどこか勝ち誇ったようにふんと鼻を鳴らした。
「それはそうか。きみの私室はひどく殺風景だからね」
突然部屋を貶された。年頃の令嬢の部屋をつかまえて殺風景とは、ひどい言われようだ。
私としては殿下に渡された品物たちでずいぶん賑やかになったと思っているのだが。
「……ええ。あまり物を置かない主義なので」
笑顔を崩さない殿下に、私もにっこり笑って応じれば、間に挟まれたリリアが狼狽えているのが見えた。
急に攻略対象同士がバチバチ火花を散らしはじめたものだから、何のイベントが始まったのだろうと思っているのかもしれない。
「おっと。殿下をいつまでもお引き留めしてはいけませんね。さぁ、行こう、リリア」
「あ、は、はい!」
殿下に一礼し、リリアの肩を抱いたまま踵を返す。
「待ちたまえ」
……が、殿下に肩を掴まれて、引き留められた。
「どうせこのあとたいした予定もないだろう? 少し手伝ってくれないかな?」
「え?」
「ちょうど、人手が欲しかったんだ」
殿下はまたにっこりと笑っていた。よそ行きの王太子スマイルに、何となく嫌な予感がした。
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