第80話 攻略対象というのはいい商売だ
晴れた昼下がり。私とリリアは裏庭のベンチに腰掛けて、木漏れ日を抜けて届くのどかな光を浴びていた。
授業が終わった後、リリアに誘われたのだ。
アイザックは今年からメンバーになった生徒会の仕事に行ったし、ロベルトは最近王太子の名代としてこき使われているらしく、護衛に引っ張られて王城に帰って行った。
正真正銘、ふたりきりである。
彼女に導かれるまま着いてきて、裏庭のベンチが目に入った瞬間、私は脳内でぽんと手を打った。
これは手作りお菓子のイベントだ。
王太子殿下のイベントで、たまたま「秘密の場所」であるベンチで王太子殿下と行き会った主人公は、ときどきそこでおしゃべりをするようになる。
平等を歌う学園と言えど、誰かの前では話すことすら憚られるような身分の差があるふたり。
「秘密の場所」で逢瀬を重ねていたある日、主人公は自分で焼いてきた手作りのクッキーを差し出すのだ。
手作りのお菓子という素朴なものなど口にしたことがなかった殿下は驚きつつも、そのやさしい味わいに主人公を感じ、「また作ってきてね」と次の約束をする……とか、だいたいそんな流れだ。
肝心の王太子殿下がいない今、彼のイベントは誰のものでもない、宙ぶらりんの状態だ。殿下のものは私のもの状態である。
リリアもそこに目をつけて、私とそのイベントを起こそうというのである。
それはすなわち、リリアがこの乙女ゲームのイベントを利用して、私の好感度を上げようとしていることにほかならない。
もちろん私は喜んで乗っからせていただく。
どんな選択肢でだって、好感度がものすごく上がったような反応をしてみせる。
リリアがどう出るかを窺っていると、彼女は意を決したようにこちらに身体を向けた。
「あ、あの。ば、バートン様は、こういったものをあまり召し上がらないかもしれないのですが」
ばっと、ワックスペーパーの包みを差し出してきた。
「く、クッキーを焼いてきたので、よ、よろ、よろしければ、いかがですか!」
ゲームの中の主人公の台詞をなぞりながら、リリアは頭を下げた。
包みを受け取って、開く。おいしそうなクッキーが姿を現し、ふわりとバターの香りがした。
彼女に「手作りなんです」と言って差し出されたら、たとえ炭でも笑顔で齧る自信があった。
そう。どんなものでも「おいしいよ」と微笑む自信があった。
なので、内心で「意外と肝が据わっているんだな」と思いながらも、私は微笑を崩すことはない。
ワックスペーパーに押されている焼印に、見覚えがあったとしても、だ。
これが下町の小さなパン屋さんで売っている、手作り感が売りの素朴なクッキーだと知っていても、「おいしいよね、これ!」とか、言ったりしないのである。
そもそも正直なところを言ってしまえば、私は「手作り」というものに対して特に何の感情もないのである。
手作りかどうかより、おいしいかどうかの方が重要だ。
わざわざ手作りと偽らなくても、自分の好きなお菓子をあなたのために買ってきました、とか言われたら、物珍しさもあってノーブルな攻略対象たちは十分喜びそうなものだ。
私だって、おいしいものを食べてもらいたいと選んでくれたことを知ったら大いに喜ぶだろう。
だが、乙女ゲームの世界では、やたらと「手作り」が重要視されがちだ。
それが本当に男性は手作りをすべからく喜ぶものなのだからなのか、はたまた手作りを喜んでほしいという女子の希望が具現化されているのかについては、私には分からない。
乙女ゲームの主人公はお菓子作りや料理が出来るのがデフォルトだからそれでいいのかもしれないが……本人が「何も出来なくていい」と言われ続けていたといっていたし、リリアはそちら方面のチート能力的なものは持っていないようだ。
無理もない。この世界、電子レンジも電気オーブンもないのだ。
もちろん、便利なお料理サイトもお手軽な手作りキットもない。
細かいところを言うなら、調味料や小麦なんかもおそらく前世で売っていたものより純度が低い。
たとえ前世で腕に覚えがあったとしても、ちょっとやそっと練習したくらいでは、まともなものは作れまい。
腕に覚えがなければ、なおさらだ。
ちなみに私の今世での得意料理は、「川魚を何匹かまとめてそのへんに生えてるデカめの葉っぱで包んで焚き火で蒸し焼きにし、塩をかけたやつ」だ。
遠征訓練のときに振る舞ったところ「食べられるだけありがたいという自己暗示が必須」「これを美味しいと感じる精神状態はヤバいという指標」「戦争がこんなに悲しいものだとは知らなかった」など、期せずして戦争の抑止力となってしまった。
食べ物でSAN値チェックしないでもらいたい。
彼女もおそらく失敗したか諦めたかで、イベントを再現するための苦肉の策をとして「既製品を手作りだと偽る」という選択をしたのだろう。
彼女は悪くない。炭を笑顔で食べるよりもよほどいいし……普通の公爵家のご令息なら、下町のパン屋のクッキーなんて知らないものだ。
ノーブルでファビュラスな攻略対象の反応としても、知らない体でいくのが正解だろう。
「ありがとう、いただくよ」
手に取ったクッキーを齧る。軽い歯ざわりのクッキーは口の中でほろりと解け、バターの風味が広がった。
甘さは控えめで、素朴でどこか懐かしい味がする。
「すごくおいしいよ。ふふ、いくつでも食べられちゃいそうだな」
「あ、わ、た、たくさんあるので! よかったら!」
「本当? 嬉しいな、独り占めだ」
笑いかけると、リリアの顔がぽっと赤くなった。
おいしいものが食べられるし、微笑んだだけで喜んでもらえるし、攻略対象というのはいい商売だ。
ふと、背後に気配を感じる。
「わぁ、おいしそう。これ、リリアさんが?」
「……クリストファー」
リリアとふたりきりのひと時に、聴き慣れた声が割り込んできた。
「く、クリストファー様、ご機嫌よう」
「こんにちは、リリアさん」
きちんと挨拶をしたリリアに、にこりと人懐こい笑顔で返事をするクリストファー。
「こんなところで、どうしたんだ?」
「お散歩してたら、先輩の姿が見えたから。ねぇ、僕にもひとくち、分けてください」
あーん、と鳥の雛のように口を開けて見せる。
やれやれ、見た目はすっかり大人びてきたというのに、変なところがまだ子どもだ。
苦笑しながら、口にクッキーを放り込んでやる。
「んむ。……んん! バターの風味が効いてて、とってもおいしいです!」
「あ、あのー」
リリアが挙手していた。
しまった。せっかくもらったものをいつもの習慣で分け与えてしまった。
機嫌を損ねただろうかとはらはらしたが、彼女は不思議なものを見るような顔で私とクリストファーを見つめていた。
「お、おふたりは、どう、いった関係で……?」
「え?」
「あっ、い、いえ、すみませんすみません、す、すごく仲がよさそうだったから、その」
私は一瞬答えに窮した。
確かに入学したばかりの後輩と先輩、という距離感ではなかっただろうが、ここで「弟」と紹介していいものだろうか。
「先輩」に呼び方を変えてまでこの世界が維持しようとした、クリストファーというキャラクターの根幹に関わる事柄である。
ここで私が言って、いいものだろうか。
「あれ? 先輩、話してないんですか?」
クリストファーが、目をまるくして私を見る。
私が苦笑して誤魔化すと、彼は今度はリリアに向き直って、笑顔で言った。
「ぼく、先輩の弟なんです」
クリストファーが何故か自慢げに胸を張る。
「えっ!?」
「養子ですけどね」
「そ、そう、なんですね……」
リリアはしばらく私とクリストファーを見比べていた。
俯いて、何事かをぶつぶつと――今回は、小さな独り言だった――呟く。
そしてぱっと顔を上げて、私に言った。
「い、いいなぁ! わたし、一人っ子だから。兄弟がいるって、羨ましいです」
リリアの台詞に、私は舌を巻く。これは王太子殿下との会話で主人公が言う台詞だ。
非常に上手に軌道修正してきたなと思う。
さすが、勉強に全振りすればアイザックをしのぐ頭脳を持つ主人公。もともとのポテンシャルがチート級だ。
この台詞に、王太子殿下はどこか陰のある表情で「そうでもないよ」と返すのだが……
お兄様の顔を思い浮かべる。目の前の弟を見る。
もし私がそんなことを言おうものなら、罰が当たるだろう。
「うん、いいものだよ、兄弟って」
私は心の底から、そう答えた。
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