第76話 考えろ、エリザベス・バートン

「バ、バートン様、き、今日はその、あ、ありがとう、ございます」

「気にしないで。可愛い女の子に親切にするのは当然のことさ」


 それから2週間。私はストーカーで訴えられない範囲で、リリアのサポートに徹した。


 教室に残って課題をしている彼女には勉強を教えたし、ダンスの授業では下手っぴな彼女とペアを組んで踊った。

 勉強は彼女が分かるまで根気よく教えたし、ダンスでは足を踏まれても笑って許した。


 今日はマナーの練習に付き合うという名目で、自宅に招くことに成功した。自宅デートイベント発生である。

 公爵家のロイヤルアピールも出来て一石二鳥だ。


 最初はマナーを口実に食事でもと思ったのだが、食事以前の問題だということが分かったので、普通にマナー講座みたいな真似をする羽目になった。

 一応公爵令嬢の端くれなので、本気を出せば最低限のマナーくらいはちゃんと教えられる。


 最初は「またご令嬢を誑かして!」というような目で私を見ていた侍女長が、かつて彼女が教えてくれたようにカーテシーを教える私を見て感涙して出ていってしまった。


 一通りの練習が終わったところで、二人でお茶のテーブルを囲む。

 クッキーを齧り、気になっていたことを聞いてみた。


「ダグラス男爵は、君に教えなかったのかい? マナーのこととか、礼儀のこととか」


 ダグラス家はもともと教会と繋がりの深い家で、普通の貴族とは少し成り立ちが違うと聞いたことがあった。

 それでも、貴族である。養子にするくらいだ、最低限のことは教えているだろうと思ったのに、そうではなかったことが不思議だったのだ。


「い、いえ。あの、その……だ、男爵様は……わたしに『何もしなくていい』と」

「え?」


 私の問いかけに、リリアは椅子の上で小さくなってしまう。

 自分の頭を触りながら、俯いてぼそぼそと弁明するように、続ける。


「だ、男爵様だけじゃ、なくて。む、昔から、そうなんです。なんででしょう、わ、わたし、何もできないからかな、でへへへ」


 へらへらと笑っていた。千年に一人の美少女の外見を持ってしても誤魔化しのきかないような、ぎこちない作り笑いだった。

 中身と外見が合っていないと、こうもちぐはぐな印象になるのか、と感じる。

 もしかすると、それがアンバランスな魅力になっているのかもしれないが。


「で、でも、聖女になって。だ、男爵様のお家の子になって。な、なんていうか、何か変わるかなって。ほら、聖女、すごいし。なんか、いよいよ、わたしが主人公ヒロインだ、みたいな。へへ、い、今思うと、イタいんですけど」


 早口で、小声で続ける。口元は笑顔を形作ろうとして――失敗して、歪んでいた。


「聖女なら、な、何だかもっと、期待……とか、して、もらえるのかなって、思って。で、でも結局、な、何も変わらなくて。当たり前、ですよね、わたし自身、変わってない、わけですし」


 外見ばかりを重視するこの世界でなら、ありえそうな話だと思った。

 周りはきっと、何の悪意もなく、本当に心の底から思っているのだ。「何もしなくていい」、「何もできなくてもいい」と。


 それが、この世界の普通なのだ。攻略対象たちが許されてきたように、主人公も許されてきたのだ。

 美少女で、聖女でありさえすれば、それだけでよかったから。

 歪んでいるのは、この世界のあり方だ。


 彼女がどんどん俯いていってしまう。

 私からはもう、紅のつむじと、机の上で忙しなく指弄る手しか見えなかった。


「一応、聖女だけど、ぜんぜん、ち、力も使えなくて。す、擦り傷くらいしか、直せなくて。でも、その、そのままでいいんですって」


 顔の俯き加減に従って、リリアの声が小さくなっていく。


「わた、わたし、なにも、なにも、出来なくていいんですって」


 ぽろ、と、リリアの瞳から涙が零れた。

 彼女が見ていないのをいいことに、私は彼女から視線を外して天井を仰ぐ。

 目の前で泣かれるのは、非常に気まずい。女泣かせのナンパ系騎士になりたいと思っていたのだが、このジャンルの涙は私が求めていたものではない。


 というか、出会って2週間の男(女)にいきなり心情を吐露するとか。

 この主人公、いくらなんでもチョロすぎじゃないだろうか。


 誘われるままほいほい家に来ているし、乙女ゲームの主人公はガードが緩いというのは万国共通だが……よくここまで食われずに生きてきたものだなと思ってしまった。

 それが「やさしい世界」たる所以なのだと思うのだが。


 泣かれると庇護欲をそそられる者もいるだろうが、私はあいにく、ただただ困ってしまうタイプだ。

 侍女長が戻ってきたらまた私の株が下がる気がするから、早く泣き止んでもらいたかった。


「なんで、でしょう。可愛いから、かな、なんて、フヒ。か、顔が、ね。顔だけ、顔だけです」


 零れる涙を、ぐしぐしと無造作にぬぐう。ああ、そんなことをしたら、翌日絶対に目が腫れる。

 帰りもきっと赤い目のままだ。侍女長に睨まれる未来が見える。


 もしかすると計算の可能性もあるかと警戒していたが、この美しくない泣き方から見るとどうやら本気らしい。


 私はテーブル越しに身を乗り出すと、そっと彼女の頬にハンカチを押しあてた。

 指で涙を掬い取る、が正解の気もしたが、涙の量を鑑みて、それでは追いつかないと踏んでのことだ。


「だ、誰も何も、言ってくれないんです。か、可愛いとか、素晴らしい、とか。聖女らしい、とかだけ」


 私からハンカチを受け取り、彼女は容赦なく鼻をかんだ。違う。そうじゃない。

 いや、別に洗うのは私ではないし、いいのだが。


「わたしの表面、しか、見てない言葉で。で、でも。見て下さいって言えるような、中身も、わたしには、なくて。だって、どうしたら、中身がよくなるか、なんて、考えたこと、なかったから」


 これが主人公の、主人公なりの悩みというものだろうか。

 美少女には……特に、愛される運命にある主人公ヒロインに転生したことを理解している彼女には、私には分からない悩みがあるのだろう。


 私には……彼女に攻略してもらうために、一から外見と中身を作り上げた私には、きっと一生かけても分からない悩みだ。

 正直言ってそちらは幸せになる未来が確定しているのだから、もっと楽しそうな顔をしていろよという気持ちがないではないが……まぁ、それは逆恨みというものだろう。


 分からないからこそ、私は考える。

 攻略対象として、どう対応するのが正解なのか。


 今が正念場だ。ここで攻略対象として、彼女の心を奪うような言葉が言えたなら。

 そうすれば、きっと彼女は、私に興味を持つだろう。


 考えても見てほしい。彼女はこのゲームをそれなりにやり込んでいる。

 落とそうと思えば、最難関である王太子だって落とせるはずだ。簡単に手に入る、恋愛ルートが目の前にある。

 それでも、それを投げ打ってでも、私を攻略したいと思わせなくてはならない。


 考えろ、エリザベス・バートン。

 「分かったようなフリ」は得意のはずだろう?


 王太子殿下なら何と言う? ロベルトなら何と言う? アイザックなら何と言う? クリストファーなら何と言う?

 お兄様なら、何と言う?

 ナンパ系騎士様の私なら、何と言う?


主人公ヒロインって、こんなにつらいのかなぁ」


 ぽつりとこぼれた言葉に、私は聞こえなかったふりをした。

 都合のいい時だけ耳が遠くなるのは、何も主人公だけの特権ではないのだ。

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