第75話 聖女

 昼休み。誰もが好奇の目をリリアに向けていた。


 可愛すぎる容姿はもちろんのこと、この学園では、編入などめったにありえない。

 しかも彼女の名前……姓を聞けば、誰もが今、貴族たちの間で囁かれている噂を思い出すだろう。


 ダグラス男爵が、聖女を養子に迎えた。


 真偽の分からなかったその噂は、彼女がこうして王立第一学園に入学してきたことで、裏づけのある確かなものになったのだ。


 本来であれば、男爵家の子息が、王立第一学園に……しかも、特別クラスに編入することなどありえない。それこそ、聖女でもない限り。

 聖女というのは、この世界で唯一のファンタジー要素、「聖女の祈り」を使う者のことだ。有り体に言えば治癒魔法のようなもので、怪我や病気を治療することが出来る。


 前の聖女は50年ほど前に亡くなっていて、私たちのような若者は、その存在をほとんど伝説上の生き物のように聞かされているだけだった。

 急にツチノコが現れたようなものである。見るな、気にするなと言うほうが無理な話だ。


 クラス中から向けられる視線に、彼女はすっかり縮こまってしまっている。

 私は椅子に座ったまま体を反転させると、斜め後ろの席の彼女に話しかけた。


「驚いた。編入生だったんだね。リリアって呼んでもいいかな?」

「あ、え、えと、はい、あの」

「分からないことがあったら何でも聞いて。どこへでもエスコートするよ」


 にこりと微笑むと、彼女の頬がまたぽっと赤く染まった。


 それにしても、名前がデフォルト名でよかった。「†暗黒闇夜姫†シュヴァルツ・ヴァルキュリア」とか「りりめろ」とかだったら、平常心で呼べたか自信がない。

 字面で見るのと口に出すのとではハードルの高さが段違いだ。


「あ、あの」


 リリアが私をちらちら窺いながら、何か言おうとしている。

 そこでふと気づいた。そうだ、今年は彼女以外は自己紹介がなかったな。


「ああ、ごめん、名乗っていなかったね。私は……」

「先輩!」


 聞き慣れた声の、聞き慣れない呼び名が耳に飛び込んできた。

 廊下から、クリストファーがぴょこんと体を覗かせる。彼は私の顔を見て、ほっとしたように頬を緩めた。


「クリストファー」

「く、クリストファー?」


 彼を呼ぶと、リリアが私の言葉を繰り返した。

 きょとんとした顔で、クリストファーがリリアを見る。


「えっと……すみません。どこかでお会いしたこと、ありましたか?」

「あっ、え、す、すみません! ひ、人違いでしゅ、え、へへへ」


 リリアはがばりと顔を下げて俯くと、指先をいじいじと弄んでいる。

 今のも大きな独り言だったのだろう。

 クリストファーの見た目は、ゲームとは少々変わっている。一見して分からなくても無理はない。


「どうしたんだい、クリストファー。わざわざ2年生の教室まで」

「あねう……先輩と一緒にお昼ご飯を食べようと思って」

「クラスの友達は?」

「先輩と食べたいんです」


 頬を膨らませるクリストファーに、違和感を感じる。普通、兄弟よりも新しい友達と食べたいものではないだろうか。

 そんなことを言うなんてもしかしてうちの弟、入学早々クラスでいじめられているのだろうか?


 その考えに思い至って、クリストファーがしきりに「友達できました?」と聞いてきた理由が分かった気がした。

 そうか、自分に友達が出来るのか、不安だったのか。


「たい……バートン卿も食堂ですか?」

「ロベルト」


 お兄様に相談しようと考えている私に、今度は前から声が掛かった。

 いつの間にか机の前に来ていたロベルトが、いつものキラキラを私に飛ばしながら立っている。


「ろ、ロベルト!?」


 リリアがぶん、と首を振ってロベルトを見る。

 ロベルトは一瞬目を見開いたが、その後すっと姿勢を正し、彼女に挨拶をする。


「初めまして、リリア嬢。ロベルト・ディアグランツだ」


 リリアはきちんと挨拶をしてきたロベルトを前に、聞こえるかどうか怪しいくらいの声で、「……同姓同名……?」と漏らしていた。

 気持ちは分かる。

 ゲーム内のロベルトは、自分から挨拶をするようなキャラクターではなかったからだ。


「バートン、騒ぐなら余所でやれ」

「アイザック」

「アイザック!?」


 三度、リリアが今度はアイザックを見た。

 皆ゲームとは髪型も違うし、雰囲気も体つきも違う者までいる。ゲームをプレイしていた彼女が驚くのも宜なるかな、である。

 アイザックは眉間に皺を寄せて、リリアを一瞥する。


「……初対面でファーストネームを呼び捨てにされる覚えはないが?」

「あ、え、えと、す、すみません」

「こら、脅かすなよ」


 割って入ると、アイザックは私のことも睨んだ後、ふんと鼻を鳴らして視線を逸らした。


「すまない。彼は気難しいんだ」

「あ、あの、えっと、すみません、わたし、こ、この前男爵様のところに来たばかりで、ぜんぜん、分からなくて」

「そうなんだ」


 俯いて、ぼそぼそと早口で話すリリア。ただの「お仲間」らしい喋り方なのだが、その外見でやられると、萎縮しつつも消え入りそうな声で一生懸命謝罪している、と受け取れないこともないので不思議だ。


「大丈夫だよ、少しずつ覚えていけば良い。私に分かることなら、私が教えよう」

「あ、ありがとう、ございます」


 リリアは俯いていて、耳まで真っ赤になっている。それでもきちんとお礼が言えるとは、いい子だ。

 ……いけない、判定が甘くなっている気がする。これも主人公力によるものだろうか。それとも、いきなり貴族の巣窟に放り込まれた、同郷の転生者への同情だろうか?


 私は空気を切り替えるように、ぱん、と手を叩いた。椅子を引いて立ち上がる。


「よし! じゃあまずは、食堂のおいしいメニューを教えるよ」


 自然にリリアの手を取って、歩き出した。

 リリアは驚いたような表情をしたが、やはり拒否することなく、ちょこちょこと私の後ろをついて来る。


「攻略キャラ、全員見た目がゲームと違う……どうしてだろ……?」


 リリアの大きめの独り言は、聞かなかったことにする。

 まぁ、私に聞かれたって、分からないことは教えようがないのだが。

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