閑話 近衛騎士視点
気配を感じて、咄嗟に腕を上げて顔を庇う。と同時に、地面を蹴って軽く飛び上がった。
瞬間、腕に小石か何かが当たったような衝撃があり、一瞬前まで自分の足があったところを足払いが過ぎた。
跳んだついでに前向きに倒れ、腕で身体を支えながら蹴りを放つ。
僅かに何かを掠めた感触があったが、「当たった」とは言いがたかった。
距離を詰められる前に腕のスプリングを使って跳ね上がり、身体の向きを元に戻しながら後ろに跳び退る。
当然相手はこちらの背後を取ろうと回りこんで来たので、振り向きざまに裏拳を放つ。
身体を反らした風の動きを感じ、そのまま回転を生かしつつしゃがみこんで今度はこちらが足元を崩すべく蹴りを繰り出した。
相手は飛び上がってそれを回避し、こちらに目掛けてドロップキックを仕掛けてきた。
僅かに上体をずらして直撃を避けつつ、空中にあるその足を引っつかみ、投げにかかる。
相手もそれを読んでいたのだろう、腹筋を使って身体を起こすと、こちらの首に絞め技をかけようと腕を伸ばしてきた。
絞め技が極まるのが早いと見て、足を開放して両腕を使った防御に移行する。
相手はひらりと身体を翻して着地をすると、軽く跳ねながら距離を取った。
「惜しかったな。あと少しで極まるかと思ったのに」
「惜しくありません。想定の範囲内でした」
「ああ、そう」
青い制服を着たそいつは、何が面白いのか楽しそうに笑った。
「エドワード殿下が」
「まぁ待ちたまえ。せっかちなやつだな」
言いかけた自分の言葉を遮り、彼女は言う。
「せっかくだから組み手でもどうだ?」
「……師団長に勝ったのだから、師団長に手合わせしてもらえばよいでしょう」
「いや、あれは完全な騙し打ちだったからね。勝ちは勝ちだけれど、実力じゃない。おまけしてもらったみたいなものだ。団長さんから何か聞いていない?」
彼女は首を傾げるが、師団長も試合に立ち会った者も、そのことになると途端に口を閉ざすのだ。
「負けは負けだ」と、それしか言わなくなってしまう。
いったいどれほど卑怯な手を使ったらそうなるのだろう。
「やっぱり、手合わせするなら実力が拮抗している相手が良いから。君がちょうど良いんだ」
実力が拮抗しているなどと、笑わせる。
こちらはスピード特化型の斥候役で、力やスタミナは彼女に遠く及ばない。
本気を出せば勝敗は一瞬で決まるだろうに、彼女はわざとこちらの得意な「速さ」と「隠密行動」でのみ戦おうとしているのだ。
「自分も暇ではないのですが」
思わず本音でそう言うと、彼女はぽんと手を打った。
「そうだ。昨日警邏のときにジュースをもらったんだ。冷やしてあるから一緒に飲もう」
「賄賂ですか?」
「賄賂だとも」
嫌味で聞いたのだが、彼女は堂々と頷いた。
「手合わせが嫌なら、殿下と会わなくて済むよう取り計らってくれよ。3回に1回くらいは会うからさ」
「致しかねます」
「だから賄賂を渡してるんじゃないか」
「自分にできるのは、誰かさんがドアを壊したことを黙っているくらいです」
「あれはもう時効だろう」
笑いながら、井戸から桶を引き揚げる。
そこに、葡萄ジュースと思しき瓶が一本冷えていた。見たところ、酒ではなく本当にジュースらしい。
彼女はこちらを見上げて、悪戯小僧のように笑う。
「……子どものようなことを」
「子どもだからね」
素手で蓋を開け、彼女は瓶を差し出してきた。
断るのも大人気ないかと思い、そのまま受け取って一口飲んだ。
甘酸っぱい爽やかな風味が鼻へ抜ける。よく冷えていて、渇いた喉に染み渡った。
それを眺めていた彼女は自分の手から瓶を受け取り、そのまま口をつける。
「…………」
ごくごく喉を鳴らして瓶を傾ける彼女を呆然と見つめることしか出来なかった。
「ん? 何だ、マーティ。君、回し飲みとか気になるタイプか?」
こちらの視線に気づいたのか、彼女は怪訝そうに首を傾げる。
タイプとかの問題じゃない。
貴族は男同士だってそう回し飲みなどするものではない。
男女の間ではなおさらだ。
「私は気にしないタイプなんだ。先に飲ませてやったんだからいいだろう」
彼女はへらへらと笑った。
タイプとかの問題じゃない!
これはもう、無防備とかの範疇じゃない。雑だ。粗暴だ。
「間接キスがどうとか、子どもみたいなことを言うなよ」
「子どもなのでは?」
「私はね。君は大人だろ?」
「……次は2本用意してください」
自分のため息交じりの言葉に、彼女はまた笑って適当な返事をした。
適当だし、雑だし、粗暴だ。いつもへらへらした、人を食ったような態度で余裕ぶっているところも癪に障る。
3つほど年下のはずなのに、そうは思えないほど場慣れしていて、それでいて妙に子どもっぽい。
正々堂々戦っても十分強いくせに、石も投げれば足払いもし、騎士道からはかけ離れた卑怯な手段で師団長に勝ったりもする。
ジュースひとつで他人を買収しようとするし、王太子の呼び出しを何かと理由をつけて断ろうとする。
澄ました顔でくだらない屁理屈を捏ねたりする。
何故こんなやつに、殿下は入れ込んでいるのだろう。
考えれば考えるほど分からない。
ため息をつくと、自分の唇から葡萄の香りがした。
◇ ◇ ◇
マーティン・レンブラント。レンブラント侯爵家の次男にして、近衛師団の若きエース。
彼がエリザベスに友達呼ばわりされ、何回かに1回王太子からの呼び出しを断らされるようになるまで、あと100日。
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