第66話 私の友達は、そういう奴だよ
ともあれ、まずはアイザックである。
教室に戻ってからというもの、彼は今にも首を括るんじゃないかというような顔で俯いていた。元の顔の作りが良いからか、悲壮感漂うその表情には妙な色気がある。
気持ちは分かる。なんせあのチョロベルトに負けたのだ。私だったら発狂する。
だが、このまま落ち込んでいられては困るのである。
無用の争いを避けるためには、ロベルトを元のがっかり第二王子に戻さないといけない。
そのためには、次の試験ではきちんとアイザックに勝ってもらわなくてはならないのだ。
それにアイザックがこのまま調子が戻らず、かつ主人公が遮二無二勉強を頑張ってしまったら、次の試験で、アイザックは主人公に負けてしまうかもしれない。
そうすると、強制的にアイザックのイベントが発生してしまう。
条件が厳しいだけあって、好感度の上昇率も大きいイベントだ。
起きることが分かっていても、さすがにこのイベントは横取りのしようがない。
主人公がアイザックルートに進んでしまっては、主人公に攻略してもらうという私の計画は水の泡だ。
国のためにも、私のためにも、さくっと元気になって、ガリガリ勉強をしてもらわねば。
放課後、帰ろうとするアイザックを捕まえて、よく2人でダンスの練習をする校舎裏まで引っ張って行った。
壁を背に、2人で並んで地べたに座る。
「アイザック。いい加減、辛気臭い顔をやめろよ」
わざと軽い調子で言ってみたが、アイザックの表情は晴れない。
俯いて首を振り、いつもより一段低い声で答える。その声は、僅かに震えているようだった。
「……負けたんだぞ、僕は。よりにもよって、あの、ロベルト殿下に」
おお、ロベルトよ。「よりにもよって」呼ばわりされているぞ。
学園での普段の様子は知らないが、少なくとも私にエスコートを申し込みに来て、ぶっ倒れたところはアイザックを含むクラス全員が目撃している。
周りにどのようながっかり第二王子扱いされているのかは、推して知るべし、である。
「アイザック。君は今まで一度も負けたことがなかったのか?」
「……いや」
「違うだろう? ずっと兄さんたちに負けて、勝てなくて、悔しくて、それでもやってきたんじゃないのか? その結果、一位を勝ち取ってきたんじゃないのか?」
脳みそをフル稼働させて、言葉を探す。
私も人望の公爵家の一員だ。お兄様だったら、何と声を掛けるか。それを考えれば、友達が言って欲しい言葉ぐらい思いつく。
普段は面倒だから、やらないだけだ。
「だったらもう一度、勝ち取ればいいだけだろう。今までと何も変わらない。ずっとやってきたことだ、アイザック」
「……バートン」
アイザックが、私を見上げる。眼鏡の奥で、大きく見開かれた赤褐色の瞳が揺れていた。
「私の知っているアイザックは、そういう男だ。蔑まれても、貶められても、蹴飛ばされても。それでも何度も立ち上がって、自分の土俵で戦うことの出来る強い男だ」
「お前、は」
アイザックが、じっと私の瞳を見つめる。無理やり絞り出したような、うっかり聞き逃してしまいそうなほど小さな掠れ声で、そしてやはり、震えている。
「本当に、覚えていたのか? 僕たちが、初めて会った日のことを」
その問いに、私は思わず首を傾げる。
意外そうな顔をして、妙なことを聞くやつだ。
「覚えているに決まっているだろう、君、私をなんだと思っているんだ?」
「だが、あの時の僕は、……公爵家の人間が、気にかけるような人間じゃなかった。兄や父と違って、何の才能もない、ただの……」
「関係ないよ」
「わぷ」
ぐしゃぐしゃと、彼の髪をかき混ぜてやった。
情けない声を出して、彼は私の手を払いのける。
文句ありげにこちらを睨んでくるアイザックに、いつもの調子が戻ってきたなと笑みが漏れた。
「あの時君と話したおかげで、私は君がどんな奴か知ることが出来た」
「……バートン」
「だからこうして友達になれたんじゃないかと思っているんだよ」
アイザックは、私の顔を何とも言えないような表情で見つめていた。
その鼻先に、私は人差し指を突きつける。
「だいたい、君は自分に才能がないとか言うけれど。十分に恵まれた物を持って生まれているじゃないか」
「……何?」
「きみには努力出来るという才能がある」
「努力なんて、誰でも出来る」
「誰でも出来ることじゃない。みんなが君みたいに努力が出来たら、世の中には天才しかいなくなってしまうぞ」
茶化して笑うと、またアイザックの眉間の皺が深くなった。
肩を竦めて、その視線を躱す。
「普通の奴はね、アイザック。苦手なことを頑張り続けられないんだよ。得意なことでも、壁にぶち当たってそこから頑張れなくなってしまう人がたくさんいる」
そもそも論、努力を目的達成の第一手段だと考える人間もごく一部だろう。
いかに頑張らずに済ませるかを考える人間の方がよっぽど多い。誰だって、労せずして成果を得たい。
頑張らないと死ぬとか、行かず後家扱いで一生肩身の狭い思いをするとかでなければ、尚更だ。
「君は違うだろう? 努力という才能で、壁を乗り越えてきた。壁にぶち当たっても諦めずに頑張り続けて、壁を破ってここまできたんだ。散々ダンスや剣術の練習に付き合ってやった私が言うんだから、間違いない。君が持って生まれた才能は、君が今日まで磨いて養ってきた力は、そういうものだ」
アイザックが、自分の手を見つめる。
利き手にペンだこが出来ている。剣術の稽古のせいだろうか、手のひらの皮は豆が潰れて、硬くなっていた。
「一度や二度負けたからって、崩れてしまうような生半可なもので、アイザック・ギルフォードは出来ていない」
「……僕は……」
「私の友達は、そういう奴だよ」
アイザックと目が合った。
何だろう、いかにもTHE友情、THE青春と言う感じじゃないか。何となく気恥ずかしくなって、目を逸らす。
「はは、柄にもなく真面目なことを話したら疲れた」
他人を元気づけるというのは、難しい。頭を使ったので非常に疲れた。お兄様のことを心から尊敬する。
これなら脅すほうがよっぽど楽である。
「立ち直ったか?」
立ち上がって、彼に手を差し出す。
「……ああ」
彼は頷いて、私の手を取った。
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