閑話 クリストファー視点(2)

 ぼくは怒っていた。

 せっかくぼくが一生懸命頑張ったのに、それを台無しにしたのは姉上だ。


 超至近距離で見上げる姉上は、それはそれはかっこよかったのだけど!

 目が合うたびに微笑んでくれるものだから、どぎまぎして仕方なかったのだけど!

 ファーストダンスの間中、独り占めできたのは役得ではあったのだけど!

 王太子と第二王子を差し置いて、本当に王子様みたいだったのだけど!


 そういうことでは! ないのである!


「クリストファー? おーい、クリストファー? いい加減に機嫌を直してくれよ」


 頼んでくる姉上に、ぷいと顔を背ける。

 そんな顔をしても! だめなのである!


 お兄様は、苦笑いでぼくたちのやり取りを眺めていた。


「本当に悪かったって。頼むよ、どうしたら許してくれる?」


 だめったら、だめなのである!


 そう思っていたのに、ちらりと、姉上の顔を見てしまった。

 困ったように笑いながら、ぼくと目が合ったのを確認すると、「ね?」と首を傾げてウインクを放つ。

 

 ……ぼくは、陥落した。



 それでも、女の子扱いはとても不本意だった。

 なのでぼくは、「ぼくの髪を切ってください」「姉上から見て男らしい髪型にしてください」とわがままを言った。


 結局、兄上が手配してくれた美容師と姉上が相談して、ぼくの新しいヘアスタイルが決まった。


「すごい! よく似合うよ、クリストファー! とてもかっこいい!」


 髪を切ったぼくに、姉上がそう言ってくれて、心がふわりと浮き立った。

 ぼくは姉上に男の子扱いしてほしかったのだと、そのとき気づいた。



 ◇ ◇ ◇



 その日、ぼくは兄上と一緒に王城で行われる会合に参加した。ぼくは兄上の補佐役だ。

 円卓には座らずに、少し後ろに下がったところにある椅子に座る。


 妙な視線を感じた。

 姉上と一緒に訓練場に行くようになってから、気配と言うか視線と言うか、そういったものに敏感になった気がする。

 顔を上げると、円卓の向こう側にいた視線の主と目が合った。


 その瞬間、幼いころの記憶がフラッシュバックする。

 もう半分、忘れかけていた顔だったのに。

 胸の穴は、埋まりかけていたのに。


 ぼくの叔父は、目が合ったことを確認すると、にやりと口角を上げた。



 兄上が席を立ったタイミングを見計らって、叔父がぼくのところに歩み寄ってきた。


「ずいぶん立派になったもんだな。さすがは公爵家」

「…………」

「いいお家に行けるようにしてやった叔父さんに、お礼がしたいだろう? あとでちょーっと、お話しようぜ」


 返事をしないぼくに、叔父はやはりにやにやと笑っていた。



 叔父はぼくに、兄や御者をごまかして、自分についてくるように言った。

 そうしなければ、ぼくが伯爵家の血を引いていないことを、家族にバラすと脅したのだ。


 両親も、兄上も姉上も、そんなことを気にしないだろう。そう思ったけれど、広がった胸の穴から不安が滲み出て来る。


「可哀想にな。どこの種とも知れないガキを大事に育ててるんだ。同情するぜ」


 叔父は馬鹿にするように、笑った。


「いくらお人よしだって、公爵家の人間が、庶民の子どもを自分の子どものように育てるものか。お前だって分かってるんだろ? 自分が分不相応なところにいるってよ。場違いなんだよ、お前」


 足元がぐらついているような気がした。

 確かに、場違いなのかもしれない。


 実の母に「生まなければよかった」と言われて、叔父には蔑まれて。

 そんなぼくが、公爵家の一員だなんて。

 分不相応だと言われてしまえば、ぼくには。

 反論することが、出来なかった。


 叔父はぼくを、伯爵家の塔に閉じ込めた。

 外側に鍵のついた扉が一つと、嵌め殺しの窓があるだけの部屋に、1人残される。


 ほのかに月明かりが届くだけの、暗い、暗い部屋だ。

 お母様とこの部屋にいたころのことを思い出し、急に手足が冷たくなった。


 鍵をかけた叔父が、思い出したようにこちらに声を掛ける。


「親父がどう思ってたかは知らねぇが、お前は間違いなく、俺と同じこのウィルソン家の血が流れてるよ」


 思いもよらない言葉に、咄嗟に扉に駆け寄る。


「その人を見下したような目、兄貴に似てやがる」


 騙された。

 そう思ったけれど、遅かった。

 押せども引けども、扉は開かない。


「何、公爵家から見受け金でも貰ったら帰してやるよ。向こうがお前を迎えてくれるかは、知らねぇけどよ」


 叔父の下卑た笑い声が、どんどんと遠ざかっていく。ぼくはぺたりと、その場に座り込んだ。



 どれくらいそうしていただろう。

 窓の方から妙な音がした。立ち上がり、窓に駆け寄る。


 そこには。

 姉上が、まるで当たり前のように立っていた。


 嵌め殺しの窓を窓枠ごと引きはがしたらしい。

 背中の向こうに見える月の明かりを受けて、金色の髪がきらきらと輝いている。

 闇の中に、ブルーグレーの瞳が浮かび上がった。


 まるで絵本の挿絵のようだと、ぼくは思った。


「やぁ、クリストファー」

「あ、ねうえ」

「早く帰ろう。お兄様も心配しているよ。忘れ物はない?」

「でも、ぼくは」


 姉上は、当然のようにぼくを助けに来てくれた。

 それが答えだと、分かっているのに。

 ぼくはやっぱり、はっきり言葉で聞きたいと思ってしまった。


「ぼくは、姉上の弟に、相応しくない」

「弟だよ」


 姉上は、何を言うのだと少し呆れたように、答えた。


「私が言うのだから、君は私の弟だ」


 ぼくはきっと、誰よりも、自分のことが信じられなかったのだ。

 自分が幸せを享受してよい人間だと、思えなかったのだ。

 信じられなかったのだ。


 だけれど、それでも。

 姉上の言うことなら。

 兄上の言うことなら。

 ぼくの大切な家族の言うことなら、ぼくは信じられると、そう思えた。



「ああ。そうだ、クリストファー」


 ぼくを抱き上げた姉上は、部屋を出る前に、ふと足を止める。


「カフスボタン、一つもらっていいかな? 今度、新しいものを買ってあげるから」



 ◇ ◇ ◇



 姉上に助け出されて塔を出ると、正面玄関で兄上と叔父が対峙していた。


 兄上が姉上以外に怒っているところを、初めて見た気がする。

 兄上が怒ってくれた。助けに来てくれた。

 それがすごくうれしかった。


 けれど、兄上につらそうな顔をさせていることが、ひどく申し訳なくなった。

 思わず走り出し、兄上の腕の中に飛び込んだ。


 兄上の目には涙が光っていて、この人のことを一瞬でも信じられなくなってしまった自分に腹が立った。

 その後は、急に狼狽えだした叔父に、最後は姉上がトドメを刺していた。


 怒っている兄上のことを、見ていて不安になることはなかった。

 この人はきっと間違った選択はしないだろうと思えた。

 もし兄上の選択を間違っていると感じたならば……そのとき間違っているのは、自分なのだろうと思うぐらいに。


 だが、姉上は違う。

 怒っているというか、他人に敵意を向けている姉上を見たのは初めてだったが、ものすごく不安になった。


 わざとぼくのカフスボタンを塔に置いてこさせた理由。そして、叔父を追い詰めているときの表情。

 この人は、誰かが見ていないと、もしかしたら悪い人間になってしまうのではないか。

 根拠はないけれどそんな気がして、不安が頭から離れない。ぼくの中で警鐘が鳴る。


 姉上はきっと、一人にしてはいけない人だ。



 兄上も、似たことを感じたのかもしれない。

 ぼくを助けに来てくれたにもかかわらず、姉上は必要以上に怒られていた。

 姉上を十分に締め上げた後、兄上はぼくの手をそっと包み込んで、言ってくれた。


「お互いが大切だと思っていたら、それが『家族』だってことなんだ。相応しいとか、そういうことじゃない。僕はそう思っているよ」

「兄上……」

「それでも、もし何か返したいと思ってくれるなら……この先もずっと、お互いがお互いを大切だと思える関係でいられるように、一緒に考えて、頑張ってくれたら嬉しいな」


 兄上がやさしく微笑んでくれる。言葉にしてくれたことが嬉しくて、ぎゅっと、ぼくも兄上の手を握り返す。


「あ、あとはそうだね。リジーのお目付役を手伝って欲しいかも」

「え」


 姉上が驚いたような顔で、ぼくたちを見る。もう自分の話は終わったものと思って、すっかり油断していたようだった。

 先ほどまでと全く違う表情に、思わず笑ってしまう。


「リジーはおてんばさんだろう? 僕1人じゃ手に負えないから。今まで通り……ううん、今まで以上に、クリスも協力してくれたら嬉しいな」


 おてんばさん。

 その表現が当てはまるのかは分からないけれど、兄上の気持ちは少しわかった。

 姉上は確かに、目を離してはいけない気がする。


「姉上! ぼく、頑張ります!」

「クリストファー?」


 身を乗り出して、姉上の手を握った。

 温かい手だ。それだけのことに、何だか少しほっとする。


「ぼく、本当はずっと姉上のこと、心配だったんです。このままではお嫁の貰い手がなくなってしまうんじゃないかって。姉上はこんなに強くて、かっこよくて、素敵なのに」


 目の前の姉上の顔が、だんだん何ともいえない表情になっていく。

 しかしぼくはといえば、ずっと心配していたことを言えてすっきりしていた。


「だから、姉上の魅力をもっとみんなに分かってもらえるように、がんばります! もしものときは、その、ぼ、ぼくが責任を取ります!」


 姉上は見たことがないような驚愕の表情で、ぼくを見ていた。

 その言葉を告げた瞬間、すっと胸のつかえがとれた気がした。


 そうだ。誰も姉上を幸せにしないのなら、ぼくが姉上と一緒に幸せになればいい。

 おとぎ話の最後は、やっぱり「めでたし、めでたし」でなくちゃ、締まらない。


 …………あれ?

 ふと、気づく。

 何だか、ぼくは今、とんでもないことを口走ったような?

 まるで、プロポーズのような……


 慌てて姉上を見るが、兄上に抗議していて、ぼくの話は聞いていないようだ。

 だけれどぼくは、姉上の顔を見ているうちに、どんどんと頬が熱くなってきてしまう。


 早く撤回しないといけないのに。

 違いますと言わないといけないのに。

 どうしてだろう。その言葉が出てこない。

 どうしてこんなに、すっきりした気持ちなのだろう。


 もしかして、ぼくは。

 姉上に幸せになってほしいんじゃなくて。

 他の誰かと幸せになってほしいんじゃなくて。

 僕が姉上を、幸せにしたかった?。

 姉上と一緒に、ふたりで末永く幸せに、暮らしたかった?


 姉上を見る。

 確かに、姉上はかっこよくて、素敵で、きれいで、おとぎ話から抜け出たようで。

 ぼくの憧れの騎士様で。そうかと思えば、心配で、目が離せない。

 意識すればするほど、自分の中でパズルのピースがはまっていく。


 そうか。ぼくは。

 姉上のことが、好きなんだ。


 姉上の横顔を眺めていると、兄上と目が合った。

 兄上は、顔を真っ赤にしているぼくを見て目を細めると、にっこりとやさしく微笑んだ。

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