第63話 なになになに。怖い怖い怖い。

「……あ」


 ちょうどよいものの存在を思い出した。

 殿下に断りを入れて、寝室のベッドサイドからそれを持って来る。


「これなどいかがでしょう」

「これは?」

「くるみを割る機械です」

「くるみを」


 一緒に持ってきた殻付きのくるみを、金属製のやっとこ型の道具に挟んで見せる。

 持ち手をぐっと握り込むと、ぱきんと音を立てて殻が割れた。


「こうやって」

「……どうして寝室にそれが?」

「握力を鍛えるために、一時期暇さえあればこれを握っていたのです。ナッツは健康にも良いので」

「今は、使っていないの?」

「気に入っていたのですが、最近は……」


 殻付きのくるみを手に取る。親指と人差し指、中指で掴み、ナックルボールの要領で力を入れる。

 ばき、と音がして、殻が砕けた。


「こうして割れるようになりましたので、使わなくなりました」

「…………」

「殿下も長旅で身体が鈍るでしょう。馬車の中でもベッドの上でも、手軽に握力が鍛えられますよ」


 殿下はしばらくくるみ割り器を見つめていたが、呆れたような目を私に向けてきた。


「きみ、まともな贈り物をしたことがないだろう」

「ええ、そうですが」


 頷き返すと、一旦やれやれという様子でため息をついた殿下が、がばりと顔を上げた。


「したことがないのか? 本当に?」

「嘘をついて何になります」

「友人に誕生日の贈り物をしたり」

「家族には致しますが……残念ながらそのような友人はおりませんので」

「愚弟は」

「ああ、それはいつも母が適当に選んで」


 しまった。失言だ。


「……失礼。忘れてください」

「気にしなくて良い。あいつもきみへの贈り物は他の者に適当に選ばせていたよ」

「そうでしょうね」

「本当に、きみとロベルトは仲が良くないのだな」

「……師弟としては仲良くやっておりますよ」


 身バレしたので今後どうなるかは不明だが、ダンスパーティーでの態度を見るに、師弟としての関係には変わりがなさそうだ。


 センスがない奴扱いされたことが少々悔しく、他に何かなかったかとうんうん唸っていると、殿下はやがてふっと口許を綻ばせた。


「いや、いいよ。これでいい」

「そうですか?」

「うん」


 よくわからないが、その顔はどうやら満足そうに見えたので納得することにした。

 くるみ割り器を物珍しそうにくるくる手元で回していた殿下は、ふと顔を上げて私に問いかける。


「きみ、友達がいないと言ったけれど。こうして部屋に上げるのも、私が初めて?」


 友達がいないとは言っていない。贈り物をし合うような友達がいないだけだ。

 ……友達も決して多くはないが。


「まぁ、家族以外ではそうですね」


 しぶしぶ答えたものの、この言い方だと私と殿下がまるで仲が良い友達同士であるように聞こえてしまって、非常に不本意だ。

 王太子殿下と家族の次に仲が良いだなんて、まるでロベルトと家族ぐるみの付き合いをしているようで外聞が悪いじゃないか。

 ……いや、世間的には良いのかもしれないが。


「申し添えますが、それは差し上げるのではなくお貸しするのです。用事が済んだらお返しください。無くしたことが知れたら料理長に怒られてしまいますので」

「許可なしで持ち出したものを人に貸し与える気なのか……」


 信じられないものを見るような目で言われた。

 そう言われると確かに私が非常識なようだが、実際はそう使われていないようなので怒られることはないだろうと見込んでのことである。

 いざとなったら私がくるみ割り器になる覚悟はある。


「……そうだね。ちゃんと、帰ってくるよ」


 殿下は頷いた。


「素敵なものをもらったからね。お返しに……」


 ごとりと、私のナイフが持ち上げられる。

 あっと思った時にはもう遅かった。


 というか刃物を持った相手に、反射的に己の身を守るための回避行動を取ろうとしてしまったために、対応が遅れた。どんな時でも我が身が可愛いので。


 殿下はナイフで、己の髪をざっくり切り落としていた。

 きらきらと、銀糸のかけらが宙を舞う。


「な、何をしているんですか!」


 思わずその手からナイフをひったくった。華奢な細腕に似合わない無骨なナイフを、彼は簡単に私に返す。


「これを私だと思って」


 にこりと微笑みながら、銀糸の束を差し出される。

 紐で束ねられていたところを切ったからか、もともと艶々でまとまりのある髪だからか、散髪用ではないナイフで切り落とされたにも関わらず綺麗にひと束にまとまっている。


 生産過程を知らなければ、ただの美しい絹糸のようだ。

 突拍子もない行動に、私は恐怖を感じる。


 なに、なになになに。

 怖い怖い怖い。

 急に髪の毛渡すって何? 怖っ。


 そして教官仲間から聞いたことのある、騎士の逸話を思い出した。

 騎士は帰れないかもしれない戦に赴く時、先に形見を残しておくという意味で――これからの戦にそのくらいの覚悟で臨むという意思表示として――己の髪を家族に託すことがあるのだと。


 つまりこれは形見である。形見の先渡しである。


 いや、重い。

 カーテンの時から薄々思っていた。この人、重い。


 そして死亡フラグを立てるな。

 お前にはそのフラグは立たないのだ。何故なら乙女ゲームは、まだ始まってすらいないのだから。


「願掛けに伸ばしていたのだけど……もうその必要もなさそうだから。きみからもらったお守りがあれば十分だよ」


 何となくこの世界では願掛けに髪を切るのかと思っていたが、違うらしい。

 殿下はやけにすっきりとした表情だが、今度はこちらがどんよりしてしまった。

 机の上に置かれた髪の束を眺める。

 どうにかして持って帰ってもらえないものだろうか。侍女長にどう事情を説明したものかと考えると頭が痛くなる。


「またね、リジー。帰ってきたら、今度はきみにドレスを贈ろう」

「結構です」

「ふふ、遠慮はいらないよ。ベッドの上はきっと退屈だからね。ドレスの1着や2着すぐに仕上がる」

「手作りはなおさら結構です」


 殿下はにっこり微笑むと、私の頑なな拒絶を黙殺して去っていった。

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