第62話 私の信用がびっくりするほどなかった
「やぁ、リジー」
優雅に脚を組んでお茶を飲んでいる王太子殿下に、私は騎士の礼を返した。
「これは殿下。事前にお知らせくださればこちらから出向きましたのに」
「いや、いいんだ。私が来たかったのだから」
婉曲な「アポなしで来るな」に対して、優しい微笑みが返ってきた。
私より貴族らしい言い回しがお得意な殿下には、その意図が十分伝わっているはずなのだが。
「それで、どのような御用向きでしょう。さぞお急ぎと拝察しますが」
「……ねぇ、きみの部屋はどこ?」
「は?」
「案内してよ」
婉曲な「早く帰れ」も跳ね除け、わけのわからないことを言い出す王太子殿下。
「お願い。……最後になるかもしれないんだから」
「?」
妙に深刻そうな顔で言われて、違和感を覚える。
以前ならいざ知らず、最近の王太子殿下は「どうせ死ぬんだから」的厭世感の演出をめっきりしなくなっていたのだ。
……言っても私がばっさり切り捨てるからだとは思うが。
こんなことを言っている彼は久しぶりに見る。
結局、いつもと違う雰囲気に負け、彼を私室に案内した。
出てきた時に放置していた侍女長が固まったまま残っていたので「殿下にお茶を」と申し付けると、ようやく硬直が溶けて素晴らしい礼をくれてから退出していった。
さすが侍女長、脳が停止していても無意識で動けるらしい。
ソファを勧めると、殿下はきょろきょろ室内を見回しながら腰を下ろす。
「……このドイリー」
殿下がローテーブルに置かれたレースのテーブルクロスに目を止める。そうか、そんな呼び名だったか。
言うまでもなく殿下の手作りの品である。さすがに目敏い。
「あの編みぐるみも。……驚いた。ほんとうに飾ってくれているんだね」
「ええ、まぁ、頂き物ですから」
「きみのことだから、すべて他の者にあげてしまったのかと思っていたよ」
私の信用がびっくりするほどなかった。
いくらなんでも手ずから「きみに」と渡されたものまで他人に渡せるほど冷酷ではない。
侍女長に言われたから残している物もあるが、こればかりは彼女の先見の明に感服するしかなかった。
「あのカーテンも。ふふ、嬉しいな」
「あのような大物は金輪際勘弁してくださいね」
持って帰るのも一苦労だったし、家の者への言い訳もまた一苦労だった。
レースのカーテンはちょっとした貰い物の域を越えている。編むのだって相当の時間がかかっているはずである。
控えめに言って重い。趣味の産物だとわかっていなければ引いている。
「……金輪際、か」
出た。
まただ。
私はげんなりしてしまう。久しぶりにやられると鬱陶しさも一入だ。
だからお前は死なないのだと、何遍言わせる。
「……殿下。どうされました。お腹でも痛いのですか?」
「きみの普段の悩みのなさが透けて見えるね」
何だかとても失礼なことを言われた気がする。
最近はナンパ系のイメージを崩さないよう表に出していないだけで、そこそこ悩みの多い人生を送っているのだが。
目下の悩みは、アポなしで訪れた王太子がなかなか帰ってくれないことだ。
「私の病気のこと、なんだけど」
「はぁ」
一言で聞く気を失った私に、殿下は苦笑して続ける。
「治せるという治癒師が見つかったんだ」
「ちゆし?」
「西の国にいる、この国の聖女にあたる役職だ。聖女のような癒しの術と、薬や……この国ではまだ一般的ではない、医術を組み合わせた治療を行うという」
「はぁ」
医術というと、外科的な手術も含まれるのだろうか。
何となく浮かんだ脳内イメージは、開腹手術をして腹から髪の毛を取り出す怪しげな東洋医術。
いやこのイメージは本当に何なんだ。前世の外科手術はそんなんじゃなかっただろう。
「よかったではないですか。治るのでしょう?」
「うん。……ただ」
頷いたものの、その表情は嬉しそうには見えない、陰のあるものだった。
「その治療には危険が伴う。成功して病気が治るか、命を落とすかは半々だと言われた」
殿下のその言葉を聞いて思い出す。そういえばロベルトルートではそんな展開だった。
しかし、それは主人公が学園に転入してから……少なくともあと1年は後の話であったはずだ。
時期が早まった理由を考えてみる。
そもそも、こんな情報が突然降って湧いたとは考えにくい。
きっと王宮の侍医も両陛下も、このことはもっと前から知っていたのだ。だけれど、殿下に伝えていなかった。そう考えるのが妥当だ。
病は気からという。生にしがみつく気持ちのなかった殿下を、五分五分の治療に挑ませることに踏ん切りがつかなかったのだろう。
ロベルトルートで彼が治療を受けたのは……ロベルトが主人公と出会ってまともになったからだろうな。
最悪王太子殿下が死んでも、「代えがある」という判断がなされたからだったと考えれば腑に落ちる。
なんちゃって。実際のところはわからない。
もしかしたら生き生きとし始めた殿下を見て、いろんな人が彼を応援したいと思って情報を集めた結果、治療法が見つかるのが早まった……という、なんとも美しくご都合主義な事情かもしれない。
それこそ何を信じるかは私の勝手だ。私はこのご都合主義の案を信じておこう。
「半分もあれば十分でしょう、ゼロではないのですから」
「きみはそう言うだろうなと思ったよ」
殿下は私を見て苦笑いした。
「どうしてもきみに会ってから行きたかったんだ。私の死を信じていないきみに。私の生を信じているきみに」
私を見つめる紫紺の瞳が、僅かに揺れている。紫は高貴な色だというのを聞いたのは、今世だったか、前世だったか。
「ねぇ。何か君の持ち物をくれないかな」
「は?」
「治療のためには東の国の奥地まで行かなくてはならなくてね。予後が良好でも戻って来られるまでに3ヶ月はかかる」
「はぁ」
「離れている間も君のことをすぐに思い浮かべられるように……何か思い出の品が欲しいんだ」
死亡フラグじみたことを言うな。
「もうすぐ死ぬ自分」に酔っているような雰囲気を感じ取って睨み付けると、彼は降参とでも言うように両手を軽くあげた。
「……きみのその無尽蔵の体力に肖りたくてね。まぁ、お守りみたいなものかな」
「最初からそう仰ってください」
それならば納得である。多少分けてやってもよいくらいに有り余っている。
ちょうど良いものがないか、とりあえずポケットを探る。小銭ぐらいしか入っていない。
このまま入れっぱなしにするとまた侍女長にお小言をもらってしまうので、後で出しておかなければ。
ジャケットの内ポケットに手を入れると、掴みなれた柄が手に当たった。
「ああ、これはどうでしょう」
ポケットからナイフを取り出してテーブルに載せると、ごとんと重い音が響く。
普段ジャケットの下に隠しているただの護身用だが、切れ味は十分だ。性能は申し分なかろう。
「護身用ですが、猪も捌けますよ」
「きみ、私の話をちゃんと聞いていた? サバイバルに行くわけじゃないんだよ」
殿下がため息をつく。
「もうすぐ死ぬ自分」を演出されるのも腹立たしいが、かといってこうして嫌味いっぱい元気いっぱいに馬鹿にされるのも、それはそれで腹が立つ。
「大体、こういうときに刃物はないだろう。縁起が悪いよ」
「そういうものですか」
この世界の贈り物のルールはよく知らないが、王太子が言うのだから間違いないのだろう。
それに、ナイフとはいえある程度大きさと重さがあるので、普段使っているのがお上品な細身のレイピアという殿下にとっては扱いにくいかもしれない。
他に何かないかとぐるりと部屋を見渡すが、この部屋、改めて見るとびっくりするほど物がないな。
殿下から押しつけられた品々を除けば、殺風景ですらある。そもそもあまり物欲がないのだ。
筋トレ用の機材は訓練場にあるし、読書は屋敷の書庫に行っているのでここはほとんど着替えるための部屋と化している。
手頃な私物が全く置いていないのである。
「ああ、ではあちらのクマの編みぐるみを……」
「…………」
「冗談です、殿下」
「きみは本当に無神経だな」
半分冗談だったのだが、機嫌を損ねたようだ。乙女心よりも難しい。
クローゼットにポケットチーフくらいならあるような気もするが……侍女に頼んで探さないと見つからないようなものを渡したら、ますます機嫌を損ねそうな気がする。
いくら無神経と名高い私でもそのくらいのことはわかる。
私が気に入って使っていたものの方が良いのだろう。そして出来たら健康的なものが良いはずだ。
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