第59話 命知らずな方がいないと良いのですが

「兄上!」


 沈黙を破ったのは、クリストファーだった。塀の陰から飛び出して、お兄様に駆け寄る。


「クリストファー!」


 彼に気づいたお兄様も駆け出し、二人はひっしと抱き合った。お兄様の幸せの詰まったマシュマロボディに、クリストファーが沈み込む。


「ああ、よかった。無事だったんだね」

「すみません、兄上……」

「いいんだ。君が無事なら」


 また泣き出しそうな声で呟くクリストファーの頭を、お兄様はやさしく撫でていた。そしてそのお兄様もまた、瞳には涙が光っている。

 一方で、ウィルソン伯爵の顔色は、暗がりで見てもわかるくらい青白くなっていた。


 その表情に、確信する。やはり彼は小悪党だ。

 ちなみに大物の悪役らしい反応の正解は、突然ゆっくりと拍手をしながら歩み寄り「いやぁ、感動の再会というやつですな」とか笑って再会を祝福する、等である。

 幽閉していたはずの人質が逃げ出した程度で青ざめていてはいけない。


「兄上。ぼく、その人に……ウィルソン伯爵に、脅されて連れて来られたんです。こんな家、二度と来たくなかった」


 言って、クリストファーは唇を噛み締める。悔しそうな表情で、ウィルソン伯爵を睨んでいた。


「言うことを聞かなければ、ぼくが伯爵家の血を引いてないことを、公爵家にバラすって……公爵家から融資を得るために尽くせば、ウィルソン家の人間として扱ってやるって言われて……ぼく、怖くなって」

「血を引いていない?」


 その話を聞いて、私は自分の予想が大方当たっていたことを知る。自分の悪役の才能が怖い。


「本当のところは……ぼくにも分かりません。もう、お母様はここにはいないから」

「違うよ、クリストファー」


 俯いてしまった弟に、お兄様はふるふると首を振る。そしてまた、ぎゅっと彼を抱き締めた。


「僕や、リジー……お父様もお母様も。そんなこと、気にするわけないだろう」

「!」

「クリストファー・バートンは、僕の弟だよ。公爵家の大事な次男だ。それを間違えないで」

「あにうえ……」

「ば、バートン伯!」


 それまで黙っていたウィルソン伯爵が、突然大きな声を上げた。

 そしてお兄様とクリストファーのもとにずかずか歩み寄り、二人を引き離す。


「違います、違うのです! 私は脅してなどおりません。むしろ弟君に頼まれたのです! 自分をウィルソン家に戻してほしいと! このまま公爵家にいても次男のままで家督を継ぐ見込みがないから、それならば伯爵家の跡取りに戻りたいと!」


 遠目に見てもみっともないほど取り乱しながら、お兄様に縋りつく。

 おお、一瞬ですり寄るべき相手を見極めて、手のひら返しをしてきた。絵に描いたような小悪党っぷりである。いっそ清々しい。

 このような出会い方をしていなければ、よき友人になれたかもしれないな。知らんけど。


「う、嘘です、兄上! ぼく、そんなこと言っていません! 無理やり連れて来られて、閉じ込められて……」

「閉じ込めたりなどしていません! きちんと応接室にお通ししておもてなししましたとも!」


 お兄様が困惑した表情で揉み手の伯爵を見つめている。

 半強制的に攫われた挙句罪を擦り付けられている弟が気の毒でもあるので、そろそろこの一件を切り上げにかかることにした。


「弟がどこにいたのかは、分かるかもしれません」

「リジー!」


 歩み寄りながら声をかけた私に、お兄様が目を丸くする。

 伯爵家に単身乗り込んだことがバレた気がするが、やむを得まい。どうせすぐにクリストファー経由でバレるだろう。


「と、言いますと?」

「それが、弟はどこかでカフスボタンを1つ落としてきたようなのです。それが見つかった場所に、弟はいた……ということになりますよね」


 伯爵の問いかけに、私は顎に手を当てて考えるような仕草で答える。

 はっと、クリストファーが自分の袖を見る。確かにカフスボタンが1つ、外れていた。

 ウィルソン伯爵の瞳を見据えてにこりと微笑んでやれば、途端に彼は落ち着きなく髭を触り始めた。


「ああ、そう言えば、あそこに見える塔。あれはどんな用途の塔なのでしょう? まるで誰かを幽閉するためにあつらえたかのような建物ではありませんか?」

「そ、それは……」

「すみません、聞くまでもないことでしたね。戦前からあるような古いお屋敷には、ああいった設備があるところも珍しくありません」


 それが見た目通りの用途であることを指摘するように、私は首を振る。まぁ実際、何のための建物かなど全く知らないわけだが。


「何だお前は! 私を疑っているのか!? そいつが、どうしてもウィルソン家に戻りたいというから連れて帰ってやっただけだ!」


 私の言葉の意味を理解した伯爵が、必要以上に大きな声を出して食って掛かる。これでは痛いところを突かれたと言っているようなものである。

 だんだんと周りの空気が白けたものになってくる。


 そう、これは茶番だ。見ている者にとっては、もはや結果の分かり切った、つまらない見世物だ。


「仮にそうだとしても、未成年の子供を連れていくのに、保護者に何の許可も取らないというのはいささか非常識ではありませんか? 人さらいと間違われても文句は言えませんよ」


 人として当然のことを説いてやれば、見るからに泡を食った様子で狼狽えている。

 一瞬見せた強気が、あっという間にしぼんでしまっていた。


「ち、違う、私は……私は嵌められたんだ! そいつに! 追手が来るから匿ってほしいと言われて、わざわざ護衛を置いて守ってやったのに! それがこうして仲間の手引きで抜け出して、私に罪を着せるためだったとは!」


 ふむ。大きな声で喚いているが、支離滅裂だ。どんどん墓穴を広げている気がしてならない。何人分の墓穴を掘るつもりなのだろう。


「貴方の言い分では、何者かがこのお屋敷に侵入して、あの塔……あるいはそれ以外のどこかから、丁重に護衛されている弟を連れ出して、ここに連れてきたということですね?」

「あ、ああ、そうだ! どうせその弟自身が雇った傭兵か何かだろう、俺を誘拐犯に仕立て上げるために!」

「だとすると、怖くはありませんか? それを信じるとすれば、我が弟の後ろには、それを実行できるだけの者がいるということですよ」


 伯爵がぽかんとした顔で、私を見つめる。「信じる」という言葉が意外だったのか、それとも、まだ私の言葉が理解できていないのか。

 彼のために、私は丁寧に、それでいて肝心なところに直接触れないように話す。


「いくら伯爵様がお金に困っておいでだったとはいえ、お貴族様のお屋敷ですから。それなりに、護衛や警備を置くのが当たり前でしょう? 特に、塔には逃げられては困る金ヅルを閉じ込めているのだから、しっかり見張りもつけたはずです。ああ、あくまでこれは私たちの言い分ですがね?」


 小悪党とはいえ、貴族は貴族。回りくどい物言いは得意分野のはずだ。私の言葉の意味を少しずつ理解し始めたらしい彼の顔色が、またどんどんと悪くなっていく。


「だけれど、弟はここにいる。誰かが連れ出したのだとしたら……その誰かはどうやって、伯爵邸の誰にも気づかれることなく侵入し、弟を連れ出したのでしょうね?」


 だらだらと冷や汗を流し始める伯爵に、私はわざと踵の音を響かせながら歩み寄る。顔見知りの警邏の騎士とお兄様の、呆れるような視線が私に向いている気がした。


「塔に侵入できた者が、本邸に入り込まないなどと、誰が言い切れます?」


 ウィルソン伯爵は、もう私の目を見なかった。

 お兄様はやさしいので駆け引きで済ませたが、あいにく私はさほどやさしい人間ではない。何といっても元は悪役令嬢だ。


 そっと身を屈めて、私は低く、彼に耳打ちする。


「それが出来る相手と敵対するなんて、命知らずな方がいないと良いのですが」


 彼の耳にしか聞こえない脅しの言葉に、びくりと肩が跳ねた。


「と、いうことで。ここらで引いておくのがお互いのためだと思うのですが。いかがですか? ウィルソン伯爵」


 宣言するように問いかけた私に、ウィルソン伯爵は土気色の顔に笑顔を貼り付けて、ぶんぶんと頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る