第53話 コーナーで差をつけるな

「俺は、隊長が、エリザベス・バートンだと気付いていなかった……そうと知っていれば、俺だって……そう思って、気づいたんだ」


 僅かに視線を伏せるロベルト。付け睫毛だろうか? 睫毛もいつもより長い気がした。

 見た目は少々体格が良いだけの美女なのに、ロベルトの声がする。控えめに言って脳がバグるのでやめてほしい。


「相手が誰かによって、態度を変えるなんて。紳士らしくも、騎士らしくもない。俺は、騎士団候補生として過ごしていく中で、すこしは変われた気でいたけれど……本質は何も変わっていなかったんだと気付いたんだ。俺は結局、傲慢な自分のままだった」

「いや、自分を卑下するな。君は変わったとも。それはもう、ものすごく」

「貴女の言う通りだ。こんな俺では、貴女をエスコートするのに相応しくない」


 聞いてもらえなかった。


「だが、だからといって貴女を一人ぼっちでダンスパーティーに行かせるわけにはいかない」


 いやここまで一人で来たよ、一人でも全然大丈夫だよ。

 中で適当な令嬢を引っ掛けて踊るつもりだったよ。


「そこで思いついたんだ。俺がエスコートされる側になろうと」

「????????????」


 とうとう話についていけなくなった。急にスピードをあげないでほしい。コーナーで差をつけるな。

 助けを求めてロベルトの兄に視線を向けると、彼はにっこり笑って頷いた。


「弟が面白そうなことをしていたからね。私も便乗してみたんだ」


 何故止めない。

 兄というのは弟妹が暴走していたら止めるものなのではないのか。


「きみを一人にしないことが目的なら、エスコートされるのは私だっていいはずだろう?」


 どうしてエスコートされるのが前提なのだ。王太子殿下はロベルトよりはまともだと思っていたのだが、私の思い違いだったのだろうか?

 あれ? この国、もうダメなのでは?


「ほら。このドレスも素敵だろう? 自分で言うのも何だけれど、今日の私はかなり美しいと思うんだけど」


 ひらりとドレスの裾を持って回ってみせる王太子殿下。ギャラリーからほぅっと恍惚のため息が漏れる。

 恥じらったようにしなを作ってはにかむ姿は、美少女そのもの。どうやらたいそう楽しんでいるらしい。

 わかった。この人、自作のレースを使ったドレスを着てみたかっただけだ。


「私をエスコートできる機会なんて、そうそうあるものじゃないよ」


 王太子をエスコートする機会など、あってたまるか。


 ここはアイザックだけが頼りだ。彼は賢いし、何より私の友達だ。私に分かるように説明してくれるに違いない。

 アイザックに目を向けると、彼は小さく頷き、自慢の眼鏡の位置を直しながら、口を開いた。


「僕はまだ、男性側の踊りをマスター出来ていない。僕がダンスパーティーに出るには君の協力が不可欠だ。それに君と一緒にパーティーで踊ろうと約束もしていた」


 約束、という言葉に王太子殿下がぴくりと反応した。

 そして何故か責めるような眼差しを私に向ける。


 え? 何?

 私が悪いの????


「ま、待てアイザック。私は君とそんな約束をしたかな?」

「忘れたのか? お互いエスコートの相手もいないから、いつもみたいに2人で踊ったら面白いんじゃないかと話したじゃないか」

「あれは冗談だろう……!」


 思わずがっくりと肩を落とす。まさかその冗談を真に受けて、女装までしてきたというのか。

 いくら馬鹿真面目だからといってそれはさすがに、真面目がつかない馬鹿ではないだろうか。


「冗談を真に受けるなんて、かわいそうな人だね」


 王太子殿下がにこりと笑って、一歩前に出る。所作まで完全に女性のそれだ。


「どういう意味でしょう。王太子殿下」

「いやぁ。そんな僅かな希望にまで縋ってしまうなんて……惨めに思えてしまって」

「冗談ですら誘われない方よりは良いかと思いますが?」

「これから誘われるから問題ないよ」


 何故かにこやかに火花を散らし始めた2人。もはや、何が何やら分からない。

 逆に、分かるやつがいるなら連れてきてほしい。そして私と代わってほしい。


「ふ、2人とも! 隊長は俺の婚約者で……」

「だから? それがどうかしたの?」

「ロベルト殿下は既に彼女から同行を断られていたと記憶していますが?」


 仲裁に入ったロベルトは、2人から同時に手ひどく切り捨てられていた。


 どうしよう。

 当事者のはずなのだが、私はすっかり置いてけぼりになってしまっていた。


 話を整理すると、私にエスコートを断られたロベルトは持ち前の素直さと暴走癖でエスコートされる側になろうと思い立ち女装をしてここに来て、それを嗅ぎつけた王太子殿下は便乗して女装をしてみたら思いの外楽しくなってしまってお手製ドレスを見せびらかすためにここに来て、アイザックは私の冗談を馬鹿真面目に真に受けてエスコートされると思い込みそれならと全力投球の女装でこの場に臨んだと。


 そして始まった三つ巴のキャットファイト。

 何ということだ。帰りたい。


「隊長! どうか俺にチャンスをください! 騎士たるもの紳士たるもの、立派にやり遂げてみせます!」


 まず己の姿を見ろ。騎士らしさと紳士らしさが家出している。


「ねぇ、リジー。私と踊ってくれないかな? 私を連れて歩くだけで、誰もが羨むカップルになれるよ」


 どうして私がカップルになりたがっている前提なんですか?


「君も踊り慣れた相手の方がいいだろう? 僕には君が必要だ。だからどうか、僕を選んでくれないか」


 アイザックは早く男側の踊りをマスターしてくれ。


 三者三様詰め寄られるが、私は誰もエスコートしたくない。

 こんなことなら適当な令嬢にエスコートを申し込んでおくんだった。

 ……仮に令嬢を連れていても、この3人の剣幕を見たら尻尾を巻いて逃げ出した気もするが。


 普通、エスコートは男性側から申し込むものなので、3人にはもうすこし淑女らしく待つ心を養ってほしいところである。

 ……ん? 3人とも男性だから、いいのか? いや、違うのか?


「姉上!」


 だんだんと混乱してきた私のところに、天からの助けが舞い降りた。

 義弟クリストファーが、大きな荷物を抱えて走ってきたのだ。普段から天使のように愛らしい義弟だが、今日は本物の天使に見えた。


「クリストファー! どうしたんだい?」

「姉上がそんな格好で出かけてしまうから、まさかと思って追いかけてきたんです! 今日は学園のダンスパーティーでしょう!?」

「それはまぁ、見ての通りだけれど」

「だったらほら、ドレスに着替えてください! ぼく、ちゃんと持ってきて……」


 それだ。

 ぱちんと私は指を鳴らした。


「分かった、行こう。クリストファー」

「姉上……!」


 さらりとクリストファーの肩を抱くと、彼の乗ってきた我が家の馬車へと連れ立って歩く。

 最近の義弟はどうも私をまともな令嬢に矯正しようとしている節があり、少々頭が痛かったのだが今日ばかりは助かった。


「え? あの、姉上? なんでぼくまで」

「いいから、いいから」


 そのままクリストファーを馬車の中に連れ込む。

 さっきまでキャットファイトまがいのことを繰り広げていた3人もギャラリーも、私たちの背中を黙って見守っていた。


「あ、あねう……え? や、何を……いや――――っ」


 馬車の中から響く悲鳴に、外では一同にどよめきが広がっている気配を感じる。

 それに構わず、私は馬車をがたごと揺らしながら、作戦を実行した。


 数分後。

 めそめそと泣くクリストファーの肩を抱いて、私は上機嫌で馬車を降りた。

 顔を覆う彼は、薄紫色のふわふわしたAラインのドレスを着ていた。夢かわいいチュール素材のパフスリーブがよく似合っている。

 というより私が着るには可愛らしすぎるだろう。我が義弟は私をなんだと思っているのか。


 そう。私は馬車の中で彼の服をひん剥いて、彼が持ってきたドレスに着替えさせたのだ。

 もともと女の子のような可愛らしい顔立ちで、華奢な体つき、ふわふわとした羊さんのような癖毛のボブ。

 ドレスを着せて髪を少々整えてからリボンでも結んでやれば、ショートヘアのご令嬢にしか見えない。


 皆の視線を一身に集めつつ、私はにこやかに宣言する。


「すまないね。残念だけど、私は義弟のエスコートをしなくてはならないんだ。それじゃ、お先に!」

「うう、ひっぐ……」

「ほら、顔を上げて。来年入学だから見学に来たいって、早く私と一緒に通いたいって言っていたじゃないか」


 泣いている義弟の肩をさすってやるが、彼はひどく恨めし気に私を見上げるだけで、なかなか泣き止もうとしない。

 泣かれると私が悪いみたいで少々居心地が悪いが、この場を収めるためには仕方ない。尊い犠牲というやつだ。

 今度何かお菓子でも買ってやることにしよう。


「言ってましたけどぉ……ぼく、ぼくこんなんじゃお婿に行けない……」

「大丈夫、お兄様が良い相手を見つけてくれるよ」

「兄上だって婚約者もいないじゃないかぁ!」


 いつまでもぐすぐす言っている義弟を引き連れて、私はダンスホールに足を踏み入れた。

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