第50話 「え?」「もしかして」「いやまさか」
「エリザベス・バートンはいるか!」
昼休憩が始まったばかりの教室に響いたその声に、教室はしんと静まり返った。
食堂に行こうと荷物をまとめていた私も、教室内の生徒たちと同じように入り口に視線を向ける。
そこには、ロベルトがやや不機嫌そうな様子で立っていた。
最近訓練場で見るときにはいつも機嫌が良さそうなので、立ち絵でおなじみのしかめっ面を見るのは久しぶりだ。
ロベルトももう16歳。この半年で、身長がまた伸びた気がする。
しかめっ面をしていると、髪型以外は好感度が低い状態の彼とそっくりだ。
そこそこタッパがある彼がその表情なので、女子生徒など怯えたっていいものだが、皆どこか熱っぽい視線を送っている。
これがイケメン攻略対象補正。高貴なイケメンが必要以上に優遇されるこの世界ならではの光景だろう。
そして男子生徒はといえば……アイザックを始め、「は?」という顔をしていた。
それはそうだろう。ロベルトは教室内をキョロキョロと見渡して、私を探しているのだから。
めちゃくちゃ目立つ、教室のど真ん中、1番前に座っている私に見向きもせずに。
彼が私の顔すらまともに知らないなどと、誰も思っていないのだ。
「おい、早く出てこい。……まったく、なぜ俺がエスコートなんて……」
いらいらした様子で、ロベルトが再度呼びかけて令嬢たちを見渡す。もちろんその中に私は含まれていない。
エスコートという言葉でピンときた。おそらく秋のダンスパーティで婚約者をエスコートするよう言われたのだ。
学園のダンスパーティは、社交界デビュー前の生徒たちの練習の場であるとともに、学園内で出会いや交流を求める者にとっては社交の実戦の場となるイベントである。
婚約者がいる者は婚約者をエスコートし、それ以外は気になっている相手やお家の事情を加味した相手にエスコートを申し込み、2人1組で参加するのが慣例だった。
エスコートと言っても1曲めを踊ればあとは自由なので、もちろん1人で参加することも可能だが、ご令嬢の間ではエスコートなしに参加することは恥ずかしいことだとされていた。
特に、婚約者がいるのに一緒に参加しなければ面目は丸つぶれだし、いろいろと勘ぐられるのは必然だ。
だからこそ、ゲームの中のロベルトはあえて、婚約者である悪役令嬢――まぁつまり私なのだが――のエスコートをわざわざ断るのである。
ゲームはまだ開始前で、主人公もいない。
他にエスコートすべき相手を持たないロベルトは、きっと親や周りの者から散々焚きつけられて、嫌々ながらも婚約者の私を探しにここに来たのだろう。
だんだんクラスメイトの視線がロベルトから私に移って来た。
誰もが「え?」「もしかして」「いやまさか」を顔に貼り付けている。うちの訓練場の候補生だけは、顔を覆って俯いていた。
おい、俯いていないでお前たちも何とかしろ。
知らないふりをして食堂に行くという手もあったが、いつかはこんな日が来るとは思っていた。
一生放置することができる問題でもないだろう。
面倒ごとに向き合う覚悟を決めて、私は立ち上がる。
「私だが」
「隊長!」
私に視線を向けたロベルトの顔が、パッと明るくなる。さっきまでの不機嫌な顔が嘘のようだ。
「そうか! 隊長もこのクラスでしたね!」
「ロベルト」
「あ、……はい、すみません」
低い声で名前を呼べば、学園内では隊長と呼ぶなと釘を刺していたのを思い出したのだろう。ロベルトはしゅんと小さくなった。
教室中は水を打ったように静まりかえり、私とロベルトの一挙手一投足が注目を集めていた。
「……あの、俺。婚約者のエリザベス・バートンを探しに来たのですが。もしかして、今日はいないのでしょうか」
そんな中に、ロベルトの問いかけが響く。教室の空気がぴしりと固まったのを感じた。
「……私だ」
「え? なんです?」
「だから、私だ」
きょとんとするロベルトに、私は小さく嘆息する。痛い。クラスメイトの視線が痛い。
「私が、エリザベス・バートンだ、君の、婚約者の」
「え」
今度はロベルトが固まる番だった。クラスメイトたちの、「マジかよ」の視線がロベルトに集まる。
「あの、冗談、ですよね?」
「私がそんなくだらない冗談を言うとでも?」
「だって、でも……」
「君の所属は?」
「…………バートン隊……」
私の言葉に、ロベルトはその場に崩れ落ちながら、蚊の鳴くような声で答えた。
もちろんそんな隊は実在しないのだが。
なんというか、本当に気付いていなかったのだなぁ。
おお、チョロベルトよ。私はお前の将来が心配だ。ついでにこの国の将来も心配だ。
ため息をつきながら、私はロベルトにそっと手を差し伸べる。ここは往来の邪魔になるし、そろそろお帰り願いたい。
呆然としたまま、無意識に私の手を取ったロベルトを引っ張り起こす。
そしてその耳元で、クラスメイトたちに聞こえないよう、唸るように忠告する。
「貴様、先程はとても令嬢にエスコートを申し込む態度ではなかったぞ。常に紳士たれという騎士の教えはどうした」
「あ……」
「未熟者め。貴様に私のエスコートなど百年早い」
そう言って、立ち上がらせた彼の肩を叩くと、私は今度こそ食堂に向かって歩き出した。
きっとクラスの皆からしてみれば、私が崩れ落ちたロベルトにやさしく手を差し伸べ、「気にするなよ」と肩を叩いてやったように見えるだろう。見えてくれ。
背後でバターンと何かが倒れる音がする。
ああ、午後の授業が憂鬱だ。あの教室に戻りたくない。
午後が護身術の授業だったのを良いことに、そのまま適当な空き教室で時間を潰して夕方遅くに帰宅した。
後日アイザックに教えてもらったのだが、結局ロベルトはそのまま私の教室で卒倒し、早退したらしい。
その後も熱が下がらないので、登校していないということだ。
おそらく知恵熱だと思う。
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