閑話 ロベルト視点(1)
世の中には、二種類の人間がいる。
「蛆虫」と呼ばれたことのない人間と、呼ばれたことがある人間だ。
初めて隊長と会った日に、俺は人生で初めて「蛆虫」呼ばわりされることになる。
俺はそれまで、圧倒的に前者であったのに、一瞬で後者になった。
その衝撃は今でも覚えている。
第一王妃の子でありながら、第二王妃の子である兄上に何一つ敵わないために、王位継承権を争う対抗馬にすらなれない第二王子。
比較されることが怖くて、つらくて、向き合うことから逃げてばかりいる。
俺自身、そんな自分を不甲斐なく思っていたし、誰もが表立って言わないだけで、陰口を叩かれていてもそれは当然だ。
兄上と比べて悪く言われると、逃げている自分を指摘されたようでカッと腹が立って暴れてしまうが、反面、どこか慣れてもいた。
しかし、さすがに面と向かって、蛆虫呼ばわりされたことはなかった。
しかも、兄と比べてどうの、ではない。俺個人に向けて、俺自身が蛆虫だと言われたのである。
衝撃だった。目の前が真っ赤になった。
自分のことを大したことのない人間だと卑下するのはいい。だが、人に言われると話は別だ。
気がついた時には、立ち上がって隊長を怒鳴りつけていた。
そして次に気づいた時には、地面に転がされていた。
さらなる衝撃だった。
駆けつけてきた護衛たちの質問にも、まともに言葉を返せなかった。
負けたのに、悔しいという気持ちすら芽生えなかった。それくらいに実力差があった。
視線の先で、他の候補生が吹き飛ばされているのを見た。
隊長の動きは、目で捉えることすら出来なかった。
ただ、凛とした立ち姿で、変わらずそこに立っているように見えた。
そう。
俺はあの日、神を見たのだ。
◇ ◇ ◇
隊長と出会って、俺の人生は大きく変わった。
隊長の指示に従って、文句を言わずに訓練をこなす。
今までだったら、文句も言ったはずだ。途中で投げ出したはずだ。
だが、俺はそうしなかった。
隊長の訓練に取り組むことで、自分が強くなれる気がしたからだ。
俺は強くなりたかった。
その時は特に理由はなかったが、そう思った。
ただ単に、隊長に憧れたのもあったと思う。
本当に強くなれば、何かが変わるのではないか。
このつまらない毎日が、自分で自分が嫌いになるだけの毎日が、何か少しでも、変わるのではないか。
漠然とそう思ったからだ。
きっと、バートン隊の他の候補生たちも同じように思っている者は多かったと思う。
◇ ◇ ◇
ある日、隊長はさる名門貴族の令嬢であるらしいという噂話を聞いた。
グリード教官からの情報らしく、信憑性は確かだという。
俺はまたも衝撃を受けた。
隊長から女性らしさを感じたことは一度もなかった。
母や使用人、貴族の子女、隊長はそのどれとも一致しなかった。
何より、女性は騎士になれない。
隊長自身、それを知らないはずがない。
それでも隊長は、訓練に一切手を抜いていなかった。候補生の誰よりも強く、そして常に、誰よりも真剣だった。
俺にはそれが、とても気高いことに思えた。
いつか、いつか。
隊長の隣に立てるくらいに強くなりたい。
隊長の背中を任せてもらえるくらいに強くなりたい。
隊長が、隊長でなく団長になったとき、副団長になれるくらいに。
隊長が総帥になったとき、近衛師団長になれるくらいに。
隊長が騎士として生きられる未来を、一緒に作れるくらいに。
強くなりたい。
俺が隊長の髪型を真似て髪を切ったのも、この頃だった。
◇ ◇ ◇
「隊長!」
「どうした蛆虫!」
グリード教官から隊長を呼んでくるように言われ、声をかけた時。
振り向いた隊長は、今までに見たことのない顔をした。
目を丸く見開き、ぱちぱちと瞬きをする。
以前、隊長が実は俺とそう歳が変わらないと聞いたのを思い出した。
隊長はしばらくぽかんとしたあと、思わずこぼれ落ちたというように、小さく呟いた。
「……ロベルト……」
今度は俺が目を丸くする番だった。
隊長が、俺の名前を覚えていて、呼んでくれた?
今まで蛆虫としか呼ばれていなかったし、俺の名前を覚えてくれているなんて、思っていなかった。
他の候補生のことだって、名前で呼んでいるところなんて見たことがなかった。
それなのに、隊長は今確かに、俺の名前を呼んでくれた。
何故だろう。たったそれだけのことなのに、目の前がきらきらと輝いていくような気がした。
俺は改めて姿勢を正し、隊長に応える。
「はっ! 自分の名前を覚えていただいていたとは! 光栄です!!」
「髪を切ったのか」
何ということだ。
俺の名前だけでなく、どんな髪型だったのかすらも覚えてくださっているなんて。
もしかすると、他の候補生のことも全て覚えているのだろうか。
60人以上の候補生全員を?
俺とそう変わらない歳の、子どもが? 普段はあんなにも、鬼教官なのに?
蛆虫と言いながらも、その裏ではみんなのことを覚えて、みんなのためを思って行動してくれているのだろうか。
だとしたら、やはりこの方は桁違いだ。人の上に立つべきお方だ。
「はっ! 視界を遮りますので、訓練に適した髪型にしました! 自分も隊長のように、強くなりたいので!」
「髪型を変えたくらいで強くなると思うなよ蛆虫が!」
隊長は、いつもの隊長に戻って俺をそう叱責した。
慌てて腰を折って、礼をする。
「し、失礼しました!」
グリード教官の元に向かう隊長の背中を見つめる。
やはり、隊長は素晴らしいお方だ。
ああ隊長、隊長万歳、嗚呼、隊長。
◇ ◇ ◇
「やぁ、ロベルト」
城の廊下を歩いていたところで、兄上に呼び止められた。
兄上に声をかけられるなんて、いつぶりだろうか。
立ち止まったものの、喉の奥が狭くなったような感覚がして、声が出ない。
「この前の試合、素晴らしかったよ」
「ありがとう、ございます」
こうして兄上と対峙すると、まだ身体が強張る。
やっとのことで、俺はそう答えた。
「君の護衛から聞いたよ。良い教官がいるらしいね」
「素晴らしい方でしょう! 隊長は俺たちの自慢です!」
兄上の問いかけに、咄嗟に声が出た。
兄上が驚いたような顔で俺を見ている。
自分でも驚くくらい、元気の良い声が出たのだ。
そうだ、俺には隊長がいる。
俺は強くなった。
隊長の、隊のみんなのおかげで、兄上に勝てたのだ。
あの、完璧な兄上に。
そう自覚すると、さっと目の前が開けたような気がした。
目の前で目をぱちくりさせている兄上が、一つ歳上なだけの、ただの少年であるように思えた。
「隊長はすごいんです! 俺とそう変わらない歳なのに、他の教官たちが束になってかかっても敵わないくらい強くて、かっこよくて……! でも、それだけではなくて、隊長の訓練はいつも的確なんです! 俺たち候補生のことをよく見てくれて、俺たちに足りないところを補ってくれるんです」
すらすらと言葉が出てくる。
今までまともに話したことなど、数えるほどしかない兄上相手に、堂々と話すことができている。
ああ、隊長は、こんなところでまで、俺に力をくれるのか。
「兄上も、隊長のもとで鍛錬すれば、きっともっと、ずっと強くなれます!」
「いや、私は……」
「兄上もぜひ一緒に訓練に参加しませんか!」
俺の言葉に、兄上は困ったように笑った。
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