第22話 モテている。非常に順調にモテている。
鐙を蹴って、馬の背を跨ぐ。腹を軽く蹴ってやると、青毛の馬は機嫌よく歩き出した。
「エリザベス様、次からは最低でも前日におっしゃってください」
「悪かったよ」
すっかり目が据わった侍女長のお小言に、苦笑いするしかなかった。
先日の御膳試合で見事勝利したので、私はグリード教官に頼みごとを聞いてもらう約束になっていた。
私の頼みごとというのは、「騎士団の警邏に同行させて欲しい」というものだった。
訓練場での経験で、私はまた強くなったと思う。
候補生に教えることで私自身も学ぶことが多くあったし、他の教官たちとの手合わせは、いざ目の前の相手を倒さなくてはならないときの行動の選択肢を広げることができた。
多対一で戦う練習も積んできたし、もちろん鍛錬も怠っていない。最近はやっと身体が出来てきて、腹筋も腹斜筋も仕上がってきた。
だが、圧倒的に不足しているものがある。実際の不測の事態に対し、対応する経験だ。
ナンパ男からチンピラ、果ては暗殺者まで、主人公を襲う悪漢は多種多様である。
それらは事前に果たし状を送ってくることなどもちろんなく、街中だったり学園だったり、いろいろなところで突然主人公に襲い掛かるのである。
それに対応するためには、訓練だけでは心もとない。本当の「実戦」が必要だった。
そこで私が目をつけたのは、王都の城下町を回る警邏の騎士だった。
我が国は非常に平和な国ではあるが、警邏をして街中を回っていれば、ちょっとした小競り合いくらいになら出くわす可能性が高い。
少なくとも、屋敷と訓練場の往復しかしていない日々よりは、不測の事態に巡り合う可能性が上がるはず。
そう考えて、騎士団に渡りのありそうな教官たちに頼んでみることにしたのである。
予想通り、教官たちは騎士団に顔が利いたので、私の同行をうまくねじ込んでくれたらしい。その警邏同行の初日が、今日だった。
警邏には馬が必要だ。残念ながら私は馬――というか動物全般――に嫌われる性質なので、訓練場や騎士団の馬ではなく、唯一私を乗せてくれる公爵家の馬を連れて行こうと考えていた。
牝馬なので、私は彼女を「お嬢さん」と呼んでいる。
事前にグリード教官から言われていたので、馬が必要なことは前から知っていた。
しかし、私は「まぁ当日言えばいいだろう」と思っていたので、今朝侍女長に「そういえば今日馬がいるんだけど」と言ったところ、それはもうむちゃくちゃ怒られた。
「何で昨日のうちにおっしゃらなかったんですか!?」とのことだ。聞けばいろいろと支度が必要らしい。
まるで朝ごはんのときに「お母さん今日図工でトイレットペーパーの芯いるー」と言いだした小学生のように、くどくどお説教を食らう羽目になった。
早めに言っておかなかったのは私の落ち度である。面目次第もない。
非難の視線から逃げるように、私は片手を上げて侍女長に背を向けた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
見送りの言葉に、わずかに蹄の音のテンポが上がる。お嬢さんは私の気持ちを読んでくれているかのようだった。
初日に遅刻は避けたい。情けない理由での遅刻は、特にだ。手綱を握り、私とお嬢さんは集合場所である訓練場を目指して駆けだした。
◇ ◇ ◇
「姉上、警邏はどうでしたか?」
「楽しかったよ。学ぶことがたくさんあった」
クリストファーに尋ねられて、私は頷いた。私たちの様子を、お兄様はにこにこと笑って眺めている。
学園を卒業されてからというもの、お兄様は領地と王都の屋敷を行ったり来たりで、以前のように一緒にいる時間は減っていた。
それを埋めるかのように、お兄様が屋敷に戻っているときは、夕飯後に3人集まってお茶を飲むのが定番になっている。
琥珀色のきれいな紅茶を啜る。茶葉の違いなど正直分からないが、おいしい。
警邏は確かに楽しかった。
初日は特に何事も起きず、ただ街を流しただけだったのだが、十分収穫があった。
まず、町並みがゲームのスチルで見たことのある物だったことで普通に感動した。
クリストファールートで訪れるカフェ、ロベルトルートでアクセサリーを購入する小物屋、王太子殿下と身を隠した路地裏、アイザックと鉢合わせする書店。
気分は聖地巡礼だ。スマートフォンを持っていたら絶対に写真を撮ったと思う。
次に、街の人々の視線だ。若くて格好いい――もう自分で暗示のように言っていくが――騎士様、それだけで街の女の子たちがキャーキャー言ってくれるのだ。
都合の良いことはよく聞こえる地獄耳なので、方々から「かっこいい」と囁きあう声が聞こえていた。
「何か困ったことはありませんか」と声掛けをしたマダムの表情がとろけるのも目の当たりにした。
私に対する市井の女性の評価というものを、私は今日初めて知ったのである。
モテている。非常に順調にモテている。
最近は侍女には接近禁止令が出ているし、訓練場は男所帯だしで、知りたくても確かめる術がなかった。
お兄様もクリストファーも、「かわいい」「かっこいい」と言ってくれているが、身内贔屓は否めない。
自信を持って進んできたつもりだが、やはり赤の他人の評価がどうであるかというのは気になるものだ。それに対する不安は常にあった。
それが一定の評価を得たという結果により、払拭された。一種の達成感すらあった。この方向性は間違いではなかったのだ。
そのあたりを全部包括しての感想が「学ぶことがたくさんあった」である。
「ぼくも一緒に行きたかったです」
クリストファーが口を尖らせる。容姿に似合った、子どもっぽい仕草が可愛らしい。
年を重ねているはずで、身長も伸びているはずなのだが、年々小動物っぽさに磨きがかかっているように感じるのは気のせいだろうか。
クリストファーの言葉に、お兄様は少しだけ眉を下げ、微笑みを苦笑いに変えた。
ちなみにお兄様は年齢を重ねても変わらずふくふくのわがままボディをキープしている。
「仕方ないよ、クリス。騎士団のお仕事なんだから」
「ぼくも騎士団候補生になります! そうしたら連れて行ってくれますか?」
「さすがに部外者を連れて行ったら怒られると思うな」
「部外者じゃありません、家族です!」
頬を膨らませて拗ねるクリストファー。
そろそろ反抗期を迎えてもよい年頃だと思うのだが、変わらず私とお兄様には甘えたで困る。
家に来たばかりの頃を思えば、ずいぶん遠慮なく甘えてくれるようになった、ような気がする、と思う。
正直昔のことすぎて忘れかけている、というか馴染みすぎて、元からずっと兄弟だったような気すらしている。
子どもなんて案外そんなものかもしれない。
「まぁ、騎士団候補生になるのはいいんじゃないかな。私からも教官に頼んでおこう」
「ありがとうございます、姉上」
ぱっと花が咲いたように笑うクリストファー。ふにゃりとゆるんだ頬に、思わず吹き出しそうになる。
「ただし、お父様は自分で説得するように」
「リジー。自分の時は僕とクリストファーに一緒に頼んでもらったの、忘れちゃった?」
「……覚えていますとも」
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