第30話 私の渾身のキメ顔をスルーとは

「きしさまー」


 足に幼女、もとい女の子が抱きついてきた。

 視線を上げると、少し離れたところで母親らしき女性がこちらに会釈をしている。

 女の子の髪留めに、見覚えがあった。確か、迷子になっていた時に保護してやった子だと思う。


「やぁ、小さなレディ。今日は迷子じゃないみたいだね」

「レイ、まいごじゃないよ。あれはおかあさんがまいごだったの」


 女の子――レイというらしい――が頬を膨らませる。おお、その言い訳する子どもって本当にいるんだな。

 しばらくむくれていたが、私の隣に座っていた殿下の姿に気づき、首を傾げて私を見上げる。


「そのひと、だあれ?」


 一瞬答えに詰まった。名前をそのまま伝えると、さすがにバレるかもしれない。

 咄嗟に当たり障りのない表現を探し、私はそっと屈んで女の子に耳打ちした。


「……私より偉い人」

「えらいひと?」

「そう。皆には内緒だよ」


 唇に人差し指を当てて、ウインク。後ろから見ているお母さんからハートマークが飛んでくるのを感じた。

 女の子はきょとんとした目で、私を見て、殿下を見る。そしてもう一度私を見て、言った。


「きしさま、うわきはだめよ」

「え」

「レイ、大きくなったら、きしさまとけっこんするんだから!」


 ませたことを言う割に、私の渾身のキメ顔をスルーとは。

 思わず吹き出してしまう。

 しかし、ついにこの台詞を言われるようになるとは。順調にモテていることを実感し、密かに感慨を噛み締める。

 「大きくなったら結婚する」と言われるのは、お父さんとお兄ちゃん以外ではモテる男だと相場が決まっているのだ。勲章のようなものだ。

 にじみ出る喜びでさらに口角が上がっていくのを感じながら、私は女の子の頭をやさしく撫でた。 


「そうか。それは楽しみだなぁ」

「こら、レイ。すみません、騎士様」


 お母さんがさすがに見かねた様子で、女の子の肩を掴んで私の足から引き離す。

 頭を下げようとするお母さんを、私は手で制した。なに、子どもの言うことだ。心の広さもモテるためには重要である。

 それに何より、今、私は機嫌が良い。


「ねぇ、きしさまも、いっしょにおかいもの、行こう?」

「お買い物か、いいね。ほら、坊ちゃんも行きましょう」

「え?」


 女の子に手を引かれて、歩き出す。振り返って声をかけると、殿下が目を点にしてこちらを見ていた。


「す、すみません」

「いえいえ」


 謝るお母さんに笑いかけながら、私は女の子の歩幅に合わせて歩いていく。

 殿下はしばらく呆然としたまま私たちの背中を見ていたが、私が振り返って「坊ちゃん?」と再度呼びかけると、観念したようで追いかけてきた。



 ◇ ◇ ◇



 女の子についていくと、手芸用品を置いている店にたどり着いた。

 道中お母さんに聞いたところによると、女の子の新しい洋服を作るため、生地を探しに来たのだという。

 手作りなんてすごいなぁと思ったが、既製品の子ども服というのがそもそも少ないとのことだ。

 この世界の不器用なお母さんはどうしているのだろう。


 店内をぶらつきながら、後ろをついてきていた殿下を振り返る。

 ひとつの棚の前で、殿下が立ち止まっていた。

 何を見ているのか覗き込むと、棚に飾られた糸の傍に、見本として繊細なレースのコースターが飾ってあった。

 殿下の横顔とコースターを見比べ、さすがは美少女と見まごう美少年、レースが似合う顔面だと感心する。


「鈎針編みのレースですね。気になりますか?」

「いや……ずいぶんと精緻なものだと思ってね」

「難しい言葉を使うね、坊ちゃん」


 店の奥から出てきたおばあさんが、殿下に話しかけた。このあたりで日向ぼっこをしているのを何度か見かけたことがある。ここの店主だったのか。


「それは初心者向けの編み図だから、ちょっと練習すればすぐに出来るようになるよ」

「そうなのか?」


 意外そうに呟き、殿下はまじまじと見本品を眺めている。どうやら気になるらしい。目からキラキラが放たれている気さえする。

 こういう分かりやすいところを見ると、チョロベルトと兄弟なのだなぁと思う。


「マダム、これを作るのに必要なものを適当に見繕ってくれるかい。一式頂くよ」

「え? ……騎士様はこっちのほうがいいんじゃないかい? この、針でひたすら羊毛をぶっ刺すだけの……」

「どうして私がやると見るや、物騒なものを勧めてくるのかな」


 贈り物だよ、と笑うと、おばあさんは途端にやる気になって準備を始めた。大きなお尻を振りながら、狭い店内を行ったり来たりしている。


「ああ、すぐに飽きるかもしれないから、他にも人気のものがあれば入れておいて。お代はこれで足りる?」


 忙しなく動き回るおばあさんに呼びかけるも、どうやら聞こえていないらしい。

 結局抱えるのも難儀なほどの包みが出来上がるまで待つ羽目になった。さらには夢中でレースを眺める殿下にも聞こえていなかったようで、「行きますよ」と言っても反応がなく、半ば引きずるように店を出ることになる。


 ついでなので、女の子の洋服に使う布のお代もこっそり払っておいた。「大きくなったらけっこんする」のお礼である。多めに渡しておいたので、きっと足りるだろう。

 まだ布を見てあれこれ話している母娘に別れの挨拶をし、殿下を引きずりながら馬へと戻った。

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