第31話 男装は女性にしかできない

 殿下を担いで壁を登り、窓から部屋の中に入る。殿下を降ろすと、買った物が入った包みを押し付けた。

 行きは良かったが、帰りは荷物が増えていたせいもあって少々手間取った。見張りに見つからないうちに戻れたのは奇跡に近い。

 万が一誰かが異変に気づかないとも言い切れないし、さっさと退散しよう。


「では、私はこれで」

「ま、待て、エリザベス嬢」


 窓枠に足をかける私を、殿下が呼び止めた。彼は抱えた包みを示し、困惑した様子で問いかける。


「これは、何だ。どういうことだ」

「どうも、何も」


 殿下の問いかけに、私の方が首を傾げる。

 もしかして、自分で気づいていなかったのだろうか。あんなに興味津々で釘付けになっていたくせに?


「やってみたいのかなと思ったので」

「わ、私は」

「殿下は、何でも人並以上に出来てしまうからつまらないということでしたが。それはたぶん、面白いことに出会えていないだけかと」


 ごちゃごちゃと言われる前に、私の考えを伝えてしまうことにする。


「私もどちらかといえば何でも労せずこなせてしまうたちなのですが」


 言うまでもなくこれはブラフだ。7歳のエリザベス・バートンは淑女教育でも、勉強でも、何にでも人並みではない努力をしていた。

 私はそれをかすめ取ったから、下地が出来ていただけに過ぎない。


 私だって今はヒィヒィ言いながら勉強に取り組んでいる。

 だが、ナンパキャラは努力を表に出してはいけないのだ。

 飄々としていながら、大体のことを人並み以上に出来ないといけないのだ。そういうことになっている。理由は知らないけれど。


「しかし筋トレだけは違いましてね。ひとつ出来るようになったらまた次、今度はもっと、とどんどん突き詰めてみたくなっていって。気づいたら師範代にまでなっていましたが、まだ一向に飽きる気配がないのです。むしろ初めよりも今のほうが、面白いのですよ」


 筋トレとの出会いを振り返り、つい遠い目をしてしまう。

 身体が出来てきて、自重トレーニング以外にも手を出せるようになってきた。

 前世のジムのような設備は望むべくもないが、それでもいろいろと気になる物を見繕っては、訓練場の教官室に持ち込んでいる。

 やれるトレーニングの幅が広がるのも楽しいし、回数がこなせるようになるのも楽しい。目に見えて効果が出たときには、感動する。

 筋トレがなかったら、ここまで前向きに進んでこられなかったかもしれない。


「殿下も何か、向いているものが見つかれば考えが変わるかもしれませんよ」

「それで、手芸か?」

「やってみたこと、ないでしょう?」

「それは、ないけれど……」


 包みから白くて細い糸の束を取り出し、しげしげと眺める殿下。その瞳はやはり、興味を惹かれているように見える。


「きみと違って私は多忙でね。趣味などに現を抜かしている暇は……」

「殿下、それは違います」


 言い訳がましい殿下の言葉を、私はきっぱり否定する。

 殿下の言葉は、背中を押されるのを待っているように思えたのだ。

 分かっていてわざわざ言ってやるのは乗せられているようで気に食わないが、筋トレを馬鹿にされては私も引けない。


「本当の趣味というのは、寝食を削ってでもやりたくなるものです。私も淑女教育をいかに早く終わらせて、筋トレに取り組むかとそればかり考えていますよ」

「淑女教育? きみが?」

「何か?」

「……いや」


 そっと目を逸らされた。まぁ、淑女らしいかと言われると自分でも「はい」とは言えない。


「最近は座学の時間は空気椅子で受けています」

「きみは本当に淑女を目指しているのか……?」

「目指していると思いますか?」


 私の言葉に、殿下は沈黙で返した。非常に貴族的な模範解答である。

 前世で、「女装は男にしかできない行為なので『男らしい』行為である」という言説を目にしたことがある。

 であれば、男装は女性にしかできないので、「女らしい」行為ということにはならないだろうか?

 ……ならないだろうな。


「最近は腹筋がついに成果を見せ始めまして。ご覧になります? いえ、私などまだまだなのでお見せするのも恥ずかしいのですが。見ます?」

「……遠慮しておくよ」


 残念ながら断られた。

 いや、本当に私の腹筋など大したことはないのだが、それはそれとして、見せたくないというわけではない。複雑なトレーニー心だ。


 今度こそ殿下に別れの挨拶をして、窓から飛び降りる。

 筋トレの話をしたら、身体が疼いてきた。着地と同時に、私は訓練場に向けて駆け出した。


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