第28話 初めてを先に済ませてしまえばよい

 ご機嫌で商店街を闊歩していると、ふわりと風に乗って良い香りがしてきた。

 朝とは言っても、もう朝市は終わっている時間だ。市で仕入れた材料を使って、パン屋や食事処が準備を始めているのだろう。

 相変わらず落ち着かない様子で周囲を眺めている殿下を見下ろし、私はほくそ笑む。


 私がわざわざ王太子殿下を連れ出したのには、2つ目的があった。

 その1つが、殿下に城下の、街の様子を見せることだ。

 王になる者として、街に生きる人を見ておくべきだから……などというもっともらしい理由ではない。


 彼のイベントの1つに、城下でお忍びデートをするものがある。

 街に来たことはあっても、身分を隠して街の人に紛れ、店を見て回ったり買い食いをしたり、そういったことは初めてだという殿下。

 いつも大人びていて余裕のある彼が、街の些細なことに目をきらきらさせたり、あれは何だろうと声を弾ませたりする様子に、プレイヤーはギャップを感じてときめくのである。


 しかしそれは、街に来るのが「初めて」だったから生まれた反応だ。

 であれば、そのイベントを潰すのは簡単だ。初めてを先に済ませてしまえばよいだけなのだから。


 自分のイベントを潰されているなどつゆ知らず、馬上から見下ろす店先に興味津々と言った様子の殿下。

 殿下の視線を追った先で、よく話をするパン屋の主人と目が合った。向こうもこちらに気づき、手を振ってくる。


「騎士様! どうしたんだい、その坊ちゃん。どっかから攫ってきたのかい?」


 冗談のつもりなのだろうが、当たらずといえども遠からずというその言葉に、私は思わず苦笑する。殿下の肩もぴくりと跳ねた気がした。


「騎士団候補生だよ。警邏に行ってみたいというからね、連れてきたんだ」

「へぇ、じゃあ将来の騎士様ってわけだ」


 愛想よく笑った店主に、殿下は居心地が悪そうにもじもじと尻を動かしながら挨拶をする。

 その様子に、店主は微笑ましそうに頬を緩めた。

 彼もまさか、後ろで馬を駆っている私の方が、そのお坊ちゃんより年下だとは思っていないだろう。


「ほら、持っていきな」

「え、あの」

「立派な騎士になりたけりゃ、とにかく力をつけなくちゃな」


 殿下の手に紙袋を押し付け、店主はにかっと笑って自分の腕を叩いて見せた。

 立派な上腕三頭筋だ。毎日パンを捏ねているだけのことはある。


「騎士様もどうぞ」

「ありがとう、いただくよ」


 身を乗り出して、私も紙袋を受け取る。殿下を半ば押しつぶす形になってしまったが、ご容赦願いたい。

 開けてみると、ほかほかのスコーンが入っていた。

 香ばしいバターの香りに、急に空腹が刺激される。温かいうちに食べるのがよいだろう。

 一口かぶりつくと、中に混ぜ込まれたジャムが姿を現した。甘酸っぱくて、ますます食欲をそそる。ブルーベリーだろうか?


「今日はジャムが入っているんだね。奥方の瞳のような深い紫色で、素敵だ」

「はは、世辞は母ちゃんに言ってやってくれよ」

「今度会ったら伝えておく」


 軽く手を振って、馬の腹を蹴った。ゆっくり流しながら、もらったスコーンをさらに頬張る。

 生地もさくさくしていて、うまい。少々水分を持っていかれるので、食べ歩きに向いているかは微妙なところだが。

 視線を感じて見下ろすと、殿下が私の顔をじっと見つめていた。


「失敬。行儀が悪かったですね」

「今更だろう」

「それもそうですね。ああ、坊ちゃんが召し上がらないなら私がいただきますが」

「……食べないとは言っていないよ」


 そう言いながらも、彼は袋から出したスコーンを眺めているだけで、口に運ぼうとはしなかった。

 そこでふと思い当たった。そうか、王族は毒見されたものしか口に入れない。

 訓練時の差し入れや実地訓練のときの食事等、ロベルトはあまり気にせず食べていたようだが、脇に控える護衛はその都度青くなっていた。

 やはり我が婚約者殿は王族に向いていないらしい。


 ひょいと身を乗り出して、彼の手にあるスコーンにかぶりついた。

 唖然とした顔で私を見ている殿下に、口の端についたジャムをぺろりと舐めて、何でもないことのように告げる。


「ご馳走様です」

「き、きみ! やらないと言っただろう!」

「すみません。坊ちゃんと違って代謝が良いので」

「私だって今日はまだ何も食べていないのに!」

「それはすみません」


 顔を真っ赤にして、きぃきぃと声を荒げる殿下。こうしてみると、まだ子どもだなと思う。

 普段の態度は、つまらなさそうな部分は素なのかもしれないが、やはり演技の部分が大きいのだろう。

 私もずいぶん余裕ぶった態度を練習してきたほうだと思うのだが、さすが王族は育て方からして違うらしい。演技なのか素なのか、自分でも分からなくなりそうなほどだ。


 彼はしばらく私を睨んでいたが、その後自分の手元のスコーンに視線を戻し、意を決した様子でそれを口に運んだ。

 のだが。


「んぐっ!?」


 お上品な食事しかしていないお坊ちゃんが、一度に頬張ってよい許容量を超えていたようだ。変に思い切りよく齧るからだ、まったく。


「ちょっと! 大丈夫かい!?」


 道沿いの果物屋のおかみさんが、殿下の顔が青くなっているのを見つけて飛んできた。


「やぁ、どうやら喉につかえたらしいね」

「騎士様! ちゃんと面倒見てやりなよ!」


 怒られてしまった。

 おかみさんは店内に取って返すと、カップに入れたお茶をこちらに差し出してくれた。


「ほら、これでも飲みな」


 殿下の代わりに私がカップを受け取り、一口飲んでみる。砂糖の入った紅茶だ。甘くておいしい。


「あんたじゃないよ!」


 また怒られてしまった。普段はちやほやしてくれるのに、こういう時の奥様方には敵わない。

 カップを殿下に渡すと、殿下はその中身を一気に飲み干した。


「ぷは、っ」


 はぁはぁと息をする殿下の様子を見て、おかみさんもほっと息を吐いた。


「マダム、この紅茶、おいしいね。私にも一杯くれないかな」

「騎士様」


 空気を読めというような目で見られても、たいして心配をしていないのだから仕方ない。

 攻略対象がこんなところで、スコーンを喉に詰まらせて死んだりするわけがないのだ。

 小首を傾げて微笑みかけると、おかみさんは絆されてくれたようだ。

 やれやれと笑って、店内に引っ込んでポットとカップを持ってきてくれた。


「お坊ちゃんも、はい」

「え?」

「さっきは味わって飲まなかっただろ? おかわり」


 殿下の持っていたコップに、おかみさんがポットから紅茶を注ぐ。

 また毒見が必要かと、ちらりと殿下に視線を送ると、こちらに気づいた彼はわずかに睫毛を伏せた。


「ありがとうございます」


 殿下はそう言っておかみさんに微笑むと、そのままカップに口を付けた。

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