第25話 パンダのことなどどうでもよい
そこからは消化試合だ。
余命いくばくかない王太子殿下。周りの者たちはそれを知っていて、陰では自分を憐れんでいるとか、それどころか嘲笑っているとか、弟であるロベルトに取り入ろうとしているとか。
弟もそれを知っていて、着々と勢力を増やしているとか。
優れていたって、何かが出来たってどうせすぐに死ぬのだから仕方ないだとか、何もかもがつまらなくてどうでもよくて、馬鹿げているとか。
そんな世界だから、死ぬのは別に怖くない、だとか。
私は制服の袖のボタンを眺めてやりすごした。
そうだった。この制服、ボタンが取れかけているのだった。
もうかれこれ半年は取れかけている気がするが、ついつい忘れてそのままにしてしまう。残りの糸が少なくなってきて、そろそろ本格的に取れそうだ。
屋敷に帰るときは、候補生の制服をカモフラージュに着ていた。ちなみに、今日もこのあと訓練場に顔を出す予定だったので荷物に入っている。
濃紺の方の制服は、騎士団勤務と訓練場勤務を掛け持ちしている教官仲間が騎士団の洗濯物に紛れ込ませてくれているのだが、いつも伝えるのを忘れてしまっていた。
候補生の制服はいつもほとんど汚れていない状態で帰っているので、正直もうお父様あたりにはバレているのかもしれない、と最近は思っている。
だがそうだとしても、向こうがあえて気づかないフリをしてくれているのだから、こちらも気づかれていない体で隠すのが礼儀というものだろう。
おっと、失礼。あまりに「つまらなくてどうでもよい」ので、別のことを考えてしまった。
彼はただ、不安になっているだけだ。自意識過剰で、情緒が不安定なだけだ。
思春期には、彼ぐらいの年頃の子どもにはよくあることだ。
誰だってあるだろう。駅で転んだ時、笑われているような気がしたりだとか。
友達が陰で自分の悪口を言っているんじゃないかと不安になったりとか。
言ってしまえば、被害妄想だ。
彼が余命いくばくもないことは、彼の両親である国王陛下と王妃様、それと王城の侍医しか知らない。下手に漏らせば首が飛ぶ。
第一多くの貴族が知っていたなら、次期国王たる王太子殿下に擦り寄る輩が後を立たず、補佐役のお父様とお兄様が頭を悩ませていることに説明がつかない。
彼の思うように、皆が知っているなどとは考えられなかった。
況や、チョロベルトをや、である。あいつに隠し事などという、繊細な芸当ができるはずがない。
きっと病気でいることで神経が磨り減って、ナイーブになっているのだろう。
そんなに気にしなくても、あなたは死にませんよと教えてあげたい。
そう。ネタバレをしてしまえば、彼は死なないのである。
彼のルートはもちろん、他のキャラのルートでも、数年後のエピローグに出てきたりしている。つまり、死んでいない。
彼のルートでは、聖女の力に目覚めた主人公のなんかすっごい愛のパワー的なやつで、病気が治る。元気な王太子になる。主人公は王太子妃になる。
ロベルトのルートでは、王太子の座をロベルトに譲り、外国に成功率50%という難しい手術を受けに行く。
50%と聞くと不安になるが、心配ご無用。彼は攻略対象のイケメン王子、しかもここは「やさしい世界」。
この場合の50%は100%と同義である。元気になって帰ってきて、主人公とロベルトの結婚式に参列する。
隠しルートの隣国の王子ルートのエピローグでも、国王の名代として登場している。とにかくびっくりするぐらい死なないのだ。
彼は何もしなくても死なないが、私は何もしなければ婚約破棄で下手をすれば路頭に迷う。
緊急度はこちらが圧倒的に高いので、死ぬ死ぬ詐欺にはちょっと付き合っていられない。
確かに彼は病なのだろう。しかし、死なない。18歳まではそのことで悩むだろう。だが、その障害は確実に乗り越えらえる。
そしてその後を考えてみてほしい。誰もが羨む完璧王子の完成だ。きっと現王と同様、立派な国王になる。
18歳以降は、輝かしい未来が約束されているのである。
今、確かに彼は客観的に見て、かわいそうかもしれない。
それは優秀な兄へのコンプレックスに悩むロベルトも、実の母に捨てられ愛に飢えたクリストファーも、家族からの重圧と天才でない自分に苦しむアイザックも同じだ。
皆、つらいだろう。乙女ゲームの攻略対象たるもの、暗い過去くらい持っていなくてはならない。
だが、人生は17、8では終わらない。むしろ、その先のほうがずっと長い。
主人公がいなくても、この世界のロベルトは兄へのコンプレックスを克服した。ゲームの中の王太子殿下も、主人公が彼を選ばなくとも元気に生存する。
それが示すのは、結局彼らはどうあがいても幸せになるのだという、「やさしい世界」の在り方だ。
この世界の平均寿命とかよく知らないが、70まで生きるとして、彼らが苦しむ期間はその4分の1程度なのだ。
だが私はどうだ? 学園に入るまでは幸せに過ごせるだろう。
しかし、不本意な婚約破棄を経たとして、私がそのあと幸せになるかどうかは誰にも証明できない。ゲームでも描かれていないので、私にも分からない。
むしろ、私が転生当初危惧したように、不幸せな生活を送る可能性が高い。
そうなれば私は、17歳以降の人生、つまり生涯の4分の3もの期間――彼らの3倍の期間――苦しむことになる。
お分かりいただけただろうか。
今彼が苦しんでいることが、いかに私にとって些末なことであるかを。
この取れかけのボタンの方が、よっぽど大切な問題であることを。
だんだん目の前の悲劇のヒーローごっこに付き合うのが馬鹿らしくなってくる。
お前は確かに
だが、たくさんいるうちの1人に過ぎない。この物語の主人公はあくまで、「
主人公に選ばれることが、物語のメインの椅子に座る条件なのだ。
それを、自分が主人公だと勘違いしているなんて。年頃だから、中二病だから仕方ない、とも言えるかもしれないが、はっきり言って思い上がりも甚だしい。
それとも何か? すっかり選ばれた気になって、今からメイン気取りか? ライバル攻略対象たらんとしている私の前で? 良い度胸だな。
だいたい、皆が皆そんなに王族のことばかり気にしているわけがない。
たとえば私はパンダを見ればかわいいと思うし、動物園に行ったら見てみたいと思うだろう。パンダに赤ちゃんが生まれたニュースなど見たら、微笑ましくてにこにこするだろう。
しかし、毎日パンダのことばかり考えているのかと聞かれれば、そんなわけがないと一蹴するだろう。
そんなのは、よほどパンダが好きな人か、パンダの飼育員くらいだ。
パンダよりも、明日のご飯が気になるし、自分の幸せが気になるし、家族の幸せが気になる。皆パンダより、自分が大切に決まっている。身近な人間が大切に決まっている。
つまりパンダのことなどどうでもよい人が大多数なのである。
いずれ玉座に座る人間が、その程度のことを分からないでどうするというのか。それが行きつく先は、自分中心の、ヒロイズムにまみれた独裁ではないのか。
私は独裁国家で暮らすつもりはない。
まぁ、私が放っておいても、きっとお父様かお兄様あたりが、ちゃんと考えを正してくれるような気もするが。
「先日の試合、結果こそ負けていましたがよい動きでしたよ。とても病に侵されているとは信じられないですね」
「……君が信じようと信じまいと、私が病だという事実は変わらない」
「ふむ、それはそうですね」
私は気が短い。
そして、性格が悪い。
考えてもみてほしい。他の攻略対象のイベントを奪おうと画策している人間の性格が良いわけがない。
自分の幸せのために、純真無垢な主人公を利用しようと企んでいる人間の性格が良いわけがない。
そもそも、エリザベス・バートンはモブ同然とはいえ、悪役令嬢だ。
ここは悪役らしく、主人公気取りの他の攻略対象の鼻っ柱を折りつつ、蹴落としておくのも悪くない。
「殿下、お忍びで城下に出たことは?」
「……ない」
私の問いに、殿下が少し言いにくそうに答える。普通の貴族の子どもはお忍びで街に出ない。
ましてや、病魔に侵されているらしい王太子殿下である。そこいらを気軽にうろうろしているわけがない。
「では行ってみましょう」
「は!?」
「服は私のものが入りそうですね。幸い候補生の制服を持っていますのでこちらをどうぞ。ああ、少々汗臭いかもしれませんが……」
「きみは、何を」
「明日の朝、ここに迎えに来ますので。一人で考え事がしたいとでも言って、お人払いをお願いします。ああ、朝食は食べない方が良いですよ」
荷物から候補生の制服一式を出して、目を白黒させている殿下に押し付ける。
王太子殿下の部屋に入るというのに、荷物を没収されないなんて平和な国だなぁと思う。
ちなみに汗臭いというのは嘘だ。ただ警邏の間厩に預けてあったので、馬臭いかもしれない。
「それでは」
不敵に笑って、私は制服の裾を翻しながら執務室を後にする。軍靴の音がカツカツと響いた。
「待て! 何を考えている!? わ、私が近衛騎士にこのことを伝えたらどうなると……」
「捕まるようなヘマは致しませんよ。弟君から私のことは聞いているのでしょう?」
殿下が引き留める声を背中に投げかけるが、私は振り向かない。
閉まるドアの音に、何となく今の自分は転生して一番悪役らしい気がした。本家エリザベス・バートンも、草葉の陰で喜んでいることだろう。
別に死んでいないが。
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