第24話 殿下の命とあらば忘れます。忘れました。

 また執務室に呼び出されて来てみれば、前回より少々疲れた様子の王太子殿下が椅子に腰掛けていた。

 くたびれていてもそれはそれで美しいと言うか、妖艶な雰囲気すら感じるのは何故なのだろう。顔のつくりがよいというのは羨ましい限りである。


「先日、愚弟と話してね。きみと二人で話したことを伝えたんだ。……あいつは、ずいぶんときみに入れ上げているようだったから」

「はぁ」


 入れ上げているというか、必要以上に尊敬……崇拝されているのは自覚している。


「そうしたら、『素晴らしい方でしょう! 隊長は俺たちの自慢です!』と得意げに言われてね」


 言いそうだった。


「さんざんきみの武勇伝を聞かされた挙句、しまいには『兄上もぜひ一緒に訓練に参加しませんか!』としつこくて」


 目に浮かぶようだった。

 兄に劣等感を持っていたロベルトは、これまで積極的に王太子殿下と話すことはなかっただろう。

 それは王太子殿下も同様のはずで、気まぐれに交流を持ってみて初めて、真の意味で気づいたのだ。

 弟の想像を遥かに超えるチョロさに。


「そこで、私はひとつ勘違いをしているんじゃないかと思ったんだ。いや、まさかとは思うのだけど」


 頭痛がする、とでも言いたげに、殿下はこめかみを押さえる。


「私の愚弟は、きみがエリザベス・バートンだと知らないのではないかな?」

「……ええ、まあ。おそらく」


 殿下の長いため息が、部屋に響いた。


「……それどころか、女性だと気づいていない可能性もあるのでは?」

「そこは、どうでしょう。しかし、ありえる話だとは思います」


 私の返答に、王太子殿下は脱力した様子で椅子の背にもたれかかった。


「きみはそれでいいのか? 自分の婚約者が、自分を認識していないということだぞ」

「私も最初は気づきませんでしたから。今はさすがに承知しておりますが」


 私が特に気にしていないと答えると、殿下の眉間の皺が深くなる。


「きみまでそんな調子だから、不仲説が出ているんじゃないか……」

「不仲説」


 その言葉には正直心当たりがありすぎる。

 社交界的なカテゴリにおける交流の無さだけを見れば、私とロベルトが仲がよいと判断するほうが無理というものだ。


 今も仲がよいかと聞かれると、微妙だ。本来の身分差をひっくり返した謎の上下関係が構築されているので、何とも言いがたい。


「不仲説が出ていなかったら、きみはとっくに王妃教育を叩き込まれているはずだ」

「……どういうことでしょう。私は王子妃にはなるかもしれませんが、王妃になる予定はございません」

「いや、……何でもないよ、忘れてくれ」


 殿下の言葉に、しまった、と気づいた。

 これは「教えてください」待ちだ。本当は言いたくて仕方ない何かを、私から質問させたいのだ。

 「あ、ううん。大丈夫。何でもない」の「何でもない」だ。「どうしたの?」「大丈夫?」「本当は大丈夫じゃないんじゃない?」と聞かれるの待ちの、誘いの言葉だ。


 面倒くさいことこの上ない。大体私はクリストファーを訓練場で待たせている。

 一刻も早く戻らなければ。


「はい、殿下の命とあらば忘れます。忘れました。これ以上お忙しい殿下のお時間を頂戴することも心苦しいことですし、私はこのあたりで」


 物憂げな表情で聞き返してくれオーラを放つ殿下に、私は必要以上ににっこり笑って、慇懃な礼とともに執務室を退出した。



 ◇ ◇ ◇



 私は気が短い方だと思う。


 ぼんやり取り留めのないことを考えるのは好きだが、うじうじ悩むのは苦手だ。我慢が苦手で、身体を動かす方が性に合っている。

 人の話を長々と聞くのも、得意ではない。気を抜くと2回目くらいから生返事になる。


 だというのに、私はまたも、王太子殿下に呼び出されていた。

 今日は警邏の帰りを捕まったのである。


 前にも言ったが、私は忙しい。14歳になってから、ますます忙しくなっていた。

 訓練場の仕事に警邏に、そして学園入学のための勉強にと、朝から晩までやることが盛りだくさんだ。

 そして、一番重要な攻略対象としての特徴探し。王太子殿下の暇つぶしに付き合っている時間はない。


 そもそも論、何回も当たり前のように呼びつけてくれるが、用事があるのはそちらなのだから、たまには出向いてきたらどうなのだ。

 出向くほどではないな、という程度の用件であれば、人を呼びつけるのもやめていただきたい。


 今回は近衛騎士に「ちょっと予定が」と断ろうとしたのだが、「そういえば、先日ドアが壊されていた件について何かご存知ですか?」と脅されたのでノコノコ着いてきた。

 悲しいかな、身分の高い相手に対して強く出られないのが貴族のつらいところである。


 今日の王太子殿下は、最初から物憂げモードだ。机に頬杖を突き、薔薇の蕾のような唇からため息をこぼれさせている。

 帰りたい。


「きみは、ロベルトをどう思う?」

「どう、といいますのは?」


 求められている返答が分からず、聞き返す。

 そろそろ居合いか何かで、触れずして相手を気絶させられるようにならないものだろうか。そうしたら簡単に、穏便にこの謎の時間を終わらせられるのに。

 殿下は眇めた瞳で私のことを探るように見やりながら、言葉を重ねる。


「王に向いていると思うか?」

「……私の口からは、何とも。不敬になってしまいますので」

「……その返答自体が不敬だとは思わないのか?」


 殿下の問いに、私は無言で返す。それが答えだとご認識いただきたい。私の意図は伝わったようで、殿下も黙ったままだった。

 親しくない相手との無音の時間ほど無駄なものはない。適当に切り上げようと、私は王太子殿下のご機嫌取りを試みる。

 一応貴族の端くれ、多少は相手のご機嫌取りの心得もある。


「心配されなくても、ロベルト殿下は王位など狙っておられませんよ。王になるのは貴方様です、殿下」

「……私は、王にはなれない」


 失敗した。慣れないことはするものではない。

 そして聞きたくないことを聞いてしまった。また「忘れてくれ」と言ってくれないだろうか。

 これからの展開が読めてしまい、長くなりそうだと私は心の中で舌打ちをする。


 殿下は、私の予想通りの言葉を口にした。


「私は、病で先が長くないんだ。医師には持ってあと2、3年だと言われている」

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