第12話 破門ですか?

 12歳のある日、いつものように剣の稽古を始めようとしたところ、教官がもう一人男を連れてきた。

 男はグリードと名乗った。教官と同じく騎士団候補生の訓練所の関係者で、稽古の見学に来たという。

 教官に比べて、身なりが悪いというか上品さに欠ける男だったが、身体つきは非常に素晴らしかった。

 胸板が厚い。腕が太い。上背もあるが下半身にもしっかりと筋肉がついていて、体幹が強そうなところが良い。重心が低く、足元からも崩されにくそうだ。


 そして身のこなしは力が抜けているようでいて、無駄がない。もし勝負をしても、私では敵わないだろう。

 つい値踏みするような目で見てしまっていたが、それはあちらも同じ様子だった。鋭い視線が、私に向けられている。


 お兄様と軽く身体を慣らした後、教官と模擬戦をすることになった。

 といってもいつものことであるし、去年ぐらいから勝ち越せるようになり、最近は危なげなく勝てるようになっていたので、その日も特に問題は起きなかった。


「エリザベス様」


 模擬戦が終わると、一礼ののち、教官が私のところに歩み寄ってきた。


「もう、私からお教えすることはありません」


 その言葉に、私は一瞬何を言われたのか分からなかった。

 一度脳内で反芻して、良い予想と悪い予想が浮かんだ。悪い方から聞いてみることにする。


「ええと。破門ですか?」

「違います」

「では、免許皆伝、ということですか?」

「皆伝を与えられるほど、私は強くありません。ですが少なくとも、あなたはもう教わる側ではなく、教える側として十分な実力を身に着けた、ということです」

「師範代として認められた、ということでしょうか」

「そうなります」


 なるほど。私は得心した。今日の模擬戦は師範代になるための試験であり、このグリードという男はその立会人なのだろう。

 道理で、探るような目つきでこちらを眺めていると思ったのだ。


 だが、こうも突然師範代と言われても、正直実感がない。

 当たり前だ。私がきちんと試合をしたことがあるのはお兄様と教官だけだ。自分がどのくらいの強さなのかを測るための物差しが、私にはないのである。

 実戦が足りていない。そう強く思った。もっと稽古に身を入れようと、決意を新たにする。


「ですので、私はこのあたりで、お暇を頂戴いたします」

「え」


 予想外の言葉に、私は面食らう。


 確かに、私は教官よりも強くなった。勝ち越せるようになったばかりの頃は、公爵令嬢である私に忖度してくれているのかと思ったぐらいだが、訓練で手を抜いてくれたことはなかったし――最初の頃は厳しすぎて毎回泣いていたぐらいだ――同じく訓練を受けているお兄様は普通に負かされていた。


 だが、攻略対象たるもの、強くなければならない。

 そして主人公と他の攻略対象とのイベントを横取りするには、ナンパ男から暗殺者まで、幅広く撃退できるだけの力が必要だ。

 そのためには、実戦形式の練習が欠かせない。今練習相手を失うわけにはいかない。せっかく新たにした決意をどうしろというのだ。


「私に教えることがなくとも、お兄様は」


 お兄様を引き合いに出してみるも、教官は首を振る。


「バートン伯ももう17歳です。学園の最終学年では剣術の授業はありませんから、稽古を続ける必要もなくなります」


 バートン伯というのは、お兄様のことだ。昨年、お父様の持っている爵位のうち、伯爵を継いだのである。

 学園卒業後、数年間は伯爵として仕事をこなしつつ実績を積み、その後で晴れて公爵家当主の座を継ぐ予定だった。


 お兄様に目を向けると、困ったように笑っていた。お兄様にはこうなることが分かっていたらしい。

 思えばお兄様は騎士になりたいわけでもなし、学園の授業で良い成績が取れる程度の腕前で十分なのだから、この年まで熱心に剣術の稽古を続ける必要はなかったのである。


 私に付き合って通常の貴族令息が受けるよりも厳しい訓練を受けさせられていたお兄様には、感謝こそすれ、文句などいえるはずもない。

 本当に、よく付き合ってくれていたと思う。


「クリストファーは?」

「クリストファー様は、まだ基礎の段階です。私よりも、最初にエリザベス様たちを教えた者の方が適任でしょう」


 言い募ってみるも、あっさり返された。確かにそのとおりである。

 クリストファーは前の家で剣術を学んだことがなかったらしく、我が家に来て2年がたった今でも、体力づくりや剣に慣れる練習の段階だ。

 現役教官が教えるに足るほどの実力は、ない。


 いや、この際直球で聞こう。困るのはお兄様でもクリストファーでもなく、私だ。


「しかし、私の稽古はどうなります。私にはまだ、十分な強さがありません」

「ご令嬢としては、十分すぎる強さがおありです」

「私が求めているのはその程度の強さではありません」

「存じております」


 教官は当たり前のように頷いた。

 分かっていて暇乞いとは、どういう了見だ。もう一度言わせてもらう。せっかく新たにした決意をどうしろというのだ。


「エリザベス様に新しい練習の場をご紹介するために、今日は彼を連れてまいりました」


 教官が目くばせすると、先ほどグリードと名乗った男が歩み寄ってくる。

 試合中は刺すような視線でこちらを見ていたのに、教官と話している間はまったく気配を感じなかった。

 結構な巨体だというのに、存在感を消すのがうまい。


「王都には、貴族令息のための騎士団候補生訓練場が2つあります。王城から見て、西と、東に。彼は西の訓練場の教官です」

「どうも」


 グリード教官が、軽く手を上げて、私を見下ろす。

 だらしない仕草に見えるが、隙がない。なるほど、教官か。彼自身も腕利きの騎士なのだろう。さっきから感じていた感覚に納得する。

 彼は顎の無精ひげをこすりながら、不満そうに自分を紹介した教官を親指で示す。


「こいつがいるのは東の訓練場なんだが、そっちの方が身分の高いご令息が多くてな。教官の職も東の訓練場ばかりが人気で、西の訓練場はいつも人手不足なんだ」


 そこで、と、彼は言葉を切る。にやりと上がった口角と、猛禽類のような輝きを放つ瞳は、妙にアンバランスで、触れると切れそうなほどだった。


「師範代になったことだし……お嬢様、うちで働いてみないか?」

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