第10話 羽のように軽い
ネタバレをしよう。
実はこの時、クリストファーは自分の実の母親に会いに行っていた。
彼は幼い頃、引き取られた遠い親戚の家で、偶然母親の消息を耳にする。死んだと聞かされた母親の消息を、だ。
彼は屋敷を抜け出し、母親の住む家を見つける。そこで、見てしまうのだ。新しい家族と幸せそうに暮らす母の姿を。
この時のスチルは、痛々しくて見ていられなかった。
親に捨てられたと言ったが、彼は今日この時点では、まだそのことを知らない。
母親は死んだと、そう聞かされているのだ。
やさしい嘘である。
きっと、時期を見て話すつもりだったのだと思う。
事実、私はクリストファーと同じように聞かされていたが、お兄様は真実を知っているようだった。
だからこそ、熱心にクリストファーと仲良くなろうとしていたのだろう。
幼い身で母親と離れ離れになった挙句、その理由が「母が彼を捨てたから」だという事実。私の両親は、それを隠すことに決めたのだ。
事実を受け止めさせないことを選んだのだ。
聡い人だ。真実を隠すことのデメリットも理解した上で、メリットデメリットを天秤にかけた上で、その選択をしたのだと思う。
今回はたまたま、それが悪い方に転んだだけだ。下ブレしただけだ。誰の責任でもない。
クリストファーは、真実を知ってしまった。彼の母親がまだ生きている、という真実を。
それも、第三者からバラされるという最悪の形で、だ。
そして彼はこの後、「自分が捨てられた」という事実を目の当たりにする。残酷な現実を見てしまう。
彼は9歳にして心の拠り所を失い、誰も信じられなくなるのだ。
それこそが、彼が「遠い親戚の家」に馴染めなかった本当の理由だろう。
我が家に問題があるわけではなく、彼自身が誰にも心を開けなくなってしまうのだ。誰とも馴染めなくなってしまうのだ。
ゲームの中の彼が繰り返し行ういたずらは、ある種の試し行動だろう。
相手が自分に向ける好意が本物か試すために、それが変わらないかを試すために、いたずらをしていたというわけである。
それでも、と私は思う。あのお兄様と接し続けて絆されないというのは、考えがたい。
何か大きな力が働いていたのではないか、と勘繰ってしまう。
たとえば、クリストファーに最初に不変の愛を捧ぐ者を、主人公にするために。
何かこの乙女ゲームの世界における機構のようなものが、働いていたのではないか。
「リジー、あそこ!」
中心街からかなり離れた、小さな民家の立ち並ぶ通りに差し掛かったあたりで、お兄様が私の背中で声を上げた。
最初は併走していたのだが、私が背負って走ったほうが早いのでこの形になった。
15歳になっても魅惑のもちぷにボディのお兄様だったが、日々の稽古に散々付き合わされ、私がそのくらい屁でもないことをよく知っているので、異議は出なかった。
目を凝らすと、夕闇の中、泣きべそをかきながら走ってくる男の子の姿が小さく見えた。
「クリストファー!」
お兄様がその名前を呼んだ。男の子、クリストファーは顔を上げたが、どうにも様子がおかしい。
何かに追い立てられているような、恐怖の滲んだ表情だ。
私は背負っていたお兄様を降ろすと、近くの路地にねじ込んだ。
そして気配を消しながら、クリストファーの走ってくる方へと向かう。
すれ違いざま、彼の口を掌で覆い、そのまま茂みに引き込んだ。
気配が消せるようになったのは、騎士道を学ぶため、正しい姿勢で行動するようになった副産物だった。
足音が立たなくなったし、動作に伴う音を立てない術も学んだ。無駄なく身体を動かせるようになったおかげで、不要な力が抜け、空気に溶け込むように行動できる。
騎士道精神から見てこれが良いことかどうかについては、私は考えることを放棄した。
茂みの中で息を潜めて数秒後、荒々しい足音が聞こえてくる。
「どこ行った!? クソ!」
「こっちに来たのは間違いない、探せ!」
数人の男の声。ほとんど怒号交じりだ。
身なりからして、ごろつきまがいのようだ。
涙目で私を見上げるクリストファーに、空いている手の人差し指を唇に当て、「シィー」のジェスチャーをする。
彼は怯えた様子だったが、わずかに頷いた。
男たちが走っていったのを見送って、私はクリストファーと一緒に茂みから出た。
すっかり大人しくなった彼の手を引いて、路地からまろび出てきたお兄様と合流する。
「リジー! クリストファー! ああ、よかった」
先ほどの男たちを警戒してだろう、小声でお兄様が言う。
「まだ近くにいると思います。クリストファー、ごろつきに絡まれるようなことでもしたのかい?」
「いや、あれは人攫いだろう」
「人攫い」
私はお兄様の言葉を反芻する。
それなら、確かにクリストファーは絶好のカモだっただろう。
ところで、人攫いというのは子どもを攫ってどうするのだろうか。
この世界はまだ、臓器移植が行えるほど医療が発展していないはずだ。
でなければ「聖女」なるものがもてはやされたりしないだろう。
攫った子どもを利用して金銭を得る方法を考えてみるが、貴族の子女なら人質にして身代金を要求、見目がよければ「そういう趣味」の方に売却、くらいしか思いつかない。
貴族の子女は身なりで分かるだろうが、普通はこんなところを護衛もなしにぶらぶらしない。
かといって、見目のよいものを選別するのはそれなりに手間がかかる。
果たして、儲かっているのだろうか。
「おい、いたぞ!」
いらぬ心配をしていると、男の野太い声がした。振り向くと、50mほど後方に身なりの悪い男の姿がある。
先ほどのごろつき、もとい人攫いだ。
「お兄様!」
「うん!」
私が呼ぶと、お兄様はすぐさま私の背に負ぶさった。
「クリストファーも、早く」
私はしゃがんだまま、クリストファーに向かって両手を広げるが、彼は動かない。
のんびりしている余裕はないのだが。
「失礼」
仕方がないので、一言断ってから彼の膝の裏に腕を差し込み、持ち上げる。
人形を抱っこする腹話術師のような形だ。
ひょいと抱き上げれば、なんということだ。
「羽のように軽い……」
「ふぇっ!?」
思わず呟いた私に、クリストファーはまん丸に見開いた目を向ける。
ふわふわした癖のあるストロベリーブロンドが、わなわなと揺れていた。
「しっかり掴まっているんだよ」
「あ、あの」
「クリス、口を閉じていないと舌を噛むよ」
慣れた様子で私の首に腕を回したお兄様が、クリストファーに忠告する。彼がきゅっと口を真一文字にしたのを確認して、私は地面を蹴った。
お兄様はさすがに羽のように軽いとは言わないが、ごろつきを撒く程度、軽く走れば十分なので造作もない。
お兄様はよくお父様と出かけているだけあって、城下街の地理に明るい。
地図代わりに連れ出して、街を案内してもらうこともあるくらいだ。もちろん、両親には秘密だが。
背中からの指示を受けながら、狭い路地を選んで駆け出した。
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