第3話 人望の公爵とお兄様

 それからの私の行動は素早かった。

 お兄様が稽古をつけてもらっているところに押しかけて剣の練習に参加し、料理長に言って食事をカルシウムとタンパク質たっぷりの内容に変更させ、書庫に大量の女性向け恋愛小説を導入して読み漁った。


 乙女ゲームの攻略対象たるもの、まずは強くなくてはいけない。それには剣術を学ぶのが手っ取り早い。

 強くなるには身体作りも重要だ。そして攻略対象たるもの、高身長でなくてはならない。食事はそのどちらにも重要なファクターだ。


 あとは、知識が必要だった。女の子がどういったことでドキドキして、ときめくのか。ゲームの記憶はあるが、プレイヤーの分身であった主人公がどんな男が好みなのかはわからない。

 この世界ではどのような男性がモテるのか。女の子はどんな男性に憧れるのか。それを調査するために、恋愛小説はうってつけの教材だった。


 服も男物を仕立てさせて身に着けた。何事もまずは形から、だ。

 最初はお兄様のものを拝借しようとしたのだが、お兄様は少々ぽっちゃり、もとい魅惑のもちぷにょマシュマロボディのため、サイズが合わなかったのである。男物を身につけて、自分の姿を鏡で見る。


 うん、悪くない。


 顔は塩顔でややイケメンよりの、フツメン。だが薄い分には足せばよい。

 まだこの世界の化粧についての知識はないが、お母様やそのご友人を見るにつけ、そこそこ化粧の文化は発展しているらしい。

 メイクさえできるようになれば、あとは雰囲気でいくらでもごまかせる。


 攻略対象にロン毛が多かったので、差別化のためにばっさり髪を切った。どのくらいばっさりかというと、ツーブロックのサイドを刈り上げる際にバリカンを使うくらいに。ちなみに親は泣いた。

 最初は子どものすることだと笑っていた両親も、このあたりで私が本気であることに気づいたようだ。


 ところで私の生家であるバートン公爵家は、他の貴族たちから「人望の公爵」と呼ばれている。

 高位の貴族だけあって莫大な財産とそこそこの政治的手腕、肥沃な領地とそれを経営する能力も有しているが、我が家の長に引き継がれる最たるものは「人望」である。


 もともと、建国当初の王弟が継承権争いを防ぐために自ら臣下に降ったのが我が家の興りで、その王弟はそれはそれは人望に厚い人物であったそうだ。その血筋であるからか、バートン家の家長は多少の差はあれ、常に人望というものに恵まれている。いや、逆を言えば、人望のある者しかこの家を継ぐことができないのかもしれないが。


 心根の正しきものはバートン公爵家の友となり、心根の悪しきものも不思議と友となる。バートン家に仇なす者があれば、善悪問わず全貴族が敵に回る、とかなんとか。人がよいから騙されていそうなものなのだが、小物はその逸話だけで寄り付かず、離れていくらしい。

 まぁ、眉唾ものの話である。私自身、話半分程度で信じていなかった。


 しかし私は、その「人望」なるものの存在を身を持って理解することになる。

 

 ある日、父が剣の稽古中に現れ、私の奇行(にしか見えないであろう行為)に苦言を呈した。

 その話し方に、私はまず感心した。父は私を一方的に叱り付けるでもなく、正しい行いをするよう押し付けるでもなく、ただ私の行いが招くであろうデメリットについて優しく諭した。


 婚約中の第二王子に迷惑がかかること。あらぬ噂を立てられて、私自身が傷つくかもしれないこと。それが私の、もしかすると家の将来にまで影響を及ぼすかもしれないこと。


 そして、私がなぜそのような行動をしたのか理由を尋ねたのだ。


 私は得心した。これが「人望の公爵」たる所以かと。

 家長の意思が絶対であるこの世界で、娘など政略の道具として扱われることもおかしくないこの貴族社会で、突然男装を始めた娘に理性的な対応ができる父親がどれだけいるだろうか?


 ここで私が父を納得させられるような理由を持っていたら、私が出世した暁には何だか良い感じの逸話になったかもしれないのだが、困ったことに私にはそれがなかった。

 「10年後に主人公を攻略するためです」とかいうとんちんかんな説明をするわけにもいかない。この世界では、まだ主人公は聖女の力に目覚めてすらいないのだ。


「そうするべきだと思ったからです。私には、必要なことなのです」


 私がそう言うと、父は困ったように眉を下げた。仕方ない。出来るだけ嘘のないような言葉を選んだつもりだが、これではただの我儘と変わらないだろう。


「お父様」


 すっと、私の横にお兄様が歩み出た。お兄様の後ろでは、剣の指南役が所在なさげにおろおろしている。


 透き通るような金髪に、空のような澄んだ碧眼。どちらもお父様と瓜二つだ。人望とこの色が、バートン公爵家の当主たる証らしい。私の髪と瞳も似た色だが、お兄様やお父様と比べるとくすんでいる。

 もっとも、お兄様の白くてもちもちの大福みたいなお顔は、お父様とは似ていないが。


「僕からもお願いします。リジーの好きにさせてあげてください」


 お兄様が、私の隣で頭を下げた。

 その姿に私は目を見開く。


 お兄様は、たしかに優しい。私のことをとても大切に思って、愛情を注いでくれている。エリザベス・バートンとしての、7年間の記憶がそれを証明している。

 それでも、いくら私がかわいくても、今ここで頭を下げる必要などないのだ。

 お父様と一緒に私のことを嗜めるのが普通で、もしくは黙って見ているのが普通で。


 それなのに隣で頭を下げる兄の姿に、私は衝撃を受けた。何故だろう。自分でもうまく説明がつかないが、どうしようもなく胸を打たれる。

 そして理解した。

 これが、「人望」というやつの正体だ。


「リジーはとても頑張っています。剣の稽古では僕よりも真剣ですし、礼儀作法やダンスの練習も欠かしていません。たくさん本を読んで、勉強しています」


 ああ、きっとこういうことなのだ。

 私はお兄様がこう言ってくれることがとても嬉しくて。

 お兄様が私の味方でいてくれることが嬉しくて。

 きっと、こんなふうに。

 誰かの欲しい言葉を、欲しいときにくれる人なのだ。

 誰かを助けるための行動を、迷いなくできてしまう人なのだ。

 これが、これの積み重ねが、人望なのだ。


 もしお兄様が困っていたら私はきっと駆けつけるだろう。多少の無理を押してでも、助けたいと思うだろう。

 自分がそうしてもらったのだから。そしてそれがどうしようもなく、嬉しかったのだから。


 タネが分かってしまえば、他愛もないことだ。だが、それが簡単に真似できることではないからこそ、バートン家はここまで繁栄してきたのだろう。

 タネが分かっても真似できるものではないし。

 抗えるというものでも、ないのだ。


「きっとリジーには、本当に必要なんだと思うんです。だから、お父様」

「お願いします」


 お兄様に並んで、私も頭を下げた。

 私たちを見下ろしていた人望の公爵は、また眉を下げ、やがて微笑んだ。

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