第7章 謎の少年~前編~日本人形

『赤鬼ーー君はさ、やっぱり妖怪なんだよね』


 照る太陽。光を遮る木の下。

 一人の少年は俯く顔を上げ、最後にまた一つ、心の中で呟いた。

(残念だ。……本当に)






 十一月中旬。部屋の端に置いたそれは猫用のベッド。


「それ、どうしたの」


「二人の、寝床……?」


 ミカゲの出来事があって、前世が動物の妖怪は未練がなくなると消えてしまうものだと知った。だからといって、妖怪を避けるようなことはしない。

 ただ、余計なことはしないようにしたほうがいいのか考え、迷っているだけ。


「へえ」


 今の二人にはどうも似つかわしくない小さなベッド。それを人の姿をした二人が見下ろす。

 レオは続けて短く言葉を口にしたが、相変わらずのルカは無表情のうえ沈黙。


「これから寒くなるから、二人で温まってくれたらいいなって」


 いつも勉強机の椅子の上で寝ているルカ。冬でなくても寒いだろうし、レオだってベッドの上で寝てはいるけど、布団を被っていないから寒そうで。


「ありがとう」


 分かってくれたのか、レオはいつも通りの笑みを浮かべる。

 些細なことだけど、お礼を言われるのは嬉しい。自然に頬が緩む。だけど……自分の笑みが不自然に感じた。

 顔が引きつっている、そんな感じ。

 学校の登校。少し肌寒い。

 そんな中を一人で歩く。

 天邪鬼は今何しているんだろうと考えながら。


「ーーこの子はうちに来た転校生だ。仲良くしてやってくれ」


 珍しくクラスに転校生がやってきた。

 先生曰く“この子”というのは男子生徒。制服はもう用意されたのかきちんとした格好をしている。

 肩までの黒い髪。これだけで判断している訳ではないが、見るからに真面目そう。


「僕は如月透。よろしく」


 微かに見せる愛想笑い。さっきまで前髪で隠れていた顔が覗く。普通の人より白い肌。

 なんとなく彼の第一印象が決まった。真面目でおとなしく、少しひ弱そうな少年。

 先生に指定された席は、窓側の一番後ろ。私の列の席だった。

 彼は席と席の間の通路を通り、自分の席へ向かう。

 なぜだか私は彼の姿を追っていた。別に何かが気になったという訳ではなく、自然と。


「透くんってどこから来たの?」

「僕?」

「如月、サッカーに興味ねーか?」

「いや運動系は苦手で」


 さっそく始まった質問攻め。

 転校生が来るとその周辺に人が集まるのは本当のことなんだと知った。

 外見からして人見知りだと思っていたけど、意外と人に合わせるのが上手だったり。

 ……なんて思ったのもつかの間。


「校内の案内してあげよっか?」

「一人で大丈夫だよ。それよりーー物珍しいからって、寄ってたかって来ないでくれるかな」


 それはそれは静まり返った。

 まさか転校生がさらっとこんな酷い発言をするとは誰も思っていなかっただろう。

 まさにみんな意気消沈。それぞれに転校生の周りからいなくなる。中には謝る人も。

 どうしてわざわざあんな事をするんだろう。あんな発言をすれば、周りから人がいなくなるなんて分かっていることだろうに。

 もしかして本当に寄ってたかってきてほしくないのかな。


「あの転校生、一体何考えているのかしら」


 今までの光景を若葉も見ていたのか、席に来るなり腕を組みながら転校生を眺める。

 私も若葉と同じこと思ってた。 何考えているのか分からない謎の少年。

 多数に同じ印象を与えた少年に対して含み笑いをしてから、若葉の自問に答える。


「何も、考えていないんじゃないかな」


 いっそ、何も考えずに口にでたものだと言われたほうが、あんな事を言われた生徒たちは救われるだろう。

 いわゆるあの少年は天然なのだと。


「あれじゃあ孤立するに決まってるわ」


 若葉の言った一言に、何かがつかかった。

 ーーかわいそう

 そう思ったのかもしれない。ーー見えない者。


「よっ」

「あ」


 帰り道。待ち伏せしていたかのように手を挙げた、小さくて真っ赤な物体は。


「前はよくも無視しやがったな」


 ーー天邪鬼。


「あはは……」

「あははじゃねえ!」

「ご、ごめんね。ほんと、あの時はああするしかなかったの」


 手を合わせて勘弁ポーズをとる。

 天邪鬼は怒っているだろうと今日まで予想していたけど、相当なよう。


 でもあのとき、本当にああするしかなかったんだ。

 だって隣に斗真がいたから。

 あの日、最後の授業に寝てしまった私はみんながいなくなってから起きた。

 それは特別授業で、帰りの会も済ませてあったからなんだけど。


なぜか起きた時、斗真がいたんだ。

 個人で帰っていいはずなのに、どうしてまだいるんだろうと不思議に思いつつも口にはせず。成り行き上一緒に下校することになって。

 話を元に戻すと、妖怪の見えない斗真を隣にして、天邪鬼と呑気に話なんてできなかったんだ。


「ふーん」


 私の中途半端な言い訳を聞くと、天邪鬼は腕を組み、鋭い視線で見つめてきた。

 狙っているのか、体の向きを斜めにし、横目を使い、犯人を見るかのように怪しくじとーっと。

 明らかに納得していない様子。


「……納得してないよね」

「当たり前だ。ヒトを無視しておいてよくもそんなことが言える」

「だからーー」


 すんでのところで言おうとしていたことを思いとどめる。

 これ以上弁解したところで難しい話になる。天邪鬼には理解しがたい話だろう。

 妖怪が普通の人間には見えない、だから私は天邪鬼を無視してしまったと。


「あー……もう」


 伝わらないもどかしさ。


「知ってるよ」

「え?」

「あの時はオレのことが見えない普通の人間がいた。だから見えないフリをしたんだろ」


 腕を組んだまま目を逸らし、いかにも怒った風に言い切った天邪鬼。

 堂々としていて結構な不機嫌度合いだが、その中にほんの少し優しさが含まれているような気がした。


「天邪鬼、ごめんね」

「……ウルセー」


 恥ずかしさを紛らすためにわざと口を悪くしてるって知ってるよ。

 さっきよりも顔を背け、目を合わせないようにとしている。

 そんな天邪鬼の横顔を見ながら違うことを考えていた。


 ーー見えないフリ

 この言葉が私の心を締め付ける。

 前までは本当に見えていなかったんだ。それがあの日を境に見えるようになってしまった。

 私の右目にハウラという妖怪の力の欠片、氷力石が入った日から。

 このことはルカとレオ、あとおじいの三人以外は知らない。


 これって、天邪鬼に嘘ついてることになるのかな。

 私はもともと妖怪の見えない、普通の人間だってことを天邪鬼に教えていない。

 それが原因か、天邪鬼に謝るとき少しだけうるっときた。

 真実を教えてないことと、以前無視したこと、この二つが重なって。


「あ、そうだ」


 今思い出したことに声をあげ、鞄の中をゴソゴソと探す。そして中から出したのはーー


「はいコレあげる」

「コンペイトウじゃねえか」


 天邪鬼の大好物、金平糖。

 はじめ、天邪鬼はこの金平糖のことをあられと言っていた。

 普通に間違いなんだが、天邪鬼は黒髪の少年にそう教わっていたんだ。

 もちろん、その少年はわざとしたことではなかった。

 たぶん自分自身も間違って覚えていたんだと思う。


「この前のお詫びに」

「サンキュー」


 嬉しそうに袋ごと受け取る天邪鬼。さっきまでの不機嫌そうな態度は嘘のよう。

 ……なんか、子供みたい。

 金平糖の入った袋は天邪鬼の体の大きさと同じくらい。いや、袋の方が大きいかも。

 喜びに浸っていた天邪鬼が冷静を取り戻したのか、袋をじーっと見る。

 そして私を見上げてきた。


「オマエ、なんかオレを小さく見てねーか?」

「え、見てないよ?」

「ホントか?」


 さすがにこれ以上は嘘つけない。


「……」


 天邪鬼、君は小さいよ。

 真っ直ぐ、天邪鬼の目を見つめながら押し黙る。


「ウソじゃねえか!!」

「ごめん」


 勢いのある怒号に反射的に謝った。これは天邪鬼の反応を楽しむためでもある。今でも十分楽しめているが、まだまだ。

 緩む口元に力をいれ、怪しまれないようにと無表情を保つ。


「謝るな! 余計惨めになる」


 何かおもしろくなってきた。


「そっか、そうだよね。天邪鬼、ずっと背のこと気にし」


「気にしてねえよ!!」


 二つ目の怒号。


「え、でも天邪鬼……」

「だから気にしてねえーよ!!」


 今度こそふっと、緩む顔の筋肉に従う。これ以上は耐えきれない。

 なんだか天邪鬼をいじめるのが可哀想になってきた。

 ふざけるのはここでやめて、そろそろ家に帰ろうかな。


「それじゃあ、またね」


 天邪鬼といるとなんかだか落ち着く。心が穏やかになって、何より楽しい。


「……気にしてねーからな」

「はいはい」


 まだ小さい背のことを否定する天邪鬼を軽く受け流し、見えないところでくすっと笑った。ーー日本人形。


「ーーどうする?」

「なにが?」

「なにって……また話聞いてなかったわね」


 体育座りをし、体育館の壁に寄りかかりながら目の前にいる若葉を見上げる。

 体育の授業。先ほどまで若葉と組んでバトミントンをやっていたため、ラケットを持ち休憩中。

 ぼけーっとしていたからか、話が耳に入ってこなかった。

 若葉が呆れながらも説明する。


「男女ペアで二人組作らなくちゃいけないらしいの。なんでわざわざって思うかもしれないけど、先生が決めたことだから仕方が無いわ」


 黒くて長くて綺麗なストレートヘア。背中半分まである髪を束ねゴムで止めている今の若葉は、運動のできる元気な女子に見える。

 冬に向けて気温が低くなる中でも、若葉はこのスタイルを変えない。運動する時は。


「で、どうするの」

「……?」

「ペアよ」


 ペア……。

 視野を広げて体育館中を見てみれば、みんなもうペアを組み始めていた。

 そして斗真の姿が映る。

 ラケットを両手でぎゅっと握り、斗真のことを見上げる女子。

 その子と話している様子。


 ああ、斗真はあの子と組むのか、となんとなく思いながら候補の中から外し。

 別の人を瞳に映す。

 意識を全て持っていかれた。あの転校生の少年だ。壁に寄りかかり、暇そうにしながらラケットをいじっている。

 立ち上がり、何かに迷っている時。


「ペア決まった?」


 斗真が私たちの元へ来た。

 さっきの女の子はどうしたんだろうか。


「まだよ。見れば分かるでしょ」


 若葉が冷たく返す。たぶん私の相手をしていて少しイラついてしまっているのかもしれない。


「良かったら、おれと組も?」


 そんな若葉のことを気にせず、暖かい笑みを見せる斗真はさすがだ。


「どうせ里桜とよね。私は他をあたるわ」

「ちょっと待って」


 ここから立ち去ろうとした若葉を止め。


「若葉は斗真と組みなよ」


 二人で組むよう進めた。


「あなたはどうするの?」

「ちょっとね……気になるんだ」


 斗真と若葉を眼中にいれることなく、気になるもとへと行く。遠くにいる転校生のもとへ。

 あの少年は転校初日に冷酷な発言をしたせいか、誰も周りに集まらなくなった。


 周りに人が集まらなければ友達という存在もつくれないわけで。そんな彼がペアをなんてつくれるわけがない。

 自分から積極的に組もうとすればできるかもしれないけど、ああやって壁に寄りかかって近寄り難いオーラを放っていては、近づく人さえいない。


 一人のままこの時間を過ごさなければいけなくなる。

 一人は寂しくて悲しくて、喋り相手がいないからいろいろな気持ちを自分の中に押しとどめてしまう。

 私は斗真がいたから、人見知りしていた頃も一人ではなかった。

 でもあの少年はここに転校したきたばかり。本当に一人なんだ。

 一人ぼっち……。


「如月くん、だよね。ペア組も」


 ここはさりげなく。距離をとって慎重にいっては逆にぎこちなくなってしまう。


「ペア? ああ、バトミントンのね」


 如月くんも先生の話を聞いていなかったのか、周りを見てから気づいたように口を開いた。

 どうか冷たく返されませんように。

 ……ドキドキ。

 心の中で拝む。


「僕となんかでいいの?」


 目が合うと、一拍置いてそんなことを言った。

 如月くんの意図の読めない問いに、首を傾げそうになる。


「運動系苦手なんだけど」


 ーーあ、そういうことか。


「そのことなら大丈夫だよ。二人組組んだとしてもペアで練習するだけだから」


 如月くんは気を遣ってくれたのだろう。

 ペアで試合に勝ち上がっていくと思っていた如月くん。運動系の苦手な自分は力になれず、足手まといになると遠回しに言った。

 やっぱり冷たい人には見えない。


「そう、ならいいよ」


 ペアが決まり、設置してあるコートへ向かった。

 一番近く、空いているコートはステージ側の一番端。

 隣のコートでは斗真と若葉が早くもバトミントン練習(対戦)している。

 同じ側にいる若葉を応援。


「若葉、がんば」

「うるっ、さいわね」


 シュパッと羽を打つ音。

 若葉は意外と負けず嫌いなところがある。身内のように近しい相手には容赦ない。


「それじゃあ、いくよ」


 若葉に注目していた意識を取り戻し、こちらもバトミントン練習を始めることにした。

 合図してから打つと、如月くんは私の打った羽を軽く打ち返す。

 それを何度も続け。


 運動系は苦手とか言っていた如月くんだけど、案外そうでもない様子。

 こちらから打つと、ぽんっと指定範囲に返ってくる。そのおかげであまり動かずにすむ。

 私も同じように返すと如月くんも同じように返してくる。

 何度もこの調子で、バトミントンでいうラリーが増えていく。


「それで練習になってるわけ」


 打ち返したタイミングで横を見てみると、そこには陰気な顔つきで私を見ている若葉が。

 言っている意味がわからない。


「そんな甘々な打ち返しで、自身の力になっているのか、不思議に思ってるとこ」


 そんな台詞を片耳に入れながら、そろそろ打ち返されるだろう方へ視線を向け、呟くように言った。


「なってるんじゃないかな」


 ただの打ち返しだけど、練習にはなっている。

 安泰にラリーが続く中、これで自身の力になっていないなんて言われたら嫌だな、なんて思った。


「じゃあ勝負しましょ」

(勝負……?)

「里桜はその転校生と、私はこのまま斗真と組むわ。どっちが勝つか、あと数十分、対戦してみましょ」


 若葉の提案で始まったバトミントン勝負。端のコートでやることになり、私は如月くんの元へと行って説明をした。斗真と若葉は先ほどまで私がいたところに。


「いくわよ」


 なぜかだか若葉は本気モード。


「ーーっと」


 シュパッと放たれた第一発。それを難なく跳ね返す。

 それは対面している斗真の方へいき。ポンっと軽く返された。

 ネットで区切られたあちら側では「なに手加減してんのよ」と、若葉の愚痴をくらっている斗真。


 そんな場合でも怒らず、穏やかな表情をしている斗真は大人だ。

 打ち返された羽を楽々と返すと、今度は若葉が勢いよくラケットを振りかざす。それをくらったのは右側にいる如月くん。心配して見ていたが、パッと打ち返した。

 おお、ナイス。

 思わず心の中で掛け声。


「わっ」


 若葉が打ってきた羽はバトミントンの端に当たり、カツンッと別の方向へ。

 羽を取り、コートに戻ると如月くんと目が合う。


「ごめんね」


 せっかく若葉の打ちを返してくれたのに。

 少し申し訳なくしていると、斗真とまではいかないが、別に良いよというかのように如月くんはふっと笑ってくれた。


「里桜、早く」


 若葉の命令形に従い、ラケットをつかって羽を渡す。

 その時、遠くだが、私の視界に変なものが映った。

(あ、あれ?)

 若葉の肩に乗っているそれは……。


「里桜」


 斗真の声によって現実に戻された。如月くんから受けたであろう羽が私に向かっている。

 斗真のことだからぼーっとしていた私に気づいてわざわざ声をかけてくれたんだ。

 本当に優しいな、斗真は。

 おかげで返すことができた。

 私の打ち返したものは若葉へいき、如月くんへいき、斗真へいくかと思えばまた若葉へいき。私から斗真へ、斗真から如月くんへ。

 そんな繰り返しをしていたら、さっきのことは気にならなくなっていた。


(気のせい……か)


 ほっと一安心。

 そして若葉の打倒……。今まで以上に高く頭上へいこうとしている。

 打ち返そうと手を上げた時に気づいた

 左足の“重み”ーー

 その足を伺うと、私の体に異常が起こる。息をするのも瞬きするのも忘れかかった。


(ーーえ)


 髪の長い“何か”が、私の足にひっついている。それはさっき見た、若葉の肩に乗っていた“モノ”だ。

 若葉と同じ黒髪。大きさは天邪鬼と同じくらい。

 若葉と違って後ろ髪だけではなく前髪まで長くて、全く顔が見えず。天邪鬼と違った怖さがある。


「うわっ」


 振り払おうと足を揺らすが、離れてはくれず、驚きの声とともに態勢が崩れ。バタンっとそのまま床へ尻餅をつく。

 ーーカランッ

 虚しくも、倒れる音とともに右手に持っていたバトミントンが乾ききった音を出す。

 若葉の打った羽は、たぶん私の後ろに落ちた。


「……何してるの」


 第一声に、若葉の訝しげな声。

 そんなものに答えられる余裕なんてない。私の足に引っ付いているモノが、じりじりと上へよじ登ってきているのだ。

 恐怖で体が強ばる。


「里桜」

「ご、ごめん。ちょっと休憩っ……」


 金縛りから脱するような勢いで立ち上がり、すぐさま出口になるような場所へ走り出す。

 斗真のこの後続くだろう言葉に、心内で否定していた。


(ーー大丈夫なんかじゃないよ)


 体を左に向け、一直線に向かった開口部。

 ガラッと開け、一人の空間になるため開けたドアを閉める。

 これで一人……いや、私の足に引っ付いている者と二人きり。


「お願いだから離れて」


 たぶんこれは妖怪だ。肩に乗られていた若葉は気にしていない様子……というより、見えていないようだったから。

 それにみんな、私のふるまいをきっと“おかしい”と思った。

 遠慮なくよじ登ってくる日本人形のような妖怪。

 とにかく、鬼でもなく動物でもない。これは人形。




 階段に座ったまま、左足にしがみつく妖人形を見下ろす。


「何が望み……?」


 その言葉にぴくりと妖人形が止まった。ゆっくりと顔を上げるが前髪が長すぎるため、その下にある表情は伺えない。


「髪、切って」


「ーーえ?」


 透き通るような綺麗な声。


「髪、切って」


 もう一度言われた。髪切って、と。


「髪を切ってほしいの?」


 確かめると、日本人形は、うん、と小さく頷く。

 なんだ、ただ単に髪の毛を切ってほしかっただけなんだ。

 ほっと一息。


「今切ってあげたいんだけど、後でいいかな」


 髪の毛を切るなんて重大な役目、こんなところでできないし。

 それに今、体育の授業でみんなを待たせてしまっているんだ。

 バトミントン勝負、勝手に放棄してしまっている状態。


「あと? いつ?」


 純粋な気持ちで訊いてくるものだから、落ち着いた声でも期待に胸を高鳴らせているんだと分かる。


「学校が終わってから、私の家で」

「家? おうち入っていいの?」


 なんて謙虚でいい子なんだろうか。まるで人間の子供のようだ。


「いいよ。でも、少しだけ待ってね」


 話を完結へ持っていこうとすると、妖人形が首をかしげる。


「少し? どのくらい?」


 さらりと長髪が重力に従う。


「学校が終わってからでーー」

「学校、いつ終わるの?」


 どうやらこの妖人形は早く髪の毛を切ってほしいらしい。

 このままでは質問攻めで時間が費やされてしまう。


「とにかく学校が終わってから。それまで待ってて」


 足にしがみつく妖人形を両手で抱え上げ、その場に下ろすと、妖人形は安心した様子で私を見上げた。


「うん、わかった。待ってる」





 みんなの元へ戻ると丁度よく授業の終わるチャイムが鳴り、若葉にとやかく言われ。なぜか、代償としてみんなで帰ることに。

 斗真と帰るのも久しぶりだけど、若葉とのほうが久しぶりかもしれない。

如月くんと帰るのは初めて。

 何でもない会話をしながら四人で帰る道。ふと森の方を眺める。


(ーー……?)


 そこには一匹の狼がいた。

 いや、こんなところに狼がいるはずがないか。だったらノラ犬?

 黒い毛並みで、金色の瞳が特徴的な狼のような犬。

 通り過ぎてもその犬を見てしまう。

 遠くを眺めていたと思ったら、私の視線に気づいたのかこちらに目を向けた。

 そんな行為とともに私は足を止める。

 交わる視線。


 金色の瞳は心を見通そうとしているかのように私を鋭く見据える。

 でも威圧的な何かはない。敵意だって感じられない。

 猛犬だとしたらすでに襲いかかってきてるだろうし。

 若葉たちもあの犬の横を通り過ぎたけど、一番近い側にいた斗真さえ気づいていなかったということは……。


「里桜?」


 斗真の声に自分の世界から戻され前を向くとみんな私より数歩先にいた。

 若葉と如月くんの間、一人分のスペースが空いている。私がさっきまでいた空間。


 これ以上あの犬のことを考えてもみんなに迷惑をかけるだけだと、後ろ髪を引かれる思いで木々の間にいる犬をなんとなく見ながら自分の場所へ戻った。

 それでも私が離すまでずっと合っていた視線。

 家に戻り、狼か犬か分からない者と道端で会ったという話をすると、心なしかレオの反応が険しく感じられた。


「狼のような犬?」

「うん、でも狼がいるはずないし、ただのノラ犬かなって思ったんだけど。一応伝えておいたほうがいいかなって」


 答えながら鞄からノートを出し、勉強机へと座る。

 もしかしたら妖怪かもしれないし、と付け加えた私は結構妖怪の存在に慣れてきたなと頭の片隅で思い、心の中で苦笑いをこぼす。


「それって、黒い狼?」

「黒い毛並みだったけど、狼かどうかは」


 目の合った狼っぽい犬を思い出しながら開いたノートへ絵を描く。形の良い耳を描き、途中まで輪郭を描いて凛とした目を描く。 そこでふと筆を止める。

 狼と断定した問い方。


「レオ、何か知って……ーーあ!」


 振り返り、逆に問おうとしたとき、大事なことを思い出した。

 黒い毛並み。黒といえば黒くて長い髪。


「あの子のこと忘れてた」

「あの子?」


 天邪鬼と同じくらい小さな人形。


「妖の人形と今日髪を切ってあげる約束したんだけど、学校においてきちゃって」


 速く迎えに行ってあげなければと持っていたシャーペンを置き、すぐさま席を立つ。

 ちょっと行ってくるね、とレオに一声かけてからドアに手をかける。


「待って。僕も行く」


 なぜか呼びとめられた。

 何かすることがあるのだろうか。ベッドから立ち上がったレオを、小首を傾げて見る。


「狼がいたら危ないでしょ」


 ……あれ、やっぱり狼なんだ。


 いつも学校へ通う道。空が青く、道脇にある木々が紅葉めいている。

 隣で歩くレオ。

 はらはらと舞い落ちる葉は、落ち葉となって地の上でおちつく。


「綺麗、だね」


 赤色や黄色のもみじ。太陽の光が輝やかせているように見えて。そのままの感想を言うとレオも木々へと視線を向ける。


「ほんとだね」


 道脇にいるレオはそのまま木々を見上げ暖かい表情をし。その背景に映る紅葉となんだか合っているようだった。


「秋って、季節の中で一番賑やかかもしれない」


 そう言って冠される言葉を並べる。読書の秋、食欲の秋。スポーツの秋。それと……芸術の秋、と。


「そんなにいっぱい行事があるんだ」

「私、一つしかクリアしてない」


なに? と諭されているようで、食欲の秋と答えた。


「食欲の?」

「ん。栗食べた」


 自分の手で栗を拾い、学校に帰って茹でたての温かい栗を食べたというちょっとしたいい体験を思い出す。


「あと、芋とか食べたいな」

「それじゃあ食欲の秋だけにお腹ぱんぱんだね」


 あ、そっか。これじゃあ食欲の秋だけが満たされてしまう。


「確か妖怪は食べなくても生きていけるって言ってたよね。けど、レオは芋とか、人間の食べ物食べてみたいとは思わないの?」


 話は少し変わってしまうかもしれないけど、実は前々から気になっていた。


 食べなくても生きていけるから食べないだけであって、本当は人間の食べ物を食べてみたいと思っているんじゃないかと。

 クウコは半信半疑で栗を食べてみたところ、美味しいと大興奮していた。ギンとコンだってクウコに進められて食べ、形で表現しないものの目では美味しいと言っていた。


 天邪鬼だって金平糖が好きだ。

 だからレオだって。

 そうだなー……、と指先を顎に当て、空を仰ぎ見たレオの答えを待つ。


「僕は、どっちでもいいかな。食べてみたいとは思わないけど、食べたくないと拒絶してるわけでもないから」


 じゃあ、と期待に胸を膨らませ次の言葉を発しようとしたとき、ふと前を向いたレオが突然私の口を塞いだ。

 何事かと思えば、人差し指を軽く当てながら言った。


「前。人が来る」


 ずっとレオのことを見ていたから気づいていなかったんだ。

 前を向くと本当に人が来ていた。

 ……て、こちらに歩いてくる人物に見覚えがあった。見覚えどころじゃない。


「如月くん、どうしたの?」


 さっき一緒に帰ったばかりの如月くんだ。

 また同じ方向へ帰ろうとしているのか。


「ああ、ちょっと忘れ物しちゃってね」

「忘れ物?」


 軽く微笑みを浮かべる如月くんの手元には何もない。


「そういうキミこそ、どうしたの?」


 何を忘れたのと問いかける暇を与えないようにか、すぐさま訊き返してきた。

 どう答えればいいだろうか。

 私は学校においてきた妖人形を迎えに行かなければいけないんだ。あはは……ーーなんて、そんなこと言えるわけがない。


「私もちょっと、忘れモノ」


 嘘は苦手だが、これはたぶん嘘に値しない。

 ふーん、と理解してくれた如月くんにほっとする。


「それじゃあ、帰り道には気をつけてね」


 気遣いに対し、うん、と返すとその背中を見送る。

 過ぎた危機にほっとし、教えてくれたレオへ視線を向けるとなぜかずっと後ろを見ていた。それは如月くんの去った方向。


「レオ?」


 名を呼べば、はっと気づいたかのように前を向き、私を瞳に映す。

 どうしたの?と聞けばーーううん、なんでもないよ、と、はぐらかされた気がした。


 ちょき、ちょき、っとハサミをいれていく。

 黒く長い艶のある髪。一直線上に切ると、妖人形の顔を露わにした。

 着物から出ている手足と同じように白い肌。

 本物の日本人形を想像していたが、あまり怖くない顔。

 ……っていうより、少しかわいい。


「後ろも」


 私に背を向ける妖人形。

 この状況、子供にせがまれているようにしか見えないだろう。

 すくい取った髪。

 目印をつけるように指で挟む。


「この辺でいいかな?」

「うん」


 了解を得てから前髪と同じように後髪も切ると、妖人形の見た目がすっきりとした。

 どうぞ、と手鏡で自分の姿を映してあげると、髪をいじったりしながらみなりを確認し。

 終わると満足そうに笑った。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 あの子が帰ったあと。


「“キクリ”だって。いい名前でいい子だったね」


 少し寂しい気持ちになった。

 レオはそんな私の変化を知ってか、何も発さず。兎姿でベッドの上に静かにいる。


「妖怪って、思っていたより悪い者だけじゃないんだ」


 それが逆にこわい。

 本当は私には見えなかった者。

 氷力石が私の右目に入っていなければこんな出会い、なかったんだ。

 もし見えていなかったら私は今、何をしていたんだろう。

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