第6章ㅤ蛇の願い事

 クウが氷力石を手に入れたのは自分の神社と言っていた。

 お賽銭箱の中で何かが光り輝き、覗いてみるといきなり飛んできて、体の中へ消えていくように入っていったという。


 たぶんそれが氷力石。

 ネコくんは、クウとは別の神社で見つけた。それは二人が傷つけあったあの場所。

 そのことをルカに言うと、それを確かめに行くことになり。 丁度、学校が休みであった私は二人について行くこととなった。


 長い階段を登り、前にルカとネコくんが戦闘していた途中にあるスペースをすぎ、上まで行く。

 登りきって、最初に見えたのはーー草。

 神社とは思えぬほど、草が生え賑わっている。

 悲惨な状況にみんなが沈黙。

 そんな中、レオが口を開いた。


「これはひどいね」


 確かにひどい。

 私の身長と同じくらいの草がその辺一体に生え揃っている。そのため、一番大事な神社が見えない。

 助かっている所と言うべきなのか、赤い鳥居の手前までは無事。

 何も言わず、スッと剣を取るルカはまさかこの草を切ろうとしているのか。

 剣が草刈り機と同じ役割を果たすところを目にするとは。

 上から斜め下にまずは一振り。


「びゃあーっ」


 途端に響く叫び声。

 それに反応したルカが剣を止めた。

 カサコソと揺れ動く草。

 何事かとみんなの視線がそこへ注がれる。


「びっくりしたー。死ぬかと思った」


 現れた者を見てぎょっとした。

 ニョロニョロと動くそれは蛇。


「あれ? ぼくのことが見える?」


 これも妖怪だろうか。

 視線に気づいた蛇が私を見上げ、キョトンとする。


「お前はどうしてここにいる」


 どうやらルカは、この蛇は危険対象じゃないと察知したようだ。剣を鞘の中にしまった。


「どうしてって、ずっとここにいたから」


 表情が変わらないのに、どこか穏やか。


「そうか」


 興味なさそうに相槌を打つ。そんなルカを見て思った。まさかこの妖怪蛇を疑っていたんじゃないかって。

 例えばの話。蛇は氷力石がここにあることを知っていた。でもそれはネコくんの手に。蛇はそれを知らず、まだ探し続けている、と。

 まあ例えばの話なんだけど。ルカとかそこまで推測しそうだし。まず最初に相手を疑うタイプだろうから。


「手水舎って、どこにあるかな」


 ここに来た目的は氷力石のあった手水舎を見るため。

 基本に戻り、レオが尋ねる。


「それならそっち。水は枯れちゃってるけど」


 蛇の示した先は草で何も見えない。

 仕方ないと草を掻き分けながら進んだ先には手水舎があった。蛇の言うとおり水は枯れている。

 ネコくんは氷力石をこの手水舎で見つけた。そしてクウはお賽銭箱の中。 私は井戸。

 私が一番妥当な場所で見つけたかもしれない。

 それにしても全て神社の近くにあった。何か意味があるのかな。


「あの」


 神社を後にしようとしたところ呼びかけられ振り向くと、そこにいたのは蛇ではなかった。

 薄紫色の羽衣を肩にかけ、和風な格好をした人の姿。

 特徴的なのは長い髪。上部で縛っているのに腰まである長さ。


「ぼくのお願い、聞いてもらってもいいですか?」


 さっきまでの雰囲気と全く違う。


「興味ない」


 背を向け、ささっと行ってしまう。そんなルカのことを知らないヒトは情のないやつだと思うだろう。少しは知っている私でも、微かにそう思ってしまうんだから。


「ぼく、この神社が好きなんです。……でもここはこの通り草っぱら。どうしてもちゃんとした所にしたくて」


 ルカの背中が見えなくなった頃。

 蛇の姿から人に化けた彼が、赤い鳥居の足元でおそらく神社の建つ方向を見つめる。

 長く生える草のせいで見えないが、彼には見えているのだろう。


「悪いけど、僕たちは力になれそうもない」


 意外にもレオは最後まで聞かずに断った。

 そんな返答がくることが分かっていたのか、彼はこちらを見ずに、ただ一点を見つめるだけだった。


「そう……ですよね」


 神社の建つ方向を。

 ーー行くよリオちゃん。

 去り際にレオと目が合った時、そう言っているように見えた。


「……」


 階段を降りていくレオの後を追おうかと迷う。

 これでいいのかな。

 足を止め、後ろを振り返る。

 まだ彼は同じように立っているだけだった。そんなに深い想いがあるんだろうか。時間を忘れて見つめられているほどの想いが。


 結局私は何もせずにレオの後を追った。彼の寂しげな横顔は今でも印象に残っている。

 これで良かったのかな。何も見なかった聞かなかったことにして、彼を無視したのと同然。

 もやもやしする。歩けば歩くほど、神社から離れれば離れるほど、もやもやが増す。

 次第に歩幅が小さくなっていく。


「私、聞いてくる」


 迷いを断ち切るように足を止めた。

 彼の願いを聞いたところで私に何ができるというのか。

『自分に何ができるのか何ができたと考えるより、してあげたいっていう気持ちのほうが大事なんじゃないかな』

 まえレオに言われた言葉。それが私の想いを確実なものにする。


「気になるんだ。彼の願い事」


 数歩前にいるレオ。振り返るが、まだ理解できていないのか少し沈黙の間。


「駄目だよ。仮にも彼は妖怪、一人で行って何かあったら」

「じゃあオレが一緒に行ったら大丈夫か?」


 私の隣に現れたのはネコくん。木の上から華麗に登場といったところだ。

 レオはそんな私たちを見比べて複雑そうな笑みを浮かべる。


「ネコミミくん……、そっか。いいよ、行っておいで」


 最後にはいつもの柔らかい笑みで見送ってくれた。


「よし。じゃあいくぞ」


(わっ)

 ネコくんは急ぐことがあるのか私を抱き上げ、そのまま木の上へと乗る。

 どうしてこうもみんな、抱き上げたり担ぎ上げたりするのだろう。

 そんな疑問を抱きながら、早いスピードで走り続けるネコくんの腕の中で、景色を見続けていた。


 神社の前に着き、階段を登りきると彼の姿があった。あれからあまり時間が経っていないからか、変わらずに神社の方を見ている。

 俯き溜め息吐く。悲しそうな彼の横顔。私たちが視界に入ったのか、こちらを向く。


「あれ? 何か忘れ物ですか?」

「願い事、聞きに来た」


 私の発言に驚いたかのように彼が目を見開く。紫色に輝く綺麗な瞳が一層引き立つ。


「あんたの願い事って、なんなの?」


 私の横には、興味があるのかないのか分からないヒトがいる。


「一緒にここを綺麗にしてくれるヒトを探しているんです」


 腰に手の甲をつけ、少し体を傾けている状態で訊いたネコくんに対して、蛇の彼は丁寧に答える。

 ふーんと相槌をいれるネコくん。つられて彼は話を続ける。


「普通の人間にはぼくのことが見えない。だから同じ妖怪に頼ることにしたんです。でも、このことを言うとみんなバカバカしいって相手にしてくれなくて」


 無理して笑みを浮かべているせいで苦い表情となっている。


「だったら自分一人でも草抜きすればいいじゃん」


 なんだか冷たいネコくん。


「それがぼく、運動音痴で……この鳥居の前まで掃除するのにも精一杯だったんです」


 同じ妖怪に頼っても、ちゃんと向き合ってくれない。だからこんなにも草がいいように生え伸びている。

 鳥居の手前だけ綺麗なのが不思議に思っていたけど、彼が頑張って抜いた所だったのか。

 視界に映るネコくんはげんなりと呆れているようだった。

 もしかして、彼の願いはそんな必死な事でもなかったりしてーー


「ふぬぬ……」


 撤回。前例撤回。蛇くんは頑張っています。

 両手で草を握る彼は、私たちにその情景を見せたかったんだろうか、必死に力をいれているようだが草がびくともしない。


「こんな感じでここ何ヶ月続けてやってるのに、草が伸びるほうが早くて」


 それはそうだろう。結局、蛇くんが奮闘していた草は抜けていない。

 除去してたのにこれだけ伸び切ってしまっている草。はあー、と一息ついて説明した彼は何も分かっていないようだ。自分の異常なまでの運動音痴を。


「うん、なんとなく納得いくよ」


 どうせ抜けないなら、まとめて抜こうとしないで一本ずつにすればいいのに。


「……確かに納得いくけど。というかもっと力出せないわけ?」

「これでも一応、力いれているつもりなんですけど」

「ダサ」


 私の言葉に同意するネコくんだが、今日はなんだかきつい態度をとる。それに加え、彼を呆れた目でじとーっと見ている。

 微かに笑みを浮かべただけの彼は、姿勢を整え胸元へ手を当てた。


「改めてぼくはミカゲ、この神社に住み着いている。言い訳するつもりじゃないけど、いつもの姿だと手を使うことがないから筋肉がついていないんだと思う」


 彼の本当の姿は蛇。蛇には手足がない、だから使いたくても使えない。人の姿になって初めて手を使うんだ。力がないのも仕方ないよね。


「ふーん。ま、オレには関係ないけど」


 また興味なさそうにそっぽを向く。そんなネコくんと自分の自己紹介をする。


「私はリオ。こっちは……」


 そういえばネコくんの名前ってなんだろう。無表情でどこか不機嫌そうな横顔を見て、またそう思った。

 前にも訊こうとしたけどタイミングが悪かったこともあって、結局は訊かなかったんだよね。


「リオ様!」

「……!?」


 ネコくんのことに気が取られていると、いきなりがしっと掴まれる両手。それが前へと持っていかれ、自分の掌同士を合わせられる形となる。


「一緒にこの場所を綺麗にしてくれませんか」


 期待の眼差し。ぎゅっと力を込め、握られ続けた両手。


「そのつもりでここに来たんだけどね」


 上から注がれる視線から逃れるように別のところを見る。


「本当ですか!?」

「うん」


 まさかこんなに驚かれるとは思っていなかった。

 見上げれば、きらきらとしたミカゲの瞳。まるで子供のようだ。


「リオ様、いいお人ですね」


 純粋で真っ直ぐな目、ほころんだ笑み。

 もう、手を離してほしいんだけど……この状況、少し恥ずかしい。それに様付けなんて、偉い人みたい。


「ミカゲ、『様』なんて付けなくていいよ」

「どうしてですか?」

「何か、どうしても」


 理由を述べようとしたが、特に言うことはなかった。

 とにかくミカゲより年下だろうし。上のヒトからそんな呼ばれ方するヒトなんていないと思うんだ。


「嫌ですか?」

「嫌ではないけど」

「だったら良いですね」


 変に押しに弱いというか、自分の思いがないというか。主張しようとしないから何変わりなく、この話は終わる。


「で。こんな草原地帯、どうやって除去するつもり」


 まだ冷たい態度のネコくん。


「それはーー」

「手で地道に抜くしかないね」


 答えられないミカゲの代わりに私が答えた。するとネコくんがちらっと視線を向けてきた。

(今なんか、流し目が……)

 気のせいかな?


「そ、おつかれ」


(え?)

 言うが早いかネコくんは消える。木の上へ。


「言っとくけど、オレはしないから」


 何も言っていないのにすまし顔で答えるネコくん。

 この草たち全てを抜くには、私一人の力で何日かかるか。


「手伝って、って言ったら?」


 ミカゲも一緒にやるけど、きつく言ってしまえばミカゲは頼りにならない。


「昼寝する」


 木の上で普通に寝転がる、さすが猫。じゃなくて手伝ってくれないんだ。ネコくんなら手伝ってくれると思っていたんだけど。

 いや、そう思う自分は甘いのか。


「それじゃあ始めよっか」


 手伝ってくれないと言うんだからしょうがない。なんとか頑張って二人で、まずは草を抜いてそれから神社の中も掃除。できるなら手水舎の枯れている水も元通りに出来たら良いな。


「はい!」


 ミカゲと共に。



「また明日ね」

「明日も来てくれるんですか?」

「もちろん。この場所が綺麗になるまで、最後までやるよ」

「リオ様っ……」


 うるっとすぐに涙目になったミカゲは何か言いたげだったが、ネコくんに手を引っ張られ連れ去られて聞けず。


「はいはい、とっとと帰るよ」


 一日目の学校休みは、草むしりで終わってしまった。

 まあ、いい運動になったよね。次は軍手を持っていったほうがいいかな。

 よし、明日も頑張るぞ! ……なんて前向きな気持ちだけとはいかず。

(疲れた)

 結構くたくた。


「お人好し」


 隣を歩くネコくんの言葉が妙に突き刺さる。お人好しって、良い意味でも、悪い意味でもあるんだな。


「やっぱり、困っているヒトを見たらほおっておけないというか」


 何も悪いことをしていないのに、まるで言い訳をしているよう。ネコくんの目を見れずに視線を外しながら言うと、ネコくんが足を止めた。


「一つだけ言っておくけど、無闇に妖怪に近づかないほうがいいよ」

「どうして?」

「危ないから」


 ーー真剣な瞳。

 妖怪には近づかないほうがいい。そんなことは知っている。妖怪は危険、レオにもそう遠回しに言われた。


「ネコくんも、妖怪でしょ……?」


 でもそれなら、私の目の前にいる君たちはどうなの? ルカとレオはおじいに頼まれて私を守ってくれている。けどさ……。

 レオの真似をするならーールカもレオも仮には妖怪。妖怪は危険、だから近づかないほうがいい。

 それなのに私はルカとレオの傍にいる。ネコくんだってそうだ。


 ミカゲはただ神社に住みついている蛇の妖怪。危険と見られるところは一つもない。それなのに妖怪だからって警戒しなければいけないんだろうか。

 違いが分からないよ。

 少し癇に障ってしまったのかもしれない、もしくはいじけてしまったか。何も言ってくれないネコくんを置いて歩き出す。


 妖怪と人間は似ていると思ってたけど、やっぱり違うのかな。本当は、一緒にいてはいけない者同士なんだろうか。

 それなら私は、どうすればいいの? 見えているのに、見えないフリをしなければいけない?

 そんなのおかしいよ。

 そんなの……。


「何か、あった?」


 家に着いてすぐお風呂に入った。

 暖かい気温の中体を動かし、お風呂で汗を流す。なんて健康的。


「私、あの神社最後まで綺麗にするから」


 タオルを頭にかぶせ、濡れている髪の毛を拭く。そのおかげで隣にいるレオの顔が見えない。一体どんな顔をしているんだろうか。

 あの神社に行くのは、一人で妖怪に会いに行くということ。それをレオが許してくれるかどうか。またあの時と同じく止められるかもしれない。次はネコくんと一緒に行く訳じゃないから。


「そう」

「……止めないの?」


 案外簡単に許された。ちゃんと私の話を聞いていただろうかと思うくらい。


「あの妖怪は危険な者とは思えない。もし何かあったら駆けつけるよ。それとも僕が一緒に」


「ーーううん大丈夫」


 レオから許しを貰っているのは、貰わなくてはいけないものだと思っているから。

 ルカとレオは私の身を守ることをおじいから頼まれている。私が変な行動をとれば二人に迷惑がかかってしまう。

 そんなことしないために、冷静に物事を判断できるレオの言葉が必要なんだ。

 本当はもっと自由にしたいんだけど、仕方のないこと。

 疲れてしまったのだろう。この日は知らぬ間に眠っていた。

 そして翌朝、支度をしてからミカゲの元へ向かう。


「……」


 いつもの道で、前方にネコくんの姿。なんだか気まずい。

 その横を通りすぎる。


「また行くんだ」


 どうすればいいのかと考える暇なんてなかった。昨日のことを思い出していたために、いつの間にかネコくんを無視することに。


「ダメ?」

「だめなんてオレ言った?」

「だってネコくん、妖怪には近づかないほうがいいって……」

「それはそれ」


 これはこれ、と言うかのように近づいてきて先を越す。


「ほらいくよ」


 振り返ったネコくんは、少しだけ柔らかい表情をしていた。


「手伝ってくれるの?」


 数分歩いたところで、同じ歩幅で歩くネコくんに訊く。


「まさか。オレはただの見張りだよ」


 何も言っていないのにわざわざ来てくれるんだ、手伝ってくれるかもしれない。そう思っていたのはどうやら間違いのようだ。


「今日、何かおかしいと思わない?」


 ネコくんにそう言われ、考えてみるが特におかしいところはない。

 おかしいといえば、昨日のミカゲへのネコくんの態度。言葉が少しきつくて、いつもと違かった。


「キミを担いでない」


 担ぐ? ……ーーあ、そういうことか。


「できるだけ一緒にいたいから、抱っこして行くのはやめる」


 いつも私を運ぶネコくん。

 それが別に普通だとは思っていない。

 レオにも抱っこされるけど、それは不可抗力というかそんなもの。だからこうして普通に歩くことが、私にとってもいいこと。


「リオ様」


 パッと明るくなる表情。


「待ってました」


 ふわっと笑うミカゲは、どこか可愛らしげ。


「今日も頑張ろ」

「はいっ」


 嬉しそうに大きく頷く。

 そんなミカゲを見ると、早くこの神社を綺麗にしたいと心から思える。

 それからは軍手をはめ、無心に草を抜き続けた。


「ふー……」


 ひと休み、と額を拭く。


「疲れた?」

「うん、少し」

「手伝おうか?」


 木の上から話しかけてくるネコくん。どうやらずっと見守ってくれているようだ。

 ネコくんの気遣いに首を横に振る。


「ううん、大丈夫だよ」


 ここを綺麗にするのに人数は多いほうがいい、というのは誰でも分かること。でもそういうもので決めるものではないと思うんだ。


「そう」


 ネコくんの優しい声が耳に入る。

 私の視線の先にはミカゲ。前に見せてくれたように、草を抜くのに苦戦している。

 大変だろうけど、ミカゲと二人、頑張ろうと思う。

 次の日、学校前に神社へ寄った。

 するとそこには、ミカゲの姿。一人で頑張って神社を綺麗にしようと必死になっている。そんな姿を見てやる気がおきない訳がない。


 途中から乱入し、参戦した。

 実は昨日、疲れていつもより早く寝たんだ。そしたら朝はすっきり。いつもより一時間前に起きてしまい、やることもなくてミカゲの元へ。

 それを二週間ほど続けた。


「ふわぁ」


 あくびを噛み殺す。

 学校の授業。三時間目まではなんとか大丈夫だったが、四時間目から眠気が誘ってきて。お昼には若葉と斗真の二人に心配されるさま。

 最後の授業。教科の担任がいないということで急遽特別な授業となった。

 内容は図書室で静かに読書。

 帰りの会は済ませてあるので、これが終われば単独で帰れる。


 それまでの辛抱だ。寝るわけにはいかない。

 席は自由で、右隣には若葉。斜め左前には斗真。六人座れる場所となっていて、他二人も座っている。

 唯一私の左の席が空いていて助かった。私が眠そうにしていても気づかれないだろう。顎の下に手を当て、顔を支える。こく、こくと上下する頭。もう危険な状態。手元に本は置いてあるが全く読んでいない。


 ーーもう無理

 そしてそのまま机の上に倒れた。

 起きた時には誰もいなかった、と言いたいところだが、一人だけいた。斗真が。

 まだ寝ぼけていることもあって、喋りかけることもなく背伸びをする。


「よく眠れていたようだね」

「知らず知らずのうちにぐっすり」


 頬杖をついて私を見ている斗真に笑みを浮かべながら答えたあと、足元にある鞄を手に取り、すぐに席を立つ。


「もう帰るね」


 机の上にある全く読んでいない本を戻そうと手に取った時。

(ーーあれ? そういえば)


「斗真は帰らないの?」


 未だ席に座っている斗真。

 考えてみればおかしい。学校は終わり、他の人はもう帰っている。隣にいた若葉だっていない。

 私が起きた時点で誰もいないはず。なのに斗真がいる。

 斗真がここにいる理由が分からない。


「里桜のこと待ってた」


 じっと見つめていると、ほんの少し表情を柔らかくし、目を細めた。

 真っ直ぐな声に、本を持ったまま固まる。


「それってまさか、一緒に帰るとか」

「そうだけど。無理?」

「無理っていうか……」


 これからミカゲの元へ行かなければならない。この一週間、学校へ行く前や放課後にミカゲのいる神社に行き、草抜きを毎日してきた。今日だけ行かないとなったらミカゲだって心配するだろうし。

 視線を泳がせていると時計が目に入った。


(……もう四時半)


 今更この時間に神社へ行っても活動できる時間は限られている。それなら今日は素直に神社へは行かないで、斗真と一緒に真っ直ぐ帰った方がいいかもしれない。


「うん、じゃあ帰ろ」


 今日は神社へとは行かないと決め、持っていた本を後ろにある本棚に戻した。

 斗真と一緒に帰るなんて久しぶり。

 久しぶりすぎても、私たちの間には気まずいという空気は流れない。それほどの仲だから。




 幼い頃からずっと一緒にいた。

 昔の話になるけど、斗真はいつも私の家に遊びに来ていた。そして夜までいて、結局は泊まっていく。

 当時はそれが当たり前だと思っていた。

 変わったのは私の両親が亡くなってから。

 斗真は気を遣い始めたのか、逆に自分の家に呼ぶようになった。


 正直、気を遣われるのは好きではないんだ。小さい頃からそれは変わらない。

 だからそれに対抗してか、人前では一度も泣くことはなかった。

 でも、斗真に少し当たってしまったこともあったかもしれない。

 小学二年生だったということもあってか、ずるずると引きずることはなく。


 いつからかおじいの神社へ通うようになった。

 すると、今度は斗真の家に行かなくなった。

 斗真と、斗真の両親と一緒にいたくなかったからではない。ただ単に気を遣わせてしまうのが嫌だったんだ。

 幼い子供にも、気を遣うことはできると証明できたかな。

 私の両親は事故で亡くなった。

 それは風の便りで分かったこと。


「よっ、久しぶりだな」


 足元に現れたのは小さな赤鬼。手を上げて挨拶している。


「あ……あまのじゃーー」


「どうした?」


 昔の思い出に浸っていた私は数秒で我に帰り、足を止めた。

 すると数歩前にいる斗真が振り返る。


(ど、どうしよう)


 斗真には天邪鬼のことが見えない。ここで普通に天邪鬼と喋れば、斗真に間違いなく変に思われる。

 でもここで天邪鬼を無視するわけにはいかないし。いやでも会話するわけにもいかない。

 ーーああ~どうしよう

 迷った挙句、決めた。無視する方向に。


「おい無視か」


(ごめんね天邪鬼)

 こうするしかないんだ。

 自然とその横を通り過ぎた。


「何か見えるの?」


「へっ? 何が?」


 斗真のいきなりの質問にびっくりして心臓が止まる。

 おかげであまり出したことのない声が出てしまった。裏声だ。


「里桜には、見えないものが見えている気がして」


 ……鋭い。斗真は洞察力良すぎて困るよ。


「見えないものって、例えば?」


 さりげなく言ってのける斗真に対して、できるだけ平然と質問を投げ返す。

 もし、今の言葉を妖怪の見えない私に言われていたら、斗真が何言ってるのか全く分からないと思う。


「幽霊とか」

「ユーレイ?」


 斗真の答えにふっと一息つく。

 良かった。妖怪とまでは予測できていないようだ。


「そんなの見えないよ。それに見えたら、絶叫しまくるって斗真も知ってるでしょ」


 嘘は、ついてないよね。


「そういえばそうだったね。怖い番組見ているだけで叫んでばかりだった」

「え、そうだったけ」

「そうだった」


 柔らかい表情。斗真の横顔を見る限り、勘付かれてはいなそうだ。私には変なものが見えているって。

 先ほどまでの考え込むような顔と全く違う。

 ーーこれで、良かったんだよね。

 妖怪という普通の人間には見えない者が私に見えている、と素直に言えば、斗真は信じてくれると思う。

 だけど、教えてはいけない気がするんだ。

 教えてしまえば斗真まで巻き込むことになる。

 ……そんな気がするから。

 次の日、学校は休みだった。


「リオ様、リオ様っ」


 いつも通り朝早く神社に着けば、階段を登り切る前に、ミカゲが私たちの存在に気いたのか嬉しそうに駆け寄ってくる。


「はあー」


 隣ではネコくんが溜め息を。


「どうしたの?」


 溜め息を吐くネコくんではなく、ミカゲへと問う。

 ネコくんのことよりも、ミカゲのことが気になった。明らかにいつもよりテンションが高い。


「草は全て昨日のうちに抜き終わりました!」


 ぱあっと明るすぎる表情に、太陽を見ているような感情にさせられてから、新鮮な驚きを与えられた。

 階段を登りきり、神社の建物周辺を見渡すと、今までの私たちの苦労が報われたような気がした。


「……本当だ、すごい!」


 あんなにいいように生えていた草が、今はもうない。

 一昨日、私が最後に帰った日には結構な量が残っていたはず。それをミカゲが一人で片付けてくれたんだ。

 ミカゲも成長したってことかな。

 最初は全然。

 ミカゲを見ていると、草を抜くことがすごい大変のように感じられていた。でもだんだんと様になってきたというか、抜く量が増えてきていた。

 これで少しは、ミカゲに筋肉ついたかな。


「でもまだ、残ってるでしょ」


 良かったね良かったね、とミカゲと二人、達成感に浸っていると、ネコくんの言葉で現実に戻された。

 ネコくんの視線をたどれば、それは神社の建物。遠くから見ても薄汚れていると分かる。中はどのくらい汚いのだろうかと、想像するだけで怖い。


「えー……と、じゃあ気を取り直して」


 “今度は神社の中を掃除しよっか”

 神社から視線を外し、隣にいるミカゲにそう言おうとした時だった。ふわっとその体が宙に浮くように前へ倒れていく。


「ミカゲ!?」


 胸板や肩に手を当て、とっさに支えた。

 一体どうしてしまったのだろう。心配して覗くと、微かに目を開けて微笑んだ。


「……ちょっと、疲れてしまったようです」

「それって、もしかして眠いってこと?」


 私の言葉にコクっと頷くミカゲ。

 どうすればいいんだろう。


「とりあえず、あっちに運べば?」


 ネコくんが助言し、指さしているのは神社。

 よし、と気合を入れ、ミカゲへ肩を貸す。だがもう意識がないのかけっこうな重さがのしかかる。


「はあー、仕方ないなあ。オレが運ぶから、リオはこのヒトが寝転がれるような場所掃除しておいて」


 自分より大きな者を一人で背負うネコくん。なんだか少しだけかっこよく見えた。


「おも……」


 顔を歪ませている。

 ミカゲの全体重を支えているんだ。きつそうにするのも当然。

 すぐに床へミカゲを寝転がせる。

 赤い鳥居をくぐり、神社の建物までミカゲを運んだネコくんは、ふー、と一息つく。

 それほどの距離はなかったが、自分より大きいヒトを背負うのは大変だったんだろう。

 何も知らないミカゲは、横になって穏やかに眠っている。


「……みー、さん」


 口ずさむようにしてミカゲの口から出た言葉。

 寝言だろうか、それにしても大切な者を呼ぶかのような、優しい声ーー。

 ミカゲの顔を見ていると、すっと何かが頭に入る感覚を生じ、ある情景が目の前に広がる。

『わあ、こんなところに蛇さんがいる』

 天気のいい、日差しの強い中。幼い女の子がかがんで何かを見ている。

 女の子視線の先には、ミカゲ……?


『(ぼくのことが見えてる?)』

 かがんでいた女の子はしゃがみ込み、物珍しそうに目を輝かせ蛇ーーミカゲのことを見つめる。

『ねえねえ蛇さん、喋られるの?』

『(えっと、はい、一応)』

『へえ~そうなんだすごいね』

『(いえ、そんなことは)』


 女の子にはミカゲのことが見えているんだ。

 妖怪は普通の人間には見えない。けれどこの女の子には見えている。

 そういう力があるんだろうか。


『なに照れてるの? みーちゃんのこと言ったんだよ』

『(みーちゃん? 誰のことですか?)』

『私のことだよ。私、みーちゃん』


 自分のことを指差し、嬉しそうに自己紹介をする。

 それに対してミカゲが女の子の名前にさん付けを。


『(みーちゃんさん、ですか)』

『“さん”いらない』


 さん付けされるのが嫌いらしい。すぐに不機嫌そうな顔になった。

 子供はなんでも表に出すから、心情が分かりやすい。


『(そう呼ばれるの、嫌ですか?)』

『嫌! ……いや、嫌じゃないけどなんか長い』

 どうやらさん付けされるのを嫌っていたわけではなく、長くなってしまった自分の名前呼びに不満を持っていたようだ。

『(では、みーさんで)』


 そう言ったミカゲは、穏やかに微笑んでいるように見えた。

 蛇の姿であるミカゲの表情など、変わらないものと知っていても。

 ーーここで映像は途切れる。

 まただ。また記憶が見えた。

 天邪鬼の記憶を見てからだいぶ経つけど、今度はミカゲの記憶。


「リオ……? どうした」

「ーーな、なんでもないよ」


 自分の世界に入ってしまうような感覚。

 周りが見えなくなって、なんとも言えない感情が私に流れ込んでくる。


『ミカゲっ』

『(はい、何でしょう?)』

『あそぼ』


 中良さげにしている二人。女の子の眩しい笑顔。

 微笑ましい光景なはずなのに、楽しい思い出の中に“寂しい”という感情が微かに伝わってきた。

 ミカゲーー……

 ミカゲにもあるんだね。心の底に沈んでいる記憶。

 誰に話すものでもなく、ただ自分だけのもの。それでも忘れることのない大切な思い出。


 天邪鬼の記憶の中には黒髪の少年がいた。それがいつのものなのかは分からない。数年前のものなのか、あるいは数百年前のものなのか。

 今のミカゲの記憶の中では、この神社は綺麗だった。

 早くこの場所を綺麗にして、元通りにすればもっと何か知れるかもしれない。

 自分の口から聞けない臆病者の私には、こうするしかないんだ。


 ーーなんだか、もやもやする。

 どうして私に誰かの記憶が見えるのだろう。たくさんある記憶の中で、他愛ない光景が目の前に広がる。

 大事なことなんだろうか。私に何かしろという合図なのだろうか。

 そう、深く考えてしまう。

 ーーそして二週間後。


「終わったね」

「終わりました」


 神社掃除は終了を迎えた。

 赤い鳥居の前で神社周辺を見渡す。


「手水舍が……」


 ふと視界に止まったものは手水舍。

 水は枯れてしまっていたはずなのに、なぜか水が流れている。

 遠くから見ても綺麗になっていると分かる。手水舍に張り付いていたコケなどがなくなった。


「手水舍が直ってる」


 神社の建物や神社の周辺が綺麗になっても、手水舍だけは直らないと思っていたのに。どこから見ても完璧。

 一体誰がこんなことを……。


「ああ僕が直しておいた」


 当然かのように答えたネコくん。様子をうかがえば、すまし顔。そんなネコくんに視線が集まる。


「別に、ただ暇だったから直してあげただけだし」


 腕を組み、そっぽを向く。

 気恥ずかしくてわざととっている態度だろう。

 ピクピクと動く猫耳。


「ネコくん……」

「いいヒトですね」


 何もしてくれないと思ってた。

 初日、面倒くさそうにしながら、まえ持って自分はやらないと言われたから。

 手伝おうか?ーーそう訊いてきた時があったけど、断ったんだ。そういう風にして、やってもらうものではないと思ったから。

 私の言いたいことを続けたミカゲが、ネコくんからの反発をくらう。


「……うるさい、そういうのやめてくれる」


 ミカゲに対して少々口は悪いが、結構気にしてあげているみたい。

 ぽかぽかとする暖かい心。

 私はいま、ネコくんのことを微笑ましそうに見つめているだろう。たぶん隣にいるミカゲも。


「ーーありがとう。ぼくのお寺を綺麗にしてくださって」


 隣にいたミカゲが前へと回り込み、わかりやすく頬を緩め、にこやかに笑う。

 微妙に空気が変わった。


「本当にありがとうございます。リオ様」


 先ほどまでの明るい雰囲気はどこへいったのだろう。表情は変わらずの笑顔だけど、真剣そうに話すミカゲは一体何をーー。


「ミカゲ……?」


 ーー訳が分からなかった。

 ミカゲの身体が光り輝き、粒子のような無数の光の玉が空へと舞う。でもそれは空高く飛ぶこともなく、途中で弾け、消えてしまう。あたかも何もなかったかのように。

 なぜだかふと思い出した、あの時のことを。最初に私が妖怪に襲われたときのことを。


 私、ルカに守られたんだ。剣を一振り、ルカは私を狙う妖怪にむけ、簡単に消し去った。そう、簡単に。

 その妖怪は消える間際、いま目の前にいるミカゲと同じように光っていた、身体から溢れるように光り輝く粒子が出ていた。

 だから分かった、なんとなく分かったんだ。


「ーーこれでやっと、私の未練がなくなりました」

「ミカゲ……どうして」


 私の中途半端な問いかけに、何も言わずにふっと笑う。

 最後に見たのは柔らかな笑み。

『心の優しいリオ様。そんなあなたがーー好きです』

 消えていく瞬間、そう聞こえたような気がした。

 目の前でおきた出来事に頭がついていかず、方針状態。さっきまでミカゲのいた場所、もう誰もいない場所を真っ直ぐと見続ける。

 それ以外にすることが見つからなかった、考えるなんてその時の私にはできなかった。


(……どうしてーー)


 そう誰かに問い詰めて、状況整理をする。

 その間ネコくんは、一言も口にすることはなかった。





 《前世が動物の妖怪はこの世に未練を残した者。この世に未練がなくなってしまえば消えてしまう。》

 レオの話を聞いて、ネコくんはそれを始めから分かっていたんだと知った。


「私、余計なことしちゃったのかな」


 分かっていながら、私に話さなかった。その代わり、神社を綺麗にすることがミカゲの未練となるものと予測し、わざと手伝わなかった。自分が手伝ってしまえばミカゲの消える日を早めてしまうから。

 無闇に妖怪に近づかないほうがいいと言われたのは、こうなると分かっていたからなのかもしれない。

 なのにそんなことも知らずに私は……。


『無闇に妖怪に近づかないほうがいい』


 これはネコくんに言われた言葉。

 妖怪は危険だから、それだけの理由で近づかないほうがいいと言われたのかと思っていた。だけどこの言葉には、違う意味も含められていたのかもしれない。


「ずっと心に残っていた未練がなくなった。だからそのミカゲという蛇は消えた。リオちゃんは余計なことなんてしてないよ」


 レオの慰めに、ずっと下げていた顔を上げる。だからといって、自分の行いに納得できたわけではない。

 素直に受け止められないよ。


「……レオたちにも、未練があるの?」

「あるよ」

「それがなくなってしまば、消えちゃう?」


 急に寂しくなった。二人が消えてしまうんじゃないかって。またミカゲと同じようにいなくなってしまわれたら、どうすればいいのか分からない。

 心配する私を安心させるようとしているのか、レオはふっと笑う。


「僕たちは君を守るという使命があるからね、未練がなくなったとしても守りきるまでは消えないよ」


 それって、未練もなくなって私を守りきってしまえば消えちゃうってことだよね。

 どうしてそんな悲しいこと……。


「使命がなくなれば作ればいい。お前を守りきったあとは自分で使命を作る」


 〝だから心配するな〟

 そう聞こえるのは気のせい?

 私の自惚れかな。

 珍しくルカが口を挟んだ。

 そのことに少し救われたのかもしれない。


「絶対、だよ」

「ああ」





 あれから二週間が経った。

 たまにあの神社に行ったりする。あの時の事を思い出して辛くなるから、あまり行きたくないんだ。

 それでも今日、行こうと思う。

 あの神社へ。


「行くの?」


 途中で会ったネコくんが一緒について来た。もしかしたら待っていたのかもしれない。

 着いた神社は変わりなく綺麗なまま。ミカゲとの労働が思い出される。

 一目見たら帰ろうと考えていた。

 神社から逃げるように背を向けた。けれど振り向いた先には思いがけない人物。


 ーー綺麗な女性

 彼女のカールされている髪が、風に揺れている。

 茶髪なのに清楚感を漂わせている彼女は、なぜだか私を見つめ続ける。

 どちらとも何も言わず、私はこの女性に何か運命的な出会いを感じていた。


「実はね、私、蛇とお話ができていたの」

(それって……)

「こんなこと言うと笑われるかもしれないけど、ココロが通じ合っていた、そんな感じだった」


 彼女は父を亡くし、東京に出たらしい。母はすでに亡くしていた。そして今は一人暮らし。

 穏やかに、頬を緩めている彼女の横顔。


「ちゃんとした声は聞こえていなかったはずなのに。たぶん御影の言いたいことが聞こえているつもりになっていただけ、なのかもしれない」


 冬に近づいた季節。冷気が肌に突き刺さる。

 階段のところに座り、彼女と二人、話をする。


「“ミカゲ”って名前、お姉さんが付けたんですか?」

「そうよ、幼い頃お父さんにこう言われて付けたの。『神の御霊のことを神霊と言う、神霊のことを御影と言うんだ』って」


 なぜか気になったのが名前。

 元々動物なら、誰かに付けてもらったんではないかと思った。ただそれだけ。


「お父さんは蛇の声が聞こえていなかったけど、私の話を聞いて神の御霊とか言い出したのよ。変な話でしょ?」

「い、いえ……」


 難しい話。

 実はよく分かっていない。


「もしまだここに御影がいたのなら、もう一度会いたかったなあ」


 ふわっと風に乗って流れていく。

 彼女にしてはなんとなく発した言葉だろうが、私には深く、何かが心臓に突き刺さった。


「ごめんなさい……」

「え?」

「私が、悪いんです」


 いきなり謝った私に彼女は驚いたような声をあげた。

 私が余計なことさえしなければ、このお姉さんはミカゲに会うことができた。

 可能性を無くしてしまったのは私。ミカゲだって、このお姉さんに会いたかったはず。寝言でも、このお姉さんの名前を呼んでいたのだから。


「御影は、幸せだったのかな」

「もちろん……ミカゲはきっと、お姉さんといられて幸せでした」


 私の心情を知ってか知らずか話を変えたお姉さんは、くすっと笑い静かに立ち上がった。


「私はこれで失礼するわね。もう帰らなくちゃ」

「はい……」


 ーー静かになる空間。


「私、やっぱり余計なことしちゃった」


 お姉さんがここに来たのは、この町に用があって、そのついでらしい。また東京に戻ると。

 隣に座っているのはネコくん。

 お姉さんに見えていないネコくんは静かにずっと、私たちの話を聞いていた。

 ……限界。

 ネコくんがいるのに。





 神社の拭き掃除、大変だったなあ。


『だいぶ拭き終わりましたね。次はどこをやりましょうか』

『ミカゲ、そっちお願い』

『はい! わかりました』


 天井のホコリをはたいていた時も。


『ミ、ミカゲ……ぎゃあーっ』

『ど、どうしました!?』

『ゴ、ゴキ……。む、虫がーー』


 大変だったけど、楽しかった。


『ミカゲー、そっち終わった?』

『はい、なんとか終わりました』

『それじゃあちょっと休憩しよ』


 もう同じようなことはできない。


『ミカゲそれはーー』

『ミカゲーーだから』

『ミカゲーー・ーー』


 ミカゲはもういないから。




 ミカゲとの思い出たくさんあった、たくさんできたのに。


「ミカゲ……」


 ボロボロと溢れ出す雫。自分でも分かる涙声。

 ネコくんはポンポンっと、優しく頭を撫でてくれた。何も言わず、私が泣き止むまで。

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