第5章ㅤ猫の嘆き

 【嘆き】

 それは苦しみに耐えきれず、限界に達した者が吐き出すもの。

 ネコミミくん

 ごめんね、気づいてあげられなくて。.

 嘆き

 それは苦しみに耐えきれられず

 限界に達した者が吐き出すもの。

 ネコミミくんごめんね、気づいてあげられなくて。






 もうすぐ10月になる今日この頃。

 軍手を着用し、片手には秋の味覚を入れるカゴを持っている。


「里桜、たくさん取るわよ」


 森の中で行われているのは栗拾い。

 学年で行われる遠足のようなものだ。

 クラスごとに別れ、決められた範囲の中で栗を拾う。

 因みに近くに神社があるらしい。


「若葉ってこういうことに燃えるタイプだったけ」


「取れた分だけ栗が食べられる。だから姫咲はこんなに燃えてるんじゃないかな」


「……なるほど」


 若葉は栗が好物。

 たくさん取れば食べられる量が増える。

 淡々と分析する斗真のことを、やはりすごいなと思った。

 相手のことをよく見ているんだ。




 すっかり栗拾いにはまってしまい、いつの間にか周りには誰もいなくなってしまった。

 森の中だからって迷子になるわけじゃないし、別にいいかな、なんて。

 集合場所は分かっているから、呼びかけの声が聞こえてきたら行けばいい。

 前方、木のすぐそばに落ちている栗を三つほど発見。


 しゃがみ込み、三つの栗を拾い終わりると立ち上がってなんとなく景色を見渡す。

 こう見ると、周辺が緑ばかり。

 緑で埋めつくされている大草原。

 ふと誰かの気配を感じ、目の前にある木を見上げれば、そこには私の知っている者。


「あ……ネコくん」


 木の上で座っているネコくんは曲げた膝の上に腕を乗せ、崩した体勢で私を見下ろしていた。

 表情はどこか穏やかで、風に揺れる髪がネコくんを惹きだたせる。

 ネコくんという愛称で呼んだ後、それに反応したかのようにザワーッと騒がしい風が吹く。

 風に靡く木の葉の音が、ネコくんの登場を歓迎しているように思えた。


「なにやってるの」


 木の上から飛び降りると私の横に綺麗に着地する。

 今日までいろいろなことがあったから、ネコミミくんとの再会が久しぶりのような気がする。


「学校行事の栗拾い。ネコくんこそ、どうしてここに」

「近くの神社に用があってね。たまたまだよ」


 近くに神社があるって聞いていたけど、本当にあるんだ。

 ふーんと私の答えに興味なさそうにしながらも、綺麗な青色の瞳で私を見つめながらそう言った。


「うわっ、な、なに?」

「連れていってあげる」


 姿勢を低くしたネコくんが私のお腹へ手を回し、勢いよく担ぎ上げる。

 ネコくんは木の上へと飛び乗り、すぐに走り出す。


「連れて行ってくれるって、まさかお寺に? 私、別にお寺に用は……」

「いいモノがあるから」


 そう言われ連れてこられた場所はお寺の手前。

 大まかに、二段に分かれている長い階段を上がればお寺に着く。


「ほら、栗がいっぱいでしょ?」


 付近には栗がいくつも転がっている。これは取り放題だ。


「本当だーって……駄目なんだよね、決められた範囲で栗拾いしないと」

「そうなの?」


 いけない、いけない。学校行事のルールを破るところだった。

 すっとぼけたようなネコくんの表情を見る限り、悪気がないのは分かるけど。

 もしかしたらここは別のクラスの収穫範囲かもしれない。

 だから早くここからいなくならなくては。


「ごめん戻るね」

「ここ誰も来てないよ」

「え、そうなの?」


 一度背を向けたものの、ネコミミくんの言葉に反応し振り向く。

 そんな私にネコミミくんは、うん、と頷き悪戯な笑みを向けてくる。


「それでも戻る?」


 若葉、たくさん栗を拾いましょって燃えてたしなあ。

 それにここは別のクラスの範囲にも入っていないようだし。


「……やっぱり拾わせて貰うね」


 断る理由もなく、了解を得て栗拾いを始めた。


「これでちょっとはお返しできたかな」


「お返し? 誰に?」

「“りお”にだよ」

「りお? もしかしてりおって私のこと……!?」


 ぎょっと後ろにいるネコくんを確認する。

 栗拾いに夢中になっていた私はしゃがんだまま他人事のように聞いていた。

 まさか私のことだったとは……。

 いや、でもネコくんに自分の名前を言った覚えがないし、やっぱり別の人のことかもしれない。


「りおでしょ? キミの名前」

「え、あ……まあ、そうだけど」


 私、あなたに自己紹介した覚えがないのですが。

 当然の如く答えるネコくんに対しん、何か忘れているんじゃないのかと記憶の糸をたどる。

 だがやはり思い当たらない。


「守ってくれたお礼に何かしたいなあって思ってたんだけど、何も思いつかなくてさ。ーー何してほしい?」


 猫の恩返しだ。と、心の中でぽつりと呟いたところにネコくんの直球すぎる質問。

 暫し、おどおどしてしまう。


「じゃあ……」


 恩返しされるほどのことはしていないけど、何かしてくれると言うんだ。

 ネコくんにしてほしいことはないかと探す。

 そして思いつく。

 でもこれは、言っていいことなのだろうか。こんな頼みをして、ネコくんを苦しめてしまわないか。

 そう考えるよりも先に、想いの強い言葉が口に出た。


「ルカのこと教えて」


 一瞬で空気が変わる。


「……それってどういう意味?」


 目を見開き、呆然と立ち尽くしていたネコくんは、平然を取り戻して神妙な趣で伺う。


「ルカのことを知れれば、ネコくんのことも何か分かるかもしれないと思って」


 ネコくんとルカ、二人とも仲が良かったとレオから聞いた。

 ルカを知れれば、ネコくんと仲が悪くなってしまった原因が少しでも分かるかもしれない。

 そんな理由で訊いてみた。

 一番としては、やっぱりルカのことを知りたいんだ。


「あいつはウソツキだよ。オレを裏切った最低なヤツ」


 苦しそうに俯き睫毛を伏せ、自嘲ぎみな笑みを浮かべる。そんなネコくんの言葉と様子に疑問を抱いた。


「ルカはーーネコくんのこと、本当に嫌いなのかな」

「……」


 前にルカが自分のことを嫌いだから、ネコくんもルカのことが嫌いと言った。

 でも、今もまだ、嫌いになろうとしているだけなのかもしれない。

 何が言いたい?

 そんなネコくんの気持ちが、鋭い目から伝わってきた。

 今までと全然雰囲気が違う。近寄り難いオーラが漂っている。


「ルカは何思ってるのか分からない。それに冷酷な行動ばかりする。だから私も“ああ自分のことが嫌いなんだ”って思い続けてた。けど、それはただ自分がそう決めつけているだけなんだと思う。ネコくんもそうだよ。だってルカの口から直接言われた訳じゃないでしょ?」

 


「言われたよ」

「え……」

「目障りだって。お前が勝手に俺と同党だと思い込んでただけだろーーって、さ」


 スパッと、空気が切れたようだった。

 触れてはいけないものに触れてしまったような。

 驚きで言葉がでないうちに、ルカに言われたセリフを言うネコくんが寂しそうで。

 ネコくんの声が一層切なく耳に届く。

 初めてだった。

 こんなにも誰かを傷つけてしまったかもしれないと思ったのは。


「私、……ごめんなさい」


 分かっているようなことをベラベラと並べ、傷になったかもしれない言葉を口にさせ、傷を更に抉ってしまった。


「そんなことより戻らなくていいの? さっきまであんたを呼ぶ声が聞こえてたけど」


 私を呼ぶ声って、若葉かな?

 ピクピクとネコくんの耳が動いている。

 本物の猫と同じく、遠くの声が聞こえるんだ。

 集合時間は30分後。戻るまでの道のりと、栗を茹であげるまでの時間を考慮して計画された。

 もうそんなに時間が経っていたとは。

 私には聞こえない声に後ろを確認し、振り返ってみるとネコくんは知らない間に木の上にいた。

 一度私を見据えてるようにしてから颯爽にいなくなる。

 口パクで〝バイバイ〟と言っていたような気がするが、それは気のせいだろうか。


「あ……ネコくんの名前、訊かなかった」


 気づいた時にはもう遅い。

 木の上。そこには知ってのとおりもうネコくんの姿はない。


「ちょっと里桜、あんたどこまで行ってたのよ」

「んー……そこらへん?」

「そこらへんってーー」


 私たちのクラスの範囲ではないお寺の近くにいたとは言えず、ごまかしを使ったが、問い詰められてはいつまでもそれは効かない。

 咄嗟にカゴいっぱいの栗を見せる。


「それよりほら、いっぱい取ってきたよ」


 若葉の反応は思った以上に薄く、拍子抜けとまではいかないが物足りなさを感じた。

 目をキラッと輝かせたように見えたのは気のせいだったのかな。


「ふーん。まあ、やるじゃない。それより斗真は?」

「え、斗真? 知らないよ」

「おかしいわね。いま里桜が来た方角に行ったはずなんだけど」


 私の後ろにやる視線。

 つられて後ろを見る。

 真っ直ぐと草の生えていない土の通路。それを辿ってここまで来た。若葉の言った通り私と同じ方向に来ていたのなら、鉢合わせするはずなんだが。

 斗真がこんなところで迷うはずないし、何かあったのかな。


「私、ちょっと探しに……」


 駆け出そうとしたところ、斗真は思いもしなかった横から現れた。

 たぶん、二人して斗真のことを不思議そうに見ているだろう。

 どう見ても歩くルートから外れているんだから。


「迷っちゃった」


 顔を傾けるようにすると、重力に従ってさらりと揺れる髪。


「斗真が迷うなんて珍しいわね」


 確かに珍しい。

 いつもと違う斗真をまじまじと見つめていると、彼方もじっと見てくる。

 まるで何かを聞きたいと強く思っているようだった。


 茹でたばかりの栗は美味しかった。家の人にと配られた栗は片手の袋の中にある。

 帰り道。おじいに渡そうと神社へ行こうかと迷っていたらレオと偶然遭った。

 そのことを話したら一緒に行ってくれることになり、二人しておじいの神社を目指す。


「ルカとネコくんのことなんだけどーーレオ、何か知ってる?」

「どうしたの? 急に」

「ちょっと気になったから」


 ルカもいないし、これを期に訊いてみようと思う。

 ネコくんと森の中で会ったことはなんとなく、内緒にしときたかった。もし言ってしまったら、もう会わないほうがいい……そう言われるような気がしていたのかもしれない。


「ルカとネコミミくんは犬猿の仲だって言ったよね。それとあと、前は仲が良かったって」


 レオの言葉に、うん、と頷くだけでそれ以上の発言はしない。


「僕があの二人について知ってることはない。っていうのが本音だけど、ある出来事だけ覚えてる」


 ルカとレオが妖怪……人間の姿になれるようになってからの話。

 レオがルカに引っ付くようになり、二人が丁度一緒にいるところに出くわしたネコくんは酷く悲し顔をしたらしい。

 そしてこんな発言をしたと。


『お前なんて信じたオレが馬鹿だった。オレが嫌いなら最初から言ってくれればいいのに……てか、動物の時は会話なんてできなかったか』


 身体を震わせ自嘲ぎみに笑うネコくんは、泣いているに見えたという。

 それからは長い間ネコくんとは会うことはなく。

 もしかしてずっとネコくんは独りぼっちなのかな。

 そう思った。

 独りぼっちは、寂しいよね。

 ルカを襲うようになったのは少し経ってから。レオにもその理由は分からないらしい。


「ネコくん……友達とか、いないのかな」

「いないと思うよ。猫なのに一匹狼だから」


 違うと思う。

 私には一匹狼には見えなかった。

 楽しそうに笑う顔は本物だったし、なによりルカのことを……、

 ルカのことを想ってるよ。

 本当は仲直りしたいんじゃないかな。素直になれず、ただ一人でいるだけ。

 近づく理由がないからルカを襲っているだけ。

 そうであってほしいな。

 栗をおじいに渡すと意外にも喜んでくれた。

「秋の味覚じゃな」

なんて言って。


「クウも食うてみろ」


 お裾分けと言わんばかりに隣にいるクウに渡す。


「栗か、わらわは食うたことがない」


 手のひらにあるそれをじっと見つめるクウは真剣そうにしていて、少しおかしかった。

 おじいの手元を真似し、皮を剥くとパクッと一口ほおりこんだ。


「うまい! うまいぞ!」


 怪しむような顔が一瞬にして変貌。キラリンッと目だけではなくクウの顔までが光る。

 美味だな。なんて言ってパクパクと食べ続け、クウに進められてコンとギンまでもが不審そうにしながらも栗を食べ、すぐに栗は無くなってしまった。


「あげようか迷っていたんだけど、あげて良かった」


 若葉に続いて栗好きが増えた今日は、なんだかいい気分。

 誰かが幸せそうにしているのを見ると、心が穏やかになるんだ。


「そうだね」


 レオと二人で歩く並木道。

 優しく発音される返し。

 なんだか平和。平和すぎて、自分の立場を忘れてしまう。


 例えば右目に入ってしまった氷力石のこと。無くすためにはハウラに会わなければいけないんだ。けれど、頻繁に妖怪から襲われることでもないから別に取れなくても良いかな、なんて思ってる。

 でもきっとそれは間違い。このままだとあの二人に迷惑かけっぱなしになるから。

 レオたちのためにも早く、ハウラに氷力石を取ってもらなくては。


 家に着き、部屋に入るとルカがいた。椅子に座るルカを見て少し考え込む。

 おじいに用がある事を思い出したルカは神社へと戻って行った。ここにいるのは私とルカの二人、この話しをするには今回がいいのかもしれない。

 ルカの話しかけにくいオーラに負けじと口を開く。


「ねえ、ルカ」


 思った通り返事はない。

 それでもと駄目元で話を続ける。


「ネコくんのこと、嫌い?」

「どういう意味だ」


 顔だけ振り向かせたルカは無表情で、何を考えているのか分からない。それに、この質問になんて答えていいのかさえ。


「今日、ネコくんと会ったの。それで“自分はルカに嫌われているんだ”って、苦しんでいるように見えたから、ネコくんのことをどう思っているのかルカの口からちゃんと訊きたくて」


 まともなことを言ったと思う。

 感情の読み取れないルカの瞳は鋭く、逆にこちらの心が読み取られる気がして、俯きながら答えた。

 不思議なことに、ネコくんと会ったという事実をルカには普通に言えた。言うべきだと思ったから。


「それを聞いて、お前はどうする?」

「どうするって……」

「仲を戻そうってわけか?」

「できたら、そうしてほしい」

「なぜ?」


 次々とされる質問におどおどとしながら答えた。

 これじゃあ説得力がない。ネコくんと仲良くしてほしいという気持ちがあるのに。相手のことを何も考えない冷酷なルカ相手にどうしてこんな感情のない一言一言に押されるんだ。


「ルカは仲を戻す気はないの? 

 ネコくんのこと嫌いだから?」


 何も答えず、顔すらも向けてくれなくなった相手に熱くなるのはどうかと自分でも思うけど、熱くならずにはいられないよ。だって自分のことなのにまるで他人事のように話しているんだから。


「私は別に理由はないよ。ただ二人の仲が戻ってほしいと思ってるだけ。もどかしい関係のままにいるヒトが目の前にいるから、手を貸してしまうだけ。それがいらない世話だって分かってるけど、ネコくんは本当に悲しそうだったから……」


 また俯いてしまう。今度はネコくんのあの時の表情が浮かんで。

 私なんかよりルカはどうなの? 

 仲を戻したいと思ってる? そもそもネコくんのこと嫌いなの?

 もうほんと、ルカは何も教えてくれない。何も自分のことを話してくれない。一人、どこかに閉じこもって出てこようとしてないんだ。


 直接関係のない私が改善させたいと思っていても、本人がこれではどうにもできない。

 そういう現実。

 もういいや……

 いくら待ってもルカの答えは一行にくる気配がない。


 小さな声で呟くように言うとベッドの横まで行き鞄を置いた。ルカが勉強机に居座るようになってからいつもこうしているんだ。

 ベッドには座らず部屋から出るためドアに向かう。

 こんな空気の悪いところにいたらどうかしてしまう。


 結局、ルカは何も口にすることはなかった。ドアに手をかけ少しの間ルカの背中を見ていたけど、やはり変わりなどしなかった。

 君は本当に冷酷なヒトなんだろうか。本当に感情のない、悲しい者なんだろうか。

 少しずつそうではないような気がしてきたのに。あのブラックホールのような瞳の奥には、ちゃんとした感情が見えた気がしたのに。


 どうして君はこうもヒト(誰か)を裏切るようなことをするの?

 特に理由もなく道端を歩く。

 学校に行くつもりなんてないのに、いつも朝歩くルート。


 こんな風にしていて、私は何がしたいんだろう。

 とぼとぼと一歩一歩踏み出す自分の足を見ていると、視界に別のものが映る。なんだろうと顔を上げるとそこには木に寄りかかるネコくんの姿があった。


「……ネコ、くん?」


 まさかこんなところで会うなんて。

 なぜだか右目を押さえ、苦しそうにしていた。よく見れば力なく木に寄りかかっているようにも見える。

 体調が悪いのかな。


「ーーくっ」


 一層、右目を押さえる手に力を込める。


「大丈夫?」


 ただ事ではないと木に寄りかかるネコくんに近づき、片膝を地につけ、顔を覗く。


「近……づくな」

「ネコくん、無理しないで」


 無理に立とうとするネコくんを止めようとするが、振り払わられる。

 ネコくんらしくない態度。


「近づくなって言ってんの」

「え?」

「オレ……氷力石、手に入れた」


 はっと息を飲むのと、目を見開く動作。それは同時にやってきた。

 ネコくんがさっきまで押さえていた手を退かすと、その右目が赤くなっていた。ネコくんの瞳は髪と同じで青色だったはず、それが右目だけ赤色となっている。

 右目は赤で左目は薄緑色。よく見なくてもおかしいと分かる。それに氷力石を手にしてしまったってーー


「まさか、その右目に……」

「うん、そうだよ」


 嬉しそうに微笑んだ。


「どうして」


 それをどこで手に入れたの? どうしてそんな風に笑うの? ネコくん、前にルカに勝つために氷力石を手に入れたいと言っていたけれど、もしかしてそれを実行させようとしている?


「前にも言ったでしょ」


 まさか……そんな。


「ネコくん待ってよ。まだそれはーー」

「っ……」

「ネコくん!?」


 また苦しそうに右目を押さえる。

 バランスを崩した身体。反射的に手を伸ばし、両肩を押さえ支える。


「あいつに勝つためにさ」


 顔を歪ませて言うネコくんは、嘘の笑みを浮かべる。

 どんなことをルカにされたかは知らないけど、裏切られて恨んでいるんだよね。でも私はーー……


「そんなことさせない」

「……あんた、ルカの味方?」

「違う、どちらの味方でもない」

「じゃあなんでーー」

「だから理由なんてないんだってば」


 デジャヴが起こり、少しのイラつきを覚える。

 いきなり逆ギレしたと思われたのだろう。ネコくんがキョトンとして黙った。

 よく考えてみれば先程、ルカとした会話とよく似ている。


「お願いだからもうーー傷つけ合わないで」


 二人のことをよく知っているわけでもないし、攻撃しあっていたのを見たのは一回だけ。でも、二人は心を傷つけ合っているような気がするんだ。

 ルカはネコくんの話をするだけで機嫌が悪くなる。それはネコくんに対して自分のしたことが許せないから。私はそう予想している。


 ネコくんは、ルカが自分のことを嫌いだからという理由で嫌いになろうとしている。それにルカに勝つためにと力を手に入れたいがために、どこで見つけたかは知らないが氷力石を私と同じように右目に。そして今、苦しんでいる。


「わかった」

「え……」

「今日はやめておく」


 “今日は”って……。

 了承してもらえて嬉しく思ったのは一瞬だけ。

 私から逃げるように、寄りかかっていた木の上へと飛んだ。

 すぐに走り去ってしまいそう。


「ま、待って。その氷力石、取る方法を考えないと」


 クウと同じように暴走するかもしれない。

 必死な想いで呼び止めるが、あのことを知らないネコくんにはどうも伝わらないらしい。


「僕に会いたければ、あの神社に」


 颯爽に去ってしまった。

 ネコくんの言い残した一言。

 あの神社って、もしかして……。


「ルカ!」


 部屋に入るがルカの姿がない。

 代わりにレオがいた。


「ルカならさっき、不穏な空気が漂っているって言って出て行ったけど……もしかして何か関係ある?」


 はっとする。

 不穏な空気って、まさかネコくんの手に入れてしまった氷力石の気配なんじゃーー……。

 妖怪は妖力という力の気配を感じとることができる。相手の力が強ければ強いほど、それは分りやすく感じとれるらしい。


「やばいかもしれない」


 今のネコくんと会えば、ルカは間髪いれずに攻撃するに決まってる。それに兼ねてネコくんだってルカをーー。

 何も言わずに背を向け、バンッとドアを開けて部屋を出る。

 名を呼ばれた気がするが、返事する暇なんてなかった。




 家からすぐ出て走り出す。

 ルカの向かった所はきっとあの神社だ。今日、栗を拾ったあの場所。

 ネコくんが言っていた、会いたければあの神社にって。

 これは間違いない。


「リオちゃんちょっと待って」


 走りながら横を見ればレオが木の上から降りてきた。

 何も言わずに外へ出た私を追いかけてきたのだろう。

 話を聞くために止まる。


「ルカのところへ行きたいんだよね。僕が連れて行くよ」


 そう言うと私の体を楽々と抱き上げた。

 今は体勢のことなんかに気が回らない。

 そのままあの神社へと向かう。

 やっぱり。

 神社の長い階段。丁度半分登ったところには円を描いて広いスペースがある。そこに二人の姿があった。

 遠くから見ても分かる。ネコくんは拳に爪の武器をつけ、ルカは剣を抜き。どちらかというとネコくんが一方的に攻撃し、ルカがそれを剣で受け止め防戦している。

 途中で降ろしてもらうと二人の元へ駆け寄り、間に入る。


「もうやめて……!」


 ルカを守るように背中を向け、ネコくんを訴えるように見つめる。


「ネコくんさっき、今日は傷つけ合わないって言ったよね? なのにどうして」

「そいつは暴走している。何を言っても無駄だ」

「そんなーー」


 形振り構わずに攻撃してきたネコくん。それをルカは私を守るように片腕で自分のほうに抱き寄せ、構えている剣で軽く止めた。


「退いてろ」


 手で示し、私の前に立つ。

 その背中からは何の迷いもないように感じとれた。

 どうしてこうなっちゃうの? 

 さっきまでネコくんは普通だったのに。

 傷つけ合って、何がしたいの?

 まだ続けられる交戦。

 力のない私にはじっと二人のことを見つめることしかできない。


 ーー……苦しい


(え?)


 何か聞こえてきた。

 これはネコくんの声?


「うわあああー」


 急に叫びだすネコくん。

 それは苦しみの叫び。

 力なく後ずさり、膝から崩れ落ちる。頭を抱え、何かと格闘しているかのように悶えて。

 闇がネコくんを包み込む。

 クウの時と同じだ。黒く紫がかったものがネコくんの体から吹き出るように出ている。


「リオちゃん!」


 レオの声。私を呼び止めたのだろう。

 苦しむネコくんを見て、駆け寄らずにはいられなかった。

 ぎゅっと抱きしめる。

 目に見えるほどの負が身体を蝕んでいく。

 ただそれを浴びているだけなのに苦しくなってくる。心が霞んでいくような、汚れていってしまうような感覚。


(なにこれ……)


 私までどうにかなってしまいそう。

 そんなものがネコくんの体から出ているんだ。理性に負けて狂ってしまうのも分かる。

 ひとまず力が弱まった。それでもまだネコくんは私の腕の中で苦しそうにしている。


「ずっと苦しんでいたんだよ。ネコくんはずっと一人で寂しかったんだよ」


 振り向き、後ろにいるルカにネコくんの心情を伝える。


「そんな気持ち、ルカには分からない? 分かりたくもない?」


 こんなことしなければ、ルカは何もしてくれない。ネコくんを傷つけるだけで、複雑な今の関係を改善しようとしないんだ。

 実はずっと聞こえていた。

 ネコくんの嘆き。


 苦しい

 独りは怖い

 独りは寂しい

 誰か

 誰か

 オレを一人にするなよ

 もう無理なのか?

 前みたいに一緒にいるってことは、できないのか?

 お願いだから距離を取ろうとしないでくれ。

 お願いだからオレのこと嫌いでも、傍にいてくれよ。


 雨の中、そうそうと泣き崩れ、泥化した土の上で涙を流し続けた。

 そんなネコくんの過去まで見えたんだ。

 だから私はこんなに必死なのかもしれない。二人が元の関係に戻ってほしいと。


「ルカ、答えて」

「俺は関係ない」


 また他人事のように降り舞う。

 そんなルカにまたイラつきを覚える。


「ルカのーーバカ……!」


 あまり言うことのない単語を相手目掛けて叫ぶ。

 あの冷静で感情の薄いルカの瞳孔が開いたように見えた。


「関係ないなんて嘘だよ。少しぐらい自分の気持ちに素直になってよ。ルカにも辛い過去は合ったと思う。でもそれは自分に嘘ついてきたからじゃないの? 心を無くそうと必死になってたからじゃないの? そんなことしないで今くらいは正直になって、ネコミミくんのために。私からーーお願い」


 これで何も変わらなければもうお終いだ。これ以上ルカに言えることはないし、言ったとしてもルカの耳には届かない。

 何も解決していないのに、清々しい気持ちがどこかにある。


「ネコ。何を勘違いしているかは知らないが、お前が嫌いだと思ったことはない」

「……は?」


 言ってくれた。あのルカが、自分の気持ちを。素直じゃないところもあるけど、これで誤解は解けた。

 ネコくんの力ない声が私の耳に残る。


「だっておまえ、今までずっとオレのこと避けてーー」

「今まで避けていたのは、俺のトラウマ……とでも言っておく」


 だからそういうことをできるだけ全て話して。

 そう思いながらじっと見つめる。

 別に伝わることを期待していたわけじゃないが、目が合った。

 はあ……と小さく溜め息を吐き。


「正直に言えばいいんだろ」


 お手上げというように剣を腰にある鞘に静かにしまい、真剣な瞳をネコくんへと向ける。


「俺のせいでお前まで傷つけるーーそんな昔からの感情が付きまとっていた」


 ルカ……。そうなんだ。

 村の人から祟られていたルカは、自分のことを守るネコくんまでもが傷つくのを見ていられなかった。だからわざと突き放したんだ。

 それをネコくんは、自分のことが嫌いだからという理由で避けられ続けていると思っていた。


「はは……なんだそれ」


 ルカの真実に過去の何かと繋がったのか、から笑いをするネコくん。いろんな感情が混ざっているような複雑な顔をしている。


「なんだよそれ。それじゃあ今まで何だったんだよ。俺が今まで感じていた痛みは、孤独感は、一体何だったんだよ」

「ネコくん……」


 掠れた声。

 本音を口にするごとにどんどんと小さくなっていく。

 頭を撫でると抱きついてきた。

 背中に回った手が、ぎゅっと抱きしめる。

 雨の中捨てられた猫のように身体を震わせ、助けてと言われているようだった。

 やっぱり一人だったんだ。ネコくんの苦しみ、ちゃんと分かってあげられていなかった。

 最初、会った時に気づいてあげられていれば良かったのに。


(ごめんね)


 そっと心の中で呟いた。





「リオ」

「え? うわっ」


 登校時、声につられて横を向けば、木の上から飛び降りてきたネコくんにそのまま抱きつかれた。


「ネコくんどうしたの?」

「オレ、おまえに話さなきゃいけないことがある」


 真剣な顔して言うから、聞かずにはいられなく、場所を変えて聞くことにした。

 草原の木の下。

 ネコくんが口を開く。


「オレさ、実はルカが自分のためにわざと突き放しているんじゃないかって思ったことがある。でもレオとかいうやつと一緒にいるところ見て、なんてゆーか嫉妬? みたいなのが出て、なんか信じきれなくなってさ」


 ネコくんが話している途中、私の頭の中に映像が流れた。

 それはルカがネコくんに剣を向けている場面だった。


『どうしたんだよ……? せっかく人間にオレたちの姿が見えなくなったのに。もしかして何かの冗談?』

『冗談? 俺がそんなことをするように見えるか? 』


 それはたぶん妖怪になったばかりの二人。どちらとも戸惑わず、別のことで話が食い違っていた。

 ルカの冷酷な眼差し。

 今の私には苦しそうに見える。前の私だったら、そんな風には見えないだろう。

 ネコくんはそれに対して震える声で言った。


『じゃあなんでオレに剣向けてんだよ。もう人の目なんか気にしなくてもいいんだぞ 』


 動物だった時、ルカは祟られていた。そんな自分といればネコくんも同じようにされてしまう。

 だからネコくんを傷つけないために避け続けていた。

 でも、ネコくんには自分のせいで拒絶し続けていたなんて思われたくなかったんだ。

 前みたいに仲良くやったとしてもまた前みたいに同じ事が起こる。それも加えて怖かったんだと思う。


『人間の目なんか最初から気にしてない。お前が勝手に思い込んでただけだろ、俺と同党だと』

『は……? どういう意味? 』


 純粋なネコミミくんは何も分かっていなかったんだ。ただぽかんとするだけで、ルカの苦しみも、吐かれる嘘も全て見抜けなかった。


『お前なんて目障りなんだよ! 勝手に近づいてきて俺のことなんか守って、人間から祟られたりして……ふざけんじゃねえよ』


 その時のルカは今のように冷静な口調ではなかった。

 最後に吐かれた言葉は苦しさがつまって、今にも泣き出しそうだったんだ。

 そんなに決別するのが悲しいなら正直に言えばいいのに、ルカはそんな事をしなかった。

 映像が途切れ、ネコくんの声が耳に届く。その時にはもう、話が終わりへ近づいていた。


「氷力石、どうしておまえの目に入ったんだろうな」


 昨日のこと。ネコくんが泣き止み立とうとした瞬間、氷力石が私の右目へ入ってしまったのだ。

 これで二度目。

 クウの時と同じ出来事だったからそんなに驚きはしなかったけど、ネコくんは何も知らないから不思議に思っているんだよね。

 結局私は、なんでだろうね、と笑ってごまかした。





「立花が遅刻なんて珍しいな」


 先生の言うとおり、珍しく学校に遅刻した。


「道端に猫がいて……」


 誰が聞いても良い言い訳じゃないが本当のことだ。

 意外に先生は納得し、立花は猫が好きなんだな、と言われ頷いた。

 朝の会が終わると、手元にあるクローバーを人差し指と親指の間でくるくると回す。


「里桜。まさかその四つ葉のクローバーを見つけ出すために学校を遅刻したとは言わないわよね? 」

「違うよ。さっきも言ったけど道端に猫がいたんだよ」


 ネコくんに貰ったんだ。

 はい、ってさりげなく渡された。

 若葉の誤解が解けなくても、別にいいかな。対したことではないし。






 学校が終わり、家に戻るといつも通り勉強机に座っているルカがいた。


「ルカ」

「……」


 無言だけど、無視されているわけじゃないんだよね。


「ネコくんのこと、嫌い?」

「別に、嫌いじゃない」


 少し経つと、ルカは横顔だけを向け、そう答えた。


「そっか」

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