第13章ㅤ帰るべき場所
『私、あの街へ戻りたい』
そう発言したユリウスに皆は固まった。
あの街とはどこのことなのか、突拍子もない要望に皆が返答をするのを忘れていると、イヴァンが口を開いた。
「前に行った街に行きたいの? 買い忘れた物とかあるなら、次行く街今決めてる途中だから」
「私が生まれ育った街に行きたい」
彼の言葉を遮り言い放ったものは、皆の瞳を大きくさせた。ユリウス本気? という顔をするイヴァンは本当に衝撃を受けているようだ。
「ごめん。皆の時間奪っちゃうかもしれないけど」
俯いたままの彼女を見てから、イヴァンは無言の視線をゼクスに送る。けれどゼクスは彼女を見たまま。
「いや、どういうことだかわかねえんだけど」
すると、いきなりのことに驚いているからなのかいつもより気迫のないトーマが言う。
テーブルの中心的な席に座っているイヴァンには全体的なものが見えていた。左側の席にいるトーマはユリウスのことを、真相を突き止めるような顔をして見ていて、右側の席にいるゼクスはどこか一点を見つめ、何も考えていないようで考えているようで。肝心のユリウスは扉の前に立ったままその場から動かず、少々申し訳なさそうな顔をしている。
「お母さまに、別れの挨拶をしたいの」
お願いします、と頭を下げたユリウスの声が妙に小さく響いた。誰も喋っていないというのに。
神妙な空気でいつものように全員で食事をとった後、ユリウスは甲板へと出ていた。何度も見る水平線を眺めている姿。今朝のことを知っているトーマは話しかけられずにいた。
静かに扉が開く。現れた彼はトーマを目に止めることなく彼女の傍へ寄った。
「今朝の話はとりあえず、次の街へ行ってからだ」
用件を一言で放てば踵を返し去ろうとする。そんなゼクスと通り過ぎる際、目が合ったトーマは彼の気持ちがわからなかった。
「僕も一緒についていくよ!」
「一人で行かせてやれ」
何日もかけて到着した。ユリウスのいた街。
船を降りようとするユリウスに自分もついて行くと元気よく主張したナギだが、何かをさとっているようなゼクスにそれは制され。
「僕も一緒に行きたかったなぁ……」
こうして手すりに体を預け、項垂れている。
船上から見る地上に彼女の姿はもうない。
「あいつは亡くなった母親の元へ行くつもりだ」
ユリウスの去った方を眺めるゼクスの横顔を見たまま、ナギは顔を青くする。
「それって……」
「バーカ、そんなわけないから。母親が亡くなった所へいくだけだよ」
足音一つ、ナギに近づく。振り向けばそれはトーマ。
「不慮の事故で母親は亡くなったとユリウスは思っていた。けど、本当は違った」
続け、イヴァンが口にするとミサトも続く。
「崖から海に飛び込んだ時、一部記憶が無くなった……んだよね」
「でも、それで良かったんだろ?」
確かめるようにトーマはゼクスを窺う。
「辛い出来事、辛い感情、それだけを失くしあいつは救われていた。今はもう全てを思い出してしまった。が、たぶん大丈夫だろう」
それを受け止める心ができたから。
「でもさ、よく考えてみれば故郷に戻ってこれてわざわざここに戻って来ようなんて思うかな」
軽はずみな発言に誰もが沈黙する。特にトーマとナギの二人が、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「いや、普通に考えてだよ。ユリウスは城に戻りたいとは言ったことないけど、僕たちと一緒にいたいとも言ったことない」
確かにイヴァンの言うとおりだ、と思う。
「どちらの居場所も嫌だと思っているとしたら、ユリウスはどんな選択を取るんだろうねーー」
どちらの居場所も嫌だとしたら。
トーマは思考を巡らす。もしユリウスがどちらの居場所も嫌っているとしたらきっとここへは戻ってこない。だろうし、行く当てなんてないから……。
「って思ってるんだけど、どう?」
そこまで考えイヴァンの企のある笑みが目に入る。まさかとトーマは悟った。わざとびびらせるようなことを目の前にいる彼は言っている。瞳に映る彼がヘラヘラしているのが証拠だ。
なんて楽しげな顔だ、と忌々しげな表情を貼り付け、未だに己の意図に気づかれたことに気づいていないイヴァンを見据える。
戻ってこないわけないとわかっていてのーー……いや、少しだけ見せた不安のある半笑い。「ユリウス、戻ってこないの?」と不安そうにイヴァンに聞くナギは、この中で一番の純粋者でありそして騙されやすい者だと己の中で定着され直され、そしてーーひとつ上手(うわて)なのはゼクスというよりイヴァンなのではないかと思い返す。
わざと自分の思いを隠して、更にその上何も思っていないという陽気な態度をとる。だから二重にして本当の気持ちがわからない。それがときどき表に出ることがあるがほとんどない。それに陽気な態度に全て上書きされてしまう。しかし違和感は残る。
なんともいえない居心地の悪さを、考えれば考えるほど味合うことになるのは知っている。だからいつも考えないようにしていた。きっとそれが彼の引いている境界線。一本の境界線の向こうには、何本もの境界線が引かれている。
それに、戻ってくるかこないかは、誰もわからないこと。
「あいつは戻ってくる。ここにいたいと口にしたのをお前も聞いたはずだ」
「え? ユリウスがそんなこと言ったの?」
とぼけた顔をするイヴァンを冷めた目でゼクスは見つめ返す。
「しらばっくれるな。盗み聞きをしていて知っているずだが」
「……もうバラさないでよ。トーマの不安そうな顔、じっくりと見ていたかったのに」
実際、盗み聞きをするつもりはなかったが必然的にそうなった。二階の甲板で一人安らかにいるところへユリウスたちが来てあんな話をされた。耳を澄まして聞いてしまったからには盗み聞きなのだろう。
「はあ……」
溜息をこぼさずにはいられない者が一人。ナギや他の者の様子には特に興味がなく、トーマだけの表情の変わりようが見たいがために発言したことだったのだ。
少しだけ見せた不安のある半笑いは演技だったのかと、呆れる。一つ上手というより二つ上手だ。
『痛かった、よな』
『ほんの少しだけね』
トーマの寝室でベッドに横になる前、ユリウスの首元にできた傷を確かめるように聞くとそう返ってきた。
『ただのかすり程度の傷だって、ミサトさん言ってたから平気だよ』
傷は対して大きくはない。数週間すればなくなる程度。だけど多少の痛みはあったはず。城の中であまり外のでないユリウスのことだから傷なんてあまりつくったことがないだろう、対人からつくられた傷なんてきっと初めてだ。そう思うとユリウスの首元の傷が痛々しげに見えた。
傷をちゃんと見るためトーマはユリウスの髪を分け添える。
「平気」は「大丈夫」より軽く感じた。たぶん気を使ってのものだ。気を使わせないためにと。
首元に顔を近づけたところでトーマは動きを止めた。
ーーいや、これ、なんか間違ってる、よな。と。
治療法として舐めとけばなんとかなると一瞬頭に浮かんだのがいけなかった。ユリウスへの謝罪の気持ちが大きくてどうにかしていたのだと今のトーマは言い訳する。
それでもあの時しようとした行為は否めない。
本当なんてことをしようとしたんだ、あのまましていたらあいつにどう思われたか。接近して離れた時はすでに遅し、少し不思議そうな顔をされていたが。
男相手ならまだしも女相手に。いや、男相手にしたほうが気色悪いか。
「どうしたの?」
「別に何でもねえ」
ある日のことを思い出して自問自答的なことをしていると、ナギが下から覗き込んできた。
「体調悪いんじゃない? 少し顔赤いよ?」
「なっ」
分からなかった。顔が上気していたことに。
「うるせーよ。お前はユリウスが戻ってこないかの心配でもしてろ」
「さっきは戻ってこないわけねーだろバーカって言ってたくせに」
「そんな風には言ってねえし」
雑談をしながら甲板にてユリウスを待つ。
瓦礫で造られた家は前よりも薄汚れていた。中に入ればあの時と変わらないまま。ほこりっぽいことと、天井の角に蜘蛛の巣がある他になんら変わりはない。
もう一つ、母の死体がないこと以外に変わりはなかった。
きっと父が知って騎士たちに片付けさせたのだ。もしまだ残っていたらどうしようかと思っていたから良かったと。
「お母さま……」
未だ頭に残る母の倒れ姿。今もここに倒れていると錯覚するほどあの姿は記憶に焼き付いている。
一度忘れ去った記憶だからこそ、時を忘れ、今もここに先ほどまでここにいたんではないかと思ってしまう。
けれど現実は違う。あれから十年もの時が過ぎている。
ここは昔事件のあった所、それが事実。
赤いカーペットが敷いてあったはずなのにそれがない。母がうつ伏せに倒れていた所にあったのに。母が倒れていた所にあったからなくなったのか。
静かに正座したユリウスは母がいた場所であろう床板を触る。
思い出す、あの事件の日。倒れている母の傍にいたら男二人が戻っきていて、その一人に髪を掴まれた。
『なんだこの子供、ちょっと顔上げろ』
今と同じ、腰まである髪に男の手についていたであろう血がついた。それを見たら恐怖心で一杯になった。
『やめて……触らないで! 穢れもの』
『あぁ? なんだと?』
うぅっ、ひっく、そう泣くことしかできなくて。
『なんかこの子供、この女に似てねえか』
もういっぺん言ってみろと怒鳴る男を宥めるようにして近づいてきた男が、ユリウスの顔を見てそう言った。
『はあ? 似てるわけねえだろ。……似てるか?』
寒気が走った。母の子供だと知られたら何か危ない目に合うとわかっていたから。
フォルテ家は子供が生まれても周りに公表しなかった。誘拐などにあったら大変だと、公表するのはもう少し成長してからのほうがいいということになっていたから。海賊はもちろん、民も知らなかった。
『その子、知ってる』
男にまじまじと見られ恐怖に怯えていた時、一つの声が響く。はっきりとした口調、けれどどこか貧弱な男の子、そう、ゼクスだった。
『知ってるのか』
『この女の子供か?』
男二人がゼクスに注目する中、ユリウスは青い顔をして怯えていた。誰もいなくなったと思い安心して隠れ場から出たユリウスは母の前に駆け寄り、『お母さま』と何度も呼んでしまっていた。隣に一人の男の子がいるとも知らずに。
まさか言われてしまうのか、そう思ったのだが。
『違う。その子供はこの女の人を自分の親だと思い込んでいる可哀想な子。親に恵まれてないんだ』
そんな嘘、通じるのか。
初対面だというのにそこまで知っているというのもおかしい。絶対に男たちが信じるわけがない。
『なーんだ、そうなのか。お前と同じだなゼクス。親に恵まれていない可哀想な子』
『俺たちに可愛がられているから少しはマシだろ。なんならこの子供も連れてくか?』
大の大人二人はたやすく騙された、子供一人の嘘に。
……救われたが、なんだか違う。やだ、違う、そんなんじゃない。どうせ連れていかれるなら、お母さまの子供としてーー。
『こいつは嫌だ。一緒に来るっていうなら俺は船から降りる』
『そいつは残念だ。まあどうせ、降りたいって言っても〝降りれない〟てんんだけどな』
『ゼクスは俺たちの奴隷みたいなもんだかんな』
ゲラゲラと悲惨な事を言って笑う。それがとても残酷で、無表情のはずの男の子が心の中では泣いているように見えて、とてもとてもそれには心が締め付けられた。
『待って』
去り際に聞いた。どうしてあんな人たちと一緒にいるの? と。そうしたら。
『好きで一緒にいるわけではない』
と。
それはそうだ。あんな者たちと誰が一緒にいたいと思うものか。
嫌な思いをさせてしまったか。謝りたかったが彼はもう男たちについて行ってしまった。
(ゼクス……ありがとう)
今になってわかる。彼の優しさ。
「お母さま、久しぶりです、ユリウスです。私、良い方たちに出会いました。仲間ができたんです。心を許しても良い方がお母さま以外に初めてできました」
そこには誰もいない。
「……私は幸せになっても良いんでしょうか。私を救おうとここで命を落としたお母さまをおいて、旅なんてして良いんでしょうか」
ーー大きくなったらあの空へ飛びなさい、あの自由な空へ。
母に言われた言葉が脳裏に響く。
「幸せになれ、ってことだったんですか。自分で選択をし自由に生きる、それが私の幸せになると知っていたから。……そう解釈しても良いですか」
もういないから本当のことはわからない。けど、母ならきっといい意味だった。どうせなら自分のいいように解釈したい。
「お母さま、今までありがとうございました。ーー……行ってきます」
理論的ではないけど、空へーー。
「本当にこんな綺麗な髪切っちゃっても良いの?」
「その髪型、ユリウスに似合ってると思うんだけど」
船に戻ってくれば皆は見送り時と同じく外で待っていてくれた。二階の甲板にはゼクスとイヴァンの姿があり、異色な二人だと思いながらもまあありなのかと思った。前まではゼクスといえば主にトーマだったが、今になってはそれぞれ仲睦(なかむつ)まじくしているのを多々見てきた気がする。
船に戻ってきてすぐに髪を切ってほしいとユリウスは頼んだ。樽を椅子にして座るユリウスの後ろには、一番年上で鋏(はさみ)を持つのに慣れたミサト。鋏を片手に持っているが切ることに戸惑っている。その光景を近くで見ているナギさえも少し不安そうな顔を浮かべて。
「いいんです。……時間は、止まってなんかいなかった」
ユリウスの独り言に、きょとんとした二人。どういうことだと顔を見合わせる。
ーー止まったと思っていた時計の針は、ずっと動き続けていた。記憶を失くした時からもずっと。
髪を切ってほしいと頼んだのは昔に血のついた手で男に触れられたことを思い出したからだ。穢れた手で触れられた髪は穢れてしまったのだと思うと嫌気が差したから。
「言い忘れてましたが、皆さん、これからもよろしくお願いします」
髪がさっぱりしたら心もさっぱりとした。快い気持ちで綺麗に頭を下げる。
「その前に言い忘れてることがあんだろ」
え? と顔を上げるとトーマの清々しい顔があった。
周りの皆も見てみると誰もが明るい優しい表情をしていて。ああそっか、と気づく。
「ただいま……です」
満面に笑って答えた後、照れ隠しに笑うと初めての自分に会った気がした。
「食料調達、他諸々、すぐに済ませるぞ」
「はぁーい」
いつものようにゼクスが号令をかけ、ナギが陽気に返事をする。そんな光景でも何故か輝いて見えた。
針路を決めたトーマの元に駆け寄り一声。
「私も行く」
いつもと同じなはずなのに何かがいつもと違う。足元が軽く弾む感じ。味わったことがない。あるとすれば母と外で散歩した時くらいだろうか。
商店街を一旦出る円形になった所。そこでいきなり騎士に囲われたーー。
突拍子もない。それは願いもしないこと。
刻(とき)が壊れるような音がした。
「ユリウス様……」
懐かしい声と顔。黒髪で短髪、そんなクレアが遠くで前まで最も身近にいた彼女の名を小さな声で呼ぶ。
父と、新しい母が並んで遠くからユリウスのことを見ている。
ーーなに、これ
横を見れば騎士に捕らわれたトーマが身じろいでいた。は、なんだよこれと、動揺している。他の皆も。兵に囲われ、捕まっている。
原因が誰かなんてこの場にいる誰もが考えずにわかる。
苦々しい顔をしてもだめ。何の解決にもならない。
「ユリウス、少しこちらへ来なさい」
言う通りにする以外の選択はなく、嫌々彼の元へ向かった。丁度真ん中の所まで行き、止まる。少し、と言われたからこの程度でいいだろうと。
貴方は来ないのかというユリウスの睨みつきで実親である父は同じように真ん中辺りまで来た。少々沈黙がこの場全体を覆う。
「どうして自分がここへ戻ってきたのが分かったのか、という顔をしているな」
嫌いというより苦手だった。父は何をどこまでわかっているのかわからないから。
「お前がいなくなって姫が誘拐されたと城の中で随分と話題になっていた」
「……」
「とある騎士たちが姫が船上にいたのを見たかもしれないと申し出てきた。その騎士たちの情報をあてにして船を出させたんだが意味なかったな、まさか自ら戻って来れるとは」
城に戻るために来たんじゃない。ここへ戻って来るのはこれが最後だと来たのに何故こんなにもすぐ、こんな騎士たちを整えられるほど早く情報が入ったのか。
「ずっと港を騎士に見張らせていて正解だった」
はっとする。だったらこの島に着いてからもう知らせは父に渡っていたということだ。だったら納得がいく。完璧に相手を捕らえる陣営ができていることに。
「さあ、帰るぞ」
冷たく踵を返す。
「……帰りたくありません」
その背中に本音を突き刺した。
「何を言っている?」
「皆と一緒にいたいです」
皆、を確かめるために父は周り見回す。
「頭でも打ったか?」
その冷たい目、興味ないくせにちゃんと接しているような態度が前から気に食わなかった。
「頭打ったらこんな気持ちになるんでしょうか?」
言葉の綾。そんなのわかってる。ただ皆が馬鹿にされたようで、皆の存在が否定されたようで嫌だった。
「……っ」
そんな彼女に下されるものはとても辛い現実。自分だけに耳打ちされた言葉はユリウスにとって重たいもので、支えこめないもので。決断は決められている。
「……わかりました。戻ります」
騎士に大人しく捕まっている皆が息を飲んだ気がした。どうしてだと強い視線を向けられている。
気づいた。けれどユリウスは目の前に立ちはだかる父に真っ直ぐとした視線を向けた。
「その代わり、みんなのことを解放してください」
きっとこれが……。
「手を出さないで。傷つけたりしないで」
最後。
だとしても皆の安全が一番だった。
わかったと父が頷く。
またあの自由のないところへ戻らなければいけないんだ。でも、皆に危害が及ぶことを考えれば安いものだと思い自身に訴える。
空へなんか飛べなかった。
この夢は胸に留めておくだけにしようと、胸に手を当て想う。理不尽な現実。これからの暮らしに苦しさを覚え、唇を噛み締めそうになりながらも歩き出そうとした時。
「ユリウス」
とナギの心配するような声が。
振り返ると声に相応しい顔をしていた。泣きそうな、こちらの泣きたいという気持ちがまるで彼の顔に移ってしまったかのような。
ぎこちなくユリウスはにこっと笑った。それはナギにもわかった。無理して笑っていると。
ナギから視線を外すと父に目も向けずに放つ。
「みんなに害をなしたら、また抜け出します」
きっと、これが最後なら。
「あの海賊者たちに手出ししないと約束する」
そんな会話を目の前でされたらどんな気持ちになるか。知らずにユリウスはーーぱっと振り向き。
「みんな、今日までありがとう。やっぱり私、お城で暮らすほうがいいみたい」
ぎこちない笑みは続く。
泣きたい……
本当は泣きたかった
今思えば全てが楽しかった……
きっと、ではなく、これが本当に最後なんだ。
諦めは早くついた。権力のある者には勝てない。どう抗っても、抗おうとしても。そんなの子供でもわかる。
待て。ふざけるな。
そんな感情が渦巻く。
ついている騎士二人を退きユリウスへ近づこうとするが騎士三人に囲われる。
「城の中は不自由で嫌だったんじゃないのか? だからお前は抜け出して来たんだろ」
必死に伝えたいことを言う。らしくもない。
「自由になりたいと言っていたのは嘘か? 空へ、空へ飛びたいと言っていたのもーー」
そこでユリウスが振り返った。
「……もう、叶わない夢は望まないと決めたの」
発言するのを忘れた。
叶わないと分かっている夢は、もう望むのをやめよう。そう、儚い夢はとっくに散ったんだと言うかのように物憂げな笑みをしーー。
「空へ飛ぶなんて、どう考えても無謀でしょ? ゼクスが真面目にそんなことを口にするなんて意外だな」
ゼクスを見て、悲しげに言うのだ。
その顔は悲痛を叫んでいる。そんなことはバレバレだぞと言う前に彼女は小さく呟いた。「ごめんね」と。
口パクだけでもわかった。きっと嘘をついたことに謝ったに違いない。
彼女が一番傷ついているはずなのに。こちらに気を使ってくる。それがむず痒く、苛ついた。
騎士は何事もなかったかのようにも皆離れていく。
「くそっ!」
苛立ちに任せて荒々しく叫んだ。その場は静寂と化す。
ゼクスは平常心を失くし欠けている。珍しくも動揺しているのかとミサトは重ぐるしげな表情をしたまま見つめる。
ナギは悲しそうな顔をしたままで。重々しい空気は続いた。
何もできなかった。抵抗でもして反乱を起こせばもしかしたら逃げられたかもしれないのに。
そんなことはできないとわかっている。数では相手が勝(まさ)っている。それにここで何かことを犯せばユリウスが責任を負うかもしれない。いや、それでも。何もしないよりは何かした方が気持ち的にマシだった。
今更思っても何も実現できないのが現実」
「ユリウス様。その髪、どうされたのですか?」
「切ったの」
久しぶりの自室。
似合うでしょ? 陽気に振る舞うと
「よく似合います。まるでユリウス様のお母様のようーー」
そこまで言ってクレアは口を押さえた。
いや、えとーーとはたふたしているクレアを見るのは久しぶりだ。
「クレア」
「……はい」
観念したように頷く。
「私、お母さまのように美しい?」
微笑みかけるとびっくりしたように瞳を丸くしてから「はい、とても」と答えがくる。クレアもつられて笑ったが。
ーーああ、だめだ。
「ごめん。クレア。一人にしてほしい」
誰もいなくなった部屋でううっと子供のように泣いた。
もう戻れない。あの場所にはもう一生、永遠と。
溢れてくる涙は止まらなかった。
私の戻るべき場所はここ。帰ってこなくてはならない、まるで鳥籠のような場所。
「どうするの……?」
「どうするもなにも、あいつの選んだことだから。助けるもなにも」
「もしかして、城へ帰りたくてここへ来たいって言ったのかな」
どいつもこいつも馬鹿な発言を。
ナギとトーマの会話はゼクスの逆鱗に触れた。
「あいつの選んだこと? 城へ帰るためにここへ来たいと言った? ふざけた発言をするのはやめろ。お前もわかってるだろ」
「……」
トーマはゼクスと目を合わせようとしない。本当はにわかに感じ取っていながらも現実が辛くて逃げようとしている。
「あいつが城で暮らすことを選んだとして、それがあいつの望んだことに繋がるのか?」
忘れられない。
あの感情と取り違えた表情。
「それに聞いただろ。皆と一緒にいたいと」
一番冷静沈着だと思えるゼクスが力説する姿は不思議と不自然ではなく。
「あいつは選んだんじゃない。選ばされたんだ。見えない壁か何かに従った」
相手に理解させる説得力があった。
手に力を入れ拳をつくり抑えようとするが怒りが収まらない。
そんなゼクスを見て申し訳なさそうな顔をする。
「気持ちはわかるよ」
ミサトは何より避けられない現実を突きつけることになる。
「わかるけど、これはどうしようもないことだと思うんだ。ユリウスはお城で暮らすお姫様。あの人の正真正銘の娘。姫とか王とか関係なく娘が父と一緒に暮らすのは、当たり前のことでしょ? ……僕も嫌だよ。誰も望んでいない結果になってしまうのは」
「……」
それでもという気持ちが心の奥にまだあった。
初めて船に乗った
ドレス以外の服を着たり、無人島で暮らしてみたり、生まれ育った街以外の街に降りてみたり、全てが初めてだった
そして、初めて仲間というものに出会えた
貴方たちに会えたおかげで、色々な体験ができた。
楽しい思い出をありがとう。
今日まで、本当にありがとう。
それから三年後。
「ここで大丈夫です。貴方たちはここにいて下さい」
付き添う二人の騎士を制し、彼の元へ向かう。
「ゼクス」
城から出ることを許された。その理由は……。
「忘れ物だ」
あの事件があってから外していたもの。母の形見のネックレス。
箱の中に入れ、船内に置いたままだったのを思い出した時には手に還ることを諦めていたが。
「ありがとう」
「大切なものは肌見放すな」
「……うん。これからはそうするよ」
わざわざ返しに来てくれたのだ。
手元に還った箱を両手でぎゅっと握る。ゼクスの旅はまだこれから、また船に乗って色々な所を周るのだろう。そう思えば、自分もという気持ちを抑えなくてはいけなかった。
会うのもこれが最後になるだろう。
ユリウスが感傷的な気持ちに浸っていた時。何かの気配がして振り返ると一本だけ立つ木に寄りかかるトーマがいた。
「トーマ?」
「おう」
驚きで思わず名を呼ぶと、気兼ねなく返してきた。
「どうしてここに?」
「どうしてって、ここが俺の生まれ育った故郷だし」
「え、うそ」
「こんなことで嘘ついてどうする」
確かにそうだ。
「皆は?」
トーマまで来たのなら皆もいるはず、そう思い聞いたのだが。
「自分の帰るべき場所に帰った」
また衝撃な事実。どうしてと聞くと皆で決めたことだと言った。だから旅はもうしないと。
確か前に聞いた話では、レイとナギとイヴァンの三人は同じ街で出会ったと言っていた。だからあの三人は同じ街に帰ったということになる。
ミサトはゼクスと同じ街で会った。そのことを思い出しゼクスの帰るべき場所がどこなのかと聞いてみれば、俺もここへ帰ってきたということらしい。
「嘘でしょ?」
信じられない。
「だって、それじゃあ私たちは小さい頃、同じ島に居たってこと?」
「正確に言えば俺の育った故郷でもずっといた所でもないが、まあそうなるのかもな。俺たちがこの島から出るまでは」
ーーなんだ……そうだったんだ
「全然会えなかったね」
同じ所にいたのに。
「当たり前だ。全く外に出なかったんだろ。それでどうやって出会えという」
「でも、ゼクスとは小さい頃一度だけ会ったよね」
「ああ、お前は完全に忘れていようだけど」
「忘れてないよ」
「嘘をつけ。忘れてただろ、一時期」
「あ、そっか……でも今は覚えてるよ」
何てことのない会話だとしてもそれが出来ることはとても貴重だということを、この会えない数年で思い知っている。だからもっと聞きたかった。これからどうするのかとかミサトとはこれからも仲良くやっていくつもりがあるのかどうか。そもそも二人は一緒にいるつもりなのか。船で旅をするという目的がなくなった今、仲間というものは肩書きでしかなくなってしまうのではないかと少し不安にもなった。
「俺もお前と小さい頃この森で会ったことあるんだけど、覚えてないか?」
何故か心配そうに聞いてきたトーマにユリウスは目を見張る。
「たぶん、お前が城から抜け出してきた時だと思う」
これは小さい頃の記憶。当時十歳にもみたなかった頃の。
森で出会った女の子に、トーマは少し仲良くなったでもなしに当時馳せていた想いを口にした。
「海賊になるのが俺の夢なんだ」
「かい、ぞく……?」
「おう!」
「かいぞくになって、何がしたいの?」
「え、それはだな……えーと」
堂々と言ったものの、何がしたいのかはまだ決まっていなかった。ただ船で旅をして色々な世界を見てみたかっただけだったから。
「誰かを傷つけるの? 何かを盗むの?」
「は? そんなんじゃねえよ」
夢のない失礼な質問にトーマは、反射的に訝しげな顔をして返してしまった。けれど彼女は怯えることもなく、哀しげな顔で言ったんだ。
ーー〝だったら君は、海賊になって何がしたいの?〟
(あいつはあの時、傷ついていた……んだよな。母親を亡くして。その母親を殺したのが海賊だったから、あいつはーーユリウスはあんな顔をして、俺に問い詰めた)
前にそんなことを思った。
(俺はあの時あいつの問いに答えられなかった。あの時俺が答えられていれば、あいつは海賊皆が悪い奴じゃないと)
星空の下で、甲板の二階で。あの時の女の子がユリウスなのではないかという予想が絶対に変わった時。
「ごめん。覚えてーー」
覚えていなくても関係ない。
「俺は強くなりたくて海賊になった。自由な旅をしていろんなとこ行っていろんなことを知って。自分で言うのもあれだけど精神的にも強くなったと思う」
答えは遅いけど。
「これからはここで自由に過ごすつもりだ。でも今は、お前を守りたい」
これが俺の
「お前の自由を」
答え。
Fin
海賊船◇囚われた姫ー拾われた身捨て姫の忘却ー 音無音杏 @otonasiotoa
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