第10章ㅤ白馬の王子様
これはレイの、三〜四年前にあった出来事の記憶。
『レインズ様』
礼服に身を包み、とても姿勢を正しくしている男は読書中の彼に話しかけた。
窓際の席。入射光に輝くその水色の髪は揺れ動くことなく会話が続く。
『レイでいいよ』
『レイ様』
『だからレイでいいって』
『……レイ、ンズ様』
『……』
へりくだっている自分より年上だと思えしき相手。レイは、年下の自分のことを呼び捨てにするよう試みたがそれは失敗に終わった。
微妙な空気。男にとって気まずい状況であり、気まずい心境でもあったがレイは、何事もなかったかのような瞳をしたまま読書を続けた。
男の顔を見みることもせず、頭を動かすこともなく、最終的に水色の髪が揺れ動くことはなかった。
イヴァンの部屋での一週間が終わり、レイとの一週間が始まった頃、今までよりも大きな街に降りた。
白い家が建ち並ぶ、清潔感のある街。
「あれ、レインズ様じゃないか」
「まさか」
ふと二人の兵が立ち止まる。その視線の先にいる人はレイ。
レイとナギとともに同行するユリウスは兵たちを見澄ます。
「レイ、王子様なの?」
名前は似ているようで少し違う。まだ中心部くらいまでしか歩いておらずこの街に城があるのかわからないが、もしあったとして兵の者の言う人がレイというなら、様付けされる理由はこの街の王子様だから。
当たっている可能性はないに等しい、というより根からレイのことを王子様だと思って聞いてはいない。ただの会話のきっかけを出しただけだ。
「白馬の王子様?」
意図の読めない質問返しに、無言で首を傾げる。本当に何言っているのかわかっていない証拠。
「ユリウスの、白馬の王子様ならやってもいいよ」
話についていけないユリウスは困惑する。
もしこれが笑うところだと言われたら笑いのツボが分からない。斜め角度に球を直球された感じだ。
「何の話?」
思わず聞き返す。
「童話の中の話」
「童話……」
「知らない? 白馬の王子様」
道中、童話の中にある『白雪姫』を長々と話されたが、意外とそんなに長く聞かされた気分ではない。
「ユリウスの白馬の王子様ならやってもいい」
「もし、なってくれたとしたら何してくれる?」
「ユリウスは俺が守るよ」
童話の中の話、『白雪姫』は知っていたものだった。
幼き頃は憧れでもあった。もしかしたら白馬に乗った王子様が現れて、城から連れ出してくれるかもしれないと。
悪ノリ程度に返した言葉。真面目な顔してまた返される。
「どうしてそんなこと言ってくれるの?」
未だ彼と親密な関係になったとは思えない。
「仲間だから」
さりげなく言われたその言葉は、とても嬉しいものだった。
「えっと、それじゃあ……レイは城に戻らなくていいの?」
レイは本当の王子様。ナギとレイの二人は街で会い、すぐに仲良くなったという。外へ出て自由にしたいというレイの発言、それを叶えるためナギも一緒にこの街を出ることになり、親がパーティ会場として使っている船を奪おうとするが肝心の操縦者がいなかった。そこでイヴァンの登場。イヴァンは条件付きで船を操縦してくれるということに。
「レイは戻りたくないんだって。城には許嫁も待っているんだけどね」
「許嫁……?」
「黒髪美女だったよ。あ、もちろんユリウスの方が可愛いけど」
許嫁ーー結婚を許された相手。レイにはそんな人がいるのか。
二十歳となれば結婚をする相手を決められているなど当然のことかもしれない。なんせユリウス自身十八で、そろそろ婚約者を決めなければいけない、というような父が喋っている話を聞いたのだから。
「ごめん。暑いの苦手だから」
水滴のついたカップ。陰になっている長椅子に、くたーっと座っているレイのこんな無防備な姿、初めて見たかもしれない。
ユリウスは片手に持つ飲み物を素直に渡す。
すぐにそれはレイの口元に運ばれた。
今日はやけに日差しが強い。それにやられたのかレイはいきなっりふらっときて倒れそうになった。実際、ユリウスが支えなければ倒れていた。
とりあえずレイを近くにあった休憩所におき、冷たくて水分の取れる飲み物を彼宛に買ってきて今に至る。
「ちょうだい」
ユリウスの手にはバニラアイス。ナギの手にはチョコアイス。レイとナギの飲み物と二つのアイスだけで手が一杯だったためレイの分は買ってこれなかった。
しかしユリウスは迷う。レイはバニラの方が好きなのだろうか。視線は未だに自分に注がれている。これはバニラの方が好きとみえた。
だが一つの物を分け合うというのは良いが、これは分け合ってもいいものなのだろうか。などと考えていると腕を取られる。口元までいくとレイはそのまま食べた。舌を出してペロッと。その動作はほんの少し煽情的だった。
分け合うことは小さな夢であり、してみたかったことナンバーファイブに入っていたはず。なのに今は固まってしまうほど衝撃な出来事と化した。
「ごめん。垂れそうだったっから、つい」
そうか、つい、か。
「よかったらもっと食べる?」
「いいの?」
「いいよ」
彼の一拍おいてからの返事。
この際、一口も二口も三口も同じこと。
「ついでやっていいことじゃないよねー!!?」
ユリウスの代わりなのか、少しタイミングが遅いがレイを挟んだ向かいのナギは叫んだ。叫んだ拍子に生じたことなのか、ナギの手にはチョコがたらたらと。
「ナギくん、チョコ垂れてる」
「わわっ」
ナギは慌てて隣にいる彼に渡す。
「レイ、持ってて」
ポケットから出したブルーのハンカチで、手についたチョコを拭く。
ハンカチが茶色くなっちゃったなんて言いながら拭き終わった頃には、ナギのアイスは半分ほどになっていた。
「わぁー、僕のアイスレイが食べたぁー」
「垂れそうだったから、つい」
「だからそれついじゃないよね!?」
心から落ち込んでいる瞳。見ていられなくて自分のを差し出す。
「ナギくん、私のあげるから落ち込まないで」
すると尊敬するような眼差しが向けられ。
「ユリウス……。やっぱ好き」
涙目で嬉しい言葉を言われた。
『好き』だとか『仲間』だと言われるのは今のユリウスにとってとても嬉しいことだった。
レイとナギの海へ出た経緯。それを聞いたユリウスは他の者たちのことも気になり、合流したトーマたちに聞いた。トーマは物心ついた時から剣の腕を磨いていて、いつか海にたちたかったという。そして運命なのか必然なのかイヴァンたちが目の前に現れたと。
ミサトにも教えてもらった。ゼクスは小さい頃悪い海賊の集団の一員で、街中で出会ったミサトと仲良くなったと。丁度そこにやってきたレイにナギにイヴァンにトーマ。事情をなんとなく知ったトーマがゼクスに『ついて来いよ』と言ったそうだがゼクスは拒否したらしい。
トーマたちが出港する間際、ミサトに『いいの?』『それで本当に後悔しない?』と言われたゼクスは心が揺らいだのか、「お前も一緒に行くなら行く」と顔も見ずに言ってきた。さすがに見放すことが出来ず、ミサトはゼクスについて行ってあげたと。トーマたちの乗る船に。
『ゼクス』
『その名前は大嫌いだ』
『じゃあゼスでいっか』
最初の頃にやったやり取り。あまり変化はないが「ゼクス」を「ゼス」とミサトが呼び始めたきっかけ。
ミサトはなんとなく察していた。ゼクスは自分の嫌いな海賊団の奴らに名前を呼ばれ続けて自分の名前が嫌いになってしまったのだと。
しかしーー。
「僕はミサト。こっちは……ゼクス。よろしくね」
あえてそう自己紹介したという。自分の本当の名前を忘れないように。
「ゼクス」
「ゼスだ」
「やっぱり来たんだな」
先に船に乗っていた新入り、トーマが挑発的な目を向けていたがその時のゼクスは心を閉ざしていたのか何も反感してこなかったらしい。
今では『来たら悪いか?』『お前が誘ったんだろ』くらいまでは言うはずだ。ということは今はもう心を開いているということなのか。
「あん時のゼクスが一番良かったかもな」
「そしたらトーマの調子が崩れっぱなしだったんじゃない?」
「んなこと……」
「ないとは言えないよね。最初の頃、ゼクスの無関心ぶりに引いて『もっと感情持てよ』と言ったトーマは」
イヴァンだけならまだしもミサトとの攻めには敵わない。
トーマは悩ましげに唸る。
最後にはナギの炸裂パンチ。
「そういえばトーマ、ゼクスを嫌っていたわりに一番構っていたよね」
「うるせえっ。それはその、あいつが物凄く暗かったからだ。今でも暗いけど」
悪口が入り混じっているはずなのに、何だか微笑ましい。
仲間というものはやはり良いものだと思った。
「何だあれ」
少し先に子供の集まりがある。そこに一人だけの大人。
子供たちが何だか楽しげに何かをしていた。
「ポッキンゲーム?」
「このお菓子の先端と先端を二人で紡いで、交互に食べ進めるゲームのことだ。兄ちゃんたちやらないか?」
「ゲームっていうことは、勝ち負けとかあんの?」
「もちろん。最初に口を離した方が負けさ」
へえ、と、意外にもトーマは興味ありげ。
「トーマ、やる? 僕勝つ自信あるよ」
どんな自信があるのか、珍しくもイヴァンもやる気のよう。
「ちなみに、負けた方は勝者の言うことを一つ、何でも聞かなくちゃいけないというルールがある」
ぴくっ、とトーマは動く。
勝ち負けのある勝負。それはとても大好物なもので。それに加え、勝てば相手に一つ何でも命令できる特典が付いてくるなんてやらなければ損だ。
「よし、やろうぜ」
「そうこなくちゃ」
どちらも勝利を信じての対決。椅子として使われている樽に座り、真ん中に出された棒状のお菓子を口に含んだ。
ポッキンゲーム。棒状に作られたお菓子を使ってする遊び。屋台の主人が始めたゲームらしい。お菓子を売るための広告として。
「にしても、こりゃあ良い光景じゃないな」
ユリウスとミサトが話を聞いていた間にも、二人が勝負と表するゲームが進んでいた。おじさんは彼らに視線を向け失笑する。
棒状のお菓子の端をくわえる二人。イヴァンは余裕な表情をしている。対して、トーマは冷や汗をかいていて今にも口を離してしまいそうだが負けまいと目力で何とかしようとしている、けれど結局断念。
少々力尽きたように項垂れる。
「一応聞くけどお前さ、何ボリボリと遠慮なく来てんの」
「だってそういうゲームでしょ」
「そういうことじゃなくて、近づいてくるスピードとか速すぎだろ」
「ん? そうかな?」
無難な返し。そこではっとした顔になったトーマは蒼白する。
「まさか、お前……今まで気づいてなかったけど」
「ーー?」
「……コッチか?」
口元に近づけた手。甲を反るポーズを取った彼に即一発食らわせた。
殴られた部分がじんじんと痛むのか、手で覆いながら恨みのこもった目をイヴァンに向ける。
「何だよテメェ」
「ユリウスがいる前でやめてくれるかな、そういうの」
「そういう風なの匂わせたお前が悪いんじゃねえか」
「冗談でもやめてくれるかな、そういうの」
すっと席を立ち、さりげなく相手の首に腕を回す。ぐっと腕に力を込め、首を締め付ける。すると彼は苦しそうに悶え始める。
「痛ってえよ、離せ」
ぐっと両手に力を入れて腕を離そうとしてくるがそんなのは許さない。イヴァンは半分本気で痛めつけようとしている。それが力の加減から伝わったのか、とりあえず力の向きに従おうと席を立ち後方に下がる。
なんなくユリウスたちから離れたがこれからどうするか。左腰にある鞘にある剣を使って脅すか、それとも素直にごめんと謝って許してもらうか。結構やばい状況に内心焦っていると、腕の力が緩んだ。それを機として振り返るとともに少し彼から離れる。
「お前殺す気か!」
「まさか。大切な仲間をこの手にかけたりしないよ」
「……胡散臭く聞こえのは気のせいか」
「気のせい気のせい。でもまあ、トーマは殺しても死なないと思うんだけどなぁ。気合で生き返る、みたいな」
殺されたら誰でも死ぬだろ、という適切な指摘を尻目に、こちらはこちらで物事が進む。
「お嬢ちゃんたちもやらないか。ほら」
無理やり感満載な感じでユリウスは、先までイヴァンたちが座っていた樽に座らせられた。向かいにはレイ。
じゃれていた二人が振り返ると、そこにはユリウスとレイが樽に座っている姿。そしてーー……。
「……」
「……」
どちらも微動だにしない。口には例のお菓子。これもまた、無理やり感満載な感じで事を運ぶおじさんにされたことだ。
ユリウスは迷う。これから何をすれば良いのか。
レイはお菓子を口にくわえたままお菓子を見ている。特に何も気にした様子もなく、ユリウスのように動揺している様子もなく、ただ単にお菓子をくわえそれを見つめている。
これはゲームだ。何もしないわけにはいかない。けれど……。
しばらく思考してユリウスは、ポキッ、と諦めた。
とても静かな闘いだった。
レイは無表情のまま口に残ったお菓子を食べる。
負けた方は勝者の言うことを一つだけ何でもきく。だからトーマは冷や汗をかくまでにイヴァンの躊躇ない接近に必死に耐えていた。
「嬢ちゃんの負けだな。アクア色(水色)の兄ちゃん、頼みは何にする?」
「……特に今はない」
「おい、頼みは何にすんだよ」
「んー、どうしようかなー」
結局、レイの頼みは『保留』となった。イヴァンの頼みもまた、保留となっている。楽しげにしているのは、トーマに一つ何でも言うことを聞かせることができるという優越感があるからだろう。
ここにただ一人いなかった者がいつの間にか傍に来ていた。ゼクスだ。二人が何の話をしているのか聞かずに彼等を眺めている。
「一人で何してたんですか?」
「銃の補充だ」
「それって、使わなければならない物なんですか?」
「戦闘になれば欠かせないものだな」
涼しげな顔をしている彼の横顔を見て思い出す。ミサトに教えてもらったあるちょっとした事件だ。ゼクスは自分の名を嫌っていて名を呼ぶと嫌う、だからミサトはゼスと呼び続けていた。だがトーマはわざとそこに突っかかって仲を縮めたという。それをミサトは心の中で感謝したらしい。ゼクスを無理やりにでもゼクスと呼んでくれる仲間ができて良かったと。
「こいつらは一体何をしている」
樽で向かい合うように座り、先までユリウスたちがやっていたことを今やっているミサトとナギは、ゼクスに怪訝な目で見られている。
「ポッキンゲーム。最初に口を離した方が負け。で、負けた方は勝者の言うことを何でも一つ聞かなければならないというルールがある」
トーマやイヴァンの話を聞いていれば、あの二人がやったことはわかる。
「お前はやったのか」
「レイとやって負けました」
はは、とユリウスは笑う。それだけで会話は終わった。
ポッキンゲーム。勝者、イヴァン、レイ、ミサト。敗者、トーマ、ユリウス、ナギ。
勝者と敗者の違いが何となく目に見える。
ベッドは一週間交代。ついにゼクスの番にまで回った。
ゼクスがベッドの上で座っている状態。ユリウスは気まずそうに部屋に佇む。『お前は床で寝ろ』『今までのやつが優しくしすぎたんだ』『当然だろ?』そんな言葉を並べられれば戸惑わないはずがない。
海賊船に乗った当初、床で寝なければいけないのかと思っていたがナギに続いてトーマまでもがベッドで寝かせてくれた。それからはイヴァンやレイも同じようにしてくれて、それが当たり前のようになっていたがそれは、偉大な優しさだったようだ。今になって皆の優しさに気付く。
「冗談だ。ベッドはーー」
「少し外の空気吸ってきますね」
重苦しい空気は苦手だった。どうせ床で寝ることになったのならどこの床でも同じだ。最低、船内ならどこで寝ようが同じ。
彼に気を使うことなどなく、颯爽に部屋から出た。
自由。それだけで充分だったはず。いつからか自分の存在理由まで求めてしまっていた。失態だ。寝床でとやかく言える立場でもない。
ユリウスは手すりに寄りかかるようにして屈む。真冬でもない時期。そう風邪を引くなんてことはないだろう。
眠気に負けたら負けたでいい。そんな気待ちで目を閉じた。
ーーやはりゼクスは苦手だ。と一つ、心の中で呟いて。
へっくしゅ、と食事中に鳴るくしゃみ。
「風邪でも引いたか」
呆れたようにゼクスは正面にいるユリウスに目を向ける。
「昨日外で寝たのが原因だろう」
「は。お前外で寝かせたの?」
「違う。そいつが勝手に外で寝ていたんだ」
珍しく食事の手が止まるトーマの横で、寒い……とユリウスが身震いする。すると隣にいるミサトがさりげなく羽織りをかける。ありがとうございますとお礼を言われればいつもの優しい笑みをする。それはもう紳士だ。
ユリウス大丈夫、と心配してくれるナギも。大丈夫か?というような表情で見てくるトーマも、ユリウスにとって暖かいものだった。
掃除を済ませてから甲板で息抜きをする。何だかボーっとする頭。潮風に当たるとそれが格段に増す。
数十分佇んで何とか次にすることを考えキッチンへと来た。まだ昼食作りには早い時間。いないかと思われたミサトはいた。
「もしかして体調悪い?」
早くもユリウスの異変に気付き顔を覗く。
息を荒くしている彼女は何も答えない。答えられないほど辛いのだろうと判断し、額に手を当て確認してみる。顔の赤さに比例する熱さ。
「すみません」
手に持つのは湯気の立つおかゆ。心配したミサトが作ったものだ。
一口食べるとなぜか懐かしさを感じる。熱を出した時、城にいた頃クレアに作ってもらったものだ。温かくて、優しい味。
食べながら思う、今クレアはどうしているかと。
「食べ終わったらこれ飲んで」
そう言って渡される薬。食べ終えてから言う通りに飲んだ。
「僕たちのことはもう、悪い海賊だとは思ってないよね」
唐突な話を切り出すミサトにユリウスは瞳孔を開く。
「最初からそんなこと……」
何も考えずに口走った。本当は前まで思っていた。海賊や盗賊らは悪者だと。それは海賊に対してのものだが、皆も対象に入っていたのかもしれないと思い口ごもる。そんな彼女を見てミサトはふっと笑う。
「ユリウスはどうして、お城に戻るのが嫌なのかな」
「……それは」
「尋問じゃないよ。ただずっと気になっていたから」
無理やりでも興味本位でもない、相手を考えての聞き方。そんな思いが伝わって、話そうと決心をつけるがどう話していいのかわからない。とりあえず、あの時お城に戻りたくないと言った時の気持ちを思い出そうと俯く。
「お城は鳥籠の中のようでーーいつからか自分の居場所がないようにみえて……息苦しくて」
途切れ途切れに、うん、と相槌を入れてくれる。それが心地よくて次々と言葉を発していく。
「お父さまと一緒にいるのが辛いんです」
(正確に言えば、代理母といるお父さまを見るのが)
「どうして」
彼女の震える手を包む。
「私の母は死にました。それから全てが狂い出したんだと思います」
その言葉に、びくっとミサトの体が揺れる。
「お母さまが私の唯一の居場所だった」
独り言のように切なく呟く。切なそうな眼差しを、ミサトは更に濃くしたような目で彼女を見るが気づいていない。何か、温もりを思い出しているようだ。
「お母さまはどうして亡くなったの」
「お母さまは……不慮の事故でーー」
そこまで言って、ふっと意識をなくす。
「ごめん。少し無理させちゃったかな」
どうやら熱に負けて倒れてしまったようだ。それとも、他に別の原因があるのか。
ミサトの表情は、心配するようなものから何か考えるような顔つきへと変わる。
考えてもわからない。彼女を支えながら、おやすみと声をかけ布団に寝かせた。
「ユリウスは僕の部屋で寝かせてる」
皆が集まるダイニングルームで発されたことに、何を思ったのかゼクスの眉がピクッと動く。
「風邪引いて熱が出たみたい」
良い報告ではないのに穏やかな声。続けてゼスと呼ぶと当人はくるとわかっていたようだ、何だというように見据える。
「何があってユリウスが外で寝ることになったかは知らないけど、あまり気持ちと行動を裏腹にしないようにしなきゃ駄目だよ」
「……わかってる」
ゼクスは視線を落とし、一拍置いてから答えた。
彼女が単純なのわかってるでしょ、と後付けようとしていたが言わずともわかっているようで安心したミサトだった。
目を開ければ、変わりない景色に息をつく。
眠気に勝ち、後ろを向けば隣にいた彼女がいない。
もしかしてまた外で寝るなんてまねをしたかと思えば、おはようございます、という何とも清々しい声が。視線を漂わせると彼女の姿が目に映る。部屋に飾られている絵画の前にいた。
「完治したんだね。良かった」
「ミサトさんのおかげです」
おはようと返してから健康のことを言うとユリウスは柔和な顔をする。
昨日の夜、食事をしてから体調を取り戻しつつあったユリウスはこの部屋を出ようとした。だがミサトはそれを許さなかった。
『また外で寝るの?』
その言葉に何も返せずにいるユリウスを自分の隣へ座らせ、己はベッドに体を沈ませた。彼女に背中を向けて。
おやすみ、そう言われ、おやすみなさいと返すと、ミサトの背中を見つめてからユリウスはさりげなく横になった。
気づかれていた。ミサトに風邪を移すことを心配して部屋を出ようとしたこと。見破られていた。
「朝ごはん手伝います」
そのために早起きをしていたのか感心する。
じゃあ行こうか、と布団から出て床に足をつける。扉を開けるとドアノブに手をかけたまま振り返った。行かないの?、そう聞くと絵画の前にいたユリウスは、あ、はい、とたどたどしくミサトの元へ駆け寄った。
誰もいなくなり静かになった部屋。ユリウスの見ていた絵画はオレンジ色のバラだった。花言葉は絆、信頼、すこやかなどである。
食事中の沈黙の気まずさ。なぜだかそれは伝染するように広まっていた。
「熱ーー! 治ったんだね」
中でもナギは必死に絶とうとする。
ミサトさんの介抱おかげで。そうユリウスが穏やかな表情をして答えるとつられ頬が緩むが、見えない空気がピキッと張り詰めたようで表情を曇らす。ああ、そうなんだ……よかったね、なんて苦笑いしながら応えた。
ナギの隣にいるゼクスは機嫌が悪い。いつもきつい顔をしていて表情からしてわからないが、空気から皆にまで伝わっている。
ミサトはゼクスの機嫌が悪い要因を知っていて相変わらずの表情。イヴァンも知っていてそ知らぬふり。ゼクスの左隣にいるレイは特に何も感じていない様子で食事を進め、トーマはゼクスの視線に気づいて何度かユリウスを見たりしていた。こいつ何かしたのか? という表情で。
唯一わかっていないのはユリウスだけ。たまに刺さる視線は薄々感じてはいたが、それほど気にしていなかった。
「仲間だという言葉が好きです。前に君はそう言ったよね」
綺麗な海の青と空の青。食後、甲板での会話は前にユリウスが発言したものについてのもの。
「ユリウスはもう既に、皆に仲間だと認められていると思うよ」
信じられずにミサトを見上げる。
「そう、なんでしょうか」
「自信ない?」
そう聞かれれば、ユリウスは目を伏せ静かに切り出した。
「皆にそう言われたりしたことがありました。でもそれは気を使ってくれてなのではないかと」
気を使って仲間扱いされただけと思っていても嬉しかった。
「本当にそう思う? 皆が気を使ってそんなこと言うと思う?」
どちらかなんてわからない。皆優しい人だから、本気で言ってくれたものなのか余計にわからなくなる。
「仲間はね、家族のようなものなんだよ。毎日一緒にいて毎日一緒にご飯を食べる。船は家。海の上に浮いているから一時的に仲が悪くなっても家出なんてものはできない。だから仲間が破局するなんてことはおきない」
本当に、とても。
「いいですね、そんな関係」
「ユリウスも中に含まれているんだよ」
「……でも、ゼクスには絶対認めてもらえないと思います。気を使ってでも仲間扱いされたこと一度もないので」
「ゼクスは素直じゃないからね。それに必要以上のことは言わない」
それは悠々と。気づいたことが。
「ミサトさん、今……」
ん? と首を傾げる。
「ゼクスのこと、ゼクスって言いました」
当然のこと。だがミサトにとっては当然ではないこと。
「ああ、なんかユリウスと話したら本人の前以外ではゼクスのこと、ちゃんとゼクスって呼ぼうかなって。もちろん、慣れてきたら本人を目の前にして言うつもりだよ」
ミサトはゼクスのことをゼスと呼んでいる。それはゼクス本人にゼクスと呼ぶなと言われたから。他の皆も拒否されはしていたがある日あることがあり、そこから皆はゼクスのことをちゃんとゼクスと呼ぶようになった。けれどミサトはそのままゼス呼びのまま何年もずっと過ごしている。
だからミサトにとって慣れなければいけないのは、ゼクスのことをそのままゼクスと呼ぶこと。
「……でも、無理かも。彼の前ではゼスって呼ぶのが癖になってる」
急な弱音。
あだ名だと思って呼んでいるうちは良かった。数年呼び続けている呼び名を今頃変えるなんてことはできるのか。
「いつか呼べる日がくるといいですね」
こんな幼少が悩むようなことでも彼女は馬鹿にすることなく、可能性の広がることを言ってくれる。そうだね、とユリウスを優しく見つめ応えた。
昼食もまた少々張り詰めた空気だった。
後片付けが終わった後。
『もう外で寝たりしようとかしないでね』
また僕が看病しなきゃいけなくなるでしょ、と笑顔で言われれば否定することはできなかった。あの時は本気で外で寝ようとしていたわけではなく、冗談半分で外で寝てもいいと思っていた、と。
緊張した面持ちで部屋の扉の前に佇むのはユリウス。扉を開けると待っていたかのようにゼクスがベッドに座っていた。目が合うと彼は立ち上がる。
「ベッドはお前が使え」
「え……? でも」
「何だ?」
思いもしない言葉。けれど。
「ゼクスが床で寝ることになっちゃいますよ?」
言えばそれまで立っていたゼクスはベッドに乱暴に座った。
「使いたくないのならいい」
「使います! 使いたいですけど……」
また問いかけをしてくるような目をしている。それを負けじと見つめ返して。
「ゼクスも一緒に寝ません?」
こんなことを他の奴らにも言ったのか。純粋な瞳。溜め息をついてからゼクスはわかったと一言。
背中合わせ。
「……半分コ、ですね」
嬉しそうにユリウスは言う。
「何がそんなに楽しい」
「楽しいんじゃなくて嬉しいんだと思います。ゼクスと何かを分け合うのは初めてですから」
ゼクスとだけは絶対に気が合わないと感じていた。だからこういうことができるのは希少だと重んじる。
暗くなったり明るくなったりよくわからないやつだ、と口にせず心に秘め、ゼクスは眠りについた。
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