第9章ㅤ囚われた姫

 甲板に寝転がって空を仰ぎ見る彼。何をしているのかと問えば、


「平和だなーっと思って」


 退屈そうに呟いた。


「レイさんも珍しく甲板にいるんですね」


 トーマの寝転がっているそばで読書をしている彼が顔を上げたかと思うと、なぜかじっと見てくる。先まで壁に寄りかかりながら手元にある本に集中していたというのに。


「レイ」

「あ、はい、レイ」


 満足したのかすっと本に視線を戻す。

 レイはなぜかさん付けするとさりげなく訂正してくる。これで三回目だ。


「そういえばお前ら同室なんだよな、どうやって寝てる?」

「普通に一緒に寝てる」

「普通ってなんだよ」


 珍しく話題を振ってきたトーマに答えるのは読書しながらのレイだ。ちゃんと答えているのかとトーマの視線が突き刺ささるも相手は気づいているのか気づいていないのか、それ以上言うことはないと沈黙を貫き通す。


 普通に一緒に寝てる。普通すぎるほどに同じベッドの上で寝ていた。レイは全然気にせず背を向けスペースを空けたので、隣にユリウスが寝た。

 返ってこない答えに「まあいいや」と諦めたところ、レイは顔を上げる。


「トーマの時はどうだった? まさか床で寝かせたとか」

「そんなことするわけねーだろ。一緒に寝たよ」


 ふーんとしたような目で何かを考えてからまた本に目を移す。トーマもまた同じく空を見る。ユリウスも真似して仰向けになり、空を仰ぎみた。






 前の街に降りてからまだ数日しか経っていないのに街に寄ることになった。


 甲板で円を囲んでいる船員。その真ん中ではじゃんけんが行われていた。負けた者は買い忘れた物を買ってくる。そういうルールで行われたのだが、皆がぐーを出す中ちょきを出してしまった者は自分の手を見つめる。


「私……」

「ユリウス一人じゃ危ないよ、誰かついていっーー」

「一人で大丈夫だよ。街も一人で見歩いてみたいし」


 それでも心配そうにするナギはゼクスと目を合わす。ゼクスなら何か言ってくれるだろう、一人では危ないから誰かついていけとか、お前が一人で行きたいと言ってもダメだ誰かついていけとか。もちろん、誰かついていけと言われついていくのはナギだ。


「一人で行きたいと言っているんだ、好きに行かせればいい。というか、お前がめんどくさいと言ったから他のやつに頼んでこういうことになったんだ」


 他のやつ、とはイヴァンのことだ。


「でもそれは自分だけ街に降りなきゃいけないのかなっと思って……」


 ゼクスの無言の鋭い眼差しに、言い訳を口にしたナギはあ、はい、ごめんなさいと恐縮してしまう。ユリウスの話をしていたというのにとばっちりだ。事実、なのだが。


「じゃあ行ってくるね」

「気をつけてね。何かあったら言ってね」

「何かあったら言えねえだろ」

「そういうこと言わないで」


 見送りをしているだけだというのにナギとトーマは賑やかだ。


「つーかさ、お前あいつのことどう思ってる」

「え、なに、急に恋バナ?」


 ナギに聞いたつもりが誰かが後ろから身を乗り出してくる。


「恋バナじゃねえよ。勝手に恋の花咲かせんな」

「いやそこは恋の話に花咲かせるな……いたた」

「どっちでもいいわ」


 離されたイヴァンはつねられた頬を手のひらでさする。


「あいつ、一応令嬢だったんだろ? 今更なのはわかってるけど、海賊とか嫌ってるものなんじゃないのか」

「あいつあいつって連呼するトーマが彼女のことをどう思っているのか個人的に気になるよ」


 見送り時、楽しそうにしていた彼女の後ろ姿を思い出しふと口に滑らせた。出会った当初は見るからに怯えていたが互いのことを知っていくたびに笑顔を見せるようになっていった。だがしかし本当は海賊なんて嫌いなんじゃないか。あの怯えていたように見えたのは実は自分たちを毛嫌いして接触したくないという気持ちがあってのものではないか。いきなりそういうことが気になり出し考えてみるがトーマにはわからない、まとまらない。〝あいつ〟が何考えているのかとナギに聞いた結果これだ。


「前に城は不自由だとか言ってたじゃん、それって城にいたくないってことだよな。両親とかどうしているんだろうな、居場所とかないのか」


 令嬢というものはきっと、両親などに言い聞かされているはず、海賊や盗賊は危険だと。そう思っていたが違うのだろうか。


「ずいぶん気になっているようだね」

「いや、まあ同じ船に乗ってるやつだし……ですし」

「そういう話、聞いたりしていないならたまにすると良いんじゃないかな。そんなに気になるなら」


 予想もしていないミサトの横入りに変な敬語となるもよく考えてみる。こんなことを気になり出したのは始めてだ、しかし、面と向かうと聞きたいことがなくなってしまう。目の前にいると別に今知らなくてもいいかなという思いに……。


「一つ言っておくけど、〝令嬢だった〟んじゃなくて今でも〝令嬢〟だから。ユリウスがもし海賊になったとしても令嬢に変わりない。勘違いするべからず」


 人差し指をたてる彼。今気づく、自分は無意識に彼女を海賊扱いしていたと。追い打ちをかけるようにイヴァンは耳元で彼にしか聞こえないように囁く。


「家族の血は一生断てないし、ここにいたとしてもユリウスは絶対海賊にならない。僕が保証するよ」


 どいうことだと睨むがいつも通りの笑みに逃げられる。


「ユリウスは案外ミステリアス」


 彼女の行った方を見て、嬉しそうな横顔している。呆れて船内に入るトーマに続いて皆がいなくなると、一瞬にしてその表情は変わる。


「ユリウスは案外……かわいそうだよ」


 初めてしたような切ない顔。彼の声は簡単に風に消えゆく。






 並ぶ白い建物、どれも同じような形をしていてどれがどれだかわからない。きっと住宅地、お店はまだ先だろう。

 微かに足音をたてながら進む。


「嬢ちゃん、ちょっといいか」


 呼び止められて振り向く。そこにいたのは少し歳をとったいかつい男性。何様かと眺めていると横の通路から若い男性が数名出てきた。こちらはユリウスと同い年。

 一体何の用だろう。




 手のひらに落ちた雫。甲板にいたナギは空を見上げる。薄黒い雲に覆われた蒼い空。当たり前のようでそうではない自然現象。


「雨、降ってきた」


 ユリウス大丈夫かな、と呟くナギを見て、トーマは心配そうな顔をする。

「……」




 朝はこんなに暗かっただろうか。冷たい雨が体の体温を奪っていく。手は後ろで縛られ自由がきかない。こんな体験をしたことがあっただろうか。目の前には歳のいったいかつい男と、その後ろにいる三人の若者。その者たちはニヤニヤしている。


「俺たちと遊ぶか、一人で死ぬか、どっちがいい。特別に選ばせてやるよ」


 小船に寝かされたままいかつい男を見上げる。一体何を望んでいるのかわからなくて瞳を真っ直ぐ見つめた。それをどうとったか、男は口角をあげ鼻を鳴らす。


「死ぬ方を選んだか。残念だ」


 そのわりには嬉しそうだ。


(ーーて……え?)


 まさか殺される?


「おい、銃よこせ」


 男が後方に手をやると、若者の一人が男に近づいた。その手には黒い拳銃。

 あの時に見たものだ、イヴァンが盗賊たちを相手にした時に使っていたもの。


 男と目が合うとユリウスは瞳を揺らす。

 カチャリと音がした。それは撃鉄を起こした音。照準はユリウスの顔。怖くなって瞳を閉じた。

 ーーバンッ

 銃発の音はしたものの痛みはない。目を開ければ目の前の男はへらへらとしていた。


「穴からどんどん水が入ってくる。終いには沈むだろう」


 もう一つ開けとくかとまた卑劣な音をたて、小船に穴を開けた。

 足元にある二つの穴からは水が入ってきている。死ぬなんてまっぴらごめんだ。だが何もできない今現状、ただ入ってくる水を見ているしかない。

 死ぬ危機感。泳げない恐怖。最近体験した水の中の怖さ。

 冷たい水底。やだ、死にたくない。


「恐怖に染まる顔、いいねぇ。たまらねえ」


 にやにやにやにや。

 この者たちはそういう趣味を持っているのだろうか。

 この街はどうなっている。この者たちが異様なだけか。

 死ぬという恐怖に染まった顔のどこが良いというのだろうか。


 ーーバンッ、バンッ、バンッ


 またもや三発打つと男は小さな木に結ばれている紐を外す。


「じゃあーな」


 そう言って小船を黒い靴で蹴った。

 ユリウスの乗っている小船が漂う。

 どうやったらこの紐外れるだろうか。外れたところで泳げなければ意味ないということは百も承知だった。とりあえず今はこの紐を。

 銃の発泡で複数空いた小船にはだんだんと水が入っていく。動けば動くほど船が揺れる。




 その場を離れた男の手ではアクセサリーが踊っていた。宙にあげては手の中に収め、また宙にあがる。男の正面から来る二名はなんとなくその顔を拝見する。一人はアクセサリーに目がいった。


「あれ、ユリウスの」


 気づかずにいた一人は見た瞬間目を見開き、かっとなって男の前に立つ。


「さっきの銃声はお前か?」

「ああ? なんだテメェ」

「テメェかっつってんだよこのブタゴリラっ!」


 顎めがけてのパンチがクリーンヒットし、男は一瞬にして失神した。周りの仲間たちがざわめく。


「あの小船か。レイ、そいつらぶん殴っとけ」


 気はのらないものの、小船に向かうトーマの背中を見送ってから男の仲間たちを見て、心ない目で呟く。


「リョーカイ」






「おい! 無事か!?」

「トーマ……っ」


 思いがけない人の登場にユリウスはひどく安堵する。涙腺が緩み思わず泣き出してしまうのを堪え、彼の名を呼んだ。


「ごめんなさい。捕まったりして」

「ほんとだよ。たくっ、めんどくさいことに関わりやがって」


 弱々しげに睫毛を伏せる彼女が微かに可愛く見えてしまう。まるで本当に自分がいけないことをしてしまったかのような顔だ。


「でも、無事で良かった」


 ユリウスの自由を制する紐を解き終わるなり、穏やかな表情をし優しい声質でそう言った。彼女は驚いて振り向くがその顔は見れず、水の溜まっている船から脱出を試みることになった。






「……ごめんね」


 金目目当てで襲われた。失神していた男の手から取り、レイは彼女が奪われた首飾りを渡した。今は胸元にある。

 ユリウスを探していた時にすぐそばで聞こえた銃声。まさか殺されてしまったのかとびくびくしたと聞く。

 見上げると、見られるというより睨まれる。


「ごめんねじゃねーだろ」

「ありがとう。トーマ、レイ」


 手慣れたやつの仕業だろう。ユリウスの礼を視界にいれながら二人は思った


「ーー……無事だったか」


 遠くで皆を見つめる男性。呟くとともにもう用済みだというように去っていった。その姿に気づいたレイ。気づいたかと二人を見るが、トーマたちは微笑みあっていてわかっていないらしい。

 急に彼女が声をあげる。


「あ」

「なんだ?」

「買い忘れたもの買い忘れてる」


 それより風呂だろ風邪引くぞ、と頑固な彼が言ってもユリウスは買いに行かなきゃと意地を張った。不満そうな彼を見つめ何を勘違いしたか、先あんなことがあったのに「先帰ってて」と言うものだから、彼は不満そうな顔を一層強くさせ、「いくぞ」と誰よりも早く来た道を戻った。


 彼の態度わけわからないというように彼女は隣にいるレイを見上げる。トーマはユリウスの心配してるんだよ、と思ったりはしたが口にせず、さもわからないといった風に首を傾げた。


「おい、いくぞ」

「あ、ごめん」


 機嫌の悪いトーマに追いつこうと彼女は駆け寄るが。


「ごめんはなしってさっき言ったろ」

「ごめんっ」

「……おい」

「ご、……ご機嫌斜めですね」


 まるでギャグを見ているようだ。

 ごめんとまた言いそうになって誤魔化した彼女に、あたりめーだろと言ってまた先頭を行く。それを彼女は足早で追いかける。


「ーー心配させやがって」


 自分の仲間が仲良くしている。それはとても良い光景なのだろうが、無言で二人を見つめるレイは思うことが違った。船に戻る道を振り返る。先ほど、彼の姿があった方向。






「ゼクスもびちょびちょ」


 ナギの目の前にいるのは雨にあたったずぶ濡れの姿の彼。艶の出ている黒い髪から水滴が垂れている。


「ユリウス探してたんならどうして一緒に来なかったの?」


 レイの話によると、トーマとユリウスの二人は途中まで帰ろうとしていたがユリウスが買い物のことを思い出し、店に向かったと言う。ゼクスはその前から船に戻ってきていた。レイもその一人。


 ダイニングルームに入ってきたばかりのゼクスは苦い顔をして出て行ってしまった。それを雨の中でしていたような瞳で見ている。


「きっと、ゼクスは難しく考えすぎなんだよ」

「何か知ってるの?」

「ユリウスのこと心配しているけど、ゼクスはそれを悟られぬよう過ごしている」

「あのゼクスが、心配?」


 淡々と話す彼。興味深いんだなと思いながらもナギは話を続けさせる。

 彼は一つ頷いた。


「どうして隠す真似するんだろう」

「……」


 ユリウスが船を降りた後だってゼクスは心配そうに行方を眺めていた。そしてあの時も、遠くでユリウスの安全を確認すると何も言わずに去った。それだけではない、ナギを助けようと自ら海に飛び込んで溺れてしまったユリウスを助けた、彼女がいつもと違うことをしようとする時いつも観察するような眼差しを向けていた。


 それはいつからか。優しさを無意識に隠すゼクスだけどここまで露骨にしない。最初は彼女に冷たかったはず、無人島から帰ってきた時からだろうか、それとも……。


「こんなことなら皆一緒に行けば良かったのに」


 珍しく優しい台詞を呟いた。そんなレイをナギは微かに驚いて見ている。






「おいおいお前何先帰ってんだ。少し探したんだぞ」


 びしょびしょな体で詰め寄る、何も告げずに船に戻ったレイを威嚇するトーマ。


「なんか言えよ」

「トーマだけで充分でしょ」

「……?」

「ユリウスを護る騎士(ナイト)はトーマだけで充分」


 何言ってんだ?というような顔をすると、まるでありえないというような目を向ける。


「知らない? 白馬の王子様?」

「知ってるから、それ以上続けるな」


 はっとしたトーマに止められ、残念そうにするかと思えば普通にしている。この話、白馬の王子様の童話の話は前にも聞かされた話だった。一度目にされた時はなんとなく聞いていたトーマも二度目には前に聞いたよと止めようとしたが止められず、三度目からは右から左に受け流すようになり、五度目から強制的に止めるようになった。誰でも知っているような物語だが特徴的なものが一つ、それは、とても話が長いということ。全て暗記してるんじゃないか、いやしているのだろう、完結までがとても長い。


「お風呂、どうする?」


 話をするタイミングを見計らっていたユリウス共々、雨にあたっていたために二人はずぶ濡れだ。


「お前が先入れよ」


 と言われるが本当にいいのだろうか。どちらも同じ条件で同じくらい濡れている。全身びしょびしょで時間が経つたび風邪を引く確率が上がっていく。だからといってせっかくの親切心受けとらないわけには。


 トーマは一度言ったら曲げない。だったら最初に入って早く出るのが一番良い選択ではないだろうか。

 無駄な時間を使ったわりに普通の考えに至ったユリウスは、急いで入るね、とそそくさと部屋を出て行った。


 おう、ゆっくり入れよ、という言葉が届く暇もないまま去った彼女を見て、なんなんだ?と疑問符を浮かべる。

 二人のやり取りをテーブルに座ってリラックスモードで見ていたナギは、頬杖をつきながら他人事のように言った。


「トーマもユリウスもホント、優しいね」


 ほんの少し溜め息を入り混じながら。



「レイ、一回交換してくれない」



 暗闇の甲板。いつもの微笑みで頼み込むのはーー。


「イヴァン?」


 どちらかが部屋を間違えたか。扉が開いてレイが入ってくるかと思いきや、そこにいたのは思わぬ人。

 ここはレイの部屋だ。やはり間違えたのは彼か。しかし彼は驚いた顔もせずこちらに寄ってくる。そして急に抱きしめた。


「また変なのと関わちゃったんだね。でも大丈夫、安心して。今度また何かあったら俺が守るから」


 本当は今でも恐怖を覚えているはず。トーマから聞いた話では、銃を何発か発泡していたということだから銃口を向けられたはずだ。

 驚きはしたもののユリウスは抵抗しない。イヴァンの胸元で安心感を感じたままふと思ったことが口に出る。


「あったかいね……」

「寒かったの?」

「ううん、違う。そうじゃなくて」


 心があったかい、そう小さな声で呟く。

 あまりちゃんと覚えていないが、こういうことをされたのは母に抱きしめられた以来だった。暖かい、一人じゃないんだって思わせてくれる。そんな行為が好きだった、のだが、男の人にされるものとは少々違う。


「ずっとこうしていよっか?」

「イヴァン、部屋を間違えたんじゃないの?」

「間違えてないよ。レイに交換してもらったから」

(ーーレイに交換してもらった?)

「一回交換してって言ったらいいよって」


 まさかレイがそんなことに乗るとは思わなかった。わざわざどうして。

 さりげなく胸板に手を当てそれ以上近づかないようにしていると、イヴァンは察したのか身を引いた。


「一緒に寝よ?」


 前と違って、危険、という感じはしなかった。それはどうしてか。彼が、イヴァンが悪い人ではないと知ったから。いつもおちゃらける人だけど、本当に大事な時は雰囲気までをも変えて向き合ってくれる。それはとても良いと思った。




 いつもと違う部屋。灯火の下で読書するレイは先の事を思い出す。


『どうして』

『慰めてあげたいから』


 部屋を一回交換してと言ってきた彼に問うとそんな答えが返ってきた。もちろん断る理由なく了承したが、交換するのは部屋ではなく、ユリウス自身だけで良かったのではないかと思う。


 イヴァンの部屋は予想以上に綺麗で決して汚いというわけではなく、ベッドの上で足を伸ばし背板に体を預け居心地良くやってはいるがなんだか落ち着かない。その原因が何かなんて検討はついている。ここの部屋の主が使っているアロマキャンドルだろう。安全な燭台にいれ、今は使っていないが彼は毎日使っている。いつも微かに香ってくる匂いは大丈夫だが、使っている場所は意外に強烈な匂いがするものだ。


 明日からは部屋だけは必ず交換してもらおうと、本のページをめくった。




 それからの一週間はイヴァンの部屋でユリウスは寝ることになった。『一回の交換』をレイは勘違いしたらしく、次週が部屋泊めの番となる。




(なに……これ)


 目を覚ませば広がる景色は薄暗いどこか。ジャリッと聞きなれない音に手元を見てみればこれまた見慣れない手錠。一体何があっただろうか。






『大会?』

『そうそう。勝ったやつには宝箱が与えられるって』

『宝箱?』

『その箱の中にたくさんの貴重な品があるんだと』


 確かトーマは街で貼られていた記事を見ていた。それを食事中、皆のいる所で公表した。そしたら皆は食いつき気味な目になって、街に留まることになって、朝になると皆が街に降り。昨日のことがあるから船で待ってろ、とトーマにきつく言われユリウスは一人船に残った。


 退屈で仕方がなくて街を眺めていてもなんだか暇で、それでいて一人というものは静かなものだと久々に感じた。


 遠くから来る人たちが数名目に入る。気になり凝望。すると、昨日の者たちがいたと分かった。恐怖に苛まれ、船内に隠れたが簡単に見つかり捕まった、まるで獲物を確保したかのような当たり前かのような動作だった。


 それからは何かに入れられ視界が暗くなり、どうここへ来たのか分からない。が、襲ってきたのは昨日の者たちではなく、数名の男たちだと覚えている。


「どうして、こうなったの……」


 何度見ても手元にある手錠は消えない。






 応援や野次が飛び交う円状に造られた会場。その中心で脚光を浴びる金髪の男と見知らぬ対戦相手。

 仲間である彼を他人事のように観客席で見つめながらゼクスは考える素振りをする。そんな時、何かが聞こえたような気がして後ろを伺う。けれどそこには戦闘中の会場に目がいっている男女共々。


「どうしたの、ゼクス」


 隣にいるミサトがゼクスの異変に気付いて問うが、ゼクスは、いや、とだけ言って会場に目を向けた。

 不思議に思い、その横顔を見ていたがつられ会場に目を向ける。

 準決勝。これが終わったら決勝だ。果たしてトーマは残れるだろうか。




『ゼクスさん』

『その呼び名、やめろ』


 それならなんと呼べばいいのか迷うユリウスを見て、彼は吐き捨てた。


『ゼスでいい。これからゼスと呼べ』


 あまり変わっていないような気がするがあえてその事は言わずに彼の背中を見送っていると、横から入ってきたイヴァンが「ゼクスってなぜか異様にゼスって呼ばせたがってたんだよね」と情報を残して立ち去った。たち去り際、ぼそぼそと口にしていたことがある。「今ではもう諦めてるみたいだけど、ユリウスにはまだ挑戦してるんだ」……と。何事かと思ったがこれまた彼の仲間である人が教えてくれた。横にいたミサトが言った、『最初はゼクスのことを皆ゼスと呼んでいた。しかし、ある日を境にゼクスと言うようになった』ーーと。


 ユリウスははぁと息を吐く。こんな時に思い浮かべることかと自分を咎める。

 今は自由を奪う手錠を外さなければ。それからはここがどこか分からないが散策するしかない。


 そんなことを思っているとコツコツと足音が近づいてきた。足音が止まるとシャラッと音がし、パチッという音とともに眩しい光が目につく。

 閉じてしまった瞳を開くとそこには老人がいた。四十前後といったところだろうか。この人が自分を……ーーそんなことよりも驚くべきことが。


「なんですか、これ」

「見れば分かるじゃろ。檻さ」


 握り締める鉄、それが何本も自分の周りにある。暗くて始めは分からなかったが彼が電気を付けたことで分かった。

 これではまるで鳥籠の中だ。ーー自由を奪われた鳥、それが自分。


 理不尽なことのように思えるが城で暮らしていた頃をユリウスは思い出してしまった。鳥籠の中にいるような生活。不自由で息苦しくて自分という存在がなんなのか分からなかった時の。今でも自分という存在がなんなのか分かっていないが、分かっている気分になっていた。


「君は売られる」

「売られる……? 売られるって誰にですか」

「人じゃ」

(ーー人?)


 老人の言っていることが分からない。人というものは売られるべきものでも売るものでもないだろう。人は〝物〟ではないのだから。


「お嬢さん、人身売買という言葉を知らんのか?」

「人身売買……?」


 それはどこでも聞いたことがなかった。


「ほんとに知らんのか。驚いたな」


 人身……個人の身の上。売買……取り引き。それをくっつけてみるとなんとなくその言葉の意味は分かる。けれど理屈上信じられない。

 混乱しすぎて頭が回らない。


「まあいいか、身をもって知ることじゃ」


 そう言ってのける老人の手には見覚えのある物。


「それ、私のもの」

「ん? これか。君はとても良い物を持っているね」

「返してっ」


 勢いよく檻にしがみつくと、老人は笑みを絶やすことなく表情変えることなく去って行く。その背中をただただ見つめることしかできない。


「よお、嬢ちゃん」


 いきなり耳に届いた低い声にはたりと息を止める。振り向いてみればそこにいたのは昨日の連中。


「とんだ災難だな。悪いやつらに二回捕まるなんて」


 大きな男が目の前まで来てしゃがみ込み、目線を同じにしてくる。

 悪いやつら、それは己のことも入っている。


「まあ、恨むなら仲間たちを恨みな」


 仲間たち、それはトーマや皆のこと。


(どういうこと……?)


 意味深な笑みを残し、男は踵を返し行ってしまった。聞きたいことができたというのに、すぐに姿を消した。




 カーテンの向こうではよく分からない取り引きがされている。お金の値がどんどんと上がっていき、値段が決定される。そんなやり取りの声。


(売られるって何? 人に人が売られる?)


 そんなことがあってもいいのか。売られたらどうなるの。

 わけのわからない恐怖にユリウスは体を縮込める。


(恨むなら仲間たちを恨みな、って、まさか……)


 疑いたくないのに疑ってしまう。


(そんなこと……ない)


 この状況下では『信じる』なんて方が難しい。






「勝ったぜ」

「さすがトーマ」


 ナギの純粋な言葉に、ふふん、と嬉しそうにする彼の腕の中には賞金代わりの宝箱。武器を手にして戦い手に入れたものだ。だがそれを冷めた目で見ている者が。ゼクスは口を開く。


「終わったのなら早く行くぞ」

「どこに?」

「決まっているだろ。船に、だ」


 ああ、と思ったトーマは何かに気づき、辺りを見る。そして足りない存在に気づいた。


「レイは?」

「……」


 また嫌な予感を的中させるんじゃないかと、ゼクスは顔を歪ませる。先ほどまでレイはミサトの先のナギの隣にいた。決勝が始まって少し経った頃に席を立ち、それからは未だに帰ってきていない。

 ーー目の間違いでなければレイは数人の男たちを見ていた。考えが正しいのであれば。

 一足早くゼクスはその場を離れた。





「さーて、お次は上玉」


 とても活気のある声。いつかその番が自分にくるのだとわかっていながら逃げることもできず、ただただ檻という籠の中でうなだれていた。

 人影が一つ。薄暗い所にももう慣れてきた。うるさい所に連れて行かれるんだろうか、でもそちらから来る人はここに入ってきたばかりの人になるはずだから……ーー。

 目に飛び込んできた人物に思わず大きな声を出す。


「ゼクス!?」

「静かにしろ」


 静止されすぐに口を覆う。異変に気づかれ悪い者が来てしまえばおしまいだ。

 ゼクスが助けにきてくれた。あのゼクスが。

 そう感激している間にカチャカチャと鳴る音。それは檻の鍵を開けている音だった。ゼクスはまだ暗闇に慣れていないのだろう、手任せに開けている。

 鍵が開き、外に出ると無難な疑問を抱く。彼の手にあるもの。


「鍵……」

「イヴァンから預かった」


 耳をすませばカーテンの向こうから聞こえる。


「さっきはぶつかっちゃってゴメンね、おじさん」


 イヴァンの声だ。


「さっさと逃げるぞ」


 手錠をも外してくれたゼクスに急かされ、イヴァンの声がする方を気にするも、彼の後をついて行った。

 手錠と鍵は床に、そしてスーツを着た二人の男もその場に倒れている。




 ユリウスたちが脱出に成功した。カーテンの向こうではまだ、イヴァンは老人を前にしていた。


「いや、別に大丈夫じゃ。それよりーー鍵を一体どうしたんだ」

「あれ? バレてた?」


 目を細める男、普通な奴ではないと気づく。

 商品(人)を見たいと強引にステージに乗り、近くの支配人と思われる老人にわざとぶつかり鍵を奪いゼクスに渡す。それまで完璧な動作だったはず。それがいつ気づかれたか。

 相手に気づかれず、物を盗むなんてお手の物なのに。


「僕たちの仲間を取り返すために一度借りただけ。きっと今はそのカーテンの奥にあるよ」


 さらっと軽く答えるイヴァンに男は笑みを絶やさない。


「ほう。それならこそこそやる必要なかろう」

「ーー?」

「仲間を取り返しにきたんじゃろ? だったら普通に言ってくれればちゃんと返したさ」


 意図の読めない発言に彼の真意を窺おうと真っ直ぐと見つめるが、何も視えない。


 本当に本心で言っているのだろうか。人身売買してしまえば金となるのに、そもそもその目的があってユリウスを捕獲したはず。なのになぜこんなにも潔く返してくれるのか。何か別に目的がある?


 本気かわからないがそれならまあいいか、とイヴァンは二人を追おうとその場を後にしようとしたが。


「これ、あの娘のじゃ」

「……あんた、何のつもり?」


 差し出されたネックレス。受け取ったものの怪訝に見てしまう。それはそうだ、ユリウスから取ったであろう物までも自ら返してくるのだから。

 何か企みがあるに違いない。でなければこんな行為おかしい。


「居場所のある娘をわざわざ奪ってまで売ったりしないさ」

「じゃあなんでこのネックレス取ったの? これはユリウスの一番大事な形見なんだけど」

「それは知らなかった。すまないね」

「俺に謝っても意味ないし」

「けれどもしあの娘の買い手がついていたとしたら、いずれそのネックレスだって売られていた」


 悪気があるのかないのかわからない発言に不満を言うイヴァンへ向け、老人は経過を話す。それが彼の逆鱗に触れた。


「だからユリウスは俺たちの仲間だから、売られるなんてことはない。もし売られてしまったのなら奪い返すまで」


 まるで炎のような瞳。

 長居してしまったと急いでその場を離れるイヴァン。


「娘がいない!?」

「運んでくるはずの男たちも倒れていて……」

「ああそれは私がーー」





「お前は本当に面倒なことに巻き込まれるな」


 早歩きで行ってしまう彼を必死で追いかける。

 相当機嫌が悪いらしい。さっきから人の顔も見ずに先ばかりを見て、置いていかれそうになる身に気づいていない。


 否、好きでやっている訳ではない。面倒事に巻き込まれるのは面倒だ。その上恐怖が襲う。けれど言い返せない。


 ゼクスが助けに来てくれなかったら今、自分の身は自分の身でなくなっていた。人身売買されたことはないがなんとなくわかっていた。わかっていたからこそ泣きそうになる。あの時、本当にゼクスが助けにきてくれなかったらと思うと今ある現実が安堵する場でしかない。





「ユリウス! 良かったあー、無事だったんだね」


 船に戻ってくればナギが一番の表情で迎えてくれる。その顔を久しぶりに見たような感覚が襲い、思わず表情を曇らす。


「ゼクスが助けてくれたの」

「そうなんだ。何かあったんじゃないかと心配していた、って……え?」


 暗い様子のユリウスを見上げ、ナギはきょとんとする。

 ナギだけは何も知らなかった。トーマやミサトたちはレイに、昨日の男たちが関わっているかもしれないと聞いてはいたが。


「私……、ごめんなさい。昨日も似たようなことがあって迷惑かけて心配かけて」


 顔を下げたまま謝ったその時、弁護するように話に入ってきたトーマの言葉はきついものだった。


「本当だよ。あんなに船で待ってろって言っといたのに、ここは危険な街だって昨日思い知ったばかりだろ」

「でもそれは、ユリウスだけが悪いというわけじゃないと思うよ。危険な街かもしれないって薄々感じながら一人で船で待たせた僕たちも悪いと思う」

「そうかもしれないけど、だけど……」


 船を降りる間際、ちゃんと船で待ってろと何度も強く言い聞かせたのはトーマ。昨日のことがあって、ちゃんと目の届くところに置いておいたほうがいいという考えにあたったトーマだが、大会にどうしても出て賞金を取りたかった。だからどうしたもんかと昨日の夜考え浸っていたが、船に残っているだけなら大丈夫だよというミサトの発言を信じ大会に出ることになった。


 ユリウスは俯いたまま何かを言いかけて口を閉ざす。トーマは勘違いしている。ユリウスは船から降りて悪い者に捕まったわけじゃない。船の上にいてそこに男たちが来て捕まったのだ。ちゃんと説明して誤解を解きたい気持ちもあるが、そんなことしても何も変わるわけではない。迷惑をかけたことには変わりない。


 一番迷惑をかけた相手はゼクスとイヴァン。地下にある会場まで助けにきてくれたのだ。丁度その上にある大きな会場が大会場だったらしい。


「今回のことは俺が悪かった。ここへは忘れ物を買いにきただけなのにここに留まると決めたのは俺だ。攻めるなら俺を攻めろ」


 一瞬にして場の空気が静まる。

 いつも一番心に突き刺さる言葉を言ってくるゼクスが、今日はなぜだか庇ってくれた。庇ってくれたのかどうか、本当か定かではないが救われたことに間違いない。皆がいなくなってから彼の傍に寄った。


「さっきは、ありがとうございました」


 ゼクスは視線をそらす。まるでどうでもいいといった感じで。気にせずユリウスは話を続ける。


「人が人に売られるなんてことがあるなんて初めて知りました」


 人身売買という言葉も。


「他にも人がいた、けれど助けることはできなかった。……助けてもらうしかできなかった身が言うのもおかしいとわかっています。ですが、これで良かったんでしょうか」


 海を眺めていた彼女につられ、ゼクスも海を眺め始める。


「どうせ何もできない。助けたところでそいつらの居場所はどこにある」


 ーー居場所。


「船に戻ってもお前の姿がなかった、もしかしたらと思って昨日の奴らに聞いた。そうしたら恨み晴らしに売ってやったと。本来、あそこで売られるやつは居場所のない、生きる希望をなくしたやつのみだ」


 ーーそれじゃあ……


「私は居場所も、生きる希望もあるんですね」


 彼女の笑みを見て思い出す、レイを見つけたその先に男たちがいたことを。レイは彼らの動向を伺っていたらしい、傍に寄れば少し遠くにいる男たち見つめながら言った。


『あいつら昨日のやつ』


 その時は別に何ら問題ないと船に戻ったが、そこにはユリウスの姿がなかった。


『どこ行くの?』

『心当たりがある』


 すぐさま男たちの元へ行き脅しをかけると素直に全てを話した。ついて来たイヴァンとともに地下にある会場に入りユリウスの救出を決行。

 そしてそれが成功し、今彼女の姿が目の前にある。


「ゼクスさん、私これからもゼクスさんのことゼクスさんと呼びます」

「白々しい」

「え」

「さっき、呼び捨てにしていたやつはどこのどいつだ」


 ふと考える。思い当たる点があった。

 ナギが明るい表情迎えてくれた時、思わずゼクスの名を呼び捨てにし口にした。本人が傍にいたというのに、今思えば凄くさりげなく言っていた。いつも裏でしていることが今日は表に出た。


「他のやつの前ではさん付けしないんだな。どうしてだ」


 白状しなければ。

 別に対したことではない。


「それは……ゼクスさんの前ではちゃんとさん付けしないといけないなあっと思って。一応年上なわけですし」

「だったらミサトにもそうなのか。ミサトは年上だからさん付けしないと、と思って呼んでいる、そういうわけか」

「ミサトさんは自然と、です」


 彼は一瞥する。


「俺だけが心の中で呼び捨てにされている。その理由は?」

「第一印象が良くなかったから、だと思います。ミサトさんはお兄さんみたいなとても抱擁力のある方だったので自然とさんを付けさせてもらいました。でもゼクスさんは……」

「なんだ?」

「意外と子供っぽいというか」

「……」

「身長は大きいけど器は小さいというか」

「ほう?」

「まあ冗談ですけど」


 最初の方は本気だった。後の方からは面白半分、本音半分。


「今日はずいぶんとお気楽だな。夜分一緒にいるイヴァンにでも似たか」


 ちょっとした変化を目にしてゼクスは問う。

 ユリウスは今週イヴァンの部屋で寝ている。一緒にいすぎて似てしまったというのか。


「……そう、なんですかね。ただ、今は空元気を出していないとやっていられない気分です」


 母の形見、ネックレスを手にする。

 イヴァンに返してもらったわ悪者の手に二度も渡ってしまったネックレス。イヴァンを含めればもう三度目となってしまう。


(ーーもっと大事にしなくては。自分自身も)


 ぎゅっと、強い気持ちとともに握りしめた。


「腹減った」

「え」

「ミサトが何か作っているだろう。行くぞ」


 まだ昼食は食べていない。確かにお腹は減っていた。

 ダイニングルームへと向かうゼクスの後を、一呼吸入れてから追った。


 船内に入っていく、二人の姿を二階の甲板で見ていた人物。ーーイヴァン。

 何だか三角関係な予感はしなくはなかった。

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