第8章ㅤ無くしモノ2
ゼクスの嫌な予感は的中していた。
ユリウスたちは数人の男に囲まれている。ーー盗賊のような連中。先程、果物の屋台にいた男二人もいる。彼らの仲間だろうか。どうやら反感を買ってしまったようだ。
こうなる前までユリウスとイヴァンはこの街の屋台を楽しんでいたというのに、平和な時間は崩された。
「イヴァン……」
私のせいだというように、自分を庇うようにして前にいるイヴァンを見つめる。表情は見えないが、堂々とした背中からは怯えている様子は全く感じられない。
イヴァンは一人でこの中にいる大人二人を打ち負かした。けど、こんな数、先の二人を入れて七~八人ほどの相手はどう考えも無理だ。
イヴァンが弱いと言っている訳ではない。相手らは危険な武器などを持っている。片手に剣を持ち、威嚇ーーいや、脅しの体勢を取っているのだろう。何て甚だしい。
「助けてって言ってよ」
「ーー」
「助けて、イヴァンって」
その表情、その口調、口元ーー確かに笑っていた。
こんな状況でそんな余裕な顔をしていられるなんて。驚きを隠せないユリウスは言われた通りの言葉を口にした。
「俄然やる気でてきた」
右腰の鞘から抜いた剣は左手に、左腰に抜いた拳銃は右手に。引き金のところを指先でくるくると回してから手に収める。
「かかってきなよ」
イヴァンの挑発に、止まっていた男たちは一斉に動き出す。
「ユリウスは下がってて」
自ら前に出ると一人の男と相討ちになり、金属と金属とがぶつかり合う音が響き渡る。軽く身を引くと相手が怯む。それを狙い腰に蹴りを入れると、その男は真横に吹き飛び地面に転がった。休む暇なく前方から三人の男。これは受け止めることなく姿勢を低くし足に蹴りをいれる。弁慶の泣き所ーーつまり、脛(すね)。痛ってえと脛をさする者、抑える者、疼くまる者、それぞれ反応が違う。
「小賢しいことばっかしてねえで、ちゃんと面と向かってかかってこいよ」
「あんたらこそ、そうやって弱い者同士集まってアリの大群みたいによってこないでよ。あ、その顔こわい」
またもや挑発。男は頭に怒りの筋を浮かべる。それでも未だにイヴァンは余裕な表情。
地に転がる男がぴくりと動く。最初に蹴飛ばされた男だ。右手に持つ剣を握り、先程声のした方に薙(な)ぎ払う。おっと、と言いながらイヴァンは交わした。されど、一歩後ろに下がると今度は待ち伏せしていた男が剣を振りおろす。キンッーーという音ともにドンッという音。イヴァンは男の剣を受け止め、足を絡め倒したのだ。
「こっちは手加減してあげているのに」
それまで使わずにいた拳銃の持つ手を、スローモーションとも呼べるスピードで後ろへやる。
「そういう言い方はないんじゃないかな」
まるで戦闘が楽しいというような表情。
銃口の先にいるのは一人の男。イヴァンを倒そうとしていたのか剣を構えているが、拳銃を見た途端その動きは止まった。ーーフェイク。男との距離を一気に縮め、剣の柄を腹部分に突く。すると男はお腹を抑えながら跪いた。
イヴァンは決して血を流れさせることはしない。それはこの場にユリウスがいるから、という理由もあるが、もう人は殺さないと決めているからだ。
弁慶の泣き所を蹴られしゃがみ込んでいた者、まだ攻撃を受けていない者、一斉にかかってくるが、イヴァンは次々と倒し、もう立ち上がる者はいなくなった。
「もう終わり?」
つまらない、と言うかのように剣をしまう。
その状況をずっと見ていたユリウスは安堵した。あの数相手に怪我一つしていない。良かった、と強張っていた顔を緩ませる。だが、一人の男が動くのを目にした。剣は遠くの方にあって無い。その代わりに男は、近くにあった少し太めの木の棒を持ち、イヴァンに向かった。
イヴァンは気づいていない。後ろからやってくる男に。
「ーーオラァっ」
「ちょ、ユリウス」
危ない。そう思ってユリウスは駆け出した。だが、男に掴みかかると簡単に吹き飛ばされた。男も必死なのだろう。やってきた邪魔な何かを反射的に退かした程度にしか思っていない。
瞳に映るのはユリウスが吹き飛ばされた姿。いずれ地面に落ちる。かかってくる男に対し、イヴァンは気にとめなかった。棒が振り下ろされた時、反射的に素手で受け止めた。
男は必死になって棒に力をこめるがびくともしない。それどころか何か威圧らしきものを感じる。それは何なのか、男が確かめようとする前にそれは目に映った。イヴァンの赤き瞳。その瞳は深く、怒りに満ちているようだ。炎とも呼べる目。
男は怖くなって込めていた力を無くした。棒は落ち、無防備な姿のままその場に立ち尽くす。そんな男の心情をよそに、右腰から抜いた拳銃をイヴァンは男の額に構えた。
「殺してあげよっか?」
先の怖い瞳は嘘だったんではないかと思うほどの不気味すぎる清々しい声と表情に、男は身震いする。
「……降参だ」
「俺を怒らせたから、降参の選択肢はありません。残念」
「おい、嘘だろ」
「本気だよ」
撃鉄を起こし、銃口を男の眉間にやる。すると男は、見る見るうちに顔が真っ青になっていく。
「風穴あけてあげるよーー君だけ特別に」
〝頭蓋骨にーー……〟
バンッーーという卑劣な音が、初めてこの場に鳴り響いた。
「世の中にはああいう方たちもいるんですね」
和やかな風を受けるユリウスは、あの時の事を思い出す。イヴァンが拳銃の引き金を引いた後の事を。
『ヒッ。ゆ、許してくれ』
『許してあげない』
銃口を男の額に当てていたものの、イヴァンは男の額に風穴をあけることはなかった。
『何を、すればいい』
『何を? うーん、死んで地獄の果てでも許しをこいて、俺たちに……ていうかユリウスに手を出そうとしたことを一生後悔してもう一度死ねばいい』
『それは! 俺はその女に手を出そうとなんてーー』
『その女? 何、その女って?』
『……そこのお嬢さんに手を出そうとなんてしてないです』
『だとしても、ユリウスは俺を守ろうとしてあんたの攻撃を受けそうになった。……てか、事実吹き飛ばされたし。それに手を出そうとしてようがしてまいが、傷つけてしまえばどちらも同じ結果。ーー分かる? 分かるよね? そういう理屈、俺には関係ないって』
『分かり……ました。すみません。俺が悪かったっす……』
その男は、一応合格、という事で許された。
「盗賊だよ。海賊の中にもああいう奴らは結構いる」
「でも、イヴァンさんたちは違いますよね。海賊は海賊でも、悪者ではないと私は思います」
「……」
「皆、優しくて好きです」
きつい態度を取るゼクスを除いて、などというような事は一切言わなかった。
ユリウスの心からの表情に、イヴァンは目が奪われる。
「二度も助けていただいたイヴァンさんには本当、感謝してます」
イヴァンに目を向け、急にかしこまった態度をとる。
「お礼なんていいよ。そういう仲じゃないし」
言われた事がいまいち分からず首を傾げるユリウスのことを一度見てから、イヴァンは口を開く。
「俺たち仲間でしょ。そんな気使うことないよ。ユリウスは守られて当然、僕たちは守って当然」
「……」
「だから遠慮することない。迷惑かなだとか気を使う必要もない。ーー分かった?」
正面に向けていた視線をユリウスに戻すも返事が返ってくる事はない。まるで話を聞いていないようなすっとぼけた顔をしている。
「ユリウス?」
怪訝な顔をすると、やっと気づいたかのように瞬きをする。それから申し訳なさそうな顔になり、俯いた。
「……ちゃんと聞いてませんでした」
俺たち仲間でしょ、と言われたあたりからイヴァンの話は耳に入っていなかった。すみません、とユリウスは謝る。
「それより、庇うなんて真似、もうしないでね」
か細く聞こえた声に顔を上げると、真剣な横顔が目に映った。
「正直、嬉しかった半面もあるけど、心臓に悪かった」
そんなに心配してくれたのか。
ユリウスはわずかにときめく。
「ーーなによりイラついた」
ワントーン低くなった声。無表情な顔。真っ直ぐとした瞳。心配してくれていただけではないんだなとまたもや申し訳なさが襲ってきたユリウスは謝り一度俯くも、両手に拳をつくりイヴァンを見上げた。
「……でも、約束はできないです」
「良い度胸してるね。でも、本当にイラつくと何するかわからないよ。だから、それだけは覚えといて」
はい、と頷くユリウスをクスッと笑ってから何気なく片手を差し出した。首を傾げる彼女に穏やかな表情を向ける。
「行こう」
差し出される手を取るなりユリウスは、いつもはつけていない革製のドライビング・グローブについて問いてみた。
来た道を戻ってみれば、果物屋の前に、先までユリウスが探していた彼の姿があった。ふとこちらに気づけば驚いたような顔になり、ある一点のところに彼の視線が注がれた。
「何でお前手繋いでんだよ」
「デート中」
「は!!?」
それまでむすっとしていたトーマの顔は一変する。にっこりスマイルで繋ぐ手を掲げるイヴァンを見てから、ユリウスに視線を注いだ。今、ユリウスには、お前いつこいつとそんな仲になったんだよ、という無謀な問いかけがされている。
否、誤解だ。弁解するのは少し大変そう。
無闇に否定することは控え、ユリウスは分からないというような曖昧な笑みをした。だが、それに納得いくはずもないトーマ。
「お前に似てるからやる」
不機嫌な顔をしたまま、手に持っている物をユリウスに差し出した。綺麗な桃だ。果物屋で買ったのだろう。ぶっきらぼうに渡された桃をユリウスは受け取った。
「トーマって、意外とえろいんだね」
「は?」
ひょんとした顔をしたまま、今言われた事の意味を考える。
目の前にいる男からはからかっている様子が全く感じられない。だったらなぜそんな単語がでてくるのか。何となく言ってしまった、桃がユリウスに似ていると。それは別に変なことを思って言った訳ではない。イヴァンがそれをどう受け取ったかだ。
真剣な顔をして考えて考えて、それが分かってしまった。
「ピンクだよ! ピンクが似合いそうだからだよ!」
急に叫ぶように言ったその頬は少し赤い。煽てるように、イヴァンは何でもお見通しな目を向け続ける。すると更にトーマの顔は赤くなっていく。
桃といえば柔らかい。桃の形といえば……。
そこまで考えて赤面したのだ。イヴァンにからかわれても仕方がない。
永遠と続くような羞恥。それを絶ったのは、
「ーーありがとうございます」
桃を大事そうに両手で持ち、礼を言うユリウスだった。
物一つでこんなに嬉しそうな顔をするのかと二人はその行動に釘付けになる。綻んだ顔は今まで見たことがないくらい幸せそうで、その瞳は両手に持つ一つの桃に注がれている。
胸の鼓動が微かに早まる。まるで自分に向けられている表情のようだ。本当に自分に向けられていたらどんなものだろう。
「てか、服替えたんだな」
話題を変えたトーマに、イヴァンは今更というような顔をし、ユリウスは小さく頷いた。
「なんつーか、その……似合ってる」
照れ隠しに視線を外しながら放った言葉は、ユリウスの瞳をまんまるくさせる。何も言わず見上げてくる彼女と視線が合うと、トーマは瞳を揺らした。
「いや、何か女海賊みたいな。……前の服着ていたより弱々しく見えないっていうか」
「つまり、トーマが言いたいのは、ユリウスがたくましくなったってこと?」
イヴァンの投げかけにユリウスまでもが射るように見る。
「か、かか、かっこよくなったな」
明らかに動揺しているトーマの発言に、意味わからないという顔をするも、ユリウスは表情を緩めた。
「良かったです」
かっこよくなったということは、先トーマが言ったように弱々しく見えなくなったてこと。弱々しく見られていた事は知らなかったけど、弱々しく見えないということは、心配させてしまう対象ではなくなったということ。
「……どうしてあんな発言でユリウスは嬉しそうにしたわけ?」
「……知らねーよ」
先頭を歩くユリウスの後ろで、こそこそと話す二人。
強い疑問を持った。あんな発言であんな嬉しそうにできものかと。
(ま、トーマはあまり褒めることしないから、というか褒めるのヘタだから、ユリウスもそれを知ってて褒められただけであんな嬉しそうな顔したんだ、よね)
自分は些細なことでも褒める。何か損をしたような、嫌な気分になるイヴァンだった。
「お前ら、何かなかったか」
「ん? 何もなかったけど?」
「本当か?」
皆のいる酒屋に戻って来たユリウスたちに、ゼクスは的のない直球な質問をする。探るような目つき。イヴァンは平然とした顔で受け止める。
この顔、何かはあったと悟るも、これ以上何も情報が取れないと見切りをつけたのか、今度はトーマに鋭い視線を向ける。
「俺はさっきこいつらに出くわしたばっかだし。別にこれとっいって何もなかった」
次はユリウスに。
「何もなかったです」
三人が揃えて何もなかったという。トーマは正直者で嘘をつくとすぐにそれが顔にでる。だが今回はでなかった。トーマには本当に何もなかったということだろう。しかし、他二人には何かはあったに違いない。心奥を探ろうとした時、イヴァンはそれを逆手に取ってわけありな面を顔に貼り、ユリウスも隠し事があるかのように視線をそらした。
これはトーマのいない所で何かあったか。
そこまで分かったところでゼクスはふっと一息ついた。
「ゼスは皆のこと心配してたんだよ」
「え、こいつが?」
ミサトの発言にトーマはありえないというような顔をする。
三人から言わせてみれば、ゼクスがどうして何かなかったかと真剣に聞いてくるのか理解ならなかったからミサトの説明はありがたいが、まさか本当にそれが理由で……。
「悪いか?」
変わりのない表情で見上げれば、その場にいた三人は固まった。いつもなら冗談はよせとか言うはずなのに。これが意表を突くということなのだろう。
(僕もいるのに……)
テーブルで一人オレンジジュースを飲んでいるナギは、どことなく悲しげだ。
「嘘、守り抜いたね」
「そうですね」
船の甲板で佇む二人。いつもながら綺麗な空と海(情景)を見ながらに会話をする。
ーー『今回のことは内緒だよ。皆、心配するだろうからね』
盗賊たちに襲われたことは内緒にしておこうということになっていた。だからあの時、何もなかったと言って嘘を守り通せた時にユリウスはイヴァンと目配せをした。
「敬語はもう使わなくていいんじゃない? そういう仲でもないし」
どこかで聞いたことのある台詞に、ユリウスは表情を緩める。
「だったら、どういう仲ですか?」
「友達以上恋人未満」
「コイビト……?」
あまり聞くことのない単語に首を傾げる。
イヴァンの意味ありげな笑み。
「だってーー」
ユリウスの後ろ側に映った者に言葉は止まる。
「また邪魔しにきた?」
「誰が邪魔だ」
それは、ロープに足かけ船に上がってきたトーマだった。
「邪魔しにきたとしか考えられないでしょ」
「邪魔しにきてねーし。お前ら別にいい感じに見えねえし」
ふーんと考える様子のイヴァンはユリウスの後ろに回り、手を伸ばす。両手を腰に回すと背後からぎゅっと抱きしめた。
「ユリウスは僕のものだから。手出さないでよね」
その行為に物凄い顔をするトーマ。
「いつからお前のモノになった?」
「さぁ、いつからだろう」
「……」
「はじめからだったのかも」
何も言ってこない相手。いい気になって話を続ける。
「ほら、俺ユリウスのネックレス持ってきたでしょ? それは運命だったんだよ。それから俺とユリウスの恋の始まりがーー」
「そんなもん始まらねえよ」
おふざけが過ぎたのか、怒り気味の様子。それでもイヴァンはユリウスから離れることはしない。ずっとユリウスを後ろから抱きしめたまま、傍観者のようにトーマの様子を窺っている。
(焦ってる焦ってる)
一つ一つの変化を楽しみながら。
「あの、イヴァンさん……」
「イヴァンでしょ?」
「おふざけはそこまでにしておいたほうが」
「ユリウスはおふざけって分かってたんだ。だったらもっと悪戯(イタズラ)しちゃおうかな」
へ、と顔をするも、イヴァンの笑みは変わらない。そのまま顔が近づいてくる。しかし、ぐいっという感覚とともに視界が揺れた。
ユリウスの右手を引き、自分の方に引き寄せたトーマ。目がある一点のところにいく。ユリウスの左手はすかさずイヴァンが掴んでいた。どちらも何も話さず、視線だけが交わる。
「お前ら、仲良しごっこはおしまいか」
「本当に仲良いね」
ほんの数秒。聞こえてきた声に三人が同じ方向を見れば、先まで居酒屋にいたゼクスとミサトの二人が船に戻ってきていた。本当に今来たばかりなのだろう、ゼクスは船の上に上がってきたばかりのようで、ミサトは登り途中。
「二人とも、どうして船に」
「昼食はここで食べる」
「僕の作る料理が食べたいんだって」
そう言えば、二人は早々に船内に入っていく。
静けさの漂う空間。取り残されたような一同。
「ビキニ?」
「ユリウスにはまだ早すぎるんじゃないかな。だって僕たちと出会った時はドレスで次にやっと普通の服を着たんだよ? ビキニなんて……露出高すぎ」
「俺もそう思う。けど反対はしない」
自分抜きでされる自分についての話にユリウスは不思議な顔をする。
甲板に集まるのは四人。ユリウスが一人海を眺めている時にミサトが来た。たわいない話をしていると「泳いでみない?」といきなり言ってきた、それが事の始まり。丁度ナギが船内から出てきてその話に加わり、三人で話していると甲板の二階にいたイヴァンも興味深く伺ってきたのだ。
ナギの、反対しようよ、という視線がイヴァンに向けられている。
「それなら大丈夫。ドレス型の水着があるから」
二人の様子を見ていたミサトは話をまとめた。
用意されたのはピンク色の水着。上下分かれていて上は普通の水着と同じ、下はフリルスカート。太ももが隠れて露出は少ないほうだろう。
「この水着どうしたんですか?」
「この船はパーティ用の船だったみたい。だからあるんだと思う。樽片付けるためにいろんな部屋みたら合ったからさ、良い機会だと思って」
初めて見た衣装。これを着るのだろうか。
手元にあるピンク色の水着を眺め、ミサトの顔を眺め、状況を見定める。
「着替えてきて、僕たちも着替えてくるから」
彼の柔らかい表情に『いいえ』は通用しないものだと思った。
「急に水着に着替えろってどういうことだよ」
船内から出てきたトーマ。下は紺色の半ズボンを履いており、上半身は裸で一応準備万端。
数分前、着替えろと言ってきた二階の甲板にいる彼を見上げる。
イヴァンも着替え終えており、下にはトーマ同様半ズボン上半身は裸の上からジャケットを羽織っている。言うならアラジン風だ。
「そのうちに良いもの見られるよ」
「良いもの……?」
企みのある笑みに首を傾げると丁度船内に続く扉が開く。
彼女は何やら顔だけを出し様子を伺っている。とある人のことを瞳に映すと堪忍したようにユリウスは遠慮がちに甲板に出てくる。
「あの……こんなものでいいんでしょうか?」
その格好は思ってもみないものだった。
瞳を大きくし、自分ではない者に問う彼女の姿を見つめる。
「確か、ユリウスはピンクが似合いそうとかトーマ言ってたよね」
「へえ、そうなんだ。じゃあ僕の選択は間違ってなかったね」
ミサトが和やかに笑んでいる。話の流れからかピンク色の水着を着た彼女が自分のことを見つめてくる。絶対顔赤い。ああ、恥ずかしい。
「んなことより何で水着、こいつもちゃっかり着てるし。海の上で船止めて泳ぐつもりかよ」
話を変えるためにトーマは捲し立てた。無意識的にユリウスを瞳に映さないようイヴァン一点だけを見ながら。
「そうみたいだ。馬鹿みたいな話だが、陸に止めずここで止めて海を満喫するらしい」
上の方から聞こえてきた声に見上げてみれば、イヴァンのいる二階の甲板から姿を表した。ゼクスは他の三人と違い、いつも通りの服装でいる。
「ゼクスさんは泳がないんですか?」
「そんな子供じみたこと、できるか」
「でもミサトさんも泳ぐんですよ?」
彼女の純粋な問いにゼクスは眉間にしわを寄せる。それでもユリウスは気づかない。彼の矛盾を突いてしまっていることに。
不可解な沈黙後、それを破るように船内から現れた二人。片方は水色の髪をした、水色の帽子付きのパーカーを裸の上に羽織った冷静沈着な彼。もう片方は身長の低い専用と思われる浮き輪を持った男の子。
レイとナギは出てくるなりユリウスの格好に目がいった。清楚、という言葉が彼女にぴったりだったが今の彼女は可憐。だが純真無垢なことに変わりない。隠せないものが内から醸しでている。
「どうしたのその格好」
「ミサトさんに選んでもらったんだけど、変かな」
「全然変じゃないよ、すごく似合ってる」
レイは相変わらずの無言だが眼差しはユリウスに向けられている。
ありがとう、と嬉しそうに微笑む彼女を二階の甲板で見ていたゼクスは初めて知った、ユリウスが水着姿になっていたことを。
新鮮、というより心臓に悪い変化に思わずじっと見つめる。
「似合ってるでしょ」
何を勘違いしたか、隣にいるイヴァンは手すりに手を預けながら自分の事のように聞いてきた。お見通しですよという表情といい瞳といい、検討はずれな投げかけにイラつきを隠すように顔を背け踵を返す。
「露出度高すぎだ」
ロープで船から降りる。海の上で止めた船は足をつける場所がない。下まで降りるとミサトが腰に手をやり支えるようにして下ろしてくれる。
水の中に浸る。やはり泳げないということは怖くて片手はロープを持つ。
その時、バシャンッと水音がし目をやれば少し遠くの方にイヴァンがいた。彼の目線をたどると二階の甲板にはトーマがいる。どうやらイヴァンはあの場から海へ飛び込んだらしい。
「とりゃっ」
またバシャンと水しぶきがあがる。
「ナギも来いよ」
「僕泳げないの知ってるよね」
「飛び込んで、もし浮き輪だけ浮いていたら笑ってあげるから来なよ」
「それどういう意味!?」
甲板に残っているナギは二人の笑いの餌食にされる。
堪忍したのか気持ちが整ったのか、もうと言ってお腹に回している浮き輪を両手でぎゅっと掴み、海へ飛び込んだ。
レイは誰よりも早く海に入っており、軽やかに泳いでいる。
なんだか楽しそうだ。
「あんな風に泳げたら気持ち良さそうだよね」
まるでユリウスの気持ちを読み取ったかのように言う。
「でも、あんな風に泳げないです」
溺れないようにロープを掴んでいるだけで精一杯。
俯き気味になるユリウス、切なげな目が無理だと語っている。
「教えてあげるから、無理だとか思わないで練習しよ」
ゼクスは、楽しそうにしている馬鹿三人と、一人泳いでいるレイと、ミサトに泳ぎを学んでいるユリウスたちを、ただ一人船上で眺めていた。
ミサトの教えは的確でなおかつ優しく教えてくれる。でもついていけないユリウスはやはり自分にはむいていないものだと思った。水を恐れていてはいくら泳ぎ方を教えてもらっても水に浮かぶことさえできない。
ミサトの腕を借り、休憩時間をもらう。
ふと目がいくのはレイの泳ぎ姿。水に濡れて光り輝く水色の髪。
まるで……。
「イルカみたい」
「イルカみたいだってユリウスが言ってたよ」
「イルカ……」
彼が船に上がろうとした時ミサトが言った。
あまり反応が良くない。
「ごめんなさい。綺麗な泳ぎ方といい海と同じ水色の髪といい、なんだかそう見えてしまったから」
動物に例えられたら誰しも良い気分にはならないだろう。ユリウス自身そうだったのだから。猿みたい、なんて言われて誰が喜ぶのか。
「なんで謝る。ドルフィン好きだから、悪い気持ちになっていないし……むしろ良い」
顔を上げてみれば、無表情だけど言葉通り悪い気持ちになっていないという顔。本当にむしろ嬉しそう。
皆がぞろぞろと船内に入っていく。どうやらもう着替えるらしい。
一人足りない気がして船下を見てみると、浮き輪とともにぷかぷかと揺れ浮かぶナギの姿があった。
「皆もう上がったけど上がらないの?」
「……」
「ナギくん?」
返事がない。何かおかしい。
よく見れば力なく浮き輪に浮かんでいるように見える。
具合が悪いのだろうか。それとも声が届いていないのだろうか。
考えて込んでいると彼は眠っているかのように抵抗なく海へ沈む。
「ナギくん!」
どうしよう、彼は泳げないと言っていた。それに今の彼はなんだか様子がおかしい、このままでは溺れて死んでしまう。
助けを求めようと周りを見るが誰もいない。
これは一人でなんとかしなければいけない状況。だが、彼女も泳げない。躊躇しながらも意を決し、気持ちを落ち着かせる。
(大丈夫、泳げる。さっき教えてもらったんだ)
ミサトに教えてもらったのは泳ぎの基本。海に潜ることなんてしなかった。海に飛び込めばそこは空気のない闇の中と同じ。目を開ければぼやけながらも先が見える。だがナギの姿はない。
(やっぱり……無理)
息が苦しくて口元を押さえる。無抵抗。海の中ではもがけばもがくほど沈んでいくことを知っているから、もがいても水平線に上がれないと分かっているから、ただただ沈んでいく。
ナギだけでも、と目を開き彼の姿を探す。
……怖い。
それが本音だった。
誰かの温もりを感じる。自由となった呼吸。空気をたくさん吸う。
蘇ってきた意識。水面がゆらゆらと揺らめいている。
(誰かにおぶられている……?)
「お前は後から来い」
肩から降ろされロープに掴まると彼は船に上っていく。肩には気を失っているナギがいる。
船上まで上がりきると彼の後ろ姿が冷たいものに見えた。
「泳げないやつが助けにいってどうなる、重荷になるだけだろ」
「……ごめんなさい」
彼の言っていることは正しくて、ユリウスは謝る。
肩から降ろしたナギをゼクスは自分の膝に寝かせる。何があってこうなったのか、身体を調べると足首らへんにある赤みに目がいく。
足が腫れている。
ユリウスにもそれはわかった。
「私に何かできることはないですか?」
ゼクスは彼女を無言でじっと見つめる。まるで、お前に何ができるのかと見定めているようだ。
ユリウスの瞳は弱々しくも凛としたもので、誰かの信用を得るには十分だった。
「海水を持ってこい」
「海水?」
「バケツがあるだろ、それに入れてこい。あとレイにもこのことを伝えろ」
「わかりました」
言われたことを全うしようと彼女は船内に急いで入って行った。
船内にいるレイに伝えたあと急いでバケツを持っていくとロープで水面あたりまで降り海水を入れ、ゼクスの元へ持っていった。丁度レイがピンセットやらタオルやらを持ってやって来て、それからは二人の処置にあたる。
処置を終えると安静にさせようということでナギは自室に運ばれた。
「クラゲに刺されて異常な症状がでたとして、どうして気を失っている」
「あまりの痛みに気絶した、とか」
ゼクスとミサトの二人だけの会話を聞いてしまって少し不安になった。
夜。眠れる気がせずベッドに座ったままユリウスは呟く。
「ナギくん大丈夫かな」
「大丈夫だろ」
意外にもあっさりした回答が返ってくる。
「お前がそんな顔してどうする」
横で寝転がっているトーマは、自分がいけない、みたいな顔をしているユリウスをじっと見つめた。これでもトーマだってナギの心配をしている。一緒に旅をしている仲間なのだから当然だ。
「……何もできなかったから。助けようと海に飛び込んだのは良いけれど、それ以上何もできなかったから」
「悪いとしたら俺たちだよ。すぐそばにいたのにあいつの異変に気づけなかった」
二人とも反省している。
「ユリウス、今日から誰の部屋で寝るの?」
昼食。皆の集まったダイニングルームでナギは問う。すっかり元気になった彼。
「とりあえず、レイでいいだろう」
「どうしてとりあえずレイなの?」
「トーマの前の席に座っているからだ」
ゼクスの適当な決め方で、次週の彼女の寝床はレイの部屋となった。が、ユリウスはそれどころではなかった。
「ナギくん。その……腫れは大丈夫なの?」
「全然大丈夫だよ。『そのうち治る』って。痕は残るみたいだけど」
「そっか。……良かった」
本当はもっと重大なのかと思ってた。けれどそこまで心配する必要はなかったらしい。
安心して頬が自然と緩んだ。
「今日で一週間終わり。やっとトーマと離れられるね」
「そう、だね」
昼食が終わってからの甲板。
なんだか寂しいという思いに耽る。当たり前になりつつあったから、トーマの部屋で寝るのは。最初はどうしてと戸惑っていたけど、案外悪いものではなかった。
「なんだその言い方は、まるで俺といるのが嫌だったみたいじゃねえか」
後ろを向けば微妙な顔をしたトーマがこちらまで歩いてきていた。少し離れた距離で止まる。ちらっとイヴァンの様子を伺う。そんな彼を見て何かを思いつく。
ユリウスは歩み寄るとトーマを見上げる。っ?と驚く彼に気づかぬまま。
「トーマ、今日までありがとう」
「お、おう」
何か言いたげだ。瞳で窺う。
「なんで今日でお別れみたいに言うんだよ」
「そう聞こえる?」
「聞こえるも何も、そうにしか聞こえない」
手すりの先の水面を見て考える。
「じゃあ、またよろしく?」
「お前が嫌ならよろしくなんてしなくても良いんだけどな」
不機嫌そうなトーマの横顔を見つめて、ユリウスは笑った。だってそれは本当に嫌がっている時の顔ではなかったから。
「レイ、ちょっと痛いんだけど」
コンコンと扉を鳴らし淡い光の部屋に顔を覗かせたのは苦を隠すような笑みを浮かべているナギだった。
「オトギリ草、クラゲに刺され時一番効く薬草。これ塗ればきっとすぐ治る」
「ありがとう」
すぐに治るというのは気休めだとわかっていた。レイは小さいながらも慣れない嘘をついた。それは安心させるため。何も考えていないようにみえて、彼はちゃんと相手のことを考えている。
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