第7章ㅤ無くしモノ

「久しぶりの街ー」


 トーマの部屋でユリウスが寝るようになってから五日が経ったある日。大きな街へ降りた。

 いつも降りる訳ではないが、自由気ままに街を徘徊していると、今この街を懐かしんでいるナギに教えてもらった。

 港から降りてすぐ、遠くにある噴水を発見。建物はその噴水を中心としてあるように、円を描くように建てられている。


(この街にはいろいろなお店がありそう)


 ユリウスの住んでいた街はそれほど小さな街という訳ではないが、果物屋とかをメインとして置いてあった。それも屋台で。

 ここは、下には白いタイルが敷かれて、建物は全体的に白い。白で統一されている。


「ユリウス。ドレスじゃ動きづらいみたいだから、服屋いこう」

「でも……」

「無人島で裾とか汚れちゃってるでしょ。それにドレスじゃ目立つよ」


 そういう問題ではない。今のユリウスにはお金がないのだ。


「だいじょーぶ。ゼクスともう話は済ませてあるから」


 ゼクスと一体何の話を済ませたというのか。


「ほら、行くよ」


 聞く間もなく手を引かれ,ナギに連れられる。その横顔はどこか楽しげでーー疑問さえ浮かんでしまう。

 こんなに自分の事のように嬉しそうに、小走りで急ぐように手を引く。そんな彼の後ろ姿を手を引かれながらに見る。小さな背中。ーーナギくんはいつもそうだ、自分の事のように何でも嬉しそうに。




 ゼクスは街に降りてすぐにどこかへ行った。レイも続いてこの場からいなくなった中ーー。


「あいつら、はしゃいでるんすけど大丈夫すか?」


 ナギとユリウス、二人の事を心配している者が約一名。

 街はまあまあ安全だが、時に危険な目に合うこともある。あの様にはしゃいでいるやつらは特に。

 そんな事を思っているトーマは、一番頼りになる隣にいるミサトに聞いたのだが。


「ま、はしゃいでいるのはナギだけだけどね」


 イヴァンが口を挟む。お前には聞いてねえよ、という顔を一瞬するトーマ。


「でもーー」


 何かと危険、とトーマがこぼした言葉に考えを巡らすミサト。


「確かに危なそうだね。トーマ、一緒についててくれるかな」

「何で俺が……」

「あの二人と特に仲良いのは、トーマな気がするから」


 ミサトの頭の中ではーーあの二人、ではなく、ユリウスと、だった。だがそう直球に言うとトーマは絶対に「別に仲良くねえよ。誰があいつなんかと……」と言う。


 目に見えているミサトは曖昧に言った。それでもトーマは面倒そうな顔をして俯いている。断る理由でも考えているのだろうか。


「ーーなら俺が行くよ。トーマ嫌そうだし、あの二人……というかユリウスと一番仲良いのは僕だしね」

「なっ……」

「それじゃ、バイバーイ」


 手を振って去ったイヴァン。見えなくなる後ろ姿。

 トーマは腹の底からイラついているのだろう。両手には拳ができている。


「トーマ。迷っているのが悪いよ」


 と、あやすような酷な言葉を残し、ミサトも去って行った。


「……誰がユリウスと一番仲良いのは自分だしね、だよ。つーか関係ねえし」


 それでもまだふつふつとした怒りが収まらないのか、その場に立ち尽くすトーマ。


「つーか“俺”か“僕”、どっちかにしろよ。オマエの中には二人いるのかって話だよ。気味悪りぃんだよ」


 いろいろと吐き捨てたトーマであった。






 小豆色のベスト。その下は白いシャツ。下はベスト同様小豆色の半ズボン。服の後ろの生地は長く、逆V型のベストが太ももを隠す当たりまである。

 キャラメル色のウェーブした髪は腰まであり、琥珀色の瞳は自分を映す。

 鏡の前で後に回した手と手を繋ぐポーズを取り、自分の姿全体を何となく見る。


「似合ってる!」

「本当、すごく似合ってる」


 興奮気味に言うナギと、少し大人びた笑みをし感想を言うイヴァン。

 明らかに嘘とは思えない反応をされ、ユリウスは顔を赤らめた。

 お城暮らしのユリウスにはこんな格好初めてだった。ドレスが当たり前で、人前でこんなラフな格好をしたことがなく、慣れない上に落ち着かない。ましてやユリウスが今着ているものは女海賊のような西洋な服。


 二人の突き刺さるような視線が気恥ずかしいやら、嬉しいやら。と、いうのも、ドレスから打って変わって皆と同じような格好をし、何だか一員になれた気がしたからだ。

 もちろん、海賊は好きではないが。


「ゼクスたちに見せに行こうよ」

「……え」


 ナギの提案にユリウスは顔をひきつらせた。

 あのゼクスにこの姿を見せに行く。見せるだけとは分かってはいるものの、わざわざ見せるまでもないと思ってしまう。

 冷徹で人を見下すことしかしないゼクスはこの姿を見て何を言うかどう思うか。考えるだけで嫌な気分になる。


 きっと、嫌われるような発言をさらっと言うのだろう。今頃になってまたあのことが蘇る。ミサトが言っていた、ゼクスは女の人に好かれるということを。

 どうして口の悪く、素直に褒める事が苦手そうなゼクスを女の人が選ぶのか。人に好かれるのかさえ疑問に思っているのに、もう本当に理解できない。


「ユリウス、どうしたの?」


 急に声をかけられはっとする。俯きぎみになっていた顔を上げてみれば、イヴァンが不思議そうに見ていた。


「もしかして……ゼクスに見せるの、嫌とか?」


 探るような瞳にどう答えればいいか分からなくなる。否定してはそれは嘘になる、肯定してしまえばここにはいないけれどゼクスに失礼。

 どっちつかずの二選択にユリウスは三択目ーー曖昧に笑う行動を取った。






 両開きの扉を開け、お店の中へ入る。一つのテーブルにはミサトとゼクスの二人の姿。


「じゃーん、僕が選んだユリウスの衣装。どうっ? 似合ってるでしょ」


 なぜか自分のことのように自慢するナギ。

 可愛いポーズとか、期待に添えることはできないのだけど。

 ユリウスはぎこちなく立ったまま、またしても俯きぎみになる。


「正確に言えば、『衣装』じゃなくて『衣服』だけどね」

「それに、『僕』じゃなくて『僕たち』だから」


 ミサトとイヴァンがナギの発言に訂正を入れた。


「んーもう、そんな細かいことはいいの。ユリウスの服装の感想だよ」


 本気の指摘にその場が静まる。

 ギロっといった感じでゼクスはユリウスに視線を向け、そのままじっと見上げる。それに気づくユリウス。


(そう……じっと見られては気まずいのだけど)


 目さえ向けてくれなかったらそれはそれで悲しいけれど。

 視線を外したまま答えを待つ。なぜかドキドキしている。

 ユリウスを見定めてから、ゼクスは、ふんっと偉そうに……。


「まあ、あのドレスよりは動きやすそうだな」


 言い放った。


(……何、何でこんな偉そうなの)


 さっきまで刺すような視線を向けてきていたのに今では視線を外している。そんなゼクスをユリウスは不審な目で見る。

 だがしかし、不思議なことに嫌な気持ちにはならなかった。それが疑問となる。

 嫌になるというより、逆に……。


(ーー嬉しい?)


 おかしな感情が生まれ、ユリウスは首を傾げた。

 その時、ふと、ミサトに目がいく。ここは酒場。ユリウスはこの店に入った時、あまり嗅ぐことのない臭いに口元に手の甲を寄せた。その臭いはお酒で。


(ミサトさん、意外。お酒飲むんだ……)

「飲む?」


 ミサトの持つコップを見ていると、何かをさとったのか飲むか聞いてきた。その気持ちは嬉しいが自分はまだ未成年。ユリウスはお酒を飲んではいけない年齢だ。


「オレンジジュースだよ、ただの」


 オレンジジュースだったらーー、と思ったユリウスだが。


「冗談」


 変わらぬ笑みで冗談だと言った。どちらが本当なのか分からない。あげると言ってきたのが嘘なのか……お酒ではない、オレンジジュースだと言ってきたのが嘘なのか。


「ミサト、そういう嘘はよせ。もし間違ってこいつが飲んだりしたらどうする。まだ子供なんだぞ」


 どうやら、お酒ではない、オレンジジュースだと言ったことが嘘のようだ。

 ちゃんとした説教。だが、子供扱いされたのはいささか気に食わない。

 ゼクスは何歳だと言うのだろうか。身長は男女の差というものがあるからそこは比べないが、顔を見る限り自分とあまり変わらない若い男性に見える。

 ゼクスはお酒をごくっと飲んだ。

 店内を見回してみれば、ここにいる者全員がお酒を飲んでいるようだ。何だか嫌な気分になってくる。


(……そういえばトーマはどこだろう)


 一つ気になったこと。ここにトーマがいないこと。見回してみたがここにはいない。


「トーマさんはどこですか?」


 本当はここにレイもいないのだが、ユリウスはトーマのことしか尋ねなかった。


「トーマなら、目的もなくその辺を見て回っていると思うよ」


 どうやらトーマはお酒には興味がないらしい。少し意外だった。ああいう乱暴な人ほどお酒好きなような気がしていたから。ミサトのようなおしとやかな人ではなく、トーマのような不良っぽくて子供っぽい人が無理に背伸びをして飲むものだと思っていた。

 ありがとうございます、とミサトに言い残し、すぐにその場を後にする。

 お酒の臭いの漂う店内から早く抜け出したいという思いもあったのかもしれない。






 店内に残る男性四人。


「ユリウス、やっぱトーマのこと気になるんだ」


 ユリウスの行ってしまった方向を見たままふと、イヴァンは呟く。

 その横で、ぷくっと頬を膨らませているナギ。


(ーー僕が最初に目にしたのに)


 おそらく、『最初に目にしたのに』ではなく、『最初に目をつけたのに』であろう。

 ナギは言葉をよく間違える。






 どうやらたくさんの白い建物の大半は人の暮らす家で、食べ物などの屋台はひとまとめに路地に置いてあったようだ。

 ユリウスはトーマを探そうと街を回っていた。ふと、果物の屋台が目にとまる。


「オラァ、まけろっつてんだろ」

「まけろっていうのとあげるというのは全く違うもの……」

「ずべこべ言わず、おとなしく言うこと聞いてればいいんだよ」


 こんなに平和な街だというのに、少し先の所で行われているのはーー脅し。いい大人にもなって不良のような真似をしている男二人。

 こんな公共の場でこんな事をして恥ずかしくはないのだろうか。周りの人たちは見て見ぬ振りをしている。その一人一人の対応があの人たちをいい気にさせているのか。


 治安が悪いようには見えないのに、どうして。

 そこに一匹の仔猫が近寄った。男を見上げ、純粋な声でニャーと鳴く。

「なんだこのクソ猫。うるせえんだよ」

 男は足元にいた仔猫を蹴飛ばした。

 ただ一度しか鳴いていないのに。それも愛くるしい声で。


 ユリウスはふっと、糸のなくなった操り人形のように体を動かせた。

 男の近くまで行き、勢いよく蹴られてしまった仔猫を胸に抱き抱える。そして、憎しみのこもった目で見上げた。


「良心のない人たちですね」


 男らは、なんだと?、と売られた喧嘩を買うようないかつい顔をする。


「良心もへっちゃくれもねえんだよ」

「へっちゃくれ? それって日本語ですか?」


 ユリウスは猫の事で怒っていた。無抵抗ゆえに何もしてこない仔猫を蹴飛ばすなんて、と。

 ユリウスは猫が好きだ。見ているだけで心の癒される存在が。そんな猫をーー仔猫を蹴飛ばす瞬間を目にして、でしゃばらずにいられなかった。


「ちゃんとした日本語では、ないですよね」

 ない、を強調し言う。

「……この女、いい度胸してんじゃねえか」

「ふっ。俺らの恐ろしさ、ちーっと分からせてやるか」


 どうやら癇に障ったようだ。

 近づいてくる男らに対し、ユリウスは子猫を抱きしめたまま、後退しようとする。しかし、片方の男が止まった。その視線の先にあるのはユリウスが首元にさげている首飾り。


「ん? 待て、そのネックレス……高価なものじゃねえか」

「お、本当だ。なんかキラキラしているぞ」


 ずかずかと近寄ってきては、その男は首飾りに手を伸ばしてきた。

 ユリウスは急な事で動けない。狙われているのは大事な首飾り。後退しようにもどうしたらいいか。

 あと数センチで触れる。


「さ……」


 ーー触らないで。そう言おうとした時、誰かがユリウスの肩に手を置いた。反射的に横を向くと、それはイヴァンだった。


「ちょっと待った」

「ああ?」

「僕のお姫様に手出さないでくれる?」

 ーー……。






「いやー嬢ちゃん、すごかったね」

「い、いえ」


 すごかったのはイヴァンだ。

 屋台の亭主の言葉に謙遜して首を横に振り、急いで彼の後を追った。

 果物の屋台の前に転がっているのは先程の男二人。何があったのか、答えるならば……赤髪の男子に呆気なくやられてしまった大の大人二人。


「なに?」


 隣に並ぶイヴァンの横顔をじーっと見ていたユリウスは、急にこちらへ向けられた視線に動揺することなく、瞳を合わせる。


「イヴァンさんって、『俺』と『僕』……使い分けているんですか?」

「俺と僕? ああ一人称の事か。別に使い分けてないよ、ただ単にその時その時違くなるだけ」


 赤い髪を風で揺らしながら、前方に赤い瞳を真っ直ぐ向ける。

 理解できないことだが本人が言うならそうなのだろうと、ユリウスもまた前方に目をやる。


「ーー助けてくれてありがとうございます」


 風が吹くような、すり抜けていってしまうような声。それでもイヴァンには伝わったようだ。


「別にいいよ。それより……ユリウスって意外と恐いんだね」


 え、と顔を向けるユリウスに、びっくりしたよ、と笑うイヴァン。


「恐かった、ですか?」

「うん。まるで獣を前にしたおサルさんみたいだった」


 ーーうっきっきー、と、怒っているような絵本の中のサルを頭に浮かべたユリウスは固まる。驚愕した顔。


「それ、ゼクスさんにも言われました」


 “サルみたいな顔して怒るな”

 海賊船に乗った当初、そんな事を言われた。女性に対してそんな発言はないんじゃないかと思ったユリウスだったが、発言を返すような事はしなかった。


「……やっぱり、私って猿みたいなんでしょうか」


 あの時はあんなこと言われても気にしたりなかった。ただの言葉の綾というか、悪口というか、虚偽(キョギ)の発言をしたのだろうと思ったから。しかし、今日、今、イヴァンにもサルみたいだったと言われた。これは確実に……いや、そんなことない。

 答えを求めているようで、求めていない。複雑なユリウスの気持ち。

 考え込んでいるユリウスの横で、イヴァンは意外そうな、申し訳なさそうな眼差しでユリウスを見ていた。


(ーー冗談のつもりだったのに)


 まさかゼクスにそんな、サルみたいだったと似たような事言われたなんて思っていなかった。






「あいつらは……」

「気になる?」


 酒屋の一角。ミサトの問いにゼクスは渋い顔をする。


「何か、嫌な予感がしただけだ」

「まあイヴァンも一緒だし、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 あいつらーーとなれば、ユリウスたち以外に、トーマとレイの事も普通は思い浮かべる。だがミサトは、ゼクスはユリウスたちの事を言っているんだとすぐに分かった。

 ミサトは洞察力に優れている。それが一番優れているのはゼクスに見えるが、裏での……表に出さない洞察力を考えればミサトが一番。


(ナギは本当に行かなくてよかったのかな)


 席でぽつんと座っている、ぷくっと頬を膨らませながら特別オレンジジュースをストローで不機嫌な顔して吸っているナギを見ながら、ミサトは含み笑いをした。


 イヴァンとナギの二人に、一人では危ないからユリウスについてあげてと言ったのはミサト。イヴァンは行ったが、意外なことにナギは行かなかった。珍しいな、と思いながら「ナギは行かなくていいの?」と聞くと、「いいの。イヴァンがいるし……」ーーし? その先まで問おうとしたが、それ以上聞くのはやめておいたのだ。


 しかしながら、不機嫌になるなら行けばいいのに、と内心思うミサトだった。




 ゼクスの嫌な予感は的中していた。

 ユリウスたちは数人の男に囲まれている。ーー盗賊のような連中。先程、果物の屋台にいた男二人もいる。彼らの仲間だろうか。どうやら反感を買ってしまったようだ。

 こうなる前までユリウスとイヴァンはこの街の屋台を楽しんでいたというのに、平和な時間は崩された。


「イヴァン……」


 私のせいだというように、自分を庇うようにして前にいるイヴァンを見つめる。表情は見えないが、堂々とした背中からは怯えている様子は全く感じられない。


 イヴァンは一人でこの中にいる大人二人を打ち負かした。けど、こんな数、先の二人を入れて七~八人ほどの相手はどう考えも無理だ。

 イヴァンが弱いと言っている訳ではない。相手らは危険な武器などを持っている。片手に剣を持ち、威嚇ーーいや、脅しの体勢を取っているのだろう。何て甚だしい。


「助けてって言ってよ」

「ーー」

「助けて、イヴァンって」


 その表情、その口調、口元ーー確かに笑っていた。

 こんな状況でそんな余裕な顔をしていられるなんて。驚きを隠せないユリウスは言われた通りの言葉を口にした。


「俄然やる気でてきた」


 右腰の鞘から抜いた剣は左手に、左腰に抜いた拳銃は右手に。引き金のところを指先でくるくると回してから手に収める。


「かかってきなよ」


 イヴァンの挑発に、止まっていた男たちは一斉に動き出す。


「ユリウスは下がってて」


 自ら前に出ると一人の男と相討ちになり、金属と金属とがぶつかり合う音が響き渡る。軽く身を引くと相手が怯む。それを狙い腰に蹴りを入れると、その男は真横に吹き飛び地面に転がった。休む暇なく前方から三人の男。これは受け止めることなく姿勢を低くし足に蹴りをいれる。弁慶の泣き所ーーつまり、脛(すね)。痛ってえと脛をさする者、抑える者、疼くまる者、それぞれ反応が違う。


「小賢しいことばっかしてねえで、ちゃんと面と向かってかかってこいよ」

「あんたらこそ、そうやって弱い者同士集まってアリの大群みたいによってこないでよ。あ、その顔こわい」


 またもや挑発。男は頭に怒りの筋を浮かべる。それでも未だにイヴァンは余裕な表情。


 地に転がる男がぴくりと動く。最初に蹴飛ばされた男だ。右手に持つ剣を握り、先程声のした方に薙(な)ぎ払う。おっと、と言いながらイヴァンは交わした。されど、一歩後ろに下がると今度は待ち伏せしていた男が剣を振りおろす。キンッーーという音ともにドンッという音。イヴァンは男の剣を受け止め、足を絡め倒したのだ。


「こっちは手加減してあげているのに」


 それまで使わずにいた拳銃の持つ手を、スローモーションとも呼べるスピードで後ろへやる。


「そういう言い方はないんじゃないかな」


 まるで戦闘が楽しいというような表情。

 銃口の先にいるのは一人の男。イヴァンを倒そうとしていたのか剣を構えているが、拳銃を見た途端その動きは止まった。ーーフェイク。男との距離を一気に縮め、剣の柄を腹部分に突く。すると男はお腹を抑えながら跪いた。


 イヴァンは決して血を流れさせることはしない。それはこの場にユリウスがいるから、という理由もあるが、もう人は殺さないと決めているからだ。


 弁慶の泣き所を蹴られしゃがみ込んでいた者、まだ攻撃を受けていない者、一斉にかかってくるが、イヴァンは次々と倒し、もう立ち上がる者はいなくなった。


「もう終わり?」


 つまらない、と言うかのように剣をしまう。


 その状況をずっと見ていたユリウスは安堵した。あの数相手に怪我一つしていない。良かった、と強張っていた顔を緩ませる。だが、一人の男が動くのを目にした。剣は遠くの方にあって無い。その代わりに男は、近くにあった少し太めの木の棒を持ち、イヴァンに向かった。


 イヴァンは気づいていない。後ろからやってくる男に。


「ーーオラァっ」

「ちょ、ユリウス」


 危ない。そう思ってユリウスは駆け出した。だが、男に掴みかかると簡単に吹き飛ばされた。男も必死なのだろう。やってきた邪魔な何かを反射的に退かした程度にしか思っていない。


 瞳に映るのはユリウスが吹き飛ばされた姿。いずれ地面に落ちる。かかってくる男に対し、イヴァンは気にとめなかった。棒が振り下ろされた時、反射的に素手で受け止めた。


 男は必死になって棒に力をこめるがびくともしない。それどころか何か威圧らしきものを感じる。それは何なのか、男が確かめようとする前にそれは目に映った。イヴァンの赤き瞳。その瞳は深く、怒りに満ちているようだ。炎とも呼べる目。


 男は怖くなって込めていた力を無くした。棒は落ち、無防備な姿のままその場に立ち尽くす。そんな男の心情をよそに、右腰から抜いた拳銃をイヴァンは男の額に構えた。


「殺してあげよっか?」


 先の怖い瞳は嘘だったんではないかと思うほどの不気味すぎる清々しい声と表情に、男は身震いする。


「……降参だ」

「俺を怒らせたから、降参の選択肢はありません。残念」

「おい、嘘だろ」

「本気だよ」


 撃鉄を起こし、銃口を男の眉間にやる。すると男は、見る見るうちに顔が真っ青になっていく。


「風穴あけてあげるよーー君だけ特別に」


 〝頭蓋骨にーー……〟


 バンッーーという卑劣な音が、初めてこの場に鳴り響いた。






「世の中にはああいう方たちもいるんですね」


 和やかな風を受けるユリウスは、あの時の事を思い出す。イヴァンが拳銃の引き金を引いた後の事を。


『ヒッ。ゆ、許してくれ』

『許してあげない』


 銃口を男の額に当てていたものの、イヴァンは男の額に風穴をあけることはなかった。


『何を、すればいい』

『何を? うーん、死んで地獄の果てでも許しをこいて、俺たちに……ていうかユリウスに手を出そうとしたことを一生後悔してもう一度死ねばいい』

『それは! 俺はその女に手を出そうとなんてーー』

『その女? 何、その女って?』

『……そこのお嬢さんに手を出そうとなんてしてないです』

『だとしても、ユリウスは俺を守ろうとしてあんたの攻撃を受けそうになった。……てか、事実吹き飛ばされたし。それに手を出そうとしてようがしてまいが、傷つけてしまえばどちらも同じ結果。ーー分かる? 分かるよね? そういう理屈、俺には関係ないって』

『分かり……ました。すみません。俺が悪かったっす……』


 その男は、一応合格、という事で許された。


「盗賊だよ。海賊の中にもああいう奴らは結構いる」

「でも、イヴァンさんたちは違いますよね。海賊は海賊でも、悪者ではないと私は思います」

「……」

「皆、優しくて好きです」


 きつい態度を取るゼクスを除いて、などというような事は一切言わなかった。

 ユリウスの心からの表情に、イヴァンは目が奪われる。


「二度も助けていただいたイヴァンさんには本当、感謝してます」


 イヴァンに目を向け、急にかしこまった態度をとる。


「お礼なんていいよ。そういう仲じゃないし」


 言われた事がいまいち分からず首を傾げるユリウスのことを一度見てから、イヴァンは口を開く。


「俺たち仲間でしょ。そんな気使うことないよ。ユリウスは守られて当然、僕たちは守って当然」

「……」

「だから遠慮することない。迷惑かなだとか気を使う必要もない。ーー分かった?」


 正面に向けていた視線をユリウスに戻すも返事が返ってくる事はない。まるで話を聞いていないようなすっとぼけた顔をしている。


「ユリウス?」


 怪訝な顔をすると、やっと気づいたかのように瞬きをする。それから申し訳なさそうな顔になり、俯いた。


「……ちゃんと聞いてませんでした」


 俺たち仲間でしょ、と言われたあたりからイヴァンの話は耳に入っていなかった。すみません、とユリウスは謝る。


「それより、庇うなんて真似、もうしないでね」


 か細く聞こえた声に顔を上げると、真剣な横顔が目に映った。


「正直、嬉しかった半面もあるけど、心臓に悪かった」


 そんなに心配してくれたのか。

 ユリウスはわずかにときめく。


「ーーなによりイラついた」


 ワントーン低くなった声。無表情な顔。真っ直ぐとした瞳。心配してくれていただけではないんだなとまたもや申し訳なさが襲ってきたユリウスは謝り一度俯くも、両手に拳をつくりイヴァンを見上げた。


「……でも、約束はできないです」

「良い度胸してるね。でも、本当にイラつくと何するかわからないよ。だから、それだけは覚えといて」


 はい、と頷くユリウスをクスッと笑ってから何気なく片手を差し出した。首を傾げる彼女に穏やかな表情を向ける。


「行こう」


 差し出される手を取るなりユリウスは、いつもはつけていない革製のドライビング・グローブについて問いてみた。






 来た道を戻ってみれば、果物屋の前に、先までユリウスが探していた彼の姿があった。ふとこちらに気づけば驚いたような顔になり、ある一点のところに彼の視線が注がれた。


「何でお前手繋いでんだよ」

「デート中」

「は!!?」


 それまでむすっとしていたトーマの顔は一変する。にっこりスマイルで繋ぐ手を掲げるイヴァンを見てから、ユリウスに視線を注いだ。今、ユリウスには、お前いつこいつとそんな仲になったんだよ、という無謀な問いかけがされている。


 否、誤解だ。弁解するのは少し大変そう。


 無闇に否定することは控え、ユリウスは分からないというような曖昧な笑みをした。だが、それに納得いくはずもないトーマ。


「お前に似てるからやる」


 不機嫌な顔をしたまま、手に持っている物をユリウスに差し出した。綺麗な桃だ。果物屋で買ったのだろう。ぶっきらぼうに渡された桃をユリウスは受け取った。


「トーマって、意外とえろいんだね」

「は?」


 ひょんとした顔をしたまま、今言われた事の意味を考える。


 目の前にいる男からはからかっている様子が全く感じられない。だったらなぜそんな単語がでてくるのか。何となく言ってしまった、桃がユリウスに似ていると。それは別に変なことを思って言った訳ではない。イヴァンがそれをどう受け取ったかだ。


 真剣な顔をして考えて考えて、それが分かってしまった。


「ピンクだよ! ピンクが似合いそうだからだよ!」


 急に叫ぶように言ったその頬は少し赤い。煽てるように、イヴァンは何でもお見通しな目を向け続ける。すると更にトーマの顔は赤くなっていく。

 桃といえば柔らかい。桃の形といえば……。

 そこまで考えて赤面したのだ。イヴァンにからかわれても仕方がない。

 永遠と続くような羞恥。それを絶ったのは、


「ーーありがとうございます」


 桃を大事そうに両手で持ち、礼を言うユリウスだった。


 物一つでこんなに嬉しそうな顔をするのかと二人はその行動に釘付けになる。綻んだ顔は今まで見たことがないくらい幸せそうで、その瞳は両手に持つ一つの桃に注がれている。


 胸の鼓動が微かに早まる。まるで自分に向けられている表情のようだ。本当に自分に向けられていたらどんなものだろう。


「てか、服替えたんだな」


 話題を変えたトーマに、イヴァンは今更というような顔をし、ユリウスは小さく頷いた。


「なんつーか、その……似合ってる」


 照れ隠しに視線を外しながら放った言葉は、ユリウスの瞳をまんまるくさせる。何も言わず見上げてくる彼女と視線が合うと、トーマは瞳を揺らした。


「いや、何か女海賊みたいな。……前の服着ていたより弱々しく見えないっていうか」

「つまり、トーマが言いたいのは、ユリウスがたくましくなったってこと?」


 イヴァンの投げかけにユリウスまでもが射るように見る。


「か、かか、かっこよくなったな」


 明らかに動揺しているトーマの発言に、意味わからないという顔をするも、ユリウスは表情を緩めた。


「良かったです」


 かっこよくなったということは、先トーマが言ったように弱々しく見えなくなったてこと。弱々しく見られていた事は知らなかったけど、弱々しく見えないということは、心配させてしまう対象ではなくなったということ。


「……どうしてあんな発言でユリウスは嬉しそうにしたわけ?」

「……知らねーよ」


 先頭を歩くユリウスの後ろで、こそこそと話す二人。

 強い疑問を持った。あんな発言であんな嬉しそうにできものかと。


(ま、トーマはあまり褒めることしないから、というか褒めるのヘタだから、ユリウスもそれを知ってて褒められただけであんな嬉しそうな顔したんだ、よね)


 自分は些細なことでも褒める。何か損をしたような、嫌な気分になるイヴァンだった。






「お前ら、何かなかったか」

「ん? 何もなかったけど?」

「本当か?」


 皆のいる酒屋に戻って来たユリウスたちに、ゼクスは的のない直球な質問をする。探るような目つき。イヴァンは平然とした顔で受け止める。

 この顔、何かはあったと悟るも、これ以上何も情報が取れないと見切りをつけたのか、今度はトーマに鋭い視線を向ける。


「俺はさっきこいつらに出くわしたばっかだし。別にこれとっいって何もなかった」


 次はユリウスに。


「何もなかったです」


 三人が揃えて何もなかったという。トーマは正直者で嘘をつくとすぐにそれが顔にでる。だが今回はでなかった。トーマには本当に何もなかったということだろう。しかし、他二人には何かはあったに違いない。心奥を探ろうとした時、イヴァンはそれを逆手に取ってわけありな面を顔に貼り、ユリウスも隠し事があるかのように視線をそらした。


 これはトーマのいない所で何かあったか。

 そこまで分かったところでゼクスはふっと一息ついた。


「ゼスは皆のこと心配してたんだよ」

「え、こいつが?」


 ミサトの発言にトーマはありえないというような顔をする。

 三人から言わせてみれば、ゼクスがどうして何かなかったかと真剣に聞いてくるのか理解ならなかったからミサトの説明はありがたいが、まさか本当にそれが理由で……。


「悪いか?」


 変わりのない表情で見上げれば、その場にいた三人は固まった。いつもなら冗談はよせとか言うはずなのに。これが意表を突くということなのだろう。


(僕もいるのに……)


 テーブルで一人オレンジジュースを飲んでいるナギは、どことなく悲しげだ。






「嘘、守り抜いたね」

「そうですね」


 船の甲板で佇む二人。いつもながら綺麗な空と海(情景)を見ながらに会話をする。

 ーー『今回のことは内緒だよ。皆、心配するだろうからね』

 盗賊たちに襲われたことは内緒にしておこうということになっていた。だからあの時、何もなかったと言って嘘を守り通せた時にユリウスはイヴァンと目配せをした。


「敬語はもう使わなくていいんじゃない? そういう仲でもないし」


 どこかで聞いたことのある台詞に、ユリウスは表情を緩める。


「だったら、どういう仲ですか?」

「友達以上恋人未満」

「コイビト……?」


 あまり聞くことのない単語に首を傾げる。

 イヴァンの意味ありげな笑み。


「だってーー」


 ユリウスの後ろ側に映った者に言葉は止まる。


「また邪魔しにきた?」

「誰が邪魔だ」


 それは、ロープに足かけ船に上がってきたトーマだった。


「邪魔しにきたとしか考えられないでしょ」

「邪魔しにきてねーし。お前ら別にいい感じに見えねえし」


 ふーんと考える様子のイヴァンはユリウスの後ろに回り、手を伸ばす。両手を腰に回すと背後からぎゅっと抱きしめた。


「ユリウスは僕のものだから。手出さないでよね」


 その行為に物凄い顔をするトーマ。


「いつからお前のモノになった?」

「さぁ、いつからだろう」

「……」

「はじめからだったのかも」


 何も言ってこない相手。いい気になって話を続ける。


「ほら、俺ユリウスのネックレス持ってきたでしょ? それは運命だったんだよ。それから俺とユリウスの恋の始まりがーー」

「そんなもん始まらねえよ」


 おふざけが過ぎたのか、怒り気味の様子。それでもイヴァンはユリウスから離れることはしない。ずっとユリウスを後ろから抱きしめたまま、傍観者のようにトーマの様子を窺っている。


(焦ってる焦ってる)


 一つ一つの変化を楽しみながら。


「あの、イヴァンさん……」

「イヴァンでしょ?」

「おふざけはそこまでにしておいたほうが」

「ユリウスはおふざけって分かってたんだ。だったらもっと悪戯(イタズラ)しちゃおうかな」


 へ、と顔をするも、イヴァンの笑みは変わらない。そのまま顔が近づいてくる。しかし、ぐいっという感覚とともに視界が揺れた。

 ユリウスの右手を引き、自分の方に引き寄せたトーマ。目がある一点のところにいく。ユリウスの左手はすかさずイヴァンが掴んでいた。どちらも何も話さず、視線だけが交わる。


「お前ら、仲良しごっこはおしまいか」

「本当に仲良いね」


 ほんの数秒。聞こえてきた声に三人が同じ方向を見れば、先まで居酒屋にいたゼクスとミサトの二人が船に戻ってきていた。本当に今来たばかりなのだろう、ゼクスは船の上に上がってきたばかりのようで、ミサトは登り途中。


「二人とも、どうして船に」

「昼食はここで食べる」

「僕の作る料理が食べたいんだって」


 そう言えば、二人は早々に船内に入っていく。

 静けさの漂う空間。取り残されたような一同。

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