第4章ㅤ迷子の仔猫《居場所》

 見つけた洞窟で雨宿りすることになった。

 洞窟、見るのも入るのも初めて。

 濡れきった体。

 寒くて、膝を抱え座り込んでいる。

 髪の毛からポタポタと水滴が落ちていく。

 それは私だけではなくて、トーマとレイの髪もびしょ濡れで水滴が落ちている。


「はあー、まじ災難」


 洞窟の土壁に寄りかかりながら、斜め上を見上げトーマは言う。

 その横顔は疲れきっている。

 レイは本を雨から守りきったようで、本だけ全く濡れていない。


「大丈夫ですか?」


 私の視線の先にはトーマ。

 自分に言われていないと思っているのかトーマは何も言わない。

 ゆるっと視線を向けてきて、そこでようやく分かったようだ。自分に言われていると。


「は、何で俺の心配すんだよ。自分の心配しろよ、風邪引いちゃうとか。それでも一応令嬢なんだろ?」


 トーマの発言に私はむっとした。

 “それでも一応令嬢なんだろ?”

 『一応』を付けられたことは別に構わない。差別されたことが気に食わない。

 女だとか令嬢だとか、私はそんなに彼に差別化されているんだろうか。

 そもそも今更そんな事言わなくても。

 言いきった本人はまた斜め上を眺め始めた。私の不機嫌さに気づいていないようだ。


「トーマさんて、本当嫌なお方ですね」


 言った本人は何も考えず普通なことを言ったはずだけど、受け取る側としては……。


「またそれかよ」


 呆れている様子のトーマ。

 呆れているのはこっちだ。


「ユリウスローズ……、ユリウスだっけ? お前、俺の何が不満なの?」

「……?」

「だってお前、俺に何か不満あるんだろ?」


 難しそうな顔をして彼は私の名を呼んだ後、ちらっとこちらを見た。

 不満というか……。


「俺にどうしてほしいわけ?」


 どうしてほしいと言われても。


「ほら、言ってみろ」

「えっと」

「言ってみなきゃわからねえだろ」


 答えを出すよう急かされる。

 でも……。


「その、不満とかじゃないんです」


 私が曖昧な事を言えば、やはり彼は顔を歪ませる。どうしてだか分からない。


「じゃあなんだ?」

「……分かりません」

「分からないって、お前な……」


 理不尽だと思っているだろうか。

 でも、分からないものは分からないんだ。

 心の中でも理不尽な事を言うようだけど、分からないものが分からないのは当然の事だ。と、私は思う。


「私はあなたに不満があるわけじゃないんです。船の上のみなさんにも不満があるわけでもない……」


 私のお母様の首飾りを奪ったり、無人島で暮らすよう仕向けたイヴァンは別として。


「ただーーただ、寂しいんだと思います」


 自分ではないみたい。

 こんなこと言うなんて。

 誰にも言ったことがないのに。


「お城でもいつも一人の時が多かったし、一人には慣れているはずなのに」


 膝に置いている手を見続け、喋っている私の話を彼はちゃんと聞いてくれているだろうか。

 聞いてくれていないとしても、今はただ話したい。話したいだけなんだ。


「そもそも、船の上では一人になるほうが貴重な時間で、あまり一人になる事はないんですけど」


 私はただ、口にしたいだけ。

 心に閉まっていたものを。

 ずっとしまい続けて忘れかけているかもしれない、自分にも分からないこの感情を。


「ーーでも、寂しいんです」


 ここまで赤裸々に語った自分が恥ずかしくて、たぶんですけどね、と付け加える。

 彼は何と返してくるだろうか。

 彼の事だから「バカじゃねーの?」とか、「そんなの俺に言われても困る」とか馬鹿にされたり避けられたりするだけだろうか。


「ふーん」


 ……ふーんって、それだけ?


「つーか寒ィな」


 馬鹿にされるでもなく、増してや今の話に触れることもなく。何事もなかったことのように、ただ普通に……スルーされた?

 こんなこと、初めて話したのに。なのにこんな呆気なくスルーされるなんて。

 もしかして私、避けられたの?

 そんなに嫌な話だった?

 何も聞かなかったような態度するほど。


「おいその本燃やしてもいいか? 木の代わりにする。燃やすもんねーんだよ」

「え、やだよ」

「凍え死んでもいいのか?」

「ご勝手に」

「お前……」


 挙句にトーマはレイと話し始めた。

 死ぬのはお前も一緒なんだよ、とトーマが言ったところ、それもやだなと答えるレイ。

 そんな二人の間に入る隙は。


「えっと」

「んあ?」

「今の話、聞いてました?」


 面倒くさそうな顔されてる。


「聞いてたけど、何だ?」

「あ、いえ、何でも……ないです」


 彼はただ単に、私に興味がないだけみたいです。まあそれはそれで良いけど、というか仕方のないことだけど。

 なんか、本当に呆気ない。

 今一番の悩みを言ったつもりなのに。


「……一人じゃないのに寂しいとか俺には分かんねえけど、それってお前の気持ち次第なんじゃねえーの?」

(え?)


 空気が通るような、そう、自然と彼は言ってきた。その言葉の中には深い何かが詰まっているような気がするのに、トーマが難なく普通に言ってくるから普通に聞き入れる。


「俺はお前じゃないから分からないし、分かりたくもない。けど、自分の気持ちくらい自身で把握しとけ」


 つーかマジさみ、何とかなんねーのかよーーと何でもないかのように最後まで言ってのけたトーマ。

 それを含め、そんな難しい事じゃねーぞと私に伝えようとしてくれている気がした。

 気がした、だけだけど。

 ……私の、自意識過剰か。






 雨が止んだ頃。


「よし、じゃあ行くか」


 重い腰を上げ、立ち上がったトーマ。

 どこへ行くのか、不思議に思い見上げていると彼と目が合った。


「食料調達だよ」

「でも、近くには港があるかもしれないんですよ?」


 食料調達よりも、そこへ行った方がいいんじゃ……。


「そこで調達すんだよ」


 そこで食べ物を調達?


「海で、ですか?」


 海で何の食べ物を取るというのだろうか。


「ああ。まさかお前、釣りもしたことないのか?」

「つり?」


 何の事かと分からず耳に入った単語を私が復唱すれば、はあ、と溜め息をつくトーマ。


「本当にお前は何も知らない女なんだな」


 トーマの一言に私はむっとした。


「私は“お前”でも、“女”でもないです」


 ユリウスです、と言いかけたのを止め、彼をじっと見据える。

 確認で一度彼に呼ばれた名前。

 もう一度だけでも良いから。


「は? だからお前女だろ?」


 男なのか?と訊いてくる。

 本当に何も分かっていない顔。


「だからそういう差別的な事やめてくださいと言っているんです」

「差別? 本当、変な女だな」

「だからっ」


 ここまで言ってもまだ分からないの。


「メンドくせえーな。いいから行くぞ」


 レイも遅れんじゃねーぞと先へ進む彼は、もう……。馬鹿。

 洞窟とはそう離れていない所に港があった。まずは岩ばかりの場所を越えることに。

 ドレス姿。

 長い裾のせいでつまずきそうになる。

 慎重に、慎重に。


「わっ……」


 視界がぐらつく。


「危ねえな」


 慎重に進んでいたのに躓いてしまった私は、力強いトーマの腕に支えられていた。


「あ、ありがとう」


 前を歩いていたはずなのに、転びそうになった後ろにいる私に気づくなんて。

 こういうところは優しいのに。

 無人島でも竹や糸などはあるようで。

 そういう物を使ってトーマは釣り竿というものを作った。


「レイ、お前は雨に濡れていない木の枝を持ってきてくれ。俺はこいつに釣りというもんを教えるから」

「わかった」


 レイが森の中へと向かう。

 その後ろ姿を見ていた。


「おい、良く見とけ。俺が見本見せてやるから」


 視線をやると、トーマは釣りをする態勢をもう整えていた。

 海の中にやった糸は、一体何のために沈んでいるのか。

 水の中に沈められている、かな。

 なんて意味のない事を考えていると、「おっ」とトーマは変化を見せた。糸を引き上げるように竿ーー竹をしならせて、引っ張る。

 引き上げられたもの。

 それは。


「うそ……」


 魚だ。

 しかも生きている。

 元気よく尻尾を震わせて。


「ほら見てみろ」


 自慢げに魚を掲げるように、糸を肩より上に持ち上げるトーマ。


「すごい、ですね」


 魚ってこうやって獲れるものなんだ。

 手を加えられて人の食べるものしか見たことなかったからすごく新鮮。


「お前もやってみろ」

「私も、ですか?」


 トーマが差し出す釣り竿。

 やってみたいという好奇心と、生きている魚を獲るんだという少しの恐怖心。

 心の中で複雑に絡み合う感情が表に出て、私は釣り竿をじっと見つめるだけ。

 釣り竿を持っていたトーマは焦れったい私に痺れを切らしたのか、いいからやってみろと強引に渡してきた。

 やって、みる。

 魚を……。

 釣り竿をぎゅっと握りしめ、トーマの定位置で構えをとる。


「そんな緊張しなくても、普通にしていれば釣れるぞ」


 トーマがアドバイスをくれるが、体から力が抜けることはない。


「だからもっと力抜けって。それに釣り竿は垂らすんじゃなくて持ち上げるイメージで持て。大体四十五度だ」


 背後から伸びてきた手が私の持っている釣り竿の角度を上げる。

 その角度で硬直して少し経った後、変化を感じた。釣り竿の重さ。


「トーマ、何か引いてる」


 そう言うとトーマは引けと言う。

 引く?と釣り竿をじっと見つめるといきなりトーマが横に現れた。


「持ち上げろって」


 片手で釣り竿を持ち上げる仕草をするトーマに言われた通り、持ち上げてみた。


「わ……」


 釣り竿の糸の先にはピチピチと鳴る魚。


「と、獲れました」


 横にいるトーマに少し興奮気味に言うと。


「こういう時は釣れたって言うんだよ」


 呆れた笑みをしながら応えてくれた。

 それから数十分。

 オレンジ色の夕焼け。

 もう辺りは暗くなりつつある。


「こんなに食べるの?」


 足場である岩に置かれた魚たち。

 彼は私の問いに不思議そうな顔をする。


「なんか、かわいそう」

「そんなこと言ってたら、無人島でなんか暮らせないぞ」


 確かに彼の言う通りなのかもしれない。

 でも、ずっとここで暮らすことになったと決まったわけじゃないし。

 そこまで悪魔にならなくても。


「まあ、人数分あればいいか」

「うん」


 トーマの良心。三匹残して、他の魚は海に返すことにした。






「あ、お帰り」


 洞窟に戻るとすでにそこにはレイがいた。

 近くには小さな木の山。

 一体何に使うんだろうか。


「よし。火起こすぞ」


 え、どうやって。

 トーマが洞窟の奥まで行き、両手に石を持ってきた。

 よく見れば、片手には黄金っぽい石が。


「よく見つけたね、それ」

「ここに最初に来た時見つけたんだ」

「でもさ、それだけじゃ火つかないよね」


 レイが何やら手に持つ。


「火口になるキノコ持ってきた」


 キノコ……。

 トーマが毒キノコを食べそうになったのを思い出す。


「お、ナイス。お前にしては上出来じゃん」


 分からない。どうしてキノコを持ってきて上出来なのか。私には分からない。

 トーマは座り込み、何やら石同士をぶつけ始めた。側にはキノコと木の山。

 石をぶつけ合っていると火花が飛び。それがキノコへと引火する。

 それを木の山にやると息を吹きかけた。

 すると突然火がでて、木が燃え始める。

 本当に火を起こした。

 トーマ、すごい。

 尊敬の眼差しを向けると、トーマを既に次の工程へと移っていた。

 三本余らせた木の棒に、取った魚を刺し、それを火の元へと立てる。

 魚を焼くんだ。

 ……なんか、本当にトーマすごい。

 今までトーマは自己中心的で何かあったら叫ぶ人かと思っていたけど。

 こういう時には頼りになるんだ。

 彼の新しいところが発見されて少し、好奇心が湧いた気がした。


「トーマさんって、こういう事に慣れているんですか?」

「こういうことって?」

「何もない無人島でこうやって火を起こしたり、魚を釣ったり。


どこでも毎日を過ごしていけるような」

  詳しいことまで聞いてみたくなった私の質問に、トーマは明後日の方向を見る。


「まあ、小さい頃は森の中で暮らしていたのと同じだからな」

「……森?」


 トーマの独特な話はさておき、火に当てていた魚が焼けると当然食べる事になったわけでーー。

 木の棒を持ち、ガブっと豪快に食べるトーマを見つめる。

 ……さっきまで生きていた魚。

 レイを見れば、レイも普通に食べていた。

 お腹が鳴りそうなくらいお腹が空いている。でも、さっきまで生きていた魚を食べる勇気は……。

 ーー〝ぎゅーっ〟

 ……鳴ってしまった。

 トーマが、ははっと笑う。


「お前、魚とにらめっこしてないで早く食えよ」


 にらめっこしているつもりはないんだけど……。

 食べる。

 食べる。

 さっきまで生きていた魚を。

 食べーー。

 勇気を出し、パクッと一口。


「あ……。美味しい」

「だろ?」


 トーマの満足気な顔、初めて見た。

 それより、焼いただけの魚が予想以上に美味しくて、目を輝かせてしまう。

 ーー温かい火の元で魚を食べ進め、完食。

 そして今日はこの洞窟の中で寝ることになった。とにかく、無人島では外よりも洞窟の中の方が安全だと。

 空も暗くなり、丁度いい頃だっのか私はすぐに眠りについた。初めての事ばかりで、少し疲れたのかもしれない。




 辺りが真っ暗になった頃だろうか。一睡をしたのか分からないまま私は目を覚ました。


(……喉、渇いた)


 気だるい体を起き上がらさせ、周りを見る。星の光のおかげか見える二人。

 トーマとレイは静かに眠っている。

 ……この人たちに何も言わずここから立ち去っても、大丈夫だよね。

 まだ眠くて、立ち上がるとふらっとする体を無理やりに動かした。.

 ここに来るまでの間、確か小さな川があったはず。綺麗な水で、また喉が渇いた時はまたそこへ行くようにと言われていた。


(あ、あった)


 川を見つけてから数歩歩くと、その場にしゃがみ込み水を手ですくう。

 喉を潤すと、ゆっくりと立ち上がった。

 そしてふいに空を見る。

 そこには綺麗な月。満月。

 夜の闇にたった一つ光り輝く。

 星の光だと勘違いしていたのは、月の光だったんだ。

 まるで心を奪われたかのように見つめ続けてしまう。


 お城にいる時も、窓から見えていた月。

 でもこんなにも近くにはなかった。

 こんなにも大きく瞳に映る事はなかった。

 お城から抜け出して何日が経とうとしているのか。私の事をいつも起こしに来ていたクレアは今、どんな事を思っている?

 私の事を一番に心配してくれていたのはクレアだった。外に出るのは危ないと悲しげな顔をしながら注意するのはクレアだけ。

 他はただ、お父さまに命令されてか外は危ないと同じ事を言い並べる騎士とメイド。

 もううんざりしていた。メイドはメイドでも、クレアだけは違ったんだ。


 お城は私の居場所であって、居場所ではないと思っていた。

 けど、今思えば私の居場所はクレアの傍だけだったのかもしれない。

 唯一私の事を心から心配してくれる人であり、私の事を誰よりも知っている人。

 ここにはもう、そんな人は存在しない。

 ここにいるのはーー私の存在を煩わしいと思う人と、本当に何も思っていない人。

 ミサトさんとナギくんは気を使って優しく接してくれているけど。心の中ではきっと、面倒くさいと思っているに違いない。お城にいる騎士やメイドたちのように。


(……私の居場所なんて、どこにもない)


 最初からそんなものは存在しない。お母さまとクレアがつくってくれていたんだ。

 微かに自分が映る水面を見る。

 途端。

 ーーガサッ

 という音と。

 ーーボキッ

 と、木の棒が折れたかのような音。

 振り返るとそこには彼が立っていた。


「トーマ、さん?」


 どうしてここに。さっきまで寝ていたはず。


「さっき、寝ぼけて起きたら丁度誰かがどっか行く所で……。それがお前だったからついて来た」


 木に挟まれた所で、少し気まずそうに言う彼は隠れようとでもしていたのか。

 それに私だったからついて来たって、レイだったらついて行かなかったの。どうして。


「お前が一人で森の中歩きでもしたらすぐに迷子になるだろ」


 ……心配してくれた、ってことかな。

 ああそっか。私が『女』で、守るべき存在だからか。何か、お城にいる騎士と似ているな。命令されて誰かを守る事と同じだ。


「それにーー」


 トーマが近づいてくる。

 私の横へ来るとしゃがみ込んだ。

 喉渇いたから。

 手でお水をすくって飲んだ彼は、そう言って口を拭った。そしてふと何かに気づいたように私を見ながらに立ち上がる。

 私ではなく、私の首元。


「首飾り返してもらったんだな」


 あ……。

 首元にあるネックレスに手を当てる。

 気づいてもらえた。


「腹減ってて気づかなかった」


 彼はずっとお腹空いたと言っていた。お魚を食べてそれは収まったけど。

 まさかそれが原因で今までこのネックレスの存在が忘れさられていたとは。

 でも、気づいてもらえただけで嬉しい。


(……え、嬉しい?)


 自分の思った事なのに目が点になる。

 これは一度イヴァンに奪われたもの。それをトーマは奪い返そうとしてくれた。でもそれは私から断った、自分で取り戻すと。

 宣言通り取り返せて……というより返してもらえて安堵した。お母さまのネックレスが売却されずに自分の手に戻ったと。

 でも、それを彼に気づいてもらえて嬉しいなんて。どうしてそんな事を思うのだろう。

 彼は私の命を救ってくれたけど、赤の他人と同じなのに。

 俯いたままネックレスに触れていると、私の驚きに気づかずトーマが喋り出した。


「月、綺麗だな」


 そう言って満月を見上げる彼の後ろ姿。金色の髪が月の光によって綺麗に輝いている。

 あなたの髪の方が綺麗だよ、なんて。

 私に言ってきた言葉だと分かっていても、何も返せない。

 ただ彼の後ろ姿を見つめるだけ。

 彼はーートーマは私の何?


「どうした?」


 突然振り返った彼は私の顔を見るなり、不思議そうな顔をしながら訊いてきた。

 何でもないです。

 そんな事さえ言えない。

 トーマは私の何なんだろう。

 どうして私たちはこうやって喋っている? 無人島で数少ない人同士だから?

 だからといって、こうやって慣れ合う必要があるの? 

 私の事を嫌っているかもしれない人と。

 彼は私の事を思っているのかな。


「……」

 訊きたい。


「あの……」


 彼は私の何で。

 私は彼に嫌われていないのか。

 嫌われていてもいい。

 嫌われていないところで、彼は私の居場所になんてならないんだから。


「私はトーマさんの何ですか?」


 直球すぎた。

 こんな事を訊こうとしたわけじゃない。

 彼は私の事をどう思っているのか知りたかっただけ。なのに、勝手に口走った。


「……」


 やっぱり。

 彼は呆気にとられたような顔をしている。

 何訊いているんだという。

 訊くんじゃなかった。こんなこと。

 嫌われていないのか知りたかった。それを聞けただけで気持ちが楽になるから。

 嫌われていないなら普通に接しれば良い。

 だけど嫌われているなら、近づかないようにしなくてはならない。


「ーー何でもないです」


 わざと明るい声を出して笑んだ。

 そうしなければ気づかれそうで。私がそういう事を気にしている人間だと。

 気づかれてしまえば、逆にそれを使われて傷つけられてしまうんじゃないかと、本音を言えば……怖い。

 私は、人間関係が得意な方ではないから。

 もうここに用はない。

 彼も喉を潤したようだし。

 ここにいる理由はなくなった。

 洞窟に戻りましょう、とも言えずに自分だけ立ち去る。さっきまで明るく接しといて、すごい変わりようだろうか。

 でももうこれ以上はいい。

 微かな希望はこれっきり、もう持たない。


「ーー待てよ」


 ぐっと掴まれる手首。けど痛くない。

 言葉とは裏腹に優しい止め方。

 彼に触れられるのは初めてではない。これで二回目だ。

 されど前と違う。今の彼の手は温かい。


「何ですか?」


 希望の無くなった目は、どんな瞳をしているのだろうか。

 彼の一瞬揺らいだ目。

 私はそんなに酷い瞳をしているのかな。


「お前は一体、何を考えているんだ」


 何を考えている?

 私は存在意義が欲しいだけ。

 他の事はどうだっていい。

 あの街に戻りたいとか、友達が欲しいとか、そんなものは願わず。

 『今』を大切にしたいんだ。

 それを大切にできるか、周りにいる人によって変わってしまうのが私の優柔不断という悪いところが出てしまっているのだろうか。

 そんな事は言えず、黙りこくる。


「今日、お前馬鹿みたいに言いたい放題言ってただろ。あんな風に今も喋れねえのかよ、黙り込んでちゃ分かんねーだろ」


 分かったところでどうせ、鼻で笑われるだけだ。それなら話さなくても一緒。

 そう、決めつける事で道理のある逃げ道をつくっているのかもしれない。


「最初から伝わらないんだって諦めてたら、何も伝わんねえんだよ」

(……!)


 この人は人の心が読めるのだろうか。

 鈍感そうに見えて、実は鋭いとか。

 言いたい事を言ってのけたのか、彼はそれっきり黙っている。

 これは私が何か言わなければいけない?

 でも何を。


「私は別に……、貴方に思われたいとか思ってないです。船の上の人たちにも気に入られたいとか思ってないです。ーーただ、私の立ち位置が知りたいだけ……」


 本当に?

 ーー嫌われ者ならそれでいい。

 私の本当の気持ちは一体、なに。

 周りの人から本当の自分を見られないのには慣れた。けれど、本当の自分を見られた上でどう思われているのか考えた事がない。


 「怖いんです」ーーそう言ったとして、何が怖いのか詳しくは答えられない。

 自分でもよく分かっていないから。

 そう思っている理由は分かるけど、それが本当に自分の思いなのか。考えれば考えるほど、『自分』が分からなくなる。


「私は、海賊が嫌いです」


 お母さまを殺されたから。


「でも、貴方たちは悪い人に見えない」


 だから期待してしまうのかもしれない。仲良くやっていけそうだと。

 勝手かもしれない。嫌いだと言っておいて、完全に軽蔑しないなんて。

 私の本当の気持ちはごちゃごちゃになっている。いろんなものが交錯している。

 だからなのか、考えれば考えるほど頭が痛くなってきて苦しい。

 この気持ちは一体何なのか。


「お前は嫌かもしんねえけど、俺たちはもう仲間なんだよ」

「なか……ま?」


 ナギくんにも言われた言葉。

 彼は面倒くさそうに、照れくさそうに話を切り出した。

 つーか、俺もやだしなーーと吐き呟いている言葉は私の耳には入らなかった。


「同じ船に乗っている仲間。実際こうして無人島で嫌な思いして暮らしてるしな」


 あの時はそんなに深く考えなかった。

 『仲間』という単語。

 彼からそんな言葉が出るとも思っていなかったし。


「……でもトーマさん。“海賊船に女がいるなんておかしいだろ”って言ってましたよね」


 まだ鮮明に覚えている。机を叩いて立ち上がった彼の必死な姿を。


「それって、海賊船に女がいることが許せないってことですよね」


 なのに仲間だなんて。

 よくそんなに軽い事が言える。

 軽い言葉は誰かを傷つける。

 彼は習わなかったのか。


「……もしかして、そんなこと気にしてたのか?」


 彼はポカーンとしていた。

 ありえもしない反応。

 そんなことって、まさかそっちが軽い言葉……。

 コクリ、と私は頷く。

 嫌な予感をしながら。


「それ、忘れろ」

 忘れろってーー


「てか、まじそれ忘れて」


 ずっと気にしていたことを。忘れろなんて言葉で片づけられようとしているなんて。


「どうしてですか?」


 訊かずにはいられない。

 すると彼は、訊いてはいけなかったものなのか歯切れ悪く答え始めた。


「ああ……あんときは腹立ってたんだよ」

「どうして?」

「女が海賊船で一緒に暮らすなんてって」


 ーーやっぱり。

 何も違くないじゃないか。


「ちげえよ。いや、違くねえけど」


 どっちなんだ。


「ゼクスにない事言われてイラついてたっていうか……。確かに海賊船に女がいるなんてって一度思ったよ」


 ーーやっぱり。

 もう疲れた、彼の話聞いてるの。


「でもまあ、何も不自由してないからいいかなって」

 彼は話している最中もずっと目を合わせてくれない。それは照れ隠しなのか、嘘をついているからなのか。


 前者だと思いたい。

 彼は嘘がへたそうだから。


「トーマさんて、口調は悪いけど本当に優しい人なんですね」


 前にナギくんから聞いた。食事中にこの事を言ったら押し黙ったけど。


「は。……お前なあ!」


 今回は照れ隠しに叫んだ。

 彼の弱味というか。言われたら嫌な言葉。ーー『優しいね』

 どうしてこんなに嫌がるのかは分からないけど。たぶん、照れ隠しの一環なのかも。

 『仲間』

 その言葉だけでも、ぽっかりと空いていた心は十分に埋まった。

 ぽっかり空いていたというよりは、闇の中に沈んでいた。

 という表現方法が正しいかもしれない。

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