第3章ㅤ迷子の仔猫
白い砂。青い海。
そして緑鮮やかな森。
「きれい……」
船から降りて、見たこともない景色に感嘆する。こんなの初めて。
白い浜を踏み、海の近くへ行くとしゃがみ込み、水をすくう。綺麗な透明。
眺めてからそれを、舐めてみた。
「しょっぱい」
塩分を取りすぎたことによって眉間にしわを寄せていると。
「ーーバカか」
どこからか罵倒する声が。
誰かは分かった。
しゃがみ込んだまま斜め後ろを見てみれば、そこにはやはり彼の姿。
一瞬目が合った気がしたが、彼ーーゼクスはふいっと私からすぐに視線を外した。
海の水はしょっぱいとお母さまに教えてもらったことがあるけど、本当にしょっぱいのかは確認したことがなかった。
いつも船で海を渡っているゼクスにとっては、知っていて当たり前のことかもしれないけど、私は初めてなんだ。
だから馬鹿にされるのは、何か……癪(しゃく)に障る。
このモヤモヤを言葉に表すなら、と頭を捻って考えていると。
「やっぱりここ、無人島だったんだね」
ミサトさんが衝撃な言葉を発した。
(無人島……?)
もしかして、あの誰も住んでいないという幻のような島?
名前の通り本当に人が住んでいなくて、自然だけが生きている。あの無人島?
なんてこの島についてのことを考えていると、少し遠くの方から声が聞こえてきた。
「ユリウスがさー、無人島を満喫してみたいんだって。誰か一緒に付き合ってあげなよ」
私、そんなこと言っていない。
イヴァンの言葉に騙されたみんなが、私へと視線を集める。
「ユリウス、そんなこと言ったの?」
「え……」
だから言っていない。
ナギくんに真実を教えようとすると、イヴァンによる集合がかかった。
「じゃあ、くじ引きってことで。先端が赤いの引いた人が今日一日、無人島でユリウスと過ごす特権を貰えまーす」
「はあ? そんなの特権でも何でもないだろ」
ただの罰ゲームだ、と文句を言っているトーマの言葉に複雑な気持ちになりながらも、私も同感。
無人島で暮らすなんてどう考えても無謀だ。何もない島で一日過ごすなんて、私には考えられない。
「はいはい、引いてねー」
トーマの文句も聞かずに、イヴァンはみんなのことを諭す。
イヴァンの持っている物は棒のような物だ。それを引けと言っているのだろう。
全部で、一、二、三……六本だ。
そして、みんなが引いた結果ーー。
「なんで俺が……」
「ユリウスー、僕引けなかった」
「残念、なのかな」
「……」
「ハズレじゃなくて助かったな」
円を描いて集合している状態で、一人一人違う反応を見せた。
先端の赤い棒をじっと見て、絶望感丸出しのトーマ。
その横で、赤いのを引けなくて残念そうにしているナギくん。
ナギくんと同じのを引いたミサトさんは、残念そうにしているナギくんの台詞を聞いてどう反応していいか困っている様子で。
レイは相変わらずの無表情。
視線の先には先端の赤い棒。
ただ一人、すごく失礼な反応をした。
それは最後に言葉を吐き捨てたゼクス。
“助かったな”
私と過ごすことにならなくて良かった、という嫌味も込めて言ったような気がする。
“ハズレじゃなくて”
先端の赤い棒は普通だったら当たりのはずなのに、ハズレと表したし。
“ハズレじゃなくて良かったな”
……確かにハズレだと思うけど、色のついていない棒のほうが当たりな気がするけど。
もっと、何かこう。
気を使うとかしてくれないかな。
目の前に本人がいるっていうのに、今の本音は口にすることないと思う。
「つーか、赤二つかよ」
赤い棒を引いたのはトーマとレイ。この二人と無人島で一日過ごさなければいけない。
トーマ、なんか不満そうだ。
私の世話は一人で十分だろと言っているのだろうか。私だって、一日無人島で過ごす、なんて納得できていないのに。
どうして私が、と言いたいところだが、どうして俺まで……と、トーマの心の声が聞こえてくるようで悪いことをした気分になる。
「あれ? 二人っきりが良かった?」
「んなんじゃねーよ」
なぜかトーマは、イヴァンの挑発じみた言葉に怒りながらも焦って返す。
「じゃあ、出発進行ー」
「お前が言うなよ!」
ーーそんなこんなで、抵抗する暇もないまま決定事項となってしまった。
右手を挙げるイヴァンに対し、トーマが後を振り返って勢いのあるツッコミをする。
つられて後ろを見れば、バイバーイと、ナギくんが手を振ってくれていた。
……本当に今日一日、無人島で過ごすことになったんだ。
私と並んで歩く二人。
私のすぐ左にいるトーマは、窺わずとも不機嫌だということは分かるが。
くそっ、と汚い言葉を使っている。
相当嫌みたいだ。
トーマの先にいるレイは、相変わらずの無表情。何考えているのか分からない。
こうなった事をどう思っているのだろう。
そもそも、どうしてイヴァンはこんなことをしようとしたのか。
まさかこれがイジメ?
ーーと、考えていると。
「これからどうする」
すごく低い声が私の意識を引き戻した。
トーマは本当に機嫌が悪いようだ。
誰も見ずに会話を成立させようとしている。私たちを見たくないのだろう。
……。
『私を』の、間違いかな。
落ち込んでしまったのか、彼の言葉に何も答えられなかった。
物静かなレイが喋るわけもなく。
静かな空間をただ歩いていく。
「つーか腹減った! よく考えてみればまだ昼メシ食ってねえじゃん!」
あ、なんだ。
お腹空いてるから機嫌悪いのか。
トーマは、歩いている最中に目の前にきた木を力任せに蹴りつけた。
落ち込んでいた気分がすっかりと晴れた。
私のせいで機嫌が悪くなっていたんじゃないんだ。単純な理由だった。
「戻るか」
木に足をかけたまま大人しく一点を見つめていたトーマは、颯爽に踵を返す。
船に戻るつもりらしい。
「追い出されると思うよ。きっと」
呼び止めるようなことを言う、レイ。
今日は初めて声を聞いた。
というより、薬草の話をしてから何日間も彼の声をまともに聞いていなかった。
声を聞いたとしたら、食事中にナギくんの言葉に頷いたくらいで。
少しびっくりした。
自分から話に入ってきたことに。
びっくりしたのは私だけじゃなくて、一拍置いてからトーマが訊く。
「なんで?」
「イヴァンの遊びに付き合ったナギは、一日中海の中にいたから」
「……は?」
レイだけが知っているエピソードなのか、トーマはほうけた表情して固まった。
そして何かに気づいたのか、訴えるように両手で気持ちを表現する。
「じゃあなんだこれは、俺たちはイヴァンの遊びに付き合わされてるっていうのか?」
レイは静かに頷いた。
トーマは……
「はあー!? ふざけんじゃねえよ!!」
おもしろいほどに叫んだ。
その頃。
「あーあ、ユリウスと無人島で一日過ごしてみたかったな」
甲板の手すりに両手と顎をつけ、落ち込んでいるような雰囲気を醸し出すナギは、彼らの事を遠くから羨ましそうに眺めていた。
「そんなに行きたいなら行けば?」
「行ってもいいの!?」
「まあ、一応勝手だからね」
イヴァンの言葉をまともに受け止めたナギはーーやった、じゃあ行ってくるね、と船を降りようとする。
が、次の一言で顔が青くなる。
「でも……。毒蛇がいると思うからーー気を付けて、ネ」
本当に心から気を付けてとは言っていないと分かる、黒い笑み。
イヴァンの言葉に喜んだナギだったが、結局イヴァンの言葉によって浮上した気持ちは落とされたのだった。
「森の中に食料なんてあるのかよ」
「……探せば」
レイの頼りにならない言葉に、トーマは溜め息をつく。
昼食を食べていない私たちはお腹が空いたという事で、食料探しをすることになった。
私は今のところ食べなくても大丈夫だけど、トーマがお腹空いていてすごく機嫌が悪いから付き合うことにした。
トーマが止まる。
木の前で。
「これ食えんのか?」
手に取ったのは一つのキノコ。
色も見た目も普通。
一応食ってみようと、トーマが口にいれそうになったとき。
「あ、それ毒キノコ」
レイが何事もないかのように軽く言った。
完全に食べようとしていたトーマ。
忠告が遅かったのか、キノコを口の中に入れてしまっている。
レイの言葉を聞いたトーマは大きく口を開けたまま、ぎりぎり食べずにすんだキノコをゆっくりと引き出す。
そして。
「早く言えよ! そういうことは! 今食いそうだったろ」
持っていたキノコをほおり投げ、一人でずかずかと前へ進んで行った。
お腹が空いていて相当機嫌が悪く、頭にきたのだろう。
“まさか食べるなんて思わなくて”
窺ったレイの顔が、そう言っているように見えた。
(……?)
少し歩いた所で今度は私が足を止める。
草原にいた動物。
それは蛇。
初めて実物を見た。
私の予想ではもっと緑っぽいものかと思っていたけど、枯葉のような色で黒も混ざっていてちょっと複雑な色。
その場にあった木の棒を拾って蛇に向ける。そして目の前でその木の棒をうにょうにょと動かした。
長い体を丸ませてこちらを見ている蛇は、私の動かす棒の動きにつられ目を動かす。
それがちょっとおもしろい。
先頭を歩くトーマ。
苛立った様子で平然を保てないトーマと、後方にいるユリウスたちの間にはわずかな距離が出来ていた。
「あ、」
……またかよ。
滅多に口を開かないレイが、こうやって何かに気を取られたかのように、あ、と言った時は良いことがあった試しがない。
次は何なんだと後ろを向くと、レイはどこかを見ていた。
レイとの距離は一メートル近くあったが、それより後ろを。
……。
(はあ!?)
レイの目線の先にいたのはユリウス。しゃがみ込んで何かをしている。
そこまでは良かったのだが、ユリウスの構っていた者を見た瞬間、トーマは破顔した。
ーーあいつ、バカか。
心の中で焦りと怒りが混ざり合い、トーマの足は勝手に動く。
「おい! なにしてんだよ」
「……?」
トーマの声に蛇から目を離した瞬間、指先に重みを感じた。もう一度視線を戻すと、木の棒に蛇が噛り付いていた。
ーー蛇って木も食べるんだ。
感心していると横から木の棒を奪われた。そしてそのままほおり投げられる。
……何してるの?
蛇ごと投げてしまうなんて、と木の棒を草原に投げた犯人のトーマを怪訝に見上げると、彼のほうが怪訝な顔をしていた。
「ハブだよ! 毒を持っている蛇。分かるか!?」
怒鳴りつけてくるトーマが恐い。
しゃがみ込んでいる状態で彼を見上げているせいか、余計に威圧感を感じる。
「……いや、分かっているならこんな馬鹿な真似しないか」
私、酷い事言われている。
今日で二回目だ、馬鹿にされたのは。
一回目はゼクス。海の水を舐めてしょっぱいと言ったら馬鹿発言された。
“そんなことも知らないのか”
そう、言いたかったのだろう。
今回も。
「あの蛇は毒を持ってるんだよ。噛まれていたらお前、死んでいたぞ」
落ち着きを取り戻したトーマは、たしなめるように言う。
怒りに任せて私を怒鳴りつけたことを気にしているのか、少しぎこちない。
「……分かりました。次からは気をつけます」
普通のことを知らない私が、自分自身のことを少しだけ憎いと思ってしまった。
こうやって気も使わせてしまっている。何でもない、ただ同じ船に乗っている人に。
普通なことを普通に相手と話ができない。
そういう事がすごく……もどかしい。
そんなふうに思っている自分にさらに劣等感を与え、孤独を感じさせる。
「なあ、俺らどんくらい歩ってる」
「さあ」
あれから歩き続けて何分が経とうとしているのか。時間さえ分からない。
「地図は?」
私がずっと無言だからか。
眼鏡の淵を直しながらにレイが答える。
「まさか、僕が持っているとでも思ってた?」
そういえば地図、誰も持っていなかったような。トーマが先頭を歩くから無人島には詳しいものだと思っていたのだけれど。
「だ、だってさっきからずっとその本見てるから……」
「ああ、この本。これは薬草について書かれている本だよ」
レイの持っている本は、初めて会った時にレイが読んでいたものと思われる。
焦げ茶色の本。最初からそういう色をしているのは分かるが、なんだか表面だけでは内容が分からない本。
こんな、無人島にいる時にまで読もうとする気があるなんて。それも歩き読み。
前をちゃんと見て歩いたほうが良いと思ったりもしたが、何ら負傷がなさそうだから言わずにいた。
「じゃ、じゃあもう一冊のは……」
トーマの指差す手が震えている。
トーマが指差す物、それはレイが肩から下げているバッグだ。その中から同じような本を取り出し、レイは言う。
「ちなみにもう一冊のはーーキノコが載っている本」
……。
はあーーー!!
と、今日で一番最高な声が出た。
トーマでした。
「じゃあこれからどうすればいいんだよ。このまま先へ進めってか?」
とても、やばい状況らしい。
「そもそも俺らーー」
そこまで言って、トーマは俯く。
「迷子かよ……」
迷子。無人島で迷子。
それは何を示しているのか。
「そうなんだ」
「そうなんだ、じゃねえよ今知ることじゃねえし、どうすんだよ」
珍しくレイが提案を出す。
「とりあえず、港目指して進めばーー」
「港ってどっちだ? 方角は?」
「……」
だが、黙り込んでしまうレイ。
トーマが駄目なら頼りにできるのはレイなのに。そもそも無人島で迷子ってどのくらいやばいものなんだろうか。
「ああー、マジもう無理」
腹減って無理、とトーマは座り込む。
「あの」
ふてくされているトーマに声をかけると、ん?と、とりあえず向けられる目線。
「とりあえず、進みませんか?」
この島がどのくらいの大きさなのかは知らない。その港に行くにもどのくらい時間がかかるのか知らない。
「ここに座っていても仕方がありませんし」
でも、このままここにいても意味のないことは分かる。
私の言っていることは間違っていない。
それなのにトーマは難しい顔をして。
「……勝手に進んでろ。俺はお前の御守り(オモリ)じゃねえんだ」
さも面倒くさそうに、さもうざそうに答える。これ以上言っても逆効果だろうか。ここにいても意味ないと思うと言っても、私なんかの言葉は聞き入れてくれないだろうか。
「分かりました」
お腹が空いているからか相当機嫌が悪い様で。私の知っている彼と少し違う。
もう区切ってしまおう。
誰かと言葉(心)を交わすのは無理だと。
諦めてしまえばこんな事で辛くならずにすむ。こんなふうにたった一つの言動で傷ついたりなんかしない。
言葉のキャッチボールなんてものを聞いたことがあるけど、私にはそんなもの無理だ。私の投げたものは誰も受け取ってくれない。相手から投げられたものだって……無理だ。
だって、普通が分からないから。
「いいの?」
「何が?」
「行かせちゃって」
レイは彼女の去った方向を見ながら、座り込んでいるトーマに言う。
「今更そんなこと言われても……。勝手にあいつが行ったんだろうが」
気まずそうにしているところを見ると、一応後悔はしているようだ。
引き止めなかったことを。
それを知ってか、レイは口を挟むことなく静かに答えた。
「そうだね」
トーマたちと別れてどのくらい歩いただろうか。
目的なんてものはなかった。ただ、反抗したかっただけ。
『……勝手に進んでろ。俺はお前の御守り(オモリ)じゃねえんだ』
私だってあなたに御守りされているつもりはない。
面倒なんてかけていない、はず。
それなのに心底面倒くさそうに言われて、はいそうですかと聞き入れたくなかった。
黙々と歩いていると赤い何かが瞳に映った。近くに行けばそれは……果物?
そして潮の香りも。
「お二人共!」
遠くから駆け寄ってくるユリウスが、トーマの瞳に映る。
「お前、先に行ったんじゃ……」
「潮の香りがした!」
「は?」
「海の臭いがしたの!」
初めて見せる、嬉しそうにはしゃぐ姿。
トーマはその勢力に押されつつ、ユリウスの持っているフルーツに目がいった。
「それ」
「あ、はい、これトーマさんに。お腹空いていて機嫌が悪いみたいだから」
レイさんの分もあります、と渡すユリウスを見ていたトーマは微かに罪悪感を感じる。
さっき酷い事を言ったかもしれないと。それなのにこうやって人のことを考えて何事もなかったかのように明るく接してくる。
「お前の分は?」
「私は食べてきました」
答えたと共にぎゅーっとお腹の鳴る音。ユリウス自身は今の音何?と小首を傾げている。本当に気づいていないようだ。
トーマは苦笑いしつつ、赤いフルーツの皮を剥きユリウスに渡す。
「ほら」
「え……。いえ、いりません」
「いーから」
半端無理やり口に入れられ。
(美味しい……のかな)
ユリウスの頭にクエスチョンマークが飛ぶ。
ユリウスの小首を傾げる姿を見て、トーマは微かに笑む。
「ま、味はともかく腹の足しにはなるだろ」
こういうフルーツをトーマは食べ慣れていた。よく、森の中へ入っていたから。
「そうですね」
ユリウスとの会話は終わり、フルーツを食べ進める。
食べ終えると、トーマは立ち上がった。
「じゃ、行くか」
いつもの元気さが戻ったトーマを見て、頬を緩ませながら頷くユリウス。
木に寄りかかり座っているレイは丁度フルーツを食べ終えるところだった。
彼女が来るまで一人読書を満喫していた者でもあるレイは、ユリウスの異変に気づく。
ユリウスが、微笑みの内に秘めるもの。
ーー…こんな感じだ。こんな感じでいい。
自分の思いを直前までに押しとどめて、恨みとかそんなものは二の次。自分のことより相手のことを考えて行動すれば、何もかもうまくいく。辛い思いなんてせずにすむんだ。
それから何分か歩き進め、休憩を入れる。
トーマの近くにハブがいるのに本人はそれに気づいていない。
木の枝にいる蛇は巧みに隠れていて見つかりずらいのだろう。
今にも飛びかかってくるような態勢をしている蛇に気づいたユリウスは驚いた。さっきは棒を蛇に突きつけ遊んでいたが、あの事を聞いてはそんな事なんてできない。
『ハブだよ! 毒を持っている蛇。分かるか!?』
あんな形相で言われては、ユリウスだって信じられずにはいられない。
そんなことより今はトーマを。
勝手に動いた体。
トーマにハブのことを言っても気づいてくれないから近くに行って説明しようとすると、ハブはユリウスに飛びかかった。
けれど命中は外れ、蛇はユリウスのドレスの袖辺りに噛み付く。
その噛み付いている蛇をトーマは尻尾から掴み、草原へ投げ飛ばした。
「大丈夫か」
「はい」
真剣そうに問うトーマ。
そこまでなら良かったのに。
「お前そういうことやめろよ」
「……?」
「危ねえだろ」
危なかったのはトーマのはず。
どうしてトーマは私に忠告をする?
「だってさっき、トーマさんも私のことを助けてくれたから」
そう答えても険しい顔を直そうとしない。
私はそんなにいけない事をしてしまったのだろうか。
「さっきのはさっきだ。お前は女だろ」
心配して言ってくれているのかと思ってた。だけど違ってたんだ。
今の言葉は何よりも心に突き刺さる。
「女、だから何ですか?」
ぴくっと眉が動く。
私の質問に不思議な顔をしつつも、トーマはさも当然かように答える。
「女は普通、守られる存在なんだよ。知らないのか?」
同等として見てくれていない。
「そういう、ものなんですか?」
私は女だからという理由で心配されたり、助けられたりしてきたのだろうか。
「あ?」
何を言っているんだという声。
私の事を何も知らないんだということを痛感させられる。
「だからトーマさんは、私を毛嫌いしているんですか?」
トーマは正統派な方なのだろう。女は守らなければいけないものだと思っていて、それで私も女だから助けなければならなくて。
でも、本当は私を助けたことを後悔しているんだと思う。
私が船に居座ることに対して一番否定するような態度を取ったのは彼だ。私の存在を煩わしいと思っているのに違いない。
煩わしいと思っているけど、面倒くさいけど、私が女だから助けなくてはいけないという役目に追われている。きっとそうだ。
「は?」
私の言った言葉に、彼は何言ってんだと純粋に驚いているような表情をしている。
それが演技だったら最悪だ。
私を思っての演技じゃなくて、女を思っての演技。本当に最悪だ。
「だって言ってたじゃないですか。“なんでこの女がここに居座ることになってんだよ、海賊船に女が乗ってるなんておかしいだろ”って」
考えれば考えるほど虚しくなってくる。イラついてくる。何なのこれ。
「それは……」
「面倒なんですよね、守らなくてはならない煩わしい存在がいて。別に私、あなたに守られたいなんて思ってませんよ?」
崖の上から飛び降りた私を助けてくれたのは彼だ。イヴァンからお母さまの首飾りを本気で取り返そうとしてくれていたのも彼。
でもそれは私が女だから。
女だから仕方なく……。
「あ、」
レイは空を見上げる。
「雲行き怪しくなってきた」
ポタッ、ポタッと降ってくる雨。
それはだんだんと強くなっていく。
「早く移動するぞ」
移動するってどこへ? ここは無人島なのに。逃げる場所、雨宿りできる場所なんてないだろう。
なのにどこへ移動するというのだろうか。
「おい」
雨に濡れたって同じじゃない。
もう濡れているんだから。
「なんですか?」
ぎりぎりか細い声で応答する。
本当は返そうとなんてしてなかった。
「移動するっつってんの」
「どこへ?」
「それは……走っている最中に何か見つかるだろ」
曖昧な計画。
「勝手にーー」
「ん?」
「勝手に、行って下さい」
さっき彼に言われた言葉と似てる。
言ってから気づいた。
やっと私の異変に気づいたトーマは問う。
「お前、どうした?」
私にも分からない。
これを情緒不安定というのだろうか。
彼の言動に落ち込んだり喜んだりする自分に疲れる。だから真の感情は無くそうとしているのに。もう、ワケわからない……。
普通って、なに?
「……もう自分でもワケ分かりません。もうどうだっていいって思ってるのにそう思い切れない自分がいて。誰かさんの態度や心情によって変わってしまうんですよ。だから疲れるんです」
「……」
ここまで言ってもトーマはわからないようだ。もう鈍感すぎて嫌だ。
それとも天然なのだろうか。
「あなたのコロコロ変わる態度のせいです」
「は? 俺?」
本当に本当にこの顔は何も分かっていない顔だ。……天然馬鹿。
「私が棒に振った命をすくってくれたのはトーマさんだから。だから、たぶんあなたの私への扱いがぞんざいで戸惑っているんです」
正確には命を棒に振ろうと崖から飛び降りたわけじゃない。そもそも崖から飛び降りたいと思って足を踏み外した訳でもない。
飛べると思ったから。
雲一つない青い空へ。
そんなこと言っても客観的に見たら私は命を棒に振ろうとした者だから。
「は?」
「私の存在価値はあなたが握っているのと同じで、でもトーマさんは私がいないほうが良いと思っているからどうすればいいか分からないんです」
「お前、何言ってんの?」
「私にだって分かりませんよ。思ってもないことがべらべらと口から出るんです」
本当に何言っているのか分からない。
さっき自分で言った事だけど、別に毛嫌いされてるとか思ったことはない。たぶん。
彼に毛嫌いされていても仕方のないことだ。別にそんなことはどうだっていい。
仲良くなりたいとか、大切にされたいとか、そんなことは思っていないのだから。
「思ってもなきゃ口からは出ないだろ」
「知りませんよ……っ」
トーマは本当に空気の読めない人だ。
「何で逆ギレ?」
「知りません」
「知りませんの一点張り?」
「……知りません」
「馬鹿?」
「知りま……。しつこいです」
まとめて言ってしまおう。
私がなぜこんな情緒不安定になっているのか自分自身にも分からないけど。
「……トーマさんが分かりません。他の人たちもそうですけど、今一番分からないのはトーマさんです」
胸元に手を当て、ぎゅっと拳を握る。
「優しく接してくれたと思ったら辛く当たってきて。機嫌が悪い時は本当に口も何もかも悪いです」
……言い切った。
でもまだモヤモヤしてる。
「何もかもって、例えば?」
そう言うので、仕方なくトーマの顔の中心に指を指す。
「その、眉間に寄ったしわとかです」
ふと気づいた後、彼は難しい顔をしてから眉間のしわを無くした。
「ほら、直した。他は?」
「他……他は……」
必死に考えていると。
「そんなこといいから、とりあえずあいつの後追うぞ」
(ーーえ)
手を引っ張られる。
雨が降っていること、忘れていた。
それほど話に集中していたというわけ。
レイの姿はもう見えなくなるほど遠くにある。もしかして本が濡れてしまうから急いでいるのかな。でも、急いでも、雨宿りする所なんてあるのだろうか。
トーマが手を離してくれないから走り続けるしかないんだけど。トーマの手、冷たい。
私の体も雨に濡れきって冷たいけれど。
ザアーッと降る雨は、すぐに止みそうもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます