第2章ㅤ大事な形見

 食器を片付けてから甲板に出ると、二人で何か話しているのを目撃した。


「昨日、お城から奪った宝石」

「宝石つーっか、それ、ただの首飾りだろ」


 イヴァンとトーマ。

 あまりない組み合わせに見える。

 イヴァンは手すりに座るようにして、何かを右手に掲げていた。


(あれは……)

「分かってないなー、トーマは。宝石で作られたネックレス」


 結構な代物だよ、と言いながら指でくるくると回し、乱暴な扱いをしている。

 イヴァンの持っている宝石のネックレス。

 たぶんーー私のものだ。

 あの色と形。

 お城から奪ったものだと言っていたから、間違いない。


「返してください」

「……?」

「それは私のお母さまの物です」


 二人の元へ近づきイヴァンに強い視線を向ければ、イヴァンはネックレスに視線を移し、興味なさそうな顔をする。


「お母さま? へえ」


 もう一度私の顔を見て。


「ーーやだ」


 にっこりと笑う。

 ……返してくれるものだと思った。


「返してくだ」

「やーだ」

「返してっ……」


 言うことを聞いてもらえないものだから、取り返そうと手を伸ばす。

 けれどイヴァンにはするりとかわされた。

 さっきまで 手すりに座っていた彼は私の近くに立ち、何が楽しいのか。


「やだっつってんじゃん」


 あっははははーーと甲高く笑う。


「それは私のお母さまの……」

「わかったって。あんたの“お母さまのもの”なんでしょ? 二度言わなくても別にいいって」


 人を馬鹿にするような態度。

 隠そうとしない意地悪っ子の笑み。

 ……この人、楽しんでいる。

 それとも、宝石で作られたネックレスが私のお母さまのものと信じていないのか。


「イヴァン」


 私の近くにいるトーマが彼の名を呼ぶ。


「なーに?」

「返してやれよ」

「どうして?」

「そいつ、泣きそうな顔してるから」


 私が泣きそうな顔をしているかどうかは置いておいて、私のお母さまのネックレスは絶対に返してもらわなくては。

 私の大事なーーお母さまの物なんだから。


「んー、どうしよっかな」

「ーーイヴァン」


 イヴァンが私に返そうか迷っているところ、誰かがイヴァンのことを呼んだ。

 それは船内から出てきたゼクス。

 呼ばれたイヴァンはゼクスの元へ行くと、何か二人で話し始めた。と、思ったら「了解~」と、軽快な声を発するとイヴァンは階段を上って上へ行ってしまう。


 ネックレス、持っていかれた。

(私の、私のお母さまの物なのに。どうして……)

 ぐっと拳をつくり、俯く。

(お母さま……)

 このままじゃ、すまされない。


「そんなに、アレ、高価なものなの?」


 私があの首飾りを必死に取り戻そうとしてしていたからか、まだここにいるトーマがネックレスについて訊いてくる。

 でも、そういう理由でなんかじゃない。

 あれは、高価とかそんな、値段なんかで価値が決められないものなんだ。


「とても……とても大事な、お母さまの」

 ーー‘遺品なんです’


 そう言うと、視界に映るトーマが目を見開いたような気がした。

 そして……。


「おい! イヴァン」


 いきなり彼のことを大きな声で呼んだ。でも、そこにはもう彼の姿はないのだろう。

 チッ、とイラついているような焦ったような様子で舌打ちをする。

 本当に一体どうしたというのか。彼の空気が変わった。

 まるで私と同じように、いや、それ以上の熱い気持ちでイヴァンに取られたあのネックレスを取り返そうとしているような。


「取り返してくる」


 本当にこの人は……。

 口調や態度は乱暴だけど、本当に根は優しい人なのだろう。

 私の横を通り過ぎようとしたトーマの袖を掴むと、自信のない心を隠しながら伝える。


「大丈夫です」


 自分のものは自分で守る。


 本当に欲しいものはその手で掴みなさいとお母さまに言われていた。

 本当に自分の欲するものは誰かに任せてはいけない。それと同じように、守りたいものも自分の力でなくては。

 他人に任せてはいけないんだ。

 だから……。


「自分で取り返しますから」


 凛とした強い想いを持ち、俯いていた顔を上げトーマに目を向ける。

 私を想って取り返そうとしてくれるのは嬉しい。けど、ーーあなたも海賊。

 差別するわけではない。

 でも私は海賊が苦手だ。人の大事な物を簡単に奪える盗賊が、海賊が。

 これまでに何かされたってわけじゃないけど。……なんか、気に食わないんだ。


 トーマの袖から手を離し、そのまま横を通り過ぎると階段を上がった。

 上がりきると、なんとなく辺りを見渡す。

 初めて来たこの場所は、どうやら操縦するところのようだ。

 船の進む方向を変えられる舵輪が取り付けられている。


 青い空と青い海。

 景色も良さそう。

 イヴァンは何やら舵の近くで地図を持ち、眺めながら真剣に考えている様子。

 私の存在に気づくと、ぼけーっと眺めるように見てきてから彼は柔らかい表情をする。


「ねえ、自由になりたい?」


 ……自由になりたい。

 もちろんだ。

 でも自由になんてなれない。

 そう理解してこの船の上で暮らすことを選んだのに、彼は一体何を考えているのか。

 彼の理不尽で意味不明な質問に、不快感すら覚える。


「少しだけ自由にしてあげるよ」

「……」


 本当に意味が解らない。


「実はもう少し進んだところに島があるんだ。そこに降りてみるかゼクスに言われたんだけど、あんたが自由を味わってみたいって言うなら降りてあげてもいいかなって」


 ちょっと上から目線で物を言いながらの見定めるような視線。

 それは特に気にならなかった。

 それよりーー

 島……。

 私の知らないところ。

 海を渡って行かなければ絶対に着くことのない、未知の場所。

 降りてみたい。

 私の生まれ育った街以外の土地。

 同じなのだろうか。

 広さや、大きさーー面積は。

 街並みはどんな感じなのかな。


「……そんなことより、ネックレス、返してください」


 ーー島へ降りたって、どうせ自由になんてなれない。

 彼の変な質問のせいで、彼の元へ来た目的を忘れかけていた。

 叶いもしない希望は吹り払い、ただあのネックレスを返してもらうことだけを考える。

 イヴァンは、えー、と私の発言を批判するような声を発した。

 たぶん彼は、自分の質問に私が真面目に答えるとでも思ったのだろう。

 大間違いだ。


 彼のいう島に降りるか降りないかは、彼の決めること。私は降りたいとは言わない。

 ……でもみんなが降りるとなったら、降りてみたいだけど。

 返事を待ち続ける。

 彼ーーイヴァンは、何もないところを見て何かを考える表情をし始めた。

 そして、んー、と軽く唸ると、私に艶のある目を向けてくる。


「じゃあ、裸になってくれたら返してあげるよ」

「ハ、ハダカ!?」


 反射的に一つの単語に驚くと「無理でしょー?」と笑顔かつ小悪魔的な顔を彼はする。

 私が無理と言うのを分かっているなら、言わないでください、と言いたい。


「無理です!」


 全力でお断り。

 そもそも、裸になってと言われて裸になるような人がいるのか逆に問いたい。

 じゃあ返してあげなーい、と言いながら彼は、自分のポケットからネックレスを出す。

 そして私を窺う。

 にやける顔を隠そうとしないまま。

 私の反応に期待しているのだろう。

 どんな反応をかは知らないが。

 というか知りたくもない。


 眉間にしわが寄っていくのが分かる。

 私は彼を、恨みのこもった目で睨みつけているだろう。


 それなのに彼は「本当にいいの?」と右手に首飾りをかざしながら挑発的に言ってくる。


「返してくれるつもりが微塵もないのなら、全力で奪い返しますから」


 びしっと言い切る。

 すると、私の返しは彼の予想していた言動と違ったのだろうか、彼は意外そうな顔をして目を丸くした。

 でもすぐにそれは、楽しそうな表情へと変わる。意地悪っ子な表情へと。


「へえー。できるの?」

「できるできないの問題じゃなくて、絶対にしてみせします」


 そう言うやいなや、手を伸ばす。

 彼の持っているネックレスへと。

 けれど、ひょいっと避けられる。

 予想はしてたけど。


「よっ」


 ……下に飛び降りるとは予想もしていなかった。ーー結構な高さがあったはず。

 私の横を通り過ぎたイヴァンは、手すりに片手を置いたかと思うとそのまま身軽な体を使って下へ飛び降りた。


 大丈夫かと手すりに両手を置き下を確認すれば、そこには何事もなかったかのようなイヴァンの姿。

 取れるものなら取ってみろという目が、なんとも憎たらしい。

 彼の心配する必要なんてなかった。

 イヴァンはそのまま船内へ入っていく。

 私は階段を勢いよく駆け下りる。

 甲板まで駆け下りると、途中、階段のところに寄りかかっているトーマがいた。


 イヴァンにばかりに気がいって、こんなところに彼がいるなんて気づきもしなかった。

 それ以前、さっきトーマと会話してたことさえ忘れかけていた。


「どうした? そんな焦って。首飾りはちゃんと返してもらえたか?」

「それが……まだです」

「はあ!?」


 彼は血相を変える。

 あいつ……!と、またトーマが船内に入っていったイヴァンの後を追おうとしていたものだから、その腕をそのまま掴んだ。


「あの、本当にいいですから」

「いいって言われてもな。あれはお前の母親の形見なんだろ? そういうものはちゃんと大事に持っていないとーー」

「お気持ちだけもらっておきます」


 彼の優しさに微笑めば、彼は納得いかなそうな顔をして溜め息を吐く。


「お前、なんなの?」

「……?」

「なんでもねえ」


 目すら合わせてくれないまま彼は船内へと入る。

 その後すぐに入るのも気まずいと思ったから、イヴァンの後を追うのは一旦中断した。

 甲板に一人残され、静かな空間ができる。

 お城では事実上一人でいることが多かったけど、この船の上ではどうやら一人になるほうが少なく、貴重らしい。


 なんとなく手すりへと向かう。

 手すりに両手を置けば、綺麗な青の景色が目に飛び込む。

 海。

 船に揺れて波を立てている。

 潮の香り。

 初めて嗅いだ。

 ーーお母さまの首飾りを、形見だと思ったことなんて一度もなかった。

 ただ、お母さまが生前まで首に下げていたものなんだって思ってて。

 トーマにさりげなく形見と言われた時は、ああ、あれはお母さまの形見なんだって、あの首飾りの重要性が上がった気がした。


「なにをしている?」


 ふいに、誰かの声が耳に届く。

 振り返る。

 そこにはゼクスがいた。

 油を売っている場合か。

 そう、言いたいのだろう。


「いえ」


 船の掃除とか、ミサトさんの手伝いとか。ぼけっとしている時間があるならそういうことをしろと言いたいのだ、きっと彼は。

 そんな彼の横を通り過ぎた。


 憎たれ口とか、今はそんなこと聞きたくない。

 彼の嫌味はけっこう胸に突き刺さる時がある。

 それはたぶん、彼の言っていることが正しいから。

 彼は本当のことしか言っていない。

 ただ単に、こっちが勝手に傷ついているだけなんだ。




「あ、ミサトさん」


 船内を歩いているとミサトさんと鉢合わせした。

 いい機会だから訊いてみよう。


「イヴァンさんのよく行くところとか分かりますか?」



 船の中は広くて、手当たり次第に探していくのは困難になりそう。だから、こうやってみんなに調査したほうが早いかもしれない。


「イヴァン? んー。わからないかな」


 謝る必要はないのにミサトさんは、ごめんね、と謝る。

 どうしてイヴァンのことを訊くのか不思議そうな顔をしつつも。

 何も訊かないで率直に答えてくれたミサトさんにお礼を言ってもいいくらいなのに。


「いいえ。それじゃあ」


 そのままミサトさんの横を通り過ぎると、すぐ後ろから「あ」という声が。

 何かを思い出したかのような。

 一応、振り返る。


「どうしたんですか?」


 ミサトさんは物忘れするような人には見えない。だとしたら、なんだろうか。


「さっきすれ違ったトーマが不機嫌そうだったけど、もしかしてそれと何か関係ある?」


 えーー。

 言われてみれば。彼、さっき、私と話していて急に不機嫌になったような。


「……」


 関係ある、のかな。

 よくわからない。


「僕には関係のないことなのかもしれないけど、何かあったら頼ってね」


 柔らかい笑み。


「はい」


 つられて笑みを返す。

 ここにいる人たちのことはまだよくわからないけど、ミサトさんが優しいことは確か。






「レイさん。イヴァンさんの居場所とか分かりませんか?」


 以前、ナギくんが案内してくれたレイのいる部屋へと入った。

 平然とちゃんとこの部屋を見渡せば、ここはどうやら医務室のようだ。

 たくさんの本が綺麗に並べられていて、医務室というより、レイの趣味部屋にも見えてしまうが。

 本は、薬草についてのものとかだろう。


「イヴァン。知らない」

「……そう、ですか」


 彼を探しながらここまで来てしまったが、形跡も情報もなし。

 お城ほど大きな船ではないけど、船内広すぎ。一体どこでこんな船を手に入れたのか。






「ナギくん。イヴァンさんがよくいる場所とか……知らない?」


 最後の頼り、ナギくんのところへ来た。

 が、やっぱり。


「イヴァン? 知らないよ?」


 ナギくんの答えを聞くと、はあー、と心の中で溜め息をつき、私は片手を頭につける。


「イヴァンなんて探してどうしたの? 何か用事?」

「うん……まあ、そんなところかな」


 ナギくんも彼の居場所を知らないとなると、こうなったら自力で探すしかない。

 ーー結局、イヴァンのことを見つけることはできなかった。

 どこにいるのか、というより本当に船の中にいるのか不思議に思ったりするほどで。

 でも、夕食には何事もなかったかのようにイヴァンが席に座っていて。


 私の左隣にいるトーマがなんか暗く、イヴァンが「暗いよー?」なんてふざけて言ったものにも彼は突っかかることはしなかった。

 ……一日は長いものだと思っていたけど、今日はなんだかすぐに一日が過ぎてしまう。





「どう? みんなと仲良くやってる?」


 仰向けに寝ている私を、横から覗く可愛いらしいナギくん。

 両手を頬に寄せて頬杖をついている状態。

 ナギくんの部屋のベッドを半分こ。

 この部屋で寝ることになって、どこで寝たらいいのかと訊こうとしたとき、ナギくんに言われたんだ。『半分こしよ』と。

 誰かと何かを半分こするなんて、初めてのことで。少し気恥ずかしさも感じていた。


「どう、かな。あまり深く喋る機会とかないし」


 一人には大切なネックレスを奪われて、もう一人には嫌味をはかれる始末。

 あと、もう一人を不機嫌にさせてしまったかもしれない。

 そう、笑わざるを得ない状況だが、表情には出さずただ天井を見つめる。


「そっ……か」


 一つのものを誰かと分け合う。

 そんな当たり前のことさえ、友達一人いなかった私はしたことがなかった。


 こうしてこの船に間違って乗ることもなければ、一生一つのものを誰かと分け合うなんて経験、できなかったのかもしれない。


「でも、ユリウスはもう僕と仲良しだよね」

(え……)

「そうなの?」


 いきなりの宣戦布告というか、思いもしない一言。

 驚きを隠すことなく、私のことを見ていたナギくんを見つめ返す。


「そうだよ。こうやって敬語使わずに、普通に喋れてるじゃん」

「そう、だね」


 ナギくん以外の人には敬語を使うようにしている。

 ナギくんに敬語を使わないのは、彼自身に敬語を使わなくていいと言われたから。

 あと、年下っぽいから。






 眠たい目を擦りながら船内を歩く。

 昨日、船の掃除やらミサトさんの手伝いやらで、今まで一度もやったことないことをやって疲れたのかもしれない。


「やっほー」


 そんな時に、イヴァンが目の前に現れるのは吉なのか凶なのか。

 私の視界に入るよう背後から前に回り込んでいるようだ。


「おやすみ?」


 私がまだ眠そうにしているからか、そんなことを言ってくるのか。


「今起きたばかりです」

「ふーん」


 さほど興味もなさそうに流された。


「これ、いる?」


 イヴァンの右手にあるものに、私の眠気なんて吹っ飛んだ。

 目を開き、反射神経かそれに手を伸ばす。


「いります!」


 でも、ひょいっと上に持ちあげられ。


「やっぱあーげない」


 逃げられた。


 (……あの人、本当に何がしたいの)


 彼の走る後ろ姿を見続け。

 内心呆れ状態。


 (……)


 挑発に乗っちゃだめだ。

 挑発に乗っては彼の思い通り。

 挑発なんか。


「待ってください!」


 挑発に乗って駆け出してしまった。

 でも、彼のことを見つけるのは追いかけることより大変のことだから。

 お母さまのネックレスを取り返すチャンスは、今しかないのかも。






「あの! 返してください!」


 どこからか大きな声が聞こえてきた。

 これはあの女の声。

 ドアに手をかけようとしていたトーマは、一瞬行動が止まった。


(ーーあいつ、まだやってるのか)


 その姿を確認しようとドアを開くと……。


「あ」

「あ」


 タイミングよく対面してしまった。


 ……デジャヴ。

 前にもこんなことがあったな、と感じていると彼は俯いてしまった。

 なんだか気まずい。


「トーマさんの部屋、ですか?」

「ああ」


 まだ気まずい。


「お前は朝っぱらからあいつのことを追いかけているのか」

「……はい」


 ーーだから俺に頼めばいいだろ。

 そう、彼の言いたいことが空気を伝ってひしひしと伝わってくる。


「まあーー」


 彼の声につられ、俯きぎみの顔をあげると。


「頑張れ」


 そこには、ほんの少し穏やかで、優しい笑みがあった。


「はい!」


 なぜか嬉しくて、拳をつくった両手を前に出す。瞬間、イヴァンのことを思い出し、彼の行ってしまった方向を見てから。

 彼に向き直る。

 勢いでそのまま行ってきますと言うと、トーマはふっと吹き出した。

 それを後にし、ネックレスを取り返すため、イヴァンの後を追うのを再開した。

 あーー。

 歩くより速いスピードで歩みを進めていると、前方によく知る方が。


「おはようございます」

「……」


 無表情、無関心、無口。

 なんて最悪な三点揃いなのだろう。

 この人が女性にモテるなんて……と、まだ根に持つように考えてしまう。


「それじゃあ失礼します」


 何も喋らず、挨拶すら返さない彼ーーゼクス。

 それどころか汚いものを見るかのような、蔑むかのような横目で私のことを見ていた。

 ……挨拶なんてしなければよかった。

 彼の横を通り過ぎた途端、顔の筋肉が下がるのが分かる。



(今は不機嫌になるより先に、彼に奪われたお母さまの首飾りのことを考えないと)


 害した気分を取り戻すように、自分を奮いたたせた。

 まずは、彼ーーイヴァンを見つける。

 ーーが、やっぱり彼を見つけることはできなかった。


 (本当……どこにいるんですか)






 朝食時。

 彼ーーイヴァンのことを伺う。

 彼の行動が分からない。

 彼の行く所も。

 返してくれるつもりは全くないみたいだし……。


(あ。もしかして、売買してしまおうとしている!?)


 はっとしたと同時にコンポタージュを飲み込む。口に入れたスプーンはそのまま。

 ……ど、どうしよう。

 彼、昨日島に降りたいか訊いてきたし。すぐ近くに島があるのかもしれない。

 ということは、そこに降りた時に私のお母さまのネックレスはーー。




 様子のおかしいユリウスに気づいた、右隣にいるトーマ。

 自分が声をかけたら、周りのやつらにこいつと仲良いと思われる。

 だが、極力気にせずに声をかけた。


「どうした?」

「え、……あ、なんでもない。あ、じゃなくてなんでもないです」


 分かりやすいほど彼女はきょどっていた。

 敬語を忘れるほどに。

 どうにも怪しいユリウスをじーっと見るトーマだが、彼女はそれを知っていてかテーブルの上だけを見つめる。


 (ーーいや、なんでもなくねえだろ)


 どうせ首飾りのことだろうと、ちらっとイヴァンのことを見るトーマ。

 ちょうどイヴァンはチェリーを頭上高く持ち上げ食べているところで、いつもの光景にトーマはイラっとしたのだった。




 トーマのその、イヴァンを見てイラっとしている姿と。ユリウスの様子がおかしい姿。

 どちらとも見抜いている人が一人。


「……」


 彼女の向かいにいる、ゼクス。

 首飾りのことは知っていた。


『ーーおい! イヴァン』


 島に降りるか、唯一自分以外の操縦のできるイヴァンと話し合ったあと。船内に戻り、ドアを閉めようとしたところで、トーマの叫び声とも呼べる声が聞こえた。

 その時はほおっておいたんだが、偶然イヴァンと会った時に訊くと。

 女の首飾りを奪ったら、なぜかトーマが怒っているような声で呼んできた。

 まあ、無視したんだけど。

 ……と。


(こいつがお人好しなやつだと分かってはいるが、そんな女の首飾りごときに必死になるはずもない)


 様子がおかしいのはお前も一緒だ。

 と、心の中で物臭に言い。ゼクスは、ユリウスの隣にいるトーマから視線を外した。






 船の掃除は大変だけど、甲板の拭き掃除は好きかもしれない。

 ーーんだけど。


(……はあ)


 ブルーな気分。

 天気もよくて、日光も暖かくて、たまにそよぐ風が気持ちいいのに。

 気分がすぐれない。


「ユリウス、なんか元気ないね」


 そんな私を覗いてきた、ナギくん。

 立ったまま体を傾け、首を七十度曲げて覗く姿はかわいいとしか言いようがない。


「そう……?」


 そんなことないよと言うかのごとく、曖昧な笑みを向ける。

 でもそれは彼には通用しないみたいで。


「僕も手伝うよ」


 そう言ってバケツの中を見るが雑巾はない。私の使っているこの一枚だけ。

 すると、ナギくんは雑巾持ってくるねと足早に船内へ入って行った。


(……別に、手伝わなくてもいいのに)


 一人になった甲板で、掃除を再開しようと床に置いた雑巾を見つめながらに思う。

 ナギくんの優しい気持ちに嬉しさ半分。

 残りはーーなんだろう。


「トーマにいじめられた?」


 二人して甲板の手すりを拭いていると、ナギくんが唐突な事を言ってくる。


「どうして?」

「だって本当に元気ないから」


 彼には私が、元気ないように見えるんだ。


 原因と言ったらトーマしか思いつかないし、とナギくんは海の遥か遠くを見ている。


「あの人には、優しくしてもらってるよ」

「あのトーマが?」


 女の子に優しく?

 と、頭をひねる彼。

 どうやら彼ーートーマはナギくんにいいように思われていないようだ。

 それとも、初めて会った時の私への態度がきつかったからか。

 そんな考えを巡らせたあと、だけど……と話を続ける。


「イヴァンに大切な物を奪われちゃって」


 これは、私の元気のない理由。


「もしかしてハートを?」

「ハート?」


 意味の分からない文法。

 さっきナギくんがしていたように海の遥か遠くを見ていた私は、彼の顔を咄嗟に見た。

 そして自己解決するため、頭を働かせる。

 ハート……。

 ハートを、奪われた?

 ハートは、心。

 それを奪われただからーー。

 意味不明な問いかけの答えがぴんと浮かび、急いで違うよと否定をする。


「じゃあ、なに?」


 手すりを拭く手を止め、真っ直ぐと私のことを見つめる。

 つられ手を止めるが、なぜかその大切なモノのことを話せない。

 話せないというより話したくないのかな。

 喉に何かつまっている感じ。

 トーマには普通に話せたのに。

 どうしてだろう。


「なーにしてるの?」


 考えごとをしていると、後ろから聞き覚えのある声が。

 のんびりとしていて、自分中心に回っているような上から目線の声音。

 目立ちすぎる赤髪。

 口角を上げている憎たらしい表情。


(ネックレス、返してもらうチャンスだ)


 ナギくんが、彼ーーイヴァンに「掃除の手伝いしてるんだよ」と答えている横で、無意識に体に力が入る。

 そんな私を察してか、ふーんとだけ言ってイヴァンはすぐにここを去ろうとした。


「っ、待ってくださ……」


 踵を返して行ってしまう彼のあとを、呼び止めようと急いで駆け出した時。

 ーー何かにつまづいた。

 それが、私のつまづいた原因が水の入ったバケツだと気づいたのはいつだったか。

 床にひざまずく私の着ているドレスが、水を吸い込んでいく。


「大丈夫?」


 床に影が落ちる。

 これはイヴァンの声。

 心配しているふうに覗きこんできた。

 私は、そんな彼を、恨みのこもった目で見てしまうかもしれない。


(私のお母さまのーー大事な形見)


 ほら、やっぱり。

 彼の顔を見るとお母さまのネックレスが思い浮かんで、それを奪った彼、イヴァンのことを恨んでしまう。

 ーー……この人は返してくれる気なんてないんだ。


「ユリウス大丈夫!?」


 ナギくんが駆け寄ってきてくれた。


「……うん、大丈夫」


 わあ、ドレス濡れちゃったねと気にかけてくれるナギくんに対し、これくらいすぐに乾くよと言いながらに立つ。

 ああ、でも本当にすぐ乾くかな。

 自分のドレスを見下ろし、心配になる。


「俺のことーー」


 ……?


「憎んでる?」


 何喋るのかと顔を上げてみると、イヴァンが私のことをじっと見ていた。

 それは真剣そうな顔で。

 この人、こんな表情もできるんだ。

 なんて思ったのもつかの間ーー。

 急に彼はふはっと吹き出した。

「そりゃそうだよね、君のモノ盗んじゃったもんね」

 正確に言えば、私のお母さまの物だ。

 ヘラヘラしだした彼にイラッとし、心内で訂正する。


「君のものって、やっぱりユリウス、ハートを……」


 なんて心配して見上げるナギくんは、まだ何かを勘違いしているようだ。


「違うよ、ナギくん」


 笑顔で答える。

 誤解されたままでは何か嫌だ。


「そうそう、その人は俺にハートを」

「違います」


 便乗してくれるものだと思ったが、そうではなかった。

 彼は、子供に嘘を教えてはいけないと教わらなかったのか。


 私より小さくてこんなに純粋なナギくんに、嘘を教えようとするなんて。


「ふざけるのはなしにしてさ。本当にこれ、返さなくてもいいの?」


 イヴァンが自分のポケットからネックレスを取り出し、それを挑発的にかざす。

 返さなくても良いと言った覚えはない。


「だから、前々から返してくださいと言っているはずです」


 今日で何日目か、彼からネックレスを奪い返そうとしているのは。


「ん? そーだっけ?」


 とぼけているような彼。

 わざとらしいほどの演技。

 少しずつ、理性が崩れていく。

 ここまでくると、上品にしてなさいと言われ続けた私でも、怒りがこみ上げてくる。


「売買(バイバイ)しちゃう?」


 プチッと何かが切れた。


「ふざけるのもいい加減にして下さい!」


 どのくらい彼を探し続けたか、追い続けたか。……これじゃあ、理不尽すぎる。

 売買という単語。

 恐れていたのかもしれない。

 盗賊はみんな、金目の物を狙って奪い、それを売却する。

 知っているからこそ、無くなってしまうと分かっているからこそ、こんなにも必死になってしまう。


「それはお母さまの……」


 力無く拳をつくり、俯く。

 こんなことしたって無駄だって分かってる。

 彼がこんなにも人情のない人だとは思っていなかった。


「なーに。怒っちゃってる?」


 彼なんて、海賊なんて嫌いだ。

 誰かを信じようとした私が馬鹿だった。

 この人たちのこと何も知らないのに、信じるほうがおかしいけれど。信じる以外に何をすればいいのか、分からない。

 相手の何を見て、悪い人か良い人か見分けるのか。そんな簡単なことさえ、ちゃんとできているのか分からない。


 私の相手の印象は、予想でしかない。

 ミサトさんは優しい人だと思う。けれど、それも違うのかもしれない。

 ただ、私の思い込みってこともある。

 ただ一つだけ分かること。それは……

 彼ーーイヴァンは嫌な人だということ。

 人の物を盗んで、返す気ないのにそういう素振りを見せる。

 返してくれるのか返してくれないのかどっちなの、と今日まで思っていたけど、彼は返してくれるつもりはないみたいだ。


「……」


 怒っちゃってる?

 訊く必要もないだろう。

 見て分からないものだろうか。

 なぜか私はここにいたくなくて、船内へ入ろうとした。彼の横を無言で通り過ぎて、ドアに手をかけ開ける。


 ーーと。


 視線の先には黒い靴。

 俯いていた顔をあげるとそこには。

 冷徹で冷ややかな目をしたゼクスがいた。

 それほど恐くはない。

 いつもより迫力がないというか、ずっとこのまま見ていられる。

 というわけにはいかなくて。

 後退して道を譲った。

 甲板まで出たゼクスは変な顔をする。


「どうして、水浸しなんだ」


 その目線の先には……

 ーーあ。

 私がつまづいた時に倒れたバケツ。

 忘れてた。


「ああこれはね、その、ぼ、僕が倒しちゃったんだよ」


 やばい、のかな。

 言い訳をするようにナギくんが私をかばってくれる。

 これはやばい状況なのか。

 ゼクスは、ほう、と言った感じでナギくんのことを見る。

 どうやら信じていなさそうだ。


「イヴァンと遊んでてさ……」


 嘘を言い続けるナギくんの言葉に、「え、俺?」とイヴァンが真面目に驚く。

 ナギくんは優しいね。

 この船へ来た時からずっと。

 怪しくナギくんのことを見続けるゼクス。

 彼のことはずっと恐いと思っていた。けど、今はそうでもない。

 怒鳴られようと、怒られようと、嫌味を吐かれようとーーもうどうでもいい。


「私がつまづいて倒しました」


 あちゃー言っちゃったよ、という空気がイヴァンとナギくんから感じる。


「お前が?」

「すぐに拭きますから」



 濡れているドレスに彼の視線がいった時、素早く動き床にひざまずく。右手にある雑巾でバケツから出てしまった水を拭き取る。


「ぼ、僕も手伝うよ」


 駆け寄ってきて、ナギくんは私と同じように床を拭いてくれる。

 そんな私たちのところまで来て、無言で見下ろすゼクスは何を考えているのか。

 そんなこと、気にならないほど私は悔しさに満ちていた。

 お母さまのネックレスは、島に着いたら売られてしまう。

 私の手元には、もう一生……。

 ぐっと唇を噛みしめる。

 少ししてからゼクスは立ち去った。

 そしてイヴァンも。


「ふはー、助かった」


 ナギくんは安心して息を吐く。

 私は少しの疑問をもった。


「そんなに恐かった?」

「恐いも何もないよ。ゼクスは怒るとすごい恐いから」


 恐いのは知っている。そこにいるだけで威圧感が伝わってくるほどだから。

 でもそれ以上は恐いと思わない。

 へえ、と一応納得した様子を見せるが、ナギくんにそれは見破られたようだ。納得していないでしょ、と頬を膨らませられた。

 この子は何をしても可愛いと思う。






 そして数時間後。

 ドレスが乾いた頃。


「お前の母親の物か?」

「そうです……」


 なぜか私は、あのネックレスのことをゼクスに話していた。

 正確に言うと、彼の質問に答えただけ。

 たぶん、トーマかイヴァンに聞いたのだろう。あのネックレスが私のお母さまの物だと知っているのは、二人しかいない。


 甲板に静けさが漂う。

 二人して手すりの所に立ち、海を眺めているからか、そんなに気まずさを感じない。

 それとも二人きりじゃないからか。


「イヴァン、返してやれ」

「えー、なんでー?」


 階段の所にいるイヴァンは、ゼクスの言葉に不満をもつ。

 何の話をしているんだろう。


「それはこいつの母親の形見だそうだ」


 え……。

 まさか私のお母さまのネックレスのこと?

 私、形見だなんて一言も。

 ゼクスの発言に驚いていると、イヴァンが階段から飛び降りてきた。


「そういうことならもっと早く言ってよ」


 そういうことって、どういうこと?

 言いながら近づいてきた彼は私の真っ正面に来ると後ろにある手すりに両手をつけ、上体を浮かしてそのまま座った。

 わ、落ちるよ。

 なんて心配して彼の腕を掴もうとするが、後ろ向いて、という一言に迷いながら素直に言うことを聞くことに。


「どうぞ、お姫さま」


 あ……。

 後ろから首にかけられたものは、お母さまのネックレスだった。

 きらきらとしたネックレスに注いだ意識と眼差し。びっくりして後ろにいるイヴァンにやると、彼は笑んでいた。

 いつも向けられていたふざけているような笑みじゃなくて、艶のある笑み。

 返して、くれた……?


「似合ってる」


 お母さまのネックレスを、私が。

 ーーつけている。

 目の前にいる彼は似合っていると言ってくれているけど、私なんかにお母さまのネックレスが似合うはずなんてない。


「私……」


 返してほしかっただけで、つけたかったわけじゃない。

 そう思って、首につけられたネックレスに手をかけようとした時。


「お、島見えてきた」


 イヴァンの初々しい声。

 つられ、顔を上げて彼の目線をたどると、そこには彼の言うとおり島があった。

 だけどーー。

 そこは 私の思っているような所では なかった。

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