海賊船◇囚われた姫ー拾われた身捨て姫の忘却ー
音無音杏
第1章ㅤ籠の中の鳥
ーーここはどこだろう
ふわふわと浮いているような感覚。
『ユリウス様』
ーークレア?
『まだ寝ておられるのですか。もういい加減起きて下さい』
いつものように私を叱るクレア。専属メイドで、幼い頃から私の面倒を見てくれている、唯一の存在。
ーーまだ起きたくないの
『またそんなことを言って……。旦那様に怒られても知りませんよ』
ーーお父さまなんて……、私にはいないわ
父は、いつも仕事ばかりで私の相手なんて一度もしてくれなかった。
小さい頃の記憶に、お父さまと過ごした日なんてない。
『ユリウス様……』
母を不慮の事故で亡くし、お父さまは他の女性と再結婚をなさった。
だから私の本当の親なんていない。
ーーいないんだ。
一人なんて、そんなものにはもう慣れた。
毎日のようにお勉強や行儀マナー。
城の外へ出たことなんて一度もない……と言いたいところだけれど、数回ある。片手の指で数えられるほど、極わずか。
こんな城から抜け出して、自由になりたいと思ったことは何度もある。ーーけれど現実はそう甘くないんだ。
城から抜け出したところで、友達一人いない私の行く宛なんてどこにもない。どこかで飢え死にしてお終いだ。
まあ、それもいいかもしれないと思うほど、私にとってお城は牢獄に値する。
背中に翼でも生えたら、誰もいない、自由なところへ飛んでいきたいな。
「おい、こいつどうすんだよ」
「どうするって、トーマが助けたんでしょ」
ーー声がする。クレアでもなく、他のメイドでもなく。とにかく、この低い声は女性のものではない。
「何も考えず、海に飛び込んだお前が悪いな」
「だって目の前で海に飛び込むヤツ見たら、ほっとけねーだろ」
また一つ増えた声は、淡々とした雰囲気。これで三人目の声。
「ほっとけばいいだろう。このお人好しが」
「あぁ? お人好しだと? このオレのどこがそうだって言うんだ」
淡々とした喋りをする相手と、威勢のいい誰かが喧嘩を始めた。
「この女を助けた行動全てが」
「ーーだってよ……」
「まさか惚れたか?」
「はあ? 一瞬で女に惚れる男がどこにいる」
「ここに」と、おふざけ半分で答えただろう相手を本気にしたのか、誰かが、「ふざけんなよ!」という怒号を落とす。
「オレがそんな軽い男に見えるか」
「一目惚れという線もある」
「人の話聞けよ!」
ーーうるさい
「……うるさい」
これはたぶん夢だろう。夢の中で男性が会話しているの違いない。本音を口にすると、静まり返った。やはり夢だ。
自分でも分かる寝息をスースーと静かにたて、また眠りにつく。
「……こいつ、今起きたよな?」
「ああ」
「で、また寝たのか?」
「見ればわかるだろ」
兎がふわふわ浮いている。
白い雲と一緒に……。
「おねーさん。起きてくださーい」
高い声。だけど男の子の声だと分かる。小さくて元気な男の子。
ーーお姉さん?
私に弟なんていないはず。
重たい目を開く。
(……誰?)
目を開けてまず目に入ったのは茶髪の男の子。私を覗きこんでいる。
その背景は青い空。
右側に男の子がいたと思ったら左側にもいた。そこには二名。
全員合わせて三人。私を見下ろしている。
「やっと起きたか」
(ーー……誰?)
見覚えのない男の人たち。
なぜか重い体。
起き上がると、目に映る景色は寂しいものだった。
「貴方たち、誰ですか? それにここは……」
端正な顔立ち。
ㅤ
黒髪の男の人を見てそう思った。
そんな彼が、淡々とした低い声で訊く。
「覚えてないのか?」
こくりと頷くと、自分の髪が濡れていることに気づいた。
毛先をいじると水滴が滴る。
髪が濡れている? どうして。
どうやら濡れているのは髪だけではなく、着ているドレスまで完全に濡れていた。
まるで水に浸したような。
「お前、なんでか知らねえけど崖から飛び降りたんだよ」
淡々とものをいう人と真逆で、彼の隣にいる口調の悪い人が言った。
崖から飛び降りた……? 私が? どうして? 思いつかない。
ふと、黒髪の男性が考え込む仕草をする。
腕を組み、繊細な指を顎に当て。
‘そのドレスからするとーー……’
「お前、どこかの令嬢か?」
何か見定めるような、真っ直ぐとした視線を気にせず向けてくる。
「だったらなんですか?」
ーー何か気に食わない。
よく言われていた。お城から抜け出し、外に出ればそこには私を狙う者がいると。
その者たちは『海賊』と言うらしい。金目のものに目がないとか。
だから外に行けば私は捕まり、お父さまたちにお金を追求する。
そんな酷い者たちがいるらしい。
ーーあ、思い出した。私が崖から飛び降りた理由。
「令嬢が自殺を図るとはな」
思いもよらぬ一言。
まだ言い足りないのか、どこの令嬢かは知らないが、と他人事のように吐いた。
自殺なんて、そんなことしようとしていなかった。
でも、私の行為は他人から見たらそうみえたのかもしれない。
強く否定することもできず、俯き、ぎゅっと拳をつくる。
「……飛べると思ったんです」
「飛べる? 背中に羽が生えたとでも言うのか?」
「そういうことじゃありません」
心内で私のことを馬鹿にしているのが丸分かり。今度こそ強く否定した。
「お城は何かと不自由で、自由になりたかったんです」
私はただ、鳥籠の中から脱走しただけ。牢獄の中から脱出しただけ。
「お城の中が不自由?」
嘘でしょ、と言うかのようにはてなを浮かべるような声。たぶん私のことを「おねーさん」と起こしてきた茶髪の男の子だ。
よく考えてみれば、お城の中が不自由なんて誰も思わないか。
こんなこと思うのはーーお城の暮らしに慣れ、自由になりたいと抗えもしないこの人生に抗おうとする私だけ。
「だから……」
「まあいい。早く降りろ」
言葉を遮ぎられた。さっきから私に突っかかるようなことを言う黒髪の男性。
この人、苦手だ。
ーー降りろ?
やっと自分のいる場所を確認し、一瞬、トクっと心臓を鳴らす。
(船の上、だったんだ)
船になんて、初めて乗った。
でも、この船から降りたらーー。
「……嫌です」
「嫌だ?」
私は知らず知らずのうちに断っていた。
「あんな場所に、もう戻るつもりなんてありませんから」
〝城へ戻れ〟
そんなこと、この人たちから一度も言われていないのに、“早く降りろ”という何でもない言葉が“早く戻れ”に聞こえていた。
私、重症だ。
「戻るも何も、そんなの俺たちには関係ない。早くこの船から降りろと言っているんだ」
ーー知っている。
「……わかりました」
そう答えたと同時に、捕らえろー、という数名の大きな声がどこからか聞こえてきた。
確かめてみれば、それは地上から。
「イヴァン、お前何した」
さっきまで黙っていた口調の悪い人が地上を見下ろし、誰か宛に叫んだ。
仲間、だろうか。
「んー、ちょっと宝石をいただいただけ」
「宝石?」
ㅤ
軽快に走りながら軽く返事をした彼は、遠目でも分かるほどきらきらした赤髪。
たくさんの兵に追われている理由は……彼が言ったまま。
「船を出すぞ」
「あ、あの私は……?」
さっき、彼に船から降りろと言われたが、船を動かされてしまえば降りることなんてできない。
彼は私の顔を見てから、たちまちに顔を顰めた。
この人、意外に分かりやすすぎます。
「まだ降りてなかったのか。ささっと降りろ」
まだ降りてなかったのかって、そんな降りる時間なんてなかったし。降りろと言われましてもーー無謀。
私を何だと思っているんだろう。令嬢だと勘付いていても、捕らえようとしないし。それどころか失礼な態度ばかりとる。
「ゼス、さすがにそれはもう無理なんじゃないかな」
またもう一つ、聞き慣れない声。
「仕方ない。ミサト、こいつはお前に任せる」
乱暴に背中を押され、ミサトとという男性の胸板へトンっーーと頭を当ててしまう。
謝ろうと顔をあげてみれば、そこには優しい表情があった。
「ちょっと揺れるかもしれないけど、大丈夫だよ」
さっきの人が異常だっただけかもしれないけど、この時、感動を覚えた。
「イヴァンが連れてきた兵から逃れられたのはいいが……。この女、どうする」
初めて乗った船。広い部屋にあるテーブル。そのテーブルを囲う六つの椅子。
と、少し離れたところにある一つの椅子。
髪もドレスもびしょ濡れ状態のまま椅子に座っている私を、黒髪の男性は冷たい目で、邪魔者を見るかのような目で見下す。
「んー。いいんじゃない、このまま連れてっても」
部屋の片隅にある椅子。そこに呑気に座っている赤髪の男性が軽く言った。
邪魔になるわけでもないし、と付け加え。
「……」
ちらりと赤髪の彼にやっていた視線を黒髪の男性にやると、思った通り私の向かいにいる彼は眉間にしわを寄せていた。
いかつい視線の先には赤髪の彼。
こうなったのはお前のせいだろ、と言わずとも表情から読み取れる。
「まあ、戻るにも戻れないしね」
さっきの優しい人。
私の左側にいる琥珀色の瞳をした彼が、空気を読んで言う。
視線は黒髪の男性に向けられていて、少し落ち着いてと言っているようだ。
「ちょっと待った。なんでこの女がここに居座ることになってんだよ。海賊船に女が乗ってるなんておかしいだろ」
私の右隣にいる青年がテーブルに両手をつけ、いきなり立ち上がった。
崖から飛び降りた私を助けてくれたと言っていた人だ。
「元はと言えばお前のせいだ」
腸が煮えくり返っていて、それでいて感情を表に出さないよう底で抑えているような、怒りの混じった低い声。
「あの島には当分帰れそうにない」
話を続ける黒髪の彼はこれでもかってくらい、イヴァンのせいでな、と言い、ちらりと赤髪の男性に視線をやる。
そして、はあ……と溜息をつくと。
「少しの間だけここに置いてやる」
腕を組んだまま嫌々そうに放ち、それからは黒髪の彼と目を合うことはなくなった。
「おねーさん。名前なんて言うの?」
「ユリウス。ユリウス・ローズ・フォルテ」
向かいの左側にいる、話しかけてきた茶髪の男の子の質問にちゃんと答えると、名前長いねと目をぱちくりされた。
「僕はナギだよ。よろしくね」
陽気な男の子の自己紹介に、よろしく?と曖昧な言葉を返そうになったとき。
「自己紹介はあとでもできるから、まずその格好をなんとかしないと」
左隣にいる男性が話に入ってきた。
ㅤ
自分の格好をみて見れば、やっぱり相変わらずのびしょ濡れ状態。
こんなことまで気を遣える彼は優しい。
「お風呂、入る?」
「お風呂?」
船にお風呂なんてあるんだ。
琥珀色の瞳をした彼は案内するよと立ち上がった。
つられて立とうとすると、向かいにいる黒髪の男性に呼び止められ、止まる。
「待て。女物の服なんてないだろ」
対して、琥珀色の瞳をした彼はその場に立ったまま、んー、と考え。
彼は私を見通して後ろを見る。
「それならトーマに借りればいいよ。トーマ、借りてもい?」
「はあ? なんで俺の……。イヴァンに借りればいいじゃないすか」
そこにいるのは私の右隣の席にいる、グリーンの瞳をした青年。
こうなったのはあいつのせいなんだし……いやまあ、元々は俺のせいかもしれないけどーーと、一人何やらぶつぶつと言っている。
嫌々そうにする空色の瞳をした青年に、話題をふられた赤髪の彼。
数名の視線が、少し離れたところの椅子に座っている彼に向く。
‘別にいいけどーー’
「俺の服、露出度高いよ?」
「……」
確かに、彼の言うとおり彼の着ている服は露出度が高い。
おへそ丸出し。
どうしてそんな格好をするのか理解ならない。好きで着ているんだよね……?
「トーマ」
「……わかりました」
「ありがとう」
「まあ、ミサトさんの頼みですから」
「それにしても唐突だったね」
お風呂場へ案内してくれると言った彼のあとをついていく。
自分の足元を見ながら。
「話は聞いてたよ。飛べると思って飛び降りたんだって」
私はあの空へ飛びたくて、崖から飛び降りる行為をした。
どういう意図で彼はそのことを言ってきたのだろうか。特に返すこともなく、聞いている証として声だけは出す。
「僕はミサト。これからよろしくね」
急に立ち止まったかと思うと体をくるっと反転させ、こちらを向いた。
視線はあげてみるものの。
「はあ」
本当に返す言葉が見つからない。
私はここにーーこの船の上で暮らすことになったのだろうか。
物思いにふけっていると、はい、と渡されたタオルと服。
どちらともたたまれていて、意外にもきちんとされていた。
水の音。
頭から浴びれば、全体まで流れ。
冷えきっていた身体が温まる。
お城から抜け出しのはいいけど、まさかこうなるなんて思っていなかった。
起きたら船の上で、目の前にいたのは海賊たち。そして島に戻れない理由ができて、こうして島から船で離れている。
ずっとお城で暮らしてきた私が、早くも島から旅立つなんて。
……いいことなのか、悪いことなのか。
なんだか罪悪感がある。
私のあらゆるお世話をしてきた専属メイドーークレア。そのクレアにも、何も言わずお城から抜け出して来てしまった。
『どれだけ心配したと思ってるんですか。また抜け出したりして』
前に、三度だけお城から抜け出したことがあった。そしたらクレアは怒っているような、不満そうな顔をしていて。
『ユリウス様……もうこういうことはおやめください』
だけど私を注意したあと、クレアは酷く哀しげな顔をして、俯きながら言うんだ。
『ユリウス様のお気持ちは良くわかります。ですが、心配なんです。いつユリウス様の身に危険が及ぶかと思うと……』
‘ーー気が気でないんです’
だから、それ以来、お城から抜け出そうという考えも、自由になりたいという願望もなくしていた。けれどーー……
ㅤ
『ユリウスちゃん、もう貴方のお母さまは亡くなったの。だから私が今日から貴方のお母さんよ』
一ヶ月前、お父さまは再結婚することになった。私は何も知らされていなくて、ただただ信じきれなくて。
お父さまが相手に選んだのは黒髪で、とても清楚な方だった。
上品で物腰も良くて、差し障りのない、誰も文句一つ言えないような女性。
子供の相手にも慣れているようで、ぽかんとしている私に寄ってきて“自分はあなたのお母さんになるのよ”って言ってきた。
私はーーお父さまと、女性の知らないお母さまの子供だというのに、少しの嫌悪も見せないで、優しい表情で。
裏表なんてものはなかった。
全てが表。全てが真実。
そんな女性だったのに私は……『ふざけるな』ーーそう思った。
女性の心が綺麗すぎて、女性の言ったことが真っ直ぐすぎて、子供の私は少し苛立ってしまったのかもしれない。
(私のお母さまが亡くなった? 私のお母さまは私の中にいる。お母さまはずっと私のそばにーー……)
「あ」
「あ」
お風呂から上がり、濡れた髪をタオルで拭きながら船内を歩いていると、あの青年にあった。
私のことを助けてくれた人。
そして私が今着ているものは彼のもの。
彼はあからさまに嫌そうな顔をしている。
『海賊船に女がいるなんておかしいだろ』
テーブルに両手をつけ、立ち上がって必死に訴えた彼の言動を思い出す。
ーー……この人、海賊船に女がいることが許せないんだ。
「ありがとうございます」
「は?」
「私のことを助けてくれて」
ああ、そう……と曖昧な返事をして彼はまた何もないところを見つめる。
『元はといえば俺のせいかもしれないけど』
そんなことを彼は言った。つまり、私を助けたせいで船に女が居座ることになってしまったと言っている訳だ。
そんな彼に私のお礼は嫌味に聞こえてしまうと思ったけど、言うべきだと思ったから。
お風呂場で今日の出来事を整理して、今の私は彼のおかげで存在していると分かった。
崖から飛び降りた私を彼が助けようとしてくれなかったら、今の私はいない。
「あと服も」
私には少しぶかぶかな服をつまみ、引っ張るような仕草をする。
「……ぶかぶかだな」
「はい、少し」
彼の表情も柔んで、ほんの少し、空気が和んだ気がした。
じゃあ、俺はこれでーーと、青年は私の横を通り過ぎ、どこかへと向かって行く。
お礼なんて言ったけど、もう終わっていたほうが良かったのかもしれない。
私は周りの人に迷惑をかけている。
彼の背中を見ながら思った。
『ごめんなさい』
彼が私の横を通り過ぎるとき、呟くようにでた言葉。
私のせいで嫌な想いをさせて。
そんな気持ちで言ったけれど、たぶん彼の耳には届いていない。
海賊船で暮らすなんて私には想像もできないことで、ちゃんと過ごせるのか心配だけど、今日からここで暮らすしかないんだ。
いくあてもなく、さっきの部屋に戻れば、そこには三人残っていた。
確か……ナギくんとミサトさん。
と、黒髪の人。
隅角部にある椅子に座っていた赤髪の人と、さっき通路であった金髪でグリーンの瞳をした彼はもちろんいない。
「君には少し大きすぎたね」
ミサトさんは穏やかな表情で迎えてくれる。
ちらっとやった視線。
目があった黒髪の男性は、相変わらずの無表情。その上、私を嫌悪しているような目つきをしている。すぐに視線をそらされた。
ㅤ
「僕たちで話しあったんだけど、今日は僕の部屋で寝てもらうことになったよ」
黒髪の男性の手前にいる男の子がちょっと嬉しそうに言う。
私は話の内容が分からず、その場に立ち尽くす。
するとミサトさんが説明してくれた。
「部屋割りはもう決まってて、空いている席がないんだ。だから今日はナギの部屋で寝てもらってもいいかな」
年も低くくて安心できるでしょ、とミサトさんが言うと、男の子は子供扱いするなと頬を膨らませる。
「あの、私は本当にここに住まうことになったのでしょうか……?」
念のため訊いてみると、黒髪の男性は不機嫌さを増し。
「知るか。ここに置いてやるとは言ったが、お前がここに住むかはお前の勝手だ」
まるで、こっちが訊きたいと言うかのように言い放った。
「……すみません」
俯いて、聞こえるか聞こえないくらいの声量で謝ると、そんなことより!と男の子が元気な声を出して立ち上がった。
私の言った言葉は聞こえなかったようだ。
「ユリウス、レイのことまだ知らないでしょ?」
(ーーレイ?)
「だから僕が紹介するよ」
首を傾げる暇さえ与えてくれないまま、ナギくんは私の手を掴むと、どこへ向かおうとしているのか元気よく引っ張る。
二人でこの部屋をあとにすることに。
ユリウスとナギが出て行ったあと。
部屋に残っていた二人。
ほんの少しの沈黙後、扉の方を見ていたミサトはゼクスの方を向く。
「ゼス、彼女にちょっと強くあたりすぎ」
彼女は乗りたくてこの船に乗ったわけじゃないって、ゼスも分かってるでしょ?ーーと、ミサトはユリウスをフォローするが、ゼクスはそんなのどうだっていいという感じで。
「お前はいいのか? 海賊船に女が乗っているなんて」
「いいもなにも、これは仕方のないことだし」
ゼクスの問いにそこまで答えると、ミサトはくすっと笑う。
「ゼスも気にしてるんだね」
トーマと同じように、と言われたゼクスは変な顔をして。
「あいつと一緒にするな」
一刀両断した。
私の少し前を歩く男の子ーーナギくん。
どこに案内してくれるというのか。
彼は止まると、躊躇なく目の前にある扉を開け、中に入った。
「レイー、新しい乗客だよー」
中を覗いてみると、そこにいたのは一人の青年。
水色の髪。
手に持っているのは本。
椅子に腰掛け、眼鏡をかけている。
「……誰?」
明らかにクールそうな人。
中に入らず扉のところにいると、ナギくんに入ってきてと言われ、恐る恐る入る。
「ユリウス・ローズ……、ユリウスです」
「レイ……。あ、呼び捨てでいい。……ていうか、あんた誰?」
ナギくんに言われた、名前長いね、と。
だからそのことを踏まえて同じことを言われまいと手短く自己紹介したんだが、それがいけなかったのだろうか。
今ちゃんと名乗ったよね、私。
「だーかーら、今日から僕たちの、な・か・ま!」
物静かな彼ーーレイの心にまで響くよう、彼の間近で叫んだナギくん。
彼の発した単語が、私の心にまで響く。
「仲間……」
(仲間……)
どうやらそれは、魂のこもっていないような瞳をもつ彼にも響いたようだ。
「なんか、女みたいな男」
椅子に座ったまま私を見上げる。
真剣な表情で言っているところを見ると、本気のようだ。
「だからユリウスは女の子なの! 正真正銘の女の子なの!」
なぜか必死に訴えているナギくん。その姿が可愛く見える。
ㅤ
でも、『女の子』って……。私、これでも十八なんだけどな。
男の子の必死な訴えに、彼はへえーと薄いリアクションをする。
でも、これでもちゃんと驚いているようだ。瞳孔が開いたように見えた。
「なんで女の子が船員に……? ーーゼクスは? ゼクスは許したの?」
「ふふーん、それが許したんだな」
またもやへえーと感心するレイ。
どうしてナギくんが自慢そうに話しているのか、どうして彼はそんなにリアクションが薄いのか。ツッコミどころ満載だが、今は気にすることではない。
それよりーー……
「ゼクスって、誰?」
そんな質問をしてみれば、二人の視線が私に集まる。
「ゼクスはね、あの黒髪の人。ミサトさんにはゼスって呼ばれているんだよ」
ナギくんの説明に思い当たることがあって、私は納得することができた。
話がひと段落ついたところ。
目の先にあったもの。
「その読んでいる本、薬草についてのですか」
彼の手元にある本。
開いてあるページ。
そこには草の絵が描かれていて、どうやら薬草について書かれているようだ。
「わかるの?」
「暇なときに読んだことが」
暇なときと言っても、お城の者に教わる勉強に飽きた時、たまたま近くにあったのが薬草について書かれている本で。
手にとって、読み進めた記憶がある。
「ドクダミが一番良さそうですよね」
印象深い薬草はドクダミ。
どうしても途切れてしまう会話を繋げようとして発した言葉だったのだが、眼鏡越しの彼の瞳がきらっと輝いた気がした。
そして……。
「うん、ドクダミは名の通り毒や痛みに効く薬草でーーすりつぶした茎葉は傷に効くし。乾燥させた全草は煎じて便通や利尿、動脈硬化の予防などにも良いから。
その効果は‘10種類の薬並み’ということで生薬としての名前は《十薬》って言われていて。まさに万能な薬草なんだけど、あの独特な臭いのせいで嫌われがちなんだよ」
淡々と、それは永遠と喋る勢いで完結的に言い放った。
今の説明をしたのが彼とは思えないほど、レイは普通にしている。
息の一つも乱れていない。
ナギくんは沈黙状態で。どうしても私が言葉を発しなければならないわけで。
「……そうなんですか」
お詳しいですね、と言った突如。
「ユリウス! 次は僕の部屋案内するよ」
急に手をとられる。
「ーー失礼しました」
扉を閉め忘れる勢いでナギくんが引っ張るものだから、急いで挨拶をし、扉を閉め。ご訪問は終了となった。
「はあー疲れたー」
部屋に入った途端、ナギくんはベッドにダイブした。
なぜか唸っている。
「レイは基本無口なんだけど、自分の興味のあることや知識はああやって語るんだよね」
呪文のようで、聞いているだけで疲れるーーと、顔をベッドに埋めて言ったナギくんの気持ちが分かるような気がする。
「大変、だね」
彼の求める言葉がどうか、様子を確かめながらに言うと、彼は半分だけ顔を覗かせた。
「ユリウスはさ、ゼスの言うこと気にしちゃだめだよ」
優しい掛け声。
綺麗な空色の瞳。
その中にある黒目を深くさせる。
「ゼスは誰に対しても冷たい態度をとるから。だから気にすることない」
あの人の性格上仕方ないんだよ、と言ってくれるナギくんは一体何を考えているのか。
初対面の私に優しい言葉をかけてくれる理由は、何だろう。
「どうして、優しくしてくれるの?」
「んー、なんかいい人そうだから」
いい人そう?と首を傾げれば、ナギくんは嬉しそうに頷いた。
ㅤ
「ユリウス、なんか優しそう。雰囲気が柔らかいっていうのかな?」
優しい表情で、私のことを優しそうなんて言えるのは、ナギくんひとりだけだと思う。
「それに僕と同じで綺麗な瞳の色をしていて、綺麗だから」
私の瞳の色は琥珀色。
そんな理由で私がいい人そうに見えるなんて、ナギくん純粋すぎる。
突っ立っていると、ベッドに座り直したナギくんが自分の隣を手でぽんぽんと叩く。
ここに来てと諭されているのだと分かった時には、そこへ歩んでいた。
「髪、乾かさなきゃね」
お風呂を出てから、ずっと首に巻いていたタオル。
それをぎゅっと握りしめ、彼の名を呼ぶ。
「ナギくん」
何を恨んでも、この船の上で暮らす以外の選択はもうない。
だったら、何があっても、不満を持たず。
大切な一日一日を生きなければ。
少しでも自由を楽しまなければ。
お城を抜け出した意味がなくなってしまう。
「今日からよろしくね」
ーー自由なんてそんなものは存在しないのかもしれないけど。
翌朝。
ドレスも乾いたということで借りていた服はトーマという青年に返し、私はまた昨日と同じ格好をしていた。
けれどもすごく動きずらい。
お城の中ではこんな不自由さ、一度も感じたことなかったのに。
「掃除もまともにできないのか」
床に両膝をつき、両手で白いタオルを持ち、床を拭く。
初めての体験で、少し不器用な掃除の仕方なのかもしれない。
「……」
必死にやっているというのに、私のすぐ傍で嫌味を吐く人がいる。
ーーゼクス
床の上で正座しているため、今の視界には彼の靴しか見えない。
どんな顔をしていようとどうだっていい。
昨日、ナギくんに聞いた。
ゼクスは誰に対しても冷たい態度をとる。だから気にする必要ないと。
この人の性格上仕方ないらしい。
そんな人の嫌味なんて聞く必要ない。
「ああ、確かお前はどっかの令嬢だったな。そんなやつは掃除ひとつもろくにできない」
‘ーーろくでなしだな’
(なっ)
癇に障るようなことを……。
ばっと顔を上げれば、そこには言ってやったぞというような清々しい顔。
「なんだ?」
今の発言にはさすがに苛ついた。
睨みつけるように見れば、だんだんと彼の表情も変わっていく。
瞳の色を濃くして、彼も私を睨むように見つめる。
「サルみたいな顔して怒るな」
「誰が……」
「お前だ」
気がつけば私は両手に拳をつくり、なぜか防戦態勢をとっていた。
右手には雑巾。
「一応訂正しときますけど、まだ怒ってません」
立っても負ける身長。
できるだけ威圧しようと彼を強く見上げるが、それを包みこむほどの威圧感を彼は持っていると、数秒で思い知らされた。
そして……。
「そうか」
‘ーーなら俺も一応言っておく’
「令嬢だろうがなんだろうが、この船の上ではお前はただの女だ」
‘ーーそれを忘れるな’
「私、あの人嫌いです」
「え、そうなの?」
キッチンでの昼食作り。
ミサトさんの隣でちょっとした愚痴を、溜め息とともに呟くように吐いた。
『まさかだとは思うが、タダでここに住まおうとなんてしてないよな?』
早朝、部屋から出て最初に会ったのがあの人で、最悪な一日のスタートを迎えた。
慣れない掃除をやって、手伝いとしてここへ来たのに何が不満か、ミサトさんにも『こいつ、使えないだろうが扱(コ)き使え』……なんて言ったりして。
いくら私でも、何様よー、って馬鹿みたいに叫びたくもなる。
ㅤ
「意外だなあ。ゼスは普通の女の子にはモテるのに」
「そうなんですか?」
信じられない。でもミサトさんは嘘つくような人に見えないし、本当なのだろう。
あんな人のどこがいいのか。
相手のことなんか少しも考えず、簡単に嫌味吐く人のどこが。
「ああそっか、確か君は普通の女の子じゃなかったね」
私は酷く不満そうな顔をしていたのだろう、ミサトさんが含み笑いをする。
意味ありげな、楽しげな笑み。
「……ミサトさんのほうが、女性からモテそうです」
初対面の人にも優しくて、料理教え上手なお兄さん。
あんな人よりも、ミサトさんのほうが絶対好かれそうな気がする。
これはお世辞なんかじゃない。
「僕? そんなことないよ」
こういう謙遜するとこも、人から好かれるポイントなのだろう。
昼食作りも終え、甲板へと出た。
目に映る金髪の青年。
手すりに寄りかかり、目を瞑って、彼は両手を枕にするように頭の後ろへ回している。
「お昼、ですよ」
声をかければ起きる気配を見せ、ん……と、目を薄く開けた。
俯いたまま、焦点の合わない状態で瞬きを繰り返す。
そして顔を上げ、私を視界に映した。
綺麗な瞳。
とぼけているような顔が驚きの色へと変わり、また何でもないかのような顔へ戻る。
「……ああ」
一言だけ発すると、顔に手を当て、ダルそうに立ち上がった。
どうしてか、その時、腑に落ちないような表情をされていた気がした。
「ユリウス、いないと思ってたらミサトのお手伝いしてたんだね」
「うん」
(まあ、それもあるんだけどね)
テーブルに集まった六人。
私をいれて七人。
けれど、テーブルを囲う椅子は六つ。
長方形のテーブル、向かい合うように座る六人。そのうち一人だけが、みんなをまとめるような場所に座ることになる。
つまり、みな横側面に座っているが、一人だけ縦側面に座るということ。
そんな役目を引き受けてくれたのは赤髪のイヴァン。
気にした様子もなく縦側面に座っている。隅にある椅子を持ってきたのだろう。
「ユリウス」
また続けて私の名を呼んだナギくんがいきなり、あ!と大きな声をあげた。
何事かとみんなの視線が彼に注がれる。
「ユリウスって確かどこかのお姫様なんだよね?」
お姫様という単語にどうも頷けず、なんとなく小首を傾げると。
「僕、ユリウスさまと呼ぶべき?」
急に改まった呼び方をしてきた。
心配そうにするナギくんの表情。
可愛らしい。
「ううん、呼び捨てでいいよ。船の上では私はただの女みたいだから」
ナギくんの隣の、私の向かいにいるゼクスをちらっと見る。
彼は私に目を向けることもなく、テーブルに並べられた料理を食べている。
彼に言われたことをそのまま言ってみたんだが、耳に入らなかったのだろうかーーと、彼を見続けていると。
「お前ら、いつの間にそんな仲良くなったの?」
私の右隣にいる青年ーートーマが食事をしながら話しかけてきた。
“お前ら”というのは誰のことをさしているのだろうか。
目が合ったし、私に話しかけてきていることは確実。
まさか目の前にいる彼と私のこと?
いや、それは絶対にない。
今の成り行き上、私とナギくんのことだろう。
親しく会話しているように見えたのかも。
えーと……。
「部屋であなたたちの話を聞かせてもらっていたら、敬語使わなくていいよとナギくんが言ってくれて」
俺たちの話って……、と、話しかけてきた彼は訝しげに顔を顰める。
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言っていいことなのか、ナギくんをみるとナギくんは笑った。
了承したということだろう。
「トーマさんは口調が荒くて、性格も荒いけど」
話の途中で、なにっーーと、今にも大声をあげそうな勢いでトーマは声を発する、が。
「でも、意外と優しいそうです」
そう言ったら彼は押し黙った。
「トーマ、やっさしーもんねー」
ふざけているような口調。
トーマを煽てるような発言をする赤髪のイヴァンは、指先でヘタを摘まむとそのままチェリーを天高く持ち上げ。
顔を微かに上げると挑発的に口に含んだ。
鮮やかなチェリー。
赤い髪であって、赤い瞳をもつ彼が食べると一層際立つ。
「うるせっ」
何もしなくても、視線が集まる席にいるイヴァンへ向けられた。
羞恥心の入り混じったトーマの罵倒。
「だって彼女のこと助けたじゃん」
「……」
イヴァンが私のことを顎で示す。
なぜかその言葉にまたトーマが押し黙るものだから、話を続けることにした。
「あと、身内からのさん付けを嫌うとか」
知ってんならさん付けすんなよーーと、隣にいるトーマは誰に言うでもなく、小さな声量でボソッとぼやく。
たぶん誰にも聞こえていない。
私には一応聞こえた。
けれど、聞かなかったことにする。
だって、私は『身内』ではないから。
さん付けするなよ、と言われたところで身内ではない私はどうすることもできない。
だから聞き流す他ないのだ。
「イヴァンさんは何考えているのかわからない、だそうです」
イヴァンへ視線を向ける。
「は、それだけ?」
「はい」
イヴァン本人はどうでもいいような顔をしてまたチェリーを口に含んだが、なぜかトーマが突っかかってきた。
「俺のはご丁寧に細かく教えておいて、イヴァンのはそれだけかよ」
ああ、なるほど。そういうことか。
自分のことはこの女(私)に詳しく教えたくせに、イヴァンのはそれほどのものじゃなくて不公平だと。
ふざけんなよ……と、また小さくぼやいている。
ーー次は、左隣にいる人。
「ミサトさんは見た目通り優しくて、お兄さんタイプだとか」
「そう、かな?」
「そうだと思います」
揺れる船、私を支えてくれた。
料理作りだって何もできない私に優しく。
「レイさんはーー猪突猛進……。いえ、興味のあることには真っ直ぐらしいですね」
昨日、それを間近にした。
彼はドクダミの薬草について永遠と語る勢いで、知る知識を出していた。
もちろん、驚いた。
一見クールそうに見えて、自分の興味あることには熱い。
いわゆるギャップと言うものだろうか。
「そう」
たった一言、軽く口にしてスープを呑む。
今は空気から伝わるほどの静けさ。
そして難題候補。
「ゼクスさんは……」
目の前にいる人は、さっき私に嫌味を言い放った人とは思えぬほど、一言も言葉を発さず静かに料理を食べている。
なんて嫌な人だ。
みんなの前では平静を装おうというのか。
「冷たいお人です」
俯いて小さく言ったはずなのに、真っ直ぐとした声。
誰かがふっと吹き出す。
確認すればそれはイヴァンだった。
「それって、あんたの感想じゃない?」
「あ……」
私の間抜けな声に、イヴァンはーーぷ、あははは、ウケる!と膨大に笑い出し、テーブルを叩きつけ始める。
「イヴァン……」
机を叩くな、と冷徹な目つきをしている目の前にいる彼ーーゼクス。
凍りづいた空気。
「食べなよ」
左隣にいるミサトさんの掛け声で、私は料理を食べ進めた。
やっぱりここにも自由なんてものは存在しないんだ。
いつまで経っても私は、籠の中の鳥。
ーー何も変わらない。
お城から抜け出しても、何も変わりなんてしなかった。
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