第4話 助けられた者たち

 かつて、カレク湿原でよく一緒にいる風変わりな三人組がいた。魔法の才能に溢れた少年、医者を志す青年、戦いを不得手とする平和主義の魔獣の青年。魔獣の青年が人間の生活圏に入るのは難しいので、三人はカレク湿原で活動していた。

 活動といっても、やることは二つに絞られていた。少年による魔法の練習か、青年による植物の採取か。いずれにしても、別行動という選択肢は彼らにはなかった。少年の魔法の練習は二人で見守ったし、青年の植物採集には二人で手を貸した。彼らはよく、自分の夢を語っていた。

「僕はこの魔法を極めて、色んな人に楽しい思いをしてもらうんだ! え、どんな映像を見せたら楽しくさせられるか? うーん……美味しいもの、とか?」

「俺は将来、薬草を自在に扱える医者になるんだ。どうして薬草なのかって? 薬草なら、俺が使い方さえ教えれば町のみんなが自分でケガや病気に対応できるようになるだろ。……俺の儲けが出ない? ああ、それは確かに問題だな!」

 魔獣の青年は、二人の話をよく聞いた。夢に向かう二人の努力を、よく手伝った。その時の彼は実に楽しそうだったが、一方で自身の将来については語らなかった。平和主義の彼は腕っぷしも弱く、人間への敵意もなかったので、二人と会う時以外は身を隠してひっそりと暮らしていた。二人以外の人間に近づくことも、ほかの魔獣と交流を持つこともなかったのだ。多くの魔獣と打ち解けられなかった彼にとって、三人で過ごす時間は夢のようであった。何の確証もなかったが、彼はこの日々がこれからも続くものだと思っていた。

 ある雨の日のこと。小雨だったのでいつも通り集まったが、後になって考えれば、この雨こそが凶事の兆しであった。その日は少年の魔法の訓練を二人で見ていたが、途中で雨足が強くなったので急遽解散の運びとなった。魔獣の青年が家路に着く若者二人の背中を見送っていた、その時。一体の魔獣が、二人に近づいていくのが見えた。水色の肌をした、斧を持った魔獣だ。

 魔獣の青年は、遠目ながら直感した。あれは、友好的な邂逅ではありえないと。

 気付いた時には駆け出していた。たかだか数十歩の距離が、果てしなく遠く感じられる。瞬く間に動悸が激しくなり、両足の筋肉が悲鳴を上げる。普段はこんなに柔ではないが、二人に無事であってほしいという焦りが、彼の精神だけでなく肉体まで痛めつけていた。

 実際には十秒足らずの全力疾走であったが、体感的にはその何十倍何百倍もの時間をかけて、魔獣の青年はようやく二人に追いついた。蹲って震える少年をかばうように、青年が一歩前に出ている。青年の足も震えていた。

 斧を携えた魔獣が、魔獣の青年に訝しげな視線を向けた。

「おお、同胞よ。そんなに急いでどうした?」

「……」

 魔獣の青年は緊張と疲労から、すぐには返答できなかった。だが、一触即発の空気でないことは僥倖だった。息を整えながら対話を、説得を試みる。

「その二人に、何か用か? 俺の……俺の、客なんだが」

 友達、と言いかけたが思いとどまった。多くの魔獣は、人間との馴れ合いを快く思っていない。ここで彼の嫌悪感を煽るのは得策ではないと、とっさに判断した結果だった。

 斧の魔獣は得心したように頷いた。

「そうか、お前が先に目を付けてたって訳だ。見る目があるな」

「……何のことだ」

「謙遜するなよ。そのガキの魔法には利用価値がある……そういう話だろ?」

 魔獣の青年は理解した。この魔獣は、彼を人間との戦いに利用しようとしているのだ。実際、彼の魔法は軍事的に大いに価値がある。練度が明らかに不足している今の段階でさえ幻影の精度は高く、しかも複数人に同時に作用させられる。これを戦闘、特に多対多の戦いで上手く使えば、戦意を喪失させる、同士討ちを誘発させる、寝返らせるなど、様々な効果が期待できる。そのことを、三人組はよく理解していた。だからこそ。

――いろんな人に楽しい思いをしてもらうんだ!――

 魔獣の青年の脳裏に、少年の言葉が鮮明に蘇る。それだけの力を持っていながら、そういう夢を心から抱けるあの少年が、青年たちにとってたまらなく眩しかった。そして、彼を応援できる立場にあることが、たまらなく誇らしかったのだ。

 魔獣の青年は拳を固く握った。説得しなければ、彼らを逃がさねば。その思いとは裏腹に、頭にかっと血が上った。魔獣の青年は、全身を震わせて怒鳴りつけた。

「その子は渡さない。その子の力を、そんな風には使わせない! 今すぐ、ここから立ち去れ!」

 その剣幕に、斧の魔獣は思わず一歩後ずさりした。だが、すぐに気を取り直し、魔獣の青年を鋭く睨みつけた。

「お友達ごっこって訳か、気持ちの悪い奴め。お前の方こそ去れ、死にたくなかったらな」

 斧の魔獣はその得物の切っ先を魔獣の青年に突き付けて、冷たく言い放った。戦闘慣れしていない青年にも感じ取れるほどの、鋭い殺意が籠められている。それでも、退くわけにはいかなかった。

「逃げはしない。この二人は俺の、友達だ!」

「はっ、そうかよ。だったらそのお友達の目の前でお前を……いや、違うな。殺すのはガキの方だ」

 斧の魔獣は視線を少年の方に移した。二人の青年は目を丸くする。バカな、その選択はあり得ない。魔獣の青年が焦った様子で口を開く。

「な、何のつもりだ! お前の目的は、その子の力を利用することじゃないのか!」

「そのつもりだったが、気が変わったのさ。人間どもに一泡吹かせるのも面白いが、俺はお前のような腑抜けた同族が大嫌いなんだ。このガキには、お前を心身ともに痛めつけるための生贄になってもらうのさ!」

 斧の魔獣は怒号とともに、斧を大きく振りかぶる。彼に躊躇いはなかったが、その攻撃は明らかに感情的だった。その攻撃の軌道を読むなど、戦闘を不得手とする魔獣の青年にすら容易かった。

 ただし、誤算があった。魔獣の青年は頭と勘こそ冴えていたものの、肝心の肉体が追いついていなかった。来ると分かっている一撃に、しかし体はピクリとも動かなかった。

 間に合わない、そう直感した次の瞬間。少年の体は真横に吹き飛ばされた。斧の魔獣の攻撃によって、ではない。ふらつきながらも懸命に駆け寄ってきた、医者志望の青年によるものだった。

「……!」

 魔獣の青年は呆然と立ち尽くしたまま、少年は体勢を崩しながら、驚きと絶望に顔を歪めた。けれど、言葉は出てこない。その視界には、悲しそうな笑顔を浮かべる青年の姿が、くっきりと映っていた。

 それから先のことは、おぼろげにしか覚えていない。確かなのは偶然警邏中だったユニガンの騎士団によって少年が救われたこと、彼らによって青年の遺体が回収されたこと、この一件をきっかけに少年が魔法の訓練により没頭するようになったこと。そして、残された二人が罪の意識と後悔の念に苛まれ続けるようになったことである。

 少年曰く、僕が強ければ彼を守れた。動じない心があれば、戦う意思があれば、彼は死なずに済んだはずだ。

 魔獣の青年曰く、戦うことから逃げ続けたツケを払わされた。しかもそのツケを払ったのは自分ではなく、彼が肩代わりしてしまった。私が戦えれば、少なくともあの時の攻撃に対応できていれば、彼は死なずに済んだはずだ。

 でも、と二人は続ける。そして同じことを言う。曰く、彼が特別だった。我々に落ち度はない、ただ彼が勇敢だっただけだ。子供を守るために身を挺するなどあり得ない、自分が死ぬと分かっていて誰かを庇うなど正気の沙汰ではない。

 だが、確信がない。証拠がない。今のままではただの言い訳だ。だから二人は、人々を実験台にすることにした。彼が偉大だったと証明するために、ひいては自分たちが生き残ってしまったことは悪でないと納得するために。そう決意してからの彼らは、そのこと考えられなくなった。二人のために命を懸けた彼がそんなことを望んでいるかどうかという疑問など、頭の片隅にすら残ってはいなかった。

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