第3話 魔獣と魔法少年

「……私の言葉を覚えているかね」

 全身汗だく、疲労困憊といった様子でローブの男が訴えた。言われたアルドはというと、同じく疲れ果てていた。両手を膝に当て、肩で息をしている。

「いや、本当に、ごめんな……無視していいんだって、頭では分かってるんだけど」

「悲鳴や大きな物音が聞こえる度に急行するとはな……」

 回数にして六度、アルドは命の危機に瀕した子供のもとに駆け付けた。落石に遭う、太い茨に拘束される、謎の病に侵される、地割れに飲まれる、巨大な鳥に連れ去られる、魔獣に襲われる。すべての局面においてアルドは全力で子供を救助し、ローブの男はそれをサポートし、子供は例外なく消失した。身体的な疲労もさることながら、徒労に終わったという精神的疲労が二人を苦しめていた。

「お人よしが過ぎるというか、心配性が過ぎるというか……そもそも、何度言えば分かってくれるんだ。このタイミングで危険な目に遭っている子供など、全て幻に決まっているだろう」

「でも、証拠がないじゃないか。犯人の得意技が幻覚の魔法だってことが分かってても、実際に子供が幻覚かどうかは見ても分からないんだろう?」 

「む……それは、そうだが」

 男は口ごもる。犯人の魔法はそれだけ強力で精巧だった。経験豊富なアルド、知己であるローブの男。この二人をもってして、幻覚を見抜く術がなかったのだ。戦闘力は未知数だが、この事実だけでも強敵と認識するに十分であった。

「なあ、今からでも騎士団に協力してもらうわけにはいかないのか? 俺たちだけじゃ手に余りそうだぞ?」

「いや、それは得策じゃない。俺がいれば対話の余地があるが、そうでなければ今のあいつは、他人に危害を与えることすら厭わないだろう。あるいは、殺意をもって攻撃するかもしれない」

「……俺たちだけでやるしかないってことか」

「その通りですよ、お二方」

 突然聞こえた声に、アルドとローブの男は弾かれたように振り返った。そこにいたのは、一人の小柄な少年。だがその堂々とした佇まいと険しい顔つきは、歴戦の魔法使いと同質のものだった。アルドはその気配に困惑しつつも、口を開いた。

「お前が、今回の事件の犯人なんだな。どうしてこんなことをする!?」

「どうして、ですか。それは彼に聞いた方が早いですよ。僕と彼は同志……決して敵対関係にはないのですから」

「何だと……!?」

 アルドはローブの男に視線を向ける。彼は黙り込んでいたが、やがてフードに手をかけ、ゆっくりと外した。そうして露わになった顔は、人間のそれではなかった。水色の肌、白銀の頭髪、二本の角。すなわち。

「ま、魔獣……!?」

「……重ね重ね、騙してすまなかった。この顔を晒しては、人間に協力を仰ぐのが難しいのは明らかだったからな……だが、信じてくれ。あいつを止めたいという思いは本物なんだ!」

「……? おかしなことを言いますね。もう彼に取り入るための嘘や演技は必要ないでしょう?」

 少年の言葉に、ローブの男改め魔獣の男は睨みつけるような強い視線を返した。その鋭さ、あるいはそこに籠められた意志の強さに、少年はたじろいだ。

「演技などでは断じてない、私は君を止めたいのだ。今の君の行為は私たちの本来の目的から逸脱している。何より、目的はもう果たされたじゃないか」

「は……? 何を言ってるんです、あなたは……!」

 少年の言葉は一見冷静だったが、強い怒りが滲んでおり、失望を隠そうともしていなかった。アルドは本能的に剣の柄に手をかけたが、魔獣の男は対話の姿勢を崩さなかった。

「思い出せ、友よ。私たちの目的は、見届けることであったはずだ。他者……特に幼く無力な子供の窮地に際し、人間はその身を挺して彼らを助けるのか。それを見届け、見極め、私たち自身の罪の重さを量るのが目的であったはずだ」

 少年は頷いた。

「その通りですよ。だから僕はこうして……」

「違う。お前のそれは、今やただの八つ当たりだ。それに、答えはこの大陸の人々……特に、この青年がすでに出してくれた」

「……え、俺?」

 突然矛先を向けられ、アルドは思わず頓狂な声を上げてしまった。無理もない。今回の事件でアルドがしたことといえば、窮地に陥った子供の幻影に翻弄され疲れ果てただけ。すなわち、少年の掌の上で踊っていただけなのだ。

「不甲斐ない話だけど、俺は何も役に立つようなことはしてないぞ?」

「いいや、それは違う。君は子供を助けるために命を懸けた。何度でも、幻に違いないと思いながらも。だからこそ私は、彼を裏切るんだ。道を違えた彼を、止めるために」

「……道を違えた、か。あなたはそこの男こそが正しい答えを示したと、それ故に私たちは間違いを犯した大罪人だと、そう言うのですね?」

 魔獣の男は力強く頷いた。

「もう止めよう、こんなことは。そもそも、偉そうな大義を掲げてはいたが、私たちの行動は自分たちを正当化しようとしていただけだ。罪を認め、償わなければ……」

「違う、違う!」

 少年は激しく頭を振って叫んだ。先ほどまでの冷静さは完全に失われていた。

「たまたまだ、その男が奇麗事を通してこれたのはたまたまだ! いざとなれば、本当に危ないと感じたら、子供だろうが何だろうが見捨てるにきまってる! 僕たちと同じように!」

 その言葉とこれまでの経緯から、アルドは二人の動機を大まかに推理した。そうか、この二人は誰かを見殺しにした過去があるんだ。それも、助けようとすれば自分たちの命も危ないという状況で。そして二人は、それを負い目に感じているのだ。

「だから、証明しようとしてたんだな。同じ状況なら誰でも子供を見捨てるって」

 魔獣の男は自嘲して頷いた。

「そうだ、見苦しい話だろう。だが結果は、自分たちの首を絞めただけさ。この大陸の人間は、みな勇敢で優しかった。命を懸けて子供を助け、子供が消えれば血眼になって探し回った。極めつけが、君だ。君は子供が幻だと知りながら、証拠がないという理由だけで命を懸けて戦った。だから、私は……」

「それが! 綺麗事だって言ってるんだ!」

 少年は喉がはち切れんばかりに絶叫した。それと同時に二体の魔獣が出現する。筋肉質な巨躯は濁った水色で、右手には大きな斧が握られている。アルドが幾度も対峙してきた種だが、決定的に違う点があった。それは、充血したように真っ赤な双眸だ。

 だが、冷静に観察している余裕はなかった。現れた魔獣の一体が、アルドたちに猛然と突貫してきたのだ。空気を裂くような絶叫とともに、斧が大振りで振り下ろされる。虚を突いた攻撃に、回避は間に合わない。アルドは素早く剣を抜き放ち、受け止めた。

「ぐうっ……!?」

 両足が地面にめり込むほどの重い衝撃に、アルドの口から呻き声が漏れる。魔獣の苦しむような唸り声が、不気味に空気を揺らす。アルドは理解した。これは、幻ではない……!

「う、おおおおおっ!」

 怒声とともに、全霊の力で斧を押し返す。魔獣はよろめき、数歩後退した。アルドも後方に跳んで距離を取る。魔獣の男が驚いて目を剥いた。

「まさか……幻覚の魔法で操ってるのか!? お前、今までそんな使い方は……」

「できなかっただけですよ。でも、僕は強くなったんです……今更強くなっても、虚しいだけですがね。あの時にこれだけの力があれば、きっと彼を救えた……こうして、他人を操ってね!」

「お前……!」

 魔獣の男は歯噛みした。こんな冷酷な少年ではなかった、自分の力をこんな風に使う少年ではなかった。それを食い止められなかった自分に、無力感を覚えずにはいられない。

 そんな魔獣の男に、アルドは声をかけた。視線は正面、操られた魔獣に固定したままだ。

「あんた、戦うのは苦手だったよな。魔獣二体は俺に任せてくれ」

「……! しかし」

「俺にはあの子を止める手段がない。きっと、俺の言葉じゃ届かないから」

 言われて、魔獣の男は少年に視線を向けた。目は血走り、息は荒く、口元には子供のものとは思えない不気味な笑みが浮かんでいる。確かに、説得に応じるどころか、まともに言葉を交わすことすら困難なように思えた。

 アルドは続ける。

「でも、あんたの言葉なら届くかもしれない。友達なんだろ」

「……ああ、その通りだ」

 魔獣の男は意を決し、アルドの隣に並んだ。その決意を後押しするように、強い追い風が吹いた。魔獣の男が言う。

「なるべく近づきたい。危険な役割を押し付けるが……任せるぞ」

「ああ、あの二体は必ず止める」

「……まだ戦意があるんですね、往生際の悪い。その化けの皮、剥がしてあげますよ!」

 少年が叫ぶと、二体の魔獣とアルドたち、そのちょうど中間に一人の子供が姿を現した。手足を縄で拘束され、身動きが取れずもがいている。口には猿轡を噛まされ、叫ぶこともできないでいる。

「なっ……!」

 アルドは呆気にとられた、それ故に対応が一手遅れた。二体の魔獣が斧を振りかぶって、地面に転がった子供に近づく。あと一歩で間合いに入るというところだ。

「しまった! くそっ……!」

 アルドは吐き捨てて走り出す。その背中に、魔獣の男は怒鳴りつけた。

「止めろ! それも幻だ、今度は本当に死ぬぞ!」

 それでも、アルドは止まらない。剣を放り出して、横たわる子供に両手を伸ばす。その手が子供を抱きかかえたその瞬間、二本の斧が勢いよく振り下ろされた。

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