第116話 小さな大打者(後編)
9回表。我が校は、2番、1年生の鈴木から。
彼女には、中学生時代のアベレージヒッターの実力を期待したが。やはり、まだ粗削りで経験値の浅いところが露呈し、空振り三振に終わる。
続く3番の笘篠。彼女は、いつも通りに、ゆったりと構え、しかもあっさりと2球目のチェンジアップを打ち返したが。
ショートゴロに終わる。
これで2アウトになれば、ますます後がない、と思っていたら。
そのショートがまさかのエラーで、笘篠は一塁に出塁。
やはり「甲子園の魔物」はまだ棲んでいた。
4番の清原を迎え、相手バッテリーはさすがに警戒し、申告敬遠を与える。これで得点圏にランナーを置く、1アウト一・二塁のチャンスが生まれ、まだまだ試合はわからなくなった。
監督から見れば、まさに「胃が痛くなる」ような緊張感の元、5番の石毛を迎える。
その石毛。
「頭を撫でて下さい」
かなり久しぶりに言われた気がする。
しかも、目がものすごく真剣だった。彼女は、ここぞという場面で、この「ナデナデ攻勢」をかけてくる。
仕方がないから、頭を撫でてやると、猫のように目を細めて、穏やかな表情を浮かべていた。
彼女の一種の「縁起かつぎ」なのだろうが。
小宮山は次第に投球数が増えてきていた。コントロールミスも多少だが、出てきており、そこが狙い目になった。
8球目まで粘った石毛。最速120キロを越える外のストレートを弾き返し、一・二塁間を破る。
1アウト満塁。
「伊東さん!」
「梨沙! 打って!」
6番バッター、司令塔にして、縁の下の力持ちの伊東。
大柄な彼女が、バットを長く持っていた。当然、ここは外野に飛ばし、犠牲フライ狙いだろう。
そうはさせない、と小宮山も緩急自在のピッチングを見せてきたが。
気がつけば、選球眼のいい伊東が、クサい球を見送って、フルカウントになっていた。
フルカウントからの7球目。
ライトに流し打ちに近いライナー性の当たりを打ち上げていた。
ライトが掴み、三塁ランナーの笘篠が走る。
彼女の足はそれほど速くはない。
そこが一番の心配で、ライトからホームベースに、弾丸ライナーのような球が飛んできていた。
だが、俺は知らなかったが、実は笘篠自身が、吉竹から、「走り方」を学んでいたらしい。
この展開で、ホームベースに滑り込み、同時に相手キャッチャーのタッチをかいくぐるように、回り込んで滑り込んでいた。
ほとんどタッチの差と言っていいくらい、微妙なクロスプレーになったが。
「セーフ!」
「やった、同点!」
「ナイスラン、笘篠さん!」
土壇場の9回表で、ついに同点に追いついていた。
ナインが、ハイタッチで笘篠を迎える。
だが、攻勢はそこまでだった。
続く7番、佐々木。8番、平野が共に倒れ、チェンジ。
9回裏。
追いつかれた苫小牧新明学園も必死だった。
8番からの打順。8、9番を連続三振に取っていた工藤は、好調のようだったが、1番バッターにはセカンド強襲ヒットを打たれる。
ほとんどエラーに近いくらいの、強烈な当たりだった。
2番を抑え、ついに延長戦に突入。
延長10回表。
この回は9番でピッチャーの工藤からだったが。
非常に面白い展開になった。
9番の工藤が、まるで先程の相手の1番バッターの技を狙ったかのように、同じコース、つまりセカンドに強襲気味のライナー性の当たりを放つ。結果的には同じく強襲ヒットになった。
1番、吉竹。
バントをさせても良かったが、相手バッテリーが最初からウエストボールを放っており、完全に読まれていたため、打たせたが、三振。
まだまだ小宮山の投球術は光っていた。
2番、鈴木。
ピンチヒッターとして出塁してから、当たりがなかった彼女。
3球目のスライダーをレフト方向に引っ張ったが、これはショートの守備範囲。完全にダブルプレーコースだった。
だが、何を焦ったのか、相手のショートが不自然なくらいに前進し、ボールを弾く。ラッキーなエラーになり、1アウト一・二塁。一打勝ち越しのチャンスが、2つのエラーから生まれていた。
やはり、渡辺先生が言ったように「ゴロはエラーが出やすい」から高校野球は怖い。
3番、笘篠。
さすがに相手バッテリーも警戒し、タイムを取って、マウンドに選手が集まる。
が、相手校は余程、この小宮山を信頼しているのか、このピンチの場面でも交代はなかった。
逆にこの場面で、得点圏打率が高い3番の笘篠を迎え、我が校は絶好のチャンスだった。
だが、運命はそう簡単には転がってこない。
「ストライーク! バッターアウト!」
あの笘篠が、珍しいくらいに翻弄され、スライダー、カーブ、チェンジアップ、最後はシンカーに空振り三振。
2アウト一・二塁で、4番の清原を迎える。
「清原!」
「チャンスだ! 打て!」
などと大歓声が飛ぶ中、ある意味、予想通りというか、相手は申告敬遠を選んできた。
「勝負しろ!」
「つまんねえ!」
野次に似た罵声が飛んでいたが、これも野球の戦術の一つだ。俺が相手の立場だったら、迷わず敬遠する。
だが、労せずして、2アウト満塁の大チャンスを迎えて、続く5番は石毛だ。
「石毛、頭を撫でてやる」
もう藁にもすがるつもりだった、俺は自ら彼女を呼んだ。
すると、
「監督の方から言ってくれるなんて、嬉しいです!」
まるで飼い主に褒められる犬のように、彼女は寄ってきた。
こういう素直なところが、どうにも可愛い「娘」のように思えてしまう辺り、俺もおっさんくさいところがあると我ながら思う。
というか、石毛は、男性の「庇護欲」をかき立てるというか、男心を掴まされる気がする。
丁寧に撫でてやると、彼女は目一杯の笑顔で、
「ありがとうございます。絶対、ランナーを還してきます!」
そう力強く答えて、バッターボックスに向かった。
その石毛。
例の神主打法は、まだ健在だった。
一見、ゆったりと力を抜いているように見える、特徴的な構え。だが、その実、インパクトの瞬間だけ、力を発揮するという難しい打ち方でもある。
初球から、決め球のスライダーが内角から外角に入り、ストライクを取られる。
2球目は、カーブ。かろうじてファール。早くも追い込まれていた。
(大丈夫か?)
この場面で、すでに追い込まれ、あと1アウトで、このチャンスを生かせないまま、チェンジとなる。
だが、石毛の本領はそこから発揮された。
3球続けて、きわどい球を見極めて、ボール。
カウント3-2。
もう勝負球をボールゾーンには入れられない小宮山。対して、石毛の目つきは、いつになく真剣そのものだった。
―カキン!―
白球が真夏の青空に映える。ジャストミートで捉えた球が、見事に右中間を破っていた。
三塁ランナーの工藤が還り、さらに二塁ランナーの鈴木までもが走る走る。
だが、これは、さすがに無謀だった。
相手のライトは実際、かなりの強肩の持ち主だった。
ホームベースまでノーバウンドに近い剛速球を投げてきた。実際には、ホームベース手前でバウンドしていたが。
「アウト!」
残念ながら、鈴木は本塁タッチアウトになったが、それでも3-2と勝ち越しに成功。
泥沼の戦いは、さらに続く。
9回裏。
後がない相手校は、3番からのクリーンナップ。そして、例の「小さな大打者」、大石だ。
これまで、大石にはヒット、2ベース、ヒット、2ベースと、いずれも打たれ、4打数4安打。
さすがにマズいと思いつつも、この場面で、工藤を替えるつもりは、俺にはなかった。
見守っていると。
しかしながら、やはりこの大石は「天才」だった。
工藤のどんな球にでも確実に反応してくるし、対峙する度に、当たりが鋭くなっていた。一種の天才だけが放つ、オーラみたいな物すら感じる。
驚異的な瞬発力と、動体視力を持つらしい彼女は、工藤のムービングファスト気味の癖球を捕らえ、あろうことか、それが左中間のかなり深いところまで運ばれた。
一瞬、ホームランかと思ったが、ギリギリでフェンスに激突。
しかも俊足の彼女が三塁を陥れ、もう試合は完全にわからなくなっていた。
ノーアウト三塁。絶体絶命のピンチ。
タイムを取って、マウンドの工藤の元に伝令を送る。
伝令は、潮崎だ。
当然、彼女は嫌がっていたが、
「行ってきて、もし勝ったら、お前の望みを一つ聞いてやる」
そう告げると、彼女は喜んでマウンドに向かった。
後から思えば、それが一種の「フラグ」になるとはこの時は思いもしなかったのだが。
しかも、帰ってきた潮崎は、
「あんたには負けないっす。絶対、抑えるっすですって。ホント、生意気ですね」
と工藤の言葉を伝えてきた。
だが、この場面、このピンチで、あえて郭や石井を投入する気にはなれなかった俺は、天に祈る気持ちで工藤に託す。
運が良かったのは、4番の小宮山が交代したことだった。疲労により、彼女はこの回までと決めていたのかもしれない。
代打には2年生の選手が入ったが。
「バッターアウト!」
あっさりと工藤は、速球で空振り三振を取っていた。
三塁ランナーの大石は動けず。
1アウト三塁で、5番。外野に運ばれただけで、同点になる。
だが、ピンチにおける工藤は、全く動じないばかりか、かえってテンションが上がっているようにも見える。
鋭いフォークで、詰まらせてセカンドゴロ。アウト。同じく三塁ランナーの大石は動けない。
残り1人。6番バッター。
初球、2球ときわどいコースを外して、ボール先行だったが、3球目。鋭く変化するフォークボール。彼女の決め球だ。
引っかけて、サードゴロ。
だが、これは深い。
下手をすれば、一塁はセーフになって、同点になる。
だが、
「うらぁ!」
清原が、叫び声と共に、渾身の勢いで肩をぶん回していた。
恐ろしいほどの送球が、一塁手の吉竹に飛ぶ。
相手の6番はヘッドスライディングをしていたが。
「アウト!」
長い試合がようやく終わり、ついに我が校は「甲子園決勝戦」の切符を勝ち取る。
そして、俺が何気なく発した、彼女との「約束」が果たされようとしていた。
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