第113話 スピード対決(後編)
8回裏。
沖縄城学の攻撃。点差はわずか1点。
9番の下位打線からだが、どの道、上位打線には回ってしまう。
潮崎は、相変わらず、のらりくらりと「かわす」投球を試みていた。
ところが。その潮崎が意外な形で「捕まる」。
9番はかろうじてフルカウントまで粘られたものの、凡打に抑えるが。
1番には、遅いカーブを狙われ、一・二塁間を破られるヒットを打たれ、2番には粘られて四球を与え、1アウト一・二塁。
得点圏で、クリーンナップの3番を迎える上、1点でも取られると追いつかれる。
ここで、ベンチでは意外な人物が動いた。
郭だった。
彼女は、いつも穏やかだが、おもむろに俺に近づき、
「監督。私に投げさせて下さい」
と真剣な目で懇願してきた。
あまり自己主張をしない彼女には珍しいし、しかも「肩」も作っていない。当然、俺は潮崎の交代を考えていなかったが。
迷っている俺を見て、彼女は不思議な一言を呟いたのだった。
「
中国語だった。
「なんだって?」
中国語を全然知らない俺が問うと、
「どんな時も逃げ道を残すこと。台湾の
「へえ。つまり、お前が『逃げ道』になると?」
「はい。私はこの試合、徹底的に相手チームを観察してきました。相手が上位打線でも抑える自信があります」
郭の瞳は、嘘をついているようには見えなかった。
かつて、県大会決勝戦の春日部共心戦の最後に、石井が懇願したのと同じような状況になっていた。
(どうすべきか)
そうは言われても、監督としては考えずにはいられない。
ここでエースをわざわざ降ろして、経験値の浅い郭を上げていいものか。
最悪の結果になるとも限らない。
だが、
「郭くんなら大丈夫ですよ」
何故か自信満々で太鼓判を押していたのは、マネージャーの鹿取だった。
すでに3年生で、ある意味、マネージャーのベテランになっていた彼女の、試合勘と観察眼は抜群であり、彼女の言ったことに従うと、ほぼ間違いはなかった。
「そうっすね。ピンチには強いと思うっすよ」
工藤までもが賛同し、
「とりあえず潮崎先輩を外野に配置して、ダメだったら戻せばいいのでは?」
今度は冷静な鈴木まで応じていた。
思案のしどころではあったが、確かに郭は、ある意味で「ピンチに強い」ところがあった。
同時に、この場面で、エースを降ろすとは向こうも考えていないから、裏をかけるかもしれない。
ひとまずタイムを取り、マウンドに鈴木を向かわせる。
戻ってきた彼女は、
「先生に任せます」
との潮崎の言葉を伝えてきた。
潮崎自身、この場面でクリーンナップを迎えることと、前回のプリンセストーナメントで、石嶺には2本もホームランを打たれていることが気にかかった。
仮に3番を抑え、4番の石嶺を敬遠しても満塁になってしまう。
悩んだ末、俺はついに決断をする。
「行け、郭。言うからには、絶対に抑えろ」
との言葉を添えて。
「
わざわざ中国語で返してきたが、意味は「わかりました」くらいだろうと推測する。何より、郭の表情が、見たことがないくらい明るかった。
潮崎をレフトの平野と交代させて守りにつかせ、郭をマウンドに上げる。
そして、代わったばかりの郭に、相手チームは度肝を抜かれることになる。
相手の3番に対し、いきなり外角低めに寸分の狂いなく、綺麗なシュート回転の球を放り、空振りを取ると。
続く球は、スライダー気味に、真横に変化するも球速が落ちない、カットボール気味の高速スライダーのような球だった。
球速は122キロは出ていた。
これに引っ掛かり、相手はキャッチャーフライ。
2アウト一・二塁で、4番の石嶺。
さすがにここは郭とはいえ、抑えるのは難しいだろうと判断し、申告敬遠を与えることにした。
5番バッター。伊良部だった。
郭は少しも動じている気配がない。2アウトながら満塁。
一打出れば、一気に試合の流れが向こうに傾く。しかも、試合は終盤だ。
一打逆転の大チャンスに、沖縄城学のベンチとスタンドから盛んに、琉球音楽が流れている。
だが、郭は一枚上手だった。
徹底して「低め」を突く、ずば抜けた制球力と、キレ味鋭いカットボールのような高速スライダーと、シュートが効いた。
伊良部は、2球目まで見送っていたが、いずれもシュート、スライダーがコースギリギリの低めに決まっていた。
1球外した後の、4球目。
決め球のカットボールが今度は、逆を突く内角の低めに向かっていくが、そこから真横に滑るように曲がっていた。
「ストライク! バッターアウト!」
見事、2アウト満塁のピンチを無得点で切り抜けていた。
戻ってきた郭を、ナインは満面の笑顔で祝福していた。
「すごいよ、郭くん!」
「サンキュー、郭!」
「
台湾語で応える郭。ちなみに、「
9回表は、こちらもやはり伊良部に抑えられ、無得点に終わり、最終回。
もちろん、郭に続投させた。
その前に、話してくれた伊東の言葉が大きかった。
「今日の郭くんは、絶好調ですね。低めに寸分の狂いなく、あの速球を投げられると普通は打てません」
実際、郭は120キロを越える速球中心に変化球を交えるが、その変化球自体の球速が速かった。
そして、伊東の言う通りになった。
相手打線は6番からの打順。
最後の攻撃になるかもしれない、沖縄城学の応援席から懸命な応援歌と声援が轟く、一種の異様な雰囲気の中。
台湾人の郭には、そんなことは全く関係ないようだった。
少しも動じることなく、相手打線を淡々と料理していく。
低めに徹底して投げるものの、女房役の伊東は、さすがに考えていた。甘いところに入らないように、ボール球をあえて投げさせたり、カウントを稼いで、決め球にスライダーとシュートを使わせる。
事実、制球力と度胸がある、郭は、ボール先行になっても、少しも動じることがなかった。
6番、7番を連続三振に取り、8番バッター。
最後は、渾身のストレートを外角低めの、ボールゾーンギリギリに投げており、相手バッターが思わず空振りしていた。
3-2。
からくも1点差で、我が校は勝利。
ついにベスト8の壁を突き破り、ベスト4に進出。
甲子園の頂点まで、残り2試合となった。
試合後のインタビューでは、その郭が最もマスコミの注目を浴びていた。
翌日の新聞、ネットニュースの見出しには、
「台湾出身の、オリエンタル・エクスプレス少女現る」
だった。
郭の活躍により、我々は甲子園の頂点まで、あとわずかに迫る。そして、次の相手は、南北海道代表、苫小牧新明学園となった。
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