第110話 アイドル女子高生野球(後編)

 タイムリー3ベースヒットを放ち、試合を振り出しに戻す活躍をしていた笘篠。

 後続が倒れ、チェンジになったが、その立役者は、上機嫌だった。


「どうよ、カントクちゃん。これで私を3番から外すなんて、タワゴトは言えないでしょ」

「いいから、そのドヤ顔、やめろ」

 思わず突っ込んでいたが、彼女の復活は、素直に嬉しいものではあった。


 8回表。

 潮崎は、相変わらず「いい球」を放っており、これなら最後まで任せられるだろう、と期待した。


 ところが。

 3番バッターは抑えたものの、4番の主砲、山本には、左中間を破られる2ベースヒットを打たれる。


 5番は、替わったばかりの黒木だ。

 俺の友人の妹にして、元・教え子。


(打撃は大丈夫だろう)

 そもそも、俺は元・ピッチャーだし、打撃に関しては、彼女には教えていない。


 警戒すべき相手ではないし、敬遠するまでもない。そう高をくくったのがマズかった。


 黒木は、俺が知らない黒木に成長していたのだ。

 初球から潮崎の得意な高速シンカー。それをあっさり見逃していた。ギリギリでボール。

 普通なら振ってもおかしないのに、恐るべき選球眼なのか、それとも山張りで、高速シンカーは捨てたのか。


 2球目は、逆を突く内のストレート、というよりツーシームだった。かろうじてファール。


 3球目。低速のシンカーに空振り。

 あっさり追い込んでいたから、俺は心配などしていなかったのだが。


 4球目のカーブは見送ってボール。

 思えば、この時点で、選球眼がいいと気づくべきだった。


 5球目のフォークが狙われた。潮崎の球種の中で、最も変化が少ない球だ。


 高い金属音を残し、真夏の入道雲の中にボールは消えていた。一瞬、ホームランか、と思うくらいの高く上がる、滞空時間の長いフライ。


 普通に考えたら、外野フライだろうと思うのだが。それを追っていたセンター、笘篠が、一瞬眩しそうに空を見上げていた。


 そして、グラブからボールを落としていた。エラーだ。

 打撃では活躍していたものの、守備では粗さが目立って、ミスをしてしまう笘篠。人間は完璧ではない。


 しかも二塁ランナーの山本は、意外なほど足が速く、あっという間に三塁に到達し、さらに駆けていた。


 慌てて、ボールを拾った笘篠が、セカンドの田辺にボールを送る。田辺からはホームに矢のような送球。


 だが。

「セーフ!」

 あっさり勝ち越しを許して、3-4となる。


 もっとも、これは潮崎の失点には繋がらない。彼女は2試合連続で、好投をしたのに、いずれもエラーでの失点となっていた。


 一塁側アルプススタンドの、笘篠の私設応援団が、シーンと静まり返る。


 その回は、このエラーの失点だけになったが。

 戻ってきた笘篠に、俺はあえて何も言わなかった。


「ごめん、カントクちゃん」

 珍しいくらい、塩らしい態度を見せて彼女は謝ってきたが。


「お前はエラーを帳消しにするくらい打ってるだろ」

 そう告げると、


「さっすがカントクちゃん。わかってる! 任せて」

 とコロコロと表情を変えるので、


「調子に乗るな。エラーはエラーだ」

 と、一応は釘を刺しておいた。


 もっとも、潮崎は潮崎で、

「天ちゃん。気にしなくていいよ」

 相変わらず、優しいところがあったが、俺には彼女は「優しすぎる」と感じるくらいだった。


 8回裏は、その潮崎からの打席で、ここで代打を出してもいいのだが、調子がいい潮崎を替えることはしなかった。


 もっとも、やはり打撃に弱い彼女は、セカンドゴロに終わる。

 8番、平野。そして9番、代打からそのまま守備に入っている垣内。


 いずれも先程の打席と同じように、黒木の速球と、鋭く変化する高速スライダーに、同じように三振。


(黒木の奴、すごいな)

 敵ながら、元・教え子とは思えない。というより、あの大人しい黒木妹が、ここまでの存在になったことに、素直に驚いた。


 9回表も、潮崎は盤石だった。

 相手の下位打線の7番から9番をいずれも内野ゴロに抑えて、清々しい顔で帰ってきた。


 試合は、このまま延長戦に行きそうな勢いがあった。


 ところが。

 運命は、「彼女たちに」というより「笘篠に」微笑んだ。


 9回裏、最後の攻撃。1点のビハインドを追う我が校。

 1番の吉竹からだった。

 得意のセーフティーバントでの出塁を試みる。


 だが、ここで意外にも動いたのが、黒木だった。

 三塁線に転がす吉竹のバントを読んでいたかのように、マウンドからすばやく駆けて、ボールを掴み、一塁へ送球。

 吉竹はアウトになっていた。


 吉竹には、珍しいセーフティーバント失敗。というより、これは黒木が一枚上手だった。


 2番の田辺は、ボールを見極めて、四球を選ぶ。

 球威はあるが、制球に多少の難がある黒木の弱点だった。


 3番の笘篠。

 本日の第5打席。


 これまで四球、安打、二塁打、三塁打と打ってきている彼女。

 だが、長打力がない笘篠に、ホームランは無理だろうから、サイクルヒットはさすがにないだろう、と俺は思った。


 それでも、自らのエラーが帳消しになるくらいには、活躍している。


 その笘篠の打席。

 珍しいくらいに、長期戦になった。


 初球からフォークボールを投げた黒木。ファール。

 2球目、3球目は外に逃げる高速スライダー。見極めてボール。

 4球目は、スローカーブにタイミングが合わずに空振り。

 追い込まれていた。

 5球目。速いストレート。レフトライン際にファール。


 6球目。緩いチェンジアップ。かろうじてバットを止めるも、ボール。

 ついにフルカウント。

 7球目。再びチェンジアップ。ライト線にファール。


(長いな)

 お互いに腹の内を探り合っているように見えるが、それこそが、「達人」同士の野球とも言える。


 俺にとっては、ある意味、どっちも教え子。だが、今の教え子は笘篠だ。もちろん、笘篠を応援する。


 8球目。

 内角にストレート。

 だが、コースが多少甘く入って、高めだった。


―コキン!―

 何だか、あまりカッコいい音には聞こえなかった。


 どちらかというと、鈍い音に近く、実際打球はレフトへ上がっていたものの、どこかフラフラと漂っており、レフトフライが妥当と思われた。


 だが、この時、風がライトからレフト、正確にはセカンドからレフト方向へ吹いていたのが幸運になる。


 風に流されるように、上空を漂った打球が、引力に引っ張られ、慣性の法則で落下。

 レフトが構えるも、それより少しだけ先を飛んでいた。


 そして。

 レフトポール際の、スタンドのギリギリに吸い込まれていた。

「ええっ! 逆転サヨナラ2ランホームラン!」

「笘篠さん、サイクルヒット!」

「マジか!」

 ベンチにいた、ナインのいずれもが驚愕の結果に、目を見開いていたが、一番驚いていたのは、実は笘篠本人だった。


 何が起こったか、わからないように空を見上げていたが、塁審が手を頭の上で、ぐるぐる回して、ホームランと指示しているのを見て、ようやく我に返ったように、ベースを回りだした。


「天ちゃん!」

「奇跡のサイクルヒット! おめでとう!」

「マジですげえ! 逆転サヨナラ2ラン!」

 次々に彼女のファンから歓声が轟く。


 そして、これが笘篠天にとって、人生で初めてのホームランとなった。


 5-4でサヨナラ勝利。笘篠がホームベース上で、ファンに手を振り、ベンチに戻って、選手たちから、頭を叩かれるような、熱い祝福を受けていた。

 

 この試合の笘篠の成績。

 5打数4安打4打点。猛打賞に加え、サイクルヒット、逆転サヨナラ2ランホームランというおまけつき。


 だが、打たれたはずの黒木は、マウンド上で、レフト方向を見上げてはいたが、決して卑屈な表情は浮かべていなかった。


 それは、「やりきった」者だけが作れる、晴れやかな表情に見えた。


 当然、試合後のインタビューでは、笘篠にマスコミ陣が殺到。

 一躍、ヒーローというか、ヒロインになった彼女の活躍は、すぐにネットに出回り、翌日の新聞にも大きく載っていた。


 恐るべき才能を開花した笘篠。


 対して、もう1人の元・教え子は。


 試合が終わって、一通り、マスコミが帰り、俺たちのチームもベンチから引き上げた後。

 廊下を歩いている時だった。


 廊下の壁に背を預けたまま、立っていた黒木と目が合った。

「森さん!」

 明るい声と表情で、俺の方に駆けてきた。


 明らかに俺の知る黒木真央ではない。

「久しぶりだな。でも、本当に黒木の妹の真央ちゃんか?」


「そうですよー。忘れちゃったんですか、もう」

 頬を膨らませるように、不機嫌そうに睨んでくる彼女には、少しだけ昔の面影があった。


 確かに俺の知る黒木真央とは変わっていた。それは髪型だったり、日焼けした顔だったり、明るい性格だったり。


 だが、根っこの部分では、変わってはいなかった。

 この子の兄、つまり俺の友人の黒木裕貴に顔が似ているし、当時も大人しかったが、素直なところがあった。


「負けちゃったけど、すっごく楽しかったです。まさか、森さんが監督やってるチームと当たるとは思ってなかったですけどね」

「俺もだ。真央ちゃんが、野球やるとは思ってなかった」

 そう言うと、彼女は屈託のない笑顔を見せた。


「野球に興味なかったら、わざわざ森さんに聞きませんよ」

 確かにそうだろう。


 彼女の中で、少なからず、野球に対する「興味」があったからこそ、数年前にわざわざ俺に聞いてきたのだ。


 彼女とは、積もる話が色々とあったが。

 その前に、後ろにいる彼女たちの中の何人かの視線が、冷たく、俺の背中に突き刺さっている気がして振り向くと。


「ちょっと、先生。随分、仲が良さそうですねー」

「真央ちゃん? マジで、誰っすか。そいつ」

 潮崎と工藤が露骨に、俺と黒木を比較するように眺め、黒木を品定めするように睨んでいた。


「ああ。だから俺の友人の妹で、元・教え子だって」

「はじめまして。黒木真央です。森さんは、兄の友人なんです。でも、私。皆さんと戦えて、本当に楽しかったです」

 だが、当の黒木本人は、潮崎や工藤の、露骨な視線を全く気にしていないかのように、晴れやかな表情で、答えを返していた。


 その、嫌味のない笑顔に、毒気を抜かれたように、潮崎も工藤も、何も言い返せないでいた。


 見た目は、まるで渋谷あたりにでもいそうな、黒ギャル。

 なのに、中身は、明るくて、楽しそうに野球をやる少女。そして、勝負には全力の気迫のピッチングで応える。


 そんな魅力的な少女に、黒木は成長していたことに、俺は驚きと同時に、一種の「喜び」すら感じていた。


 野球をやることが「楽しい」と心から感じている人間。物事は何でもそうだが、「好きこそ物の上手なれ」だ。

 きっと彼女は、成長して、いずれ潮崎と共に、女子野球界を担う逸材になるだろう。


 そう思うと、彼女に野球を教えたのも、無駄ではなかったと感じる。

 試合は終わったが、こうして、意外な形で、黒木真央との再会を果たした。


 余談だが、その日の夜、友人で彼女の兄の黒木裕貴に電話で話を聞いてみた。


「何で、真央ちゃんが仁志大三高で野球始めたって教えてくれなかったんだ?」

 と。


 答えは。

「ああ、だって聞かれなかったから」


 こいつは、そういう奴だと、改めて思い出していた。必要最低限しか話さない。


 どうも無愛想というか、口下手なところがある。


 思えば、中学時代の真央ちゃんも、どちらかというと、兄に似て、口数が少なく、コミュニケーションが苦手なタイプに見えた。


 野球を始めたことで、彼女は前向きで、外向的な性格に変わったのかもしれない。

 兄貴に似なくて良かったな、真央ちゃん。と俺は、苦笑するのだった。

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