第109話 アイドル女子高生野球(中編)
4回を終わって、1-3のビハインド。
シーソーゲームの予感がする試合だった。
5回表。彼女自身が告げたように、俺は工藤をこの回までと考えていた。彼女は、上位打線の2番から4番までを、きっちり内野ゴロと内野フライだけで抑えて戻ってきた。
なんだかんだで、まだまだ工藤は通用するとも思ったが。
見ると、球数が多いのと、工藤自身が、気迫と力を入れすぎたのか。肩で息をしており、明らかに疲弊していた。
5回裏。
こちらは下位打線の9番の佐々木からだったが、三振。
やはり下位打線ではこちらも打てないのか。
1番の吉竹に回る。
その吉竹が、初球から狙ったのが、得意のセーフティーバントだったが。この時の彼女の打ち方が、ある意味、特徴的だった。
打つ、というかボールをバットに当てる前からすでに体が一塁側に傾いていた。つまり、当たった瞬間に即ダッシュができるという、ダッシュ打ちのようなやり方で、そのまま凄まじいスピードで一塁まで駆け抜けてセーフ。
このスピードには、相手校も舌を巻いていた。
さらに2番の田辺の打席の2球目に、あっさりと盗塁を決めてしまう。もはや埼玉県一どころか、全国でも有数の俊足プレイヤーになっている気がする。
残念ながら、田辺はサトウボールに詰まって、キャッチーフライ。
「待ってました!」
「天ちゃん!」
(うるせえ)
思わずそう思うほど、得点圏の二塁にランナーを置いた状況で、打席に立つ笘篠への声援が轟いていた。
すでに、マスコミにまで「アイドル女子高生野球選手」と騒がれていた彼女。
本人曰く。今日は「絶好調」だそうだが。
決め球のサトウボールが来る前に、笘篠は流れるような綺麗な動きで、カーブを救い上げるようにして、右中間を破るツーベースヒットを放っていた。
俊足の二塁ランナー、吉竹があっさりホームに還り、2-3となる。
二塁ベース上で、声援に応える笘篠。
これで3打数2安打1打点。
残念ながら、後続は倒れたものの、「笘篠劇場」はまだ終わらなかった。
結果からすると、この試合は、まさに「笘篠劇場」となった。
続く6回表。
満を持して、潮崎に替える。
結局、工藤は打撃でいいところを見せられずに、マウンドを降りてしまったから、6番に潮崎が入ることになる。
だが、打撃はともかく、投球では、前の試合の勢いが彼女にはあった。
それまで速球主体だったのに、いきなり変化球主体の、スローボールを投げる軟投投手になったため、相手打線が翻弄されていた。
彼女は、6回、7回と、相手打線に外野にすら運ばせない完璧なピッチングを披露。
だが、6回裏。
向こうも投手が替わった。
我が校と同じく、ダブルエース戦術を取る仁志大三高が送り込んだ、2番手、2年生の黒木
ん? と俺は思った。
その容姿にどこか見覚えがあるような気がする。
(黒木? どこかで見たような……。いや、でも気のせいか)
そう思い直したのは、俺の脳裏に記憶されていた少女と、彼女の「表情」が違いすぎるからだった。
明らかに「黒ギャル」のように、真っ黒に日焼けしたその黒木真央。髪もストレートロングヘアー。確か、俺の知っている黒木は、そんな奴じゃなくて、もっと清楚で、大人しい少女で、髪も綺麗なショートボブだった。
同姓同名だろうと思った。
(ん? 黒木真央。まさかあいつか!)
だが、表情はともかく、顔の輪郭は、記憶の中の少女と一致していた。
「マジであの黒木真央か!」
と、咄嗟に叫んでおり、部員に怪訝な瞳を向けられていた。
「監督。いきなり何です? 知ってるんですか?」
近くにいた佐々木が、驚いたように、俺の横顔を覗き込んでくる。
「ああ。あいつは、俺の元・教え子だ」
「ええっ! 先生、私以外にも教え子がいたんですか?」
今度は、その向こうにいて試合を見守っていた、エースの潮崎がのけ反るように驚いていた。
「ああ。潮崎の家庭教師をやる前のことだ。大学時代に、知り合った友人の妹でな。家に遊びに行った時に、野球を教えてやったことがある」
そう。俺の友人の黒木裕貴。同い年のそいつに、年の離れた妹がいる。
大学生の頃、家に遊びに行ったら、その妹に妙に懐かれて、野球を教えたことがあったのを思い出していた。ついでに勉強を教えてあげたこともあるから、一応、教え子と言えば教え子だが、正式には家庭教師役は引き受けていない。
もっとも、その当時、大学生の俺はまだ20歳そこそこ。相手の真央は、潮崎より1歳下だから、まだ11、2歳くらいの小学生だったはずだ。
その黒木真央。
今頃になって気づいたのか、ベンチにいる俺に視線を向けて、俺の顔を見て、文字通り「鳩が豆鉄砲を食ったような」顔をしていた。
(相変わらず、のんびりしてる奴だなあ)
今頃、俺に気づいたのがその証拠だが、今まで彼女に気づかなかった俺も他人のことは言えない。
俺の知る限り、黒木真央という少女は、どこかのんびりしている、マイペースで、大人しい少女だった。どちらかというと、図書館で本を読むのが好きそうなタイプに見えた。
だが、彼女に懇願され、カーブの投げ方を教えたことを鮮明に覚えている。
ところが、その「のんびり屋」のはずの黒木。
彼女は、俺が知っている黒木ではなかった。
6回表は、我が校は5番の石毛から。彼女をショートゴロに抑えていたが、球種は明らかにスライダーだった。それも高速スライダーに近い、キレのある、よく曲がる球だった。
(あんな球、俺は教えてないぞ)
そもそも黒木が、野球名門校の仁志大三高に入ったことも、その女子野球部に入ったことも知らなかったし、甲子園のマウンドに立つほど成長しているとは思わなかったし、それ以上にその球種には驚かされていた。
続く6番の潮崎は、普段こんな上位打順では打たない。そもそもバッティングに自信がない彼女は、明らかに振り遅れていた。
フォークボール、チェンジアップ、最後に外のストレートで、三球三振。
(あいつ。成長したなあ。しかし、まさか友人の妹で、元・教え子と戦うことになるとは)
これでは、まるで「敵に塩を送った」ようなものだが、運命とはわからないものだ。
「何なんです、あの人。2年生とは思えない球を投げてきますよ。あんな子に野球教えちゃダメですよ、先生」
三振して戻ってきた潮崎が、明らかに不服そうに頬を膨らませて、睨んできた。
そうは言っても、俺が黒木に「教えた」のは、野球の「基礎の基礎」だけだ。黒木の家に遊びに行く度に、俺が元・高校球児と知った、彼女が「教えて下さい」とせがむから、仕方がなく教えたのだ。
7番、伊東。
彼女も翻弄されるかと思いきや。
今度は、球速は速いが、制球が乱れて四球を与えていた。
どうも、コントロールはあまりよくないらしい。気迫と球威で抑えるタイプに見えた。
8番、平野。
選球眼がよくない彼女は、残念ながら翻弄された。
スローカーブ、高速スライダー、チェンジアップ、最後に気迫の籠ったストレートに空振り三振。
しかも、ご大層にガッツポーズまでマウンドで決めていた。
(あいつ。あんな性格だったか)
通称「魂のエース」と呼ばれるためか、全身で感情を表現していたが。
最後に黒木真央に会ったのは、確か2年半ほど前。
俺がちょうど、教師として、この高校に赴任する直前くらいだったはずだ。
まだ中学2年生だった彼女。その時は、今とは似ても似つかない、大人しい少女で、高校に入って野球をやる、など一言も言ってなかったのだが。
しかも、あんなに感情表現が豊かな奴じゃなかったはずだ。
黒木は俺の前では「猫を被って」いたのかもしれない。あるいは、この3年で、何か大きな心境の変化があったか。
不思議な再会だった。
7回表も、潮崎は躍動した。
黒木が俺の元・教え子と聞いて、それが気に入らなかったのか、何だか怒ったような表情のまま、彼女はマウンドに向かって行ったが。
そこからは、黒木にも劣らない「気迫」の籠ったピッチングだった。
相手が下位打線の9番からだったこともあるが、9番、1番、2番をいずれも打たせて取るピッチングで三者凡退。
「何か文句ありますか?」
「いや、別に」
何故か、怒ったような顔で、睨みつけて来る潮崎が不気味だった。
7回裏。
1点を追う我が校は、9番、佐々木から。この試合は当たっていなかったので、試しに代打の垣内を出してみる。
だが、パワーはあっても、まだまだ粗削りの1年生。
対する上級生の黒木は、恐ろしいほどの成長速度だった。
速いストレートで翻弄したかと思えば、緩いカーブやフォークを使い、最後はチェンジアップと見せかけて、またストレート。
三振だった。
1番の吉竹。彼女もまた「成長」という意味では、引けを取らない。
何しろ高校まで「野球」をやったことすらない、それこそルールすら知らなかったのだ。
それが今では立派なリードオフウーマンに成長。
黒木の得意なストレートを、あっさりと弾き返したものの、サードの深いところにボールが飛んだ。
普通ならアウトになるだろうが、そこは俊足自慢の吉竹。サードからの返球よりも速く一塁ベースを駆け抜けていた。
1アウト一塁で、2番の田辺。
ソフトボール経験者で、最近調子がいい田辺に期待したものの。
そうそう、いつも上手くはいかないようで、ストレートに的を絞ってヤマを張っていたらしいところの裏をかかれ、フォークボールに三振。
2アウト一塁で、笘篠を迎える。
そして、その笘篠がまさかの躍動をすることになる。
元・教え子の黒木 対 現・教え子の笘篠。どちらも投打に急成長を遂げた者同士の初対決。
緊迫した展開になり、勝負は長引くと思っていたら。
あっさり決着がついていた。
笘篠にとって、幸運だったのは、制球が悪い黒木の球が、すっぽ抜けたように、真ん中付近に入ったことだ。
―カキン!―
小気味いい金属音を残し、打球はライト後方へ。
ライトのライン際に伸び、相手のライトが追うも。そのライトが追い付けずに、ラインの内側に落ちた。完全に長打コースだ。
しかも一塁ランナーは、俊足の吉竹だ。
一気に三塁へと駆ける。笘篠は二塁へ。
だが、その吉竹が止まらなかった。
ボールがライトからセカンドへ戻ってくる。
しかも、笘篠までもが三塁に走っていた。
決して俊足ではない笘篠。当然、中継を受けたセカンドが、本塁は諦めて三塁へボールを送る。
(あのバカ)
見栄を張りすぎだ、と俺は思ったし、無謀だとすら思ったのだが。
何やら、叫びながら、頭から笘篠が三塁ベースに突っ込んで行ったのと、ボールが三塁手に渡るのがほぼ同時だった。
「セ、セーフ!」
何と、3ベースヒットだった。
プリンセストーナメント以来となる、笘篠の3ベースヒット。しかもタイムリー3ベースで、彼女はこれで4打数3安打2打点の猛打賞。
おまけに、ヒット、2ベース、3ベースを打っている。
次にホームランを打てば「サイクルヒット」達成だ。
この活躍に、ファンがお祭り騒ぎになっていた。
「天ちゃん!」
「ブラボー!」
試合は、3-3の同点。まだまだ試合の展開はわからず、熱い甲子園の試合は続いていた。
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