第107話 一球入魂(後編)
9回裏。
4番、清原の打席。
相手バッテリーは、この清原のデータをもちろん調べており、警戒すべき、スラッガーと思ってくれた。
申告敬遠だった。
期せずしてノーアウト一塁。
5番の石毛。
いつものように「なでなで」要求をしてくるか、と構えていたら、彼女はあっさりと打席に向かっていた。
「お父さん。撫でさせてもらえなくて寂しい?」
「ふざけんな。石毛はそんなことしなくても打つ」
笘篠が、明らかにニヤニヤしながら、俺の横顔に話しかけてくるのが、少々ウザく思えた。
「さすがだね、お父さん。娘を信じてるんだね」
「お父さんはやめろ」
しかも、そんなくだらない話をしている間に、その石毛が、見事な流し打ちで出塁し、ノーアウト一・二塁になっていた。
「やるじゃん、石毛先輩」
「ナイスですわ、石毛さん!」
工藤が、吉竹が、そして他の部員たちも、石毛の土壇場での打撃に賞賛を送る。
6番、伊東。
彼女は、選球眼がいいから、ここで塁に出れば、一気にチャンスが。
と、思っていたら、あっさり三振していた。
まあ、そう簡単に行かないのもまた、野球だ。
1アウト一・二塁で、7番の田辺。
先程の打席で、見事なタイムリーヒットを放っていた彼女。
「3打席目までは打たせて下さい」
と事前に告げており、しかもその3打席目に、ソフトボールの経験を生かして、打っていた。
我が部の中では、ある意味、一番目立たないところがある、どこか控え目で、真面目な生徒。
せっかくなので、彼女は交代せずに、そのまま任せてみることにした。
同時に、俺は気づいていた。
(山口のスタミナが落ちてきた)
と。
9回裏。おまけにその日は、猛烈に暑い真夏の1日。気温は35度を越えていた。いくらスタミナがあるとは言っても、女子だし、9回まで投げるのはツラいだろう。
おまけに、速球が武器の山口は、投げるたびに疲労するような、ダイナミックな全身を使った投球フォームをしている。
若干だが、球速が落ちてきていたように感じていた。
初球は、緩いチェンジアップから入った。タイミングが合わずに空振り。
2球目は、インハイの速球。かろうじてファール。
だが、早くも追い込まれる。
3球目。外ギリギリのストレート。
田辺のバットから珍しいくらいの快音が響いた。
―カン!―
綺麗な放物線を描いた打球が、甲子園球場の、ライト線に伸びる。ライトが懸命に追いかける。切れるか、切れないか、ファールゾーンギリギリの白線付近。
ライトの選手がグラブを伸ばす。
一瞬の出来事だった。
グラブの先端、ギリギリのところに落ちていた。
フェアか、ファールか。
非常に見にくい当たりだったが、塁審はフェアを告げていた。
二塁ランナーの清原はもう駆けていた。あっという間に三塁に到達。一塁ランナーの石毛も二塁に到達。
しかも、ライトからの返球は、まだ中継のセカンドに届いていなかった。
三塁ベースを蹴って、そのまま止まらない清原。
ようやく、セカンドが中継し、ランナーを見て、一気に本塁へ。
これは、微妙なタイミングだ、と思った。清原はそもそも足があまり速くはない。
ある意味、無謀にも思えるホームへの突入と、それに対するバックホーム。
甲子園のホームベース付近が、土煙に包まれる。
アウトか、セーフか。
マウンドの山口はもちろん、ベンチのナイン、相手のベンチの選手、三塁側アルプススタンド、一塁側の我が校の応援団、笘篠応援団が見守る中。
すべての視線が、ホームベース、そして球審の手に注がれる。
一瞬の静寂の後。
「セーフ!」
一塁側ベンチ、スタンドを中心にお祭り騒ぎの大喜び。選手が抱き合って喜んでいた。
初戦、まさかのサヨナラ。
2-1。9回サヨナラ勝利。
これが、我が武州中川高校の女子硬式野球部による、甲子園初勝利の結果だった。
プロ野球のように、ヒーローインタビューこそないものの、勝利の立役者は、高校生でもインタビューを受ける。
当然、マスコミの視線は、9回1失点、実質的には0失点の潮崎と、サヨナラタイムリー2ベースを含む2安打2打点を放った、田辺に注がれた。
潮崎は、他の試合でインタビューを受けたことがあったが、田辺は初。
彼女は緊張した面持ちでインタビューを受けて帰ってきた。
「田辺。お前のことを見直したよ」
正直、守備では及第点だったが、打撃ではイマイチだったから、一時の2番から7番まで打順を下げていた田辺が、ここまでやるとは思いもしなかった。
だが、そんなことを口に出すわけにはいかない。
「ありがとうございます」
と柔らかな笑顔を浮かべる田辺に代わり、
「監督。田辺さんは見直す、どころか、最初からすごかったんですよ」
同級生にして、一緒に入部した仲でもある佐々木が、すかさずフォローを入れていた。
彼女、曰く。
田辺は、控えめだが、とにかく「真面目」な選手だ、と。
真面目に練習に取り組むし、成長スピードは遅いかもしれないが、コツコツと頑張るところがあるから、確実に伸びると。
言われてみれば、確かに田辺は、模範的な生徒だと思える節があった。
練習をサボるとか、怠ける、手を抜く、ということが彼女には一切なかった。
気分屋の笘篠や、面倒な性格の工藤は、たまに明らかに手を抜いたり、サボったりするところがあったのに比べると、彼女の評価は、実は、「鬼」の渡辺先生の目から見ても高かったことを思い出した。
(素質はある。頑張れば開花する)
そんなひたむきに頑張る、控え目なところが、少しだけ辻に似ている、と思うのだった。
とにかく、2回戦は突破した。
だが、甲子園に休みは少ない。次なる相手が決まろうとしていた。
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