第106話 一球入魂(中編)
大会5日目、第2試合。
両チームとも決定打どころか、得点圏にランナーすら進められずに、0行進が続く。
6回裏もまた三者凡退。山口の球は相変わらず速くて、打てなかった。我が校は、奪われた三振の数が10を回っていた。
ところが、7回表。相手打線は5番からだったが。
「バッターアウト!」
潮崎もまた負けておらず、三振より打たせて取るのが得意な彼女が、三振を奪い、さらに6番、7番を凡打に抑える。
7回裏。
主将の吉竹が再び円陣を組む。
「この回が勝負ですわ」
自らの出番は去った、3番からの打順にも関わらず、主将として彼女はチームを鼓舞。
3番、笘篠。
県大会予選の終盤から、いいところがなかった彼女。
「天ちゃん!」
「かっ飛ばせ!」
「やったれ!」
最後の「やったれ」はないと思うが、地元の関西人か、と苦笑しながらも、一塁側スタンドから届く叫び声に近い、彼女のファンの応援を聞いていた。
その笘篠。
目が「慣れて」きたのか、山口の130キロ近い外角の速球を、逆らわずにライト線に流し打ち。それは、調子がいい時の笘篠の打撃に見えた。
4番、清原。
ここはさすがに「申告敬遠」で歩かされ、ノーアウト、一・二塁。ようやく得点圏にランナーを置いて、5番の石毛。
例によって、彼女は俺に「なでなで」を要求。
半信半疑ながらも、これまでこれで「打って」きたのだから、
「ストライーク! バッターアウト!」
さすがにそう簡単には行かずに、見逃し三振。
「申し訳ありません。せっかく撫でていただいたのに」
途端に、シュンとして、捨てられた子犬のような表情で戻ってきた彼女を内心、少し「可愛い」と不覚にも思ってしまったが、結果は結果。
6番の伊東。大柄な伊東に対しては、少々投げにくいのか、どうも苦手意識を持っているようにも見えた山口。
制球が乱れて四球になっていた。
1アウト満塁。絶好のチャンスだった。一打出れば、大量点に結びつき、試合の流れが変わるし、終盤の点差は大きい。
7番、田辺。
下位打線であり、この試合、田辺は全く打っていなかった。普通なら替えてもいい場面とも言える。
だが、俺はあえて彼女を打席に立たせる。
その理由は、試合前に
珍しく、彼女が俺のところに来て、
「3打席目までは打たせて下さい」
と告げたのだ。
「何故だ?」
「3打席目に打ちます」
その根拠と理由を聞いたが、彼女は不敵な笑顔を浮かべるだけで、答えてくれなかった。
そして、これが彼女の今日の「3打席目」。
しかも、いきなり山口の速球を弾き返して、見事に一・二塁間を破るタイムリーヒットを放っていた。
ようやく欲しかった点が転がり込むも、後続の8番佐々木と9番潮崎が連続三振。
さすがに気になって、戻ってきた田辺に声をかける。
「そろそろ理由を教えてくれ」
と。
彼女は、小さく微笑みながら、答えを返してきた。
「ソフトボールのマウンドからホームベースまでの距離は13.11メートルです。野球の場合は、それが18.44メートルです。つまり、ソフトボールでは体感速度が野球より上回るんです」
その一言だけで、理解した。
つまり、彼女はずっとソフトボールをやってきた。
ソフトボールは、野球よりマウンドからホームベースまでの距離が短いから、体感速度が増す。
ソフトボールの120キロは、野球の160~170キロに相当する体感速度だと言われる。彼女は「速球」に慣れているのだ。
1・2打席目は、さすがに目に慣れるため、だったのだろう。ここしばらくは野球をやってきたから、勘を取り戻すためだったのかもしれない。
「ナイスバッティング」
「ありがとうございます」
真面目で、礼儀正しいが、どこか「地味」な印象があった、田辺の「甲子園晴れ舞台」だった。
1-0と均衡が敗れたものの、まだたったの1点差。
厳しい投手戦が続く。
8回は表も裏も、両エースが踏ん張り、三者凡退。
9回表。
先頭の2番を抑えた後、3番には珍しく四球を与えた潮崎。
打席には、エースで4番。高校野球らしい中心選手の山口が立つ。
「敬遠しましょう、監督」
ベンチにいた、佐々木が俺に声をかける。
常識的に考えると、敬遠でもおかしくはない。
だが、俺はあえてタイムを取り、マウンドにその佐々木を向かわせた。
工藤は、投げたくて仕方がないのか、チラチラと俺の横顔を眺めていたが、俺のその日のプランには工藤に投げさせる予定はなかった。
「大丈夫。抑えます、だそうですよ。本当にいいんですか、監督。後悔しませんか?」
何故か、俺を試すかのように、不敵な笑みを浮かべて、挑発してくる佐々木が、少しだけ不気味に思えた。
だが、
「勝負させる」
俺の一言で、彼女は黙った。
結果的には、4球目の外のカーブを狙われて左中間を破る2ベースヒットを打たれて、1アウト二・三塁。一気に同点のピンチになっていた。
「だから言ったじゃないですかぁ」
と、俺の横顔を怪訝な表情で見つめる、佐々木の視線が少しだけ痛かった。
だが、俺としては、この試合は特にいつも以上に「潮崎の投球」を信じていた。信じるに足る力が、今の彼女にはあると感じていた。
5番バッター。
相手も初の得点圏でのチャンス。
ブラスバンドの演奏と、派手なチアリーディングの応援が、活気づく三塁側アルプススタンド。
誠に「甲子園」らしい風景で、それは男子でも女子でも関係なかった。
伊東の配球は、打ちづらい、外の変化球中心。潮崎の制球力なら、内で勝負してもコントロールミスをすることは少ないはずだが、「石橋を叩く」ように慎重だった。
5番は、サードゴロ。
うまく行けば、ゲッツーになって、チェンジになる。
だが、甲子園はやはり「一筋縄」では行かなかった。
三塁手の清原がボールを弾いていた。エラーだ。
決して、守備が下手なわけではなく、むしろ度胸もあるし、強気な守備をする清原だが、ボールをミットから弾いていた。
それを見た三塁ランナーがホームイン。
土壇場で1-1に追いつかれる。なおも、1アウト一・三塁。
俺は、残り1回となったタイムを使い、伝令として、今度は控えの垣内を向かわせた。
ムードメーカーにして、潮崎以上に「明るい」彼女に発破をかけてもらう、作戦でもあった。
足早に戻ってきた彼女に話を聞く。
「潮崎の様子は?」
「はい。清原さんのエラーを全然気にしてないみたいでした。大丈夫、あと2人絶対に抑えます、だそうです」
その言葉を聞いて、俺は彼女に、最後の「望み」を託す。
甲子園に出場したくてたまらなかった、小さな少女の晴れ舞台。
せめて最後くらいは、彼女に任せてみよう、と。
結果的には、これが正解だった。
続く、6番バッターには粘られたが、珍しく内角を突くシンカーで、ショートゴロ。遊撃手の石毛が流れるような動きで、二塁手の田辺へ。田辺ががっちり掴み、一塁手の吉竹へ。
見事にダブルプレーに抑えて帰ってきた。
「おつかれ。いいピッチングだった」
「ありがとうございます」
さすがに、真夏の甲子園を9回投げ抜いた潮崎。汗でびっしょりになりながらも、清々しい笑顔を浮かべていた。
もし、この裏で点が入らず、延長戦になれば。さすがに潮崎は交代だろう。
そう思って臨んだ最終回。
甲子園のドラマは、こんな時に不意に起こる。
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