第105話 一球入魂(前編)

 ついに始まった、女子高校生たちによる「夏の甲子園大会 女子の部」。日程の都合で、男子が準決勝を行う日から1回戦、第1試合が始まる。


 つまり、これは無理矢理にでも8月31日までに決勝戦を終わらせる日程だった。


 そんな中、彼女たちの出番はかなり後になる。

 大会5日目、第2試合。


 そこまでの間は、「観戦」がメインになった。


 主将の吉竹、観察眼の鋭い司令塔の伊東、データ集めが得意な鹿取、奈良原が中心になって、試合を観戦した。


 そして、やはりというか、予想通りというか。


「大阪応印、つええ!」

 笘篠が相変わらずの態度の悪さを見せながらも、大きな声を上げていた。


 大阪応印は今大会ナンバー1の優勝候補。昨年は惜しくも準優勝に終わっており、今大会に期するところが大きかったらしい。


 初戦から10-0と圧勝。

 4番の門田が満塁ホームランを打ち、3番新井が3打点。5番でエースの村田までタイムリーを放っていた。


 さらに、

「沖縄城学も順調に勝ち上がったね」

 潮崎の言う通り、プリンセストーナメントで対戦し、我が校が負けた相手、沖縄城学は、伊良部と石嶺を中心にソツのない野球をやり、3-1で快勝。


「苫小牧新明学園も手強いね」

 伊東の視線の先には、南北海道の雄、苫小牧新明学園のメンバーが映っていた。

 軟投派のエース、小宮山こみやまを中心に、二塁手の巧打手、大石が中心だ。


 そして、

「仁志大三高か。隣の地区だが、当たりたくねえな」

 清原が渋い顔で睨む先にいたのは、埼玉県のすぐ隣の西東京代表、仁志大三高。

 ここは、ウチと同じく「ダブルエース戦術」を取っており、強烈な縦カーブを武器とする佐藤と、「魂のエース」と呼ばれる気迫で押すタイプの黒木が躍動。

 打ってはパワーヒッターのレフト、山本がホームランを打っていた。


(ん? 黒木? そういやあいつ元気かな)

 俺の友人に黒木裕貴という名前の男がいる。しばらく会っていなかったが、偶然の一致に思い出していた。そして、彼には妹がいる。


(まさかな)

 黒木の妹が野球をやっているという話は聞いていなかったから、別人だろう。


 強豪校は順調に勝ち進んでいた。



 そして、ついに大会5日目、第2試合。


 俺にとっては、実に8年ぶりとなる甲子園のベンチ。

 非常に懐かしく感じる思いと共に「帰ってきた」と感じる、感慨深い思いを抱いて、ベンチに座る。


 スタメンは、以下の通り。


1番(一) 吉竹

2番(左) 平野

3番(中) 笘篠

4番(三) 清原

5番(遊) 石毛

6番(捕) 伊東

7番(二) 田辺

8番(右) 佐々木

9番(投) 潮崎


 県大会決勝戦と同じスタメンにした。

 調子が出ていない笘篠をあえて3番にしたのは、もちろん彼女の「底力」に期待したのと、文句を言いながらも、彼女が渡辺先生の「特訓」を受けていたからだ。


 この試合、俺は「潮崎」をキーにしていた。

 数日前に、吉竹に言われたことも頭をよぎっていたが、潮崎自身に聞くと、


「今日は調子いいです」

 と、満面の笑みだったのも大きい。


 憧れの甲子園に来たことで、本来の「野球を楽しむ」彼女が戻ってきたように感じていた。


(行けるところまで行かせる)

 が内心の気持ちで、もちろん部員には明かしていない。


 スタンドは大盛況だった。

 先攻は、愛媛県代表、正岡高校で三塁側。後攻は我が校で一塁側。


 だが、もちろん、「大盛況」だったのは、三塁側だ。

 生徒だけで、ゆうに500人はいるだろうと思われる「大応援団」だった。その応援団から、盛んにブラスバンドの演奏が聞こえてくるし、応援団の男子や、女子のチアリーディング部まで派手な応援をしていた。


 もっとも、愛媛県は地理的に関西に近いため、甲子園に来やすい、という側面もあるように思えたが。


 対して、我が校は過疎の田舎校。全校生徒が200人にも満たない。

 おまけに、全校生徒まで来れてはいなかったので、せいぜい100人程度。それに父兄や学校関係者の応援が加わるも、150人程度の小規模なものだった。

 もっとも、笘篠私設応援団が200人は加わっていたから、総勢350人くらい。恐るべきはアイドルの親衛隊みたいな、派手な格好をした、男子ばかりの笘篠応援団だった。最近、ネット活動でさらにファンを増やしているらしい。


 だが、小規模なブラスバンド部の演奏を聞いていた、吉竹は、円陣を作って、吠えていた。


「いいですか、皆さん。初戦が一番大事なのですわ。何としても『いい試合』を見せましょう」

 彼女の一言は、実に短く、曖昧ではあったが、元々、声に張りがある彼女。気合いが入る一声でもあった。


 グラウンドに散っていくナイン。


 ついに甲子園大会の幕が上がる。

 そのデビュー戦。


 結果から言うと、この試合は、稀に見る「投手戦」になった。

 野球を「見る」立場からすると、「打撃戦」の方が好まれるだろうが、野球の「玄人」の立場から見ると、実は息詰まる「投手戦」の方が面白いと言われる。


「9番、潮崎さん」

 ウグイス嬢に場内アナウンスを受けた、潮崎の表情が、実に「楽しそうに」見えた。

 彼女にとっては、恐らく「夢にまで見た」甲子園のマウンドだ。


 そして、

「おおっ」

 いきなり1番バッターの打席から、場内には歓声が上がっていた。


 彼女のその日の投球術は、抜群だった。

 投球術の「基本」と言われる、「外角低め」。そこを寸分の狂いなく、突いていた。


 おまけに、いつも以上に、変化球が冴え渡っていた。

 高速シンカーを中心に、低速シンカー、カットボール、カーブ、フォーク、さらには最近覚えたチェンジアップまで使って、打者のタイミングを狂わせ、最後は外角低めギリギリのコースに投げ、空振り三振。


 しかも、初回は打者3人で抑えて、あっさりと帰ってきた。


 ところが。

 1回裏。

 マウンドに立った、正岡高校のエース、山口あず未。右投右打の高校3年生。ショートボブの髪、身長160センチくらいと、どこにでもいる女子高生に見えたが。


 いきなり恐ろしいほどの球を見せて来た。


 速い。とにかく速い。

 一般的に「速球派」の投手には、高身長の選手が多い。

 だが、山口は身長160センチ程度。


 そこから、腕を真上に伸ばして、円を描くように振り下ろす「アーム投げ」に加え、上半身を折り曲げるようにして投げ込む、独特の投球フォームから、最速は130キロを越えていた。


 球速だけなら、沖縄城学の伊良部にも劣らない。


 その独特のフォームから繰り出す球は強烈で、次々にバットが空を切っていた。しかも、投げ終わった後、勢い余って、右手の中指と人差し指がマウンドに当たっていると思われるくらいに、全身を使って投げ込んでくる。


 全くと言っていいくらい、打てなかった。


「何だ、あいつの球。マジ、ありえねー」

「バットに当てるだけで至難の業ですわ」

「見た目以上に、手元で伸びてきます」

 それぞれ、笘篠、吉竹、伊東の談。


 気がつけば我が校は6回まで四球による出塁以外は、パーフェクトに抑えられていた。


 だが、潮崎もまた負けていなかった。

 「速球」とは不思議なもので、ただ速いだけのことを指すと思いきや、「緩急」をつけた投手もまた「速球」に見えるものだ。


 潮崎の場合、その遅い球と、緩急をつけた速い球のギャップが生きて、打者の目を狂わせた。


 さらに本人が調子がいいという言葉通り、こちらも5回まではほぼパーフェクト。ヒット1本を、エースで4番の山口に打たれただけだった。


 だが、6回表。

 9番、1番を抑え、2番には四球、3番にはレフトへ運ばれ、2アウト一・二塁で4番の山口。


 マズいと思った俺は、タイムを取り、マウンドに選手を向かわせる。

 こういう時、本来なら「話しやすい」選手を向けるべきだが、俺はあえて逆を突いた。彼女を刺激するためだ。

 もちろん、この場合、伝令は工藤になる。


 渋々ながらも向かった工藤が、潮崎の言葉を伝える。

「山口にはヒット打たれてるから、絶対抑える、だそうっすよ。どうします? 監督サン。あたしに替えた方が良くないっすか?」

 その言動に、いつもの強気の工藤の気配を感じ取ったが。


 俺は首を横に振る。

「いや、潮崎で行く」

「なら、敬遠っすか?」


「いや、勝負させる」

「マジっすか? ここで打たれたら、流れ変わるっすよ。ヤバくないっすか?」

 工藤の言いたいことはわかる。


 だが、俺は潮崎をよく見ていたし、その日の彼女の投球は、確かに素晴らしかったのもあって、彼女を「信じて」みた。


 結果。

 自分が投げる球より、明らかに遅い潮崎の球に、山口は苦戦しながらも、ファールを連発。


 気がつけば、10球近くを投げる、緊迫した戦いになった。


 だが、最後は外角低めの低速シンカーに翻弄された山口が、ファーストゴロ。

 戻ってきた潮崎に労いの言葉をかける。


「潮崎。まだ行けそうか?」

「はい! 全然行けます!」

 頼もしい笑顔だったが、投げさせてみせようと思う、根拠も俺にはあった。


 圧倒的な投球術を見せていた彼女の球数は、まだ少なかったからだ。

 俺は、吉竹の言葉ではないが、彼女に「託す」ことを決意する。


 試合は、息詰まる投手戦の様相を呈し、スコアボードにひたすら0が並んだまま、6回裏を迎える。

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