第104話 晴れ舞台

 その後は、あっという間に過ぎ去った。


 夏の甲子園、つまり全国高等学校野球選手権大会は、通常夏の8月上旬から中旬にかけて行われる。


 男子はそのスケジュールだが、女子は男子の大会が終わる間際、つまり準決勝あたりから、並行して実施されることになっていた。


 終業式前に、全校生徒の前で、校長が我がチームの初の甲子園出場を高らかに宣言し、数少ない生徒たちは大いに沸いていた。


 男子硬式野球部はもちろん、他の生徒、教師たちまで、この快進撃に酔っていた。



 8月中旬。甲子園に移動する前に、オンラインによる抽選会が開催された。


 部室に部員全員が集まり、主将の吉竹がくじを引くことになった。ちなみに、全国49の代表校の抽選になるが、この時の抽選は1~3回戦までで、それ以降は順次勝った高校ごとに新たに抽選を引くという仕組みになっている。


 部室でパソコンの画面を開きながら、緊張した面持ちで、吉竹が画面に向かい、正面に座り、周りを部員たちが取り囲んでいた。


 そのため、俺は画面すら見ることができなかった。俺は、顧問の渡辺先生と並んで、遠巻きに部室の端からそれを眺めていた。


 だが。

「いきなり強いところに当たらないように、頼むよ、吉竹リーダー」

「愛衣ちゃんのくじ運に賭けるよ」

「強いとこって、どこ?」

 部員が口々に意見を言い合い、うるさかった。


 一方で、いつも冷静な伊東は、

「大阪代表、大阪応印おういん。南北海道代表、苫小牧とまこまい新明しんめい学園。西東京代表、仁志にし大三高。そして、沖縄代表、沖縄城学じょうがく。最低限、そことは当たりたくないわね」

 1人、携帯から出場校をチェックしており、マネージャーの鹿取と奈良原もまた、個別に携帯から、あるいは個人PCから調べているようだった。


 そして、いよいよ抽選会が始まる。


 そこで、「奇跡」は起こった。


「やった、2回戦からだよ!」

 そう、夏の高校野球出場校は49校。奇数であるため、割り切れない。抽選結果によって、1回戦を避けて2回戦からになることがある。


 我が校は運良くそこに当たった。

「おおっ! ナイス、吉竹!」

 清原が大袈裟なくらい喜色を面上に貼りつけ、


「で、2回戦の相手は?」

 笘篠が画面を横から覗き込んでいた。


「愛媛県代表、正岡まさおか高校ですわね」

 吉竹の冷静な一言に、


「よっしゃ。大したことなさそうな高校だ。勝てる」

「聞いたことないし、余裕じゃん」

 清原と笘篠が声を上げる中、意外にも旧主将の潮崎が、不安そうな声を発した。


「正岡高校か。確か、山口さんっていう、すごい速い球を投げる選手がいたよね、梨沙」

「うん。沖縄城学の伊良部さんにも劣らない、最速130キロを越える剛速球を投げるらしいわ」


「マジか。いきなりそんなところと当たって大丈夫か?」

 遠巻きに眺めながら、声を発した俺に対し、


「今さら何、ビビってんのよ、カントクちゃん」

「そうです。誰が相手でも関係ありませんよ。私たちは、私たちの野球をやればいいんです」

 笘篠と平野に、力強い言葉で制された。


 思えば、ヒヨッコだった彼女たちも成長したものだ、と感慨深く思っていると。


「てめえら。言うようになったじゃねえか。そうだ。『女は度胸』って言うだろ。気合いだ。喧嘩は気合いがつええ方が勝つんだ」

 渡辺先生が、腕組みをしながら、ノリノリになって、力強い言葉をかけていた。


「先生。それを言うなら『男は度胸、女は愛嬌』では?」

 田辺が冷静に突っ込んでいた。


「どっちでもいいんだよ」

「よくはないでしょう。それに、これは喧嘩ではなく、『試合』ですわ」

 吉竹が振り返って、遠くにいる渡辺先生に声をかける。


 彼女は、苦笑しながらも頷いていた。



 8月中旬。

 夏休みにも関わらず、多くの生徒が関西に向かう我が女子野球部の出発に立ち会ってくれた。


 俺たちは、バスを使って、関西へ向かい、指定されたホテルに宿泊。


 いよいよ、その日がやって来た。


 全国高等学校野球選手権大会、女子の部。

 開会式。


 夢にも叶うと思っていなかった光景だった。


 プラカードを持った生徒の後ろを歩く、14人の生徒たち。

 通常、春の選抜では、各高校に所属している生徒やマネージャーがプラカード持ちに選ばれるが、夏は地元の高校の女子生徒が務めることが多く、この時もマネージャーの鹿取や奈良原が、羨望の眼差しを向け、俺と共に彼女たちを見守った。


(文字通り晴れ舞台だな)

 天気は快晴。夏の盛りの、気温が30度を越えるその日、彼女たちは確かに「甲子園」に降り立ったのだ。


 あの2年前の部室での出会いから、こんなことは予想していなかった。てっきり途中で負けるものと俺は思っていたからだ。


 入場行進を終え、開会式の列に並び、選手宣誓を聞く。

 さすがに、この選手宣誓には選ばれなかったが、実は吉竹は抽選会時に立候補していた。気が強く、自信家の彼女らしいが、抽選の結果、敗れたのだった。


 開会式が無事に終わり、控え室に戻った後。


 その吉竹が、ある意味、とても意外な行動に出て、俺を驚かせる。


「監督さん。ちょっとよろしいでしょうか?」

 手招きされていた。


 近づくと、

「少々、相談事がありまして。二人きりになれませんか?」

 呟いたと同時に、耳になんとも言えない、柑橘系のいい香りが漂ってきた。すぐに吉竹が俺の耳に近づいて、囁いたと気づいたが。


 他の生徒の目を全く気にしないのが彼女らしかった。だが、吉竹は18歳とは思えない、大人びたところがあるから、俺は少々どぎまぎしていた。


 仕方がないから、頷くと。


「では、こちらへ」

 有無を言わさない口調で、彼女は俺についてくるように指で示した。


 まるで密談でも行うような形になっているが、他の生徒たちが特段、感づいた様子はなかった。


 しかも、控え室を出て、廊下を歩き、人目につかない場所まで誘導されていた。まるで校舎裏に呼び出して、告白でもされるかのようだ、と内心、ドキドキしていた部分が多少はあったのだが。


「監督さん。ダブルエース戦術は一旦、封印してみてはいかがですか?」

 彼女は、立ち止まって俺に向き合うと、いきなりそんなことを言ってきた。


「何故だ?」


「考えてもみて下さい。高校野球とは、そして夏の甲子園とは、一度負けると即、終了ですわ。ですから、どの高校もエースを出しますわ。中には、エースに連投させるチームもありますし、エースで4番なので、交代はあり得ないというチームもあると聞きます」

「まあ、そうだな」


「工藤さんが悪いとは言いませんが、客観的に見た時に、潮崎さんが調子いいのに、わざわざ工藤さんにスイッチする意味もないと思いませんか?」

 彼女の意見は、リーダーとしての立場、そして野球歴が短いとはいえ、野球をつぶさに見てきた末の判断だろう。


 ダブルエース戦術を取って、ここまでやってきたが、見直すべきだということだろう。


 その意見には確かに一理はあった。


 だが、逆に言うと、「エースを連投」させることにもなってしまう。

 ここは思案のしどころでもあった。


 しばらく考えた後、俺は、彼女に意見を返答することにした。

「お前の言うことには一理ある。考えておく」


「考えておくですって? 曖昧ですわね」

 しかしながら、彼女には鋭い眼光を向けられていた。


 白か黒か、はっきりした性格の彼女には気に入らないのかもしれない。

 なので、俺は熟考した上で、返すことにした。


「基本的には潮崎で行く。あいつはスタミナもついてきたし、9回を投げ切ることもできるだろう。だが、毎回潮崎に9回を投げさせるのは酷だ。潮崎には多少劣るものの、才能ある工藤を使って、潮崎の疲労を軽減する目的もあるからな」


 そう理路整然と言ったはずだったが。吉竹は縦ロールの髪をかき上げながら、

「そうですか。監督さんは、工藤さんがお気に入りですものね。そんなに好きだったとは思いませんでしたけど」

 そんなことを口にして、彼女は微笑んでいた。


「んなわけあるか。個人の好き、嫌いで投手を選ぶ監督がどこにいる」

 さすがに黙ってられなくなったので、反論したら、


「ふふふ。冗談ですわ。監督さんがそんな人ではないとわかってますわ」

 思いっきり笑顔を見せていた。


 その笑った顔が、何だかとても可愛らしく思えた。

 思えば、彼女が俺に冗談を言うことなど、ほとんどなかったし、最初は「嫌われてる」とすら思っていたくらいだったからだ。


「あのなあ、吉竹……」

 俺をからかっている場合か、と言いたかったが、その前に彼女は頭を下げた。

「ごめんなさい。でも、わかりましたわ。あくまで、わたくしは意見を言っただけです。最終的に決めるのは、もちろん監督さんで構いません。ただ、時と場合によっては、潮崎さんに完投させてもいいのでは、と思っただけですわ」

 一転して、真剣な表情を見せる彼女。


 俺は、そんな彼女に、

「わかった。意見として聞いておく。俺も潮崎が調子いいのに、あえて替えようとは思わないしな」

 冷静に告げると、ようやく安堵したように、彼女は微笑みを返した。


「ありがとうございます。では、戻りましょうか。2人で密談してる、なんて言われたくないですから」

 ようやく吉竹が俺を「心から」信頼してくれた、ようにも感じる一幕だった。


 何しろ、彼女は「美人」ではあったが、どこかツンツンしていて、他人を寄せつけない「強さ」を持っているように感じていたからだ。


 そして、ついに「夏の甲子園」が本格的に始まる。

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