第102話 逆境の決勝戦(後編)
7回表を終わって、5-4とわずかにリード。
だが、まだまだ「試合の流れ」がこっちに傾いているとは言い難い状況だった。
その証拠に7回裏。
工藤が捕まった。
それも下位打線に。
油断したのか、それとも制球が乱れたのか。
相手の8番バッターにまさかのソロホームランを打たれ、5-5の同点。まだまだ試合の流れはわからなかった。
だが、彼女は、中村に対してはすごかった。
中村に対して、よくホームランを打たれる潮崎と比べ、工藤はあまりホームランを浴びてはいない。
初球から際どいツーシームでカウントを稼ぎ、2球目、3球目はボール。
4球目はムービング気味のストレートでファールを取る。
5球目。
渾身のストレート。と思いきや、バックスピンが効いたフォークボールだった。
中村のバットの下をくぐり、空振り三振。
しかも、続く9回まで彼女は完璧に抑えて見せた。
9回はこちらも0点だったが。
延長戦に入る前。
「工藤。ナイスピッチ。最後まで行けるか?」
尋ねる俺に、彼女は、眩しいくらいの笑顔で、
「大丈夫っす。任せて下さいっす」
頼り甲斐のありそうな態度で答えを返してきた。
試合は延長戦までもつれたが、10回表。
意外なところで、試合が動く。
先頭の1番吉竹が三振。2番平野の打席。
思いきって、代打垣内を起用。
その垣内。1年生らしからぬ大柄で、パワーがある彼女。
疲労が見え始め、球数が増えていた長谷川のフォークを狙い打ちして、レフト前ヒットで出塁。やはり1年生とは思えないパワーが彼女にはあった。
3番笘篠。
ここのところ、いい場面が少ない彼女。
だが、
「天ちゃん!」
「笘篠ちゃん!」
「笘篠さん! 決めて!」
三塁側に陣取るファンたち、羽生田、そしてベンチからの声援。
なんだかんだで、彼女は「人気」があった。
その声援に後押しされる形で、窮屈なバッティングで、詰まりながらもセカンドとライトの前に落とす、ポテンヒットで出塁。
1アウト一・二塁のチャンスになる。
ところが、4番の清原は、泳がされた上に、決め球の縦スライダーに三振。
5番の石毛を迎える。
そして、この場面で、またもや彼女は3番の笘篠の打席の時から要求してきた。
「頭を撫でて下さい」
そう、例の「なでなで作戦」だった。
こんなものが通じるはずがないし、所詮は「気休め」にしか思っていなかったが、それで打てるなら、こんな楽なことはない。
儀式的とはいえ、軽く頭を撫でていた。
だが、
「もう、監督。ちゃんと撫でて下さい」
素直な彼女には珍しく、口を尖らせて、軽く睨まれていた。
俺が適当にやっていると察したのだろう。
溜め息を突きながらも、今度は丁寧に、まるで親戚の子供の頭を撫でるように、撫でると、彼女は、本当に「子猫」のように、目を細めて、
「ありがとうございます。では、行ってきます!」
元気にそう言って、出て行った。
しかも。
3球目の外のスライダーを思いっきり引っ張って、左中間を深々と破る、走者一掃のタイムリー2ベースヒット。
一気に7-5となる。
(こいつ、本当に『なでなで』だけで、力を発揮するのか)
正直、こんなのは偶然なのだろうが、それでも何でも、彼女の「力」になるのなら、これ以上ありがたいことはなかった。
チェンジして戻ってきた石毛は、
「やりましたよー、監督。またなでなでして下さい」
子供のように、なでなでを要求してくる。
仕方がないから、恥ずかしいのを我慢して、撫でていると、
「お二人とも親子みたいですわね」
「何だか、微笑ましいです」
と、吉竹と鹿取にまで言われる始末。
だが、
「親子って、俺はまだそんな年じゃねえ」
反射的に反論していた俺に対し、
「お父さんって、呼んでいいですか?」
石毛までが調子に乗っていた。
「マジでやめろ」
石毛みたいな娘がいれば、確かに可愛いだろうが、さすがにまだ早すぎる、と思わずにはいられなかった。
部員たちは、笑っていたが。
そして、一点リードで迎えた10回裏。
泣いても笑っても、これが最終回になるはず。いや最終回にしなくてはならない、と思っていた。
工藤は球数こそ増えてきていたが、球威は衰えておらず、8番、9番を凡打で抑え、2アウトランナーなし。
あと1アウトで、甲子園への切符が掴める。
だが、試合とは最後の最後までわらかないものだ。
続く1番にセンター前へ運ばれ、2番を四球で歩かせた。
ここで迎えるは、3番の片岡。しかも、ここで打たれれば4番の中村に回り、下手をすれば、逆転サヨナラ負けだ。
俺は、真剣に悩んだ。
タイムを取り、マウンドに、交代したばかりの平野を向かわせた。
戻ってきた彼女の口から聞いた言葉は、
「あと1人なので、投げたいのは山々っすけど、ここで打たれたら終わるっす。球数が増えてきているので、監督の判断に任せるっす」
だった。
正直、どうしうよもないという段階には来ていた。
潮崎は交代させ、工藤はギリギリで粘っているが、打たれている。
控えのピッチャー2人は、ダブルエースには劣る。
そこで、迷った末に、俺は郭と石井を見回した。
じっと見つめていると、さすがに視線に気づいた2人に、
「何ですか?」
と、ほぼ同時に言われていた。
(イチかバチか、2人を投げさせるか)
決心して、交代を告げた。
最初は、郭をマウンドに上げる。
この場面で、交代するとは思っていなかったらしい、相手ベンチが驚愕の声に包まれる。
だが、彼女への交代は、裏目に出てしまった。
カットボールが得意な彼女。
後でわかったことだが、3番の片岡が得意としていたのが、そのカットボールだった。
2球目を弾かれて、右中間を破られていた。
(ヤバい。2人還ると同点だ)
当然、俺の懸念はそこにあり、二塁ランナーはあっさりと生還し、7-6となっていた。さらに相手の一塁ランナーも三塁ベースを蹴っていた。
(これは同点か)
誰もがそう思った瞬間。
意外にもライトから矢のような返球が返ってきた。
ライトは佐々木だ。
まだそれほど経験がないはずの彼女は、見たこともないような遠投を見せていた。羽生田には劣るものの、長身から繰り出された速球がホームベースに飛んできた。
それを見た、相手の三塁ランナーが、走りかけて、三塁ベースに引き返していた。
(やるな、佐々木)
彼女が、そんなに強肩とは思っていなかったから、意外に思えたが、少なくとも笘篠よりも強肩に見えた。どこで、そしていつの間に鍛えたのか、守備では頼もしい戦力になっていたことに安堵する。
だが、依然として、得点圏にランナーを置いた状態で、4番の中村。
当然、ここは「申告敬遠」だろう、と合図しようとしたら。
「待って下さい、監督」
意外なところから声がかかった。
1年生の石井だった。
「何だ?」
「これが最後なら、私に投げさせて下さい」
だが、そんなことを当然、認めるわけにはいかない。
「正気か、お前。ここで打たれたら、全てが終わるぞ。しかも打たれたお前は周りから、責められる。無謀すぎる」
正論を吐いた。
高校野球は決して「
諭したつもりだったが、石井の瞳は、真剣で、その長身から俺を睨みつけるように、意志の籠った目を向けていた。
「もし私が打たれたら、私は責任を取って、この部を辞めます」
そこまで言い切っていた。
一体、何が彼女を突き動かしているのか、その自信の原動力と、源を知りたい。
そう思いつつも、悩んでいると、さらに、
「あー、大丈夫っすよ、監督サン」
代わったばかりの、工藤が何故だかわからないが、微笑んでいた。
「何でだ?」
俺の当然の疑問に、彼女は、真剣な眼差しで応えた。
「石井さんは、この試合ずーっと、中村さんだけを見てたっすからね。それこそ、恋人かってくらいに」
「そうなのか?」
「はい。中村さんの得意なコース、苦手なコース、全て頭に入れました」
恐るべき観察眼だと思った。
実際、鹿取や奈良原の持っている中村のデータと照合し、石井の意見を合わせて聞いてみると、
「すごいです、石井さん。完璧に把握してます」
「驚くべき記憶力ですね」
2人のマネージャーが、目を丸くしていた。
身長が180センチ近い大柄で、カーブとスライダーが中心の、オーソドックスな右投右打の投手だが、体幹がよく、制球力がある石井。
しかも、見た目とは裏腹に、髪型が、三つ編みという、なんだか学級委員長みたいなヘアースタイルだった。
気になって、つい、
「石井は学級委員長なのか? 成績は?」
と聞いてみると、
「そうです」
との答えが。
しかも、
「石井さんは凄いですよ。成績はオール5。トップクラスの成績で、頭がいいんです」
今度は、控えの鈴木まで助け舟を出していた。
肉体派に見えるのに、物凄い頭脳派だった。
俺は悩むが、悩んでいる時間はない。
(くそっ。どうせ負けて元々。やってやるか)
ピッチャー交代。石井をマウンドに上げた。
この場面、このピンチでまさかの1年生の登板。
相手校は、「こいつらは勝負を捨てたのか」と思うだろう。あり得ない選択肢ではあった。
ところが。
その石井が、躍動する。
相手校にもまだ石井のデータがなかったこと、そして頭脳派にして、完璧なまでの記憶力を持つ石井の「晴れ舞台」になった。
初球から中村の苦手なアウトコース低めにストレート。かろうじてファール。
2球目、3球目は外してカーブとスライダーで、カウント2-1。
4球目。同じくスライダーが外に逃げる。空振り。
そして、5球目。
ワインドアップからアーム式のスリークォータースタイルのフォームで、渾身のストレートをインコースに投げた。
ただ、高身長から、速度と角度のある球を投げ込むため、この身長差が有利になっていた。
バットには当てたものの、詰まった打球がセカンド頭上へ。
セカンドの田辺が、落ち着いてキャッチしていた。
試合終了。
そして、マウンドに選手たちが駆け寄って、抱き合う。
優勝だった。
最後の最後に、「奇跡」を見せて、我が校は、ついに「甲子園」への切符を掴み取った。
埼玉県の女子高校野球の頂点に立った瞬間だった。
そして、伝説は、甲子園へと続いて行くことになる。
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