第101話 逆境の決勝戦(中編)

 試合は2-2の同点のまま、中盤戦へ。


 試合には「流れ」というものがあるが、この段階ではどちらに傾いているのか、わからない一進一退が続いていた。


 5回は両チーム共に下位打線だったこともあり、凡退。


 6回表。

 我が校の攻撃は、1番の吉竹から。


「1番、ファースト、吉竹さん」

 ウグイス嬢に呼ばれた瞬間から、彼女は、「何かやりそうだ」と感じていた。


 それくらい、俺は彼女の表情や仕草の機微に敏感になっていた。というより、大体「目が吊り上がってる」ような時に、彼女はこういうことをやる。


 予想通り、セーフティーバントだった。


 しかも、これがまた絶妙に上手い。三塁側のライン際に転がした上、相手の裏をかいて、振る気満々の構えからバントをしていた。


 相手の三塁手は、2年生の片岡だ。決して下手ではないが、一歩遅れた。


 その分、俊足を誇る吉竹の足が勝って、出塁。

 ノーアウト一塁。


 さらに、走るかと思いきや、さすがに長谷川やバッテリーには警戒されており、盛んに牽制球を投げられており、走れず。


 2番の平野は、ようやく小技が上手くなってきていたから、俺はバントのサインを出す。


 今度は一塁側に転がしたが、上手い具合に送りバントにはなった。

 1アウト二塁。


 通常、こんな場面では、強行はしない。つまり走らせない。

 おまけに3番は笘篠だ。


 だが、俺には気がかりなことがあった。笘篠の調子がイマイチだったことだ。

 このまま打たせても、彼女は凡退し、4番の清原は歩かされる可能性がある。


 そうすると、プレッシャーに弱い石毛に回る。

 その前に、イチかバチかの強行に出ることにした。


(いつ走ってもいい)

 相手のキャッチャーが、思ったよりも強肩ではなかったことと、盗塁阻止率のデータを見て、決断を下す。


 吉竹は二塁ベース上で、考え込んでいるようだったが、3球まで粘って、カウント2-1の状態で、走った。


 まさかの三盗。さすがに相手バッテリーの意表を突いていた。

 慌てて三塁にボールを返球するも、吉竹の足の動き、盗塁術はそれを上回っていた。


「セーフ!」

 久しぶりに見た、吉竹の三盗だった。


「愛衣ちゃん!」

「リーダー! ナイス!」

 ベンチは盛り上がるものの、応援の中心にいるはずの、笘篠はどこか「渋い」表情をしていた。


 恐らく、目立ちたがり屋の彼女は、吉竹にばかりスポットライトが当たって、悔しいのかもしれない。


 最近、というよりも去年もこの春日部共心戦ではそうだったが、不思議とトーナメントが上に行くと、彼女の調子が落ちる。


 何分、「気分屋」なところがある笘篠。


 だが、それでも3番を打つ矜持があるのか。


 長谷川の120キロを越える直球に真っ向からバットを振り、レフトへ高々と打球を打ち上げた。


 俊足の三塁ランナー、吉竹が構える。


 レフトが掴むと同時に、バックホーム。決して悪くはないバックホームで、むしろ高校生離れしたような、鋭い送球だった。


 だが、それでも快速自慢の吉竹の足が勝り、犠牲フライで1点を取り、3-2で勝ち越しに成功。


 ところが、試合とはわからないもので、4番の清原が倒れて、続かず。


 6回裏。


 またも4回と同じパターンになっていた。


 1、2番を無難に抑えた後、3番の片岡の打席。

 警戒しすぎたのか、彼女には珍しく四球で歩かせる。


 4番の中村。

 ことがここまで来た以上、俺は迷わずに「申告敬遠」を指示。


 2アウトながら一・二塁となる。

 5番の選手は、それほど大柄ではなく、長打力もなさそうに見えたから勝負をさせてみた。


 だが、そこはやはり「強豪校」の5番を打つバッターだった。


 7球以上も粘り、8球目の高速シンカーを弾き返された。


 右中間を破る2ベースヒットになり、一塁ランナーの片岡、二塁ランナーの中村も還り、あっという間に再逆転され、3-4になってしまう。


 俺はさすがに「タイム」を取り、伝令をマウンドに走らせる。

 伝令には、真面目な郭を使った。


 戻ってきた彼女は、

「悔しいですけど、球数が増えてきています。判断は監督に任せます」

 と伝えてきた。


 仕方がないので、ここで潮崎を諦める。


 2番手は工藤だ。


 その工藤は、危なげなく後続を打ち取り、この回は終了。


 一点ビハインドのまま、試合は7回に向かう。


「すいません、先生」

 潮崎は、肩を落としていたが、そんな彼女に、


「気にするな。まだ回はあるし、1点差ならひっくり返せる」

 俺は、マウンドに立つ長谷川を見ながら答えた。


 一見、弱点などないように見える長谷川。

 だが、俺は気づいていた。


 彼女は、

(器用貧乏だ)

 と。


 物凄く球が速いわけでも、物凄くコントロールがいいわけでもない。

 確かにいい素質は持っていたが、どれも「一流」には届いていないように見えた。


 つまり、付け入る隙はある。



 そして、その通りに試合が動いた。

 7回表。


 5番の石毛が倒れた後。

 6番の伊東がインコースのツーシームを叩き、出塁。


 7番の田辺には、送りバントをさせ、2アウト二塁。


 8番は、佐々木だが。

 この試合、やはり彼女は「当たって」いなかった。本来なら、代打を出してもいい場面だ。


 だが、毎回毎回、彼女が打たないから、代打というのも、彼女が可哀想な気がしていたし、成長を促すことに繋がらない。


 大事な場面ではあったが、佐々木はそのまま打席に着かせる。


 その代わり、ネクストバッターズサークルに向かう前に、彼女に声をかけた。

「なんですか、監督?」

 俺が直接声をかけることが珍しく思ったのか、彼女はきょとんとしていたが。


「佐々木は、高校から野球を始めたんだったな?」

「はい。中学まではバレー部でした。それが何か?」


「お前は、難しく考えすぎだ。だから体が固くなってる」

「えっ?」


 目から鱗だったのか、それとも本人は気づいていなかったのか、佐々木は普段から若干、体が固いように見えていた。

 要は緊張しているのだ。

 だが、それでは本来の力を発揮できない。


 そこで、

「リラックスして、力まずにバットを振れ。野球なんて、ボールを思いっきりぶっ叩いて、遠くに飛ばすだけだ。ゴルフと一緒だろ」

 そう声をかけると、彼女はケラケラと笑い始めた。


「ゴルフと一緒って? そりゃないでしょ、監督」

「まあ、いいからリラックスしてな」

 そう言って、彼女の背中を軽く押すと、


「あー、そうやって生徒に触るのは、セクハラですよー」

 とは言いつつも、目が笑っていた。


 お茶目なところがあるが、変なところで真面目な佐々木は、どうにも「固く」なっている気がしていた。


 そして、結果的には、これが生きた。


 長谷川の放つ、縦スライダーの決め球。

 この難しい球を、救い上げるようにして、佐々木は文字通り「ゴルフのショット」のようにかっ飛ばしていた。


 左中間を破る2ベースヒットで、二塁ランナーの伊東が還り、4-4に追いつく。佐々木は、ようやく初打点を挙げていた。


 さらにもう1人。

 同じくネクストバッターズサークルに向かう前に、声をかけた。

 9番の工藤だ。


 彼女の場合は、もっと簡単だ。

 プライドを刺激すればいい。


「工藤」

「なんすか?」


 俺が呼ぶだけで、彼女はすぐに来てくれる。それだけ信頼されているのはありがたかった。


「バッティングが得意なお前を9番にさせてすまないと思う」

 いきなり頭を下げると、さすがに面食らっていた。


 だが、先発を潮崎にする試合では、潮崎の打力を考えて9番にしてしまうことが大半だった。

 内心、バッティングでは潮崎よりはるかに勝る工藤は、納得がいかないのだろう、と思ったからだ。


 しかし、

「そんな。監督サンのせいじゃないっすよ。それに……」

 珍しく恐縮したような表情を見せてから、彼女は続けた。


「あたしは試合に出れればそれでいいんすよ。何番だろうと、打てばいいだけっすからね。まあ、見てて下さいっす」

 真夏の太陽に照らされた、笑顔は自信に満ちていた。


 そして、


「おおっ!」

 思わず歓声が上がっていた。


 鋭く振り抜いた当たりが、ライトの頭上を越え、フェンスに到達。長打コースになって、二塁ランナーの佐々木が悠々とホームイン。


 5-4と再逆転。

 二塁ベース上で、工藤は満面の笑みを浮かべ、しかも俺に向かって「ウィンク」までしていた。


 なんだかんだで、慕われるのは悪い気がしないし、工藤は面倒臭い奴に見えるが、俺にだけは素直なところを、ある意味「利用」して、それが成功していた。


 もっとも、彼女自身の実力もあったが。

 ともかく、一進一退のシーソーゲームは続いていた。

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