第96話 泥仕合(後編)
泥と雨にまみれた試合は続いていた。
さすがに相手チームもエースが6失点もしているため、2番手に交代。
6回表は工藤が無難に抑え、逆にこちら側も代わったばかりの相手2番手に抑えられて、両チームとも無得点。
7回表。
4番清原、5番石毛のクリーンナップが倒れたが、6番伊東、7番平野が連続四球で出塁し、2アウト一・二塁。
相手選手もこの雨に苦戦しているのは間違いなかった。
続く8番佐々木の打席。
俺は思いきって、代打を告げる。
垣内だ。
こういう時に、「一発を打ってくれそうな」彼女に期待するところが大きかった。
もっとも、結果的には、ホームランにはならなかった。
だが、しぶとく食らいついた彼女は、カウント3-2から、強引に引っ張って、右中間を破るタイムリー2ベースヒットを打って、得点は7-7とまたも振り出しに戻る。
7回裏からは、工藤に替えて郭を投入した。
彼女は4回戦の上尾宝明戦で、先発を任せたら、7回4安打1失点と好投したから、期待するところは大きかったのだが。
雨での登板は初めてだったようで、それが災いしてしまった。
1番にヒットを打たれ、2番の浜名にはきっちりバントを決められ、3番にもヒットを打たれ、1アウト一・三塁から、4番の若田部を迎える。
さすがにこの場面で、俺は四球を選び、敬遠させて、1アウト満塁となり、5番キャッチャーの梨田を迎える。
俺は、この梨田も「怖い」と感じていた。
何しろ得点圏打率が高いし、そういう意味では4番の若田部よりも、ある意味「要注意」だった。
だが、ここで押し出しをするわけにもいかない。
郭と伊東のバッテリーは、カットボール気味の高速スライダーとシュートを武器にしていた。
しかも、彼女のストレートは、シュート回転していた。
シュートを一番の武器しており、次に高速スライダーも使用する郭だったが。
相手のバッターが一枚上手だった。
4球目のシュート回転するストレートを、待ち受けるようにフルスイング。
大柄な体にたがわず、力を持っている梨田は、力で強引にボールを運んでいた。
雨の中、ボールは高々と舞い上がり、気がつけばスタンドに消えていた。
4点が入り、7-11となる。
もはや、どちらが勝つか、全く先が読めない展開になっており、どちらのチームも明らかに「疲弊」していた。
8回表。
雨が小降りになってきた。
4点を追う我がチームは、1番の吉竹から。
彼女は凡打に倒れたものの、2番の田辺の打席。
俺は、タイムを取り、代打を告げる。
もちろん、ここで出すのは、芦ヶ久保中学出身のアベレージヒッター、鈴木だ。
1年生ながら、堂々とした風格すら感じる彼女は。
ボール先行の相手ピッチャーに対し、カウント3-1から、左打席に立つ彼女は、綺麗な流し打ちを決め、それがレフトの頭上を深々と破っていた。
2ベースヒットで、見事に期待に応えてくれた。
続く3番の笘篠。
この試合、犠牲フライを決めて、貢献していたにも関わらず、目立ちたがり屋の彼女は、
「犠牲フライなんて、つまんない」
と言っていた。
相手ピッチャーのカーブが、多少甘く入っていたのを見逃さずに、ライト線にヒット。
1アウト一・三塁のチャンスとなる。
ここで4番の清原。
相手チームは、さすがにここで動いた。
選手交代。3番手の投手を出してきた。左投手で、しかもサイドスローの打ちにくそうな、球の出どころがわかりづらい選手だった。
もちろん、初対決となる清原。普通なら敬遠にしてもおかしくないが、相手は勝負してきた。
清原は、打ちづらい、出どころが見えにくいこの投手に苦戦し、あっという間に2ストライクに追い込まれていた。
だが。
ライトに大きな打球を放っていた。
ホームランにはならなかったが、これが犠牲フライになり、三塁ランナーの鈴木が還って、1点が入り、8-11。
この回の攻撃はここまでだったが、追いすがることに成功。
8回裏。俺はタイムを取り、ピッチャー交代を告げる。
ここで出すのは、彼女しかいない。1年生の石井だ。
だが、この石井が意外なくらいに活躍する。
身長178センチと、まるで1年生に見えない、大柄な彼女は、その身長差が生きた。
マウンドというのは、ただでさえ、少し高い位置にある。
そこから、角度のある直球とスライダー、カーブを駆使するため、相手打線は、初めての相手の石井に苦戦し、彼女は下位打線を3人できっちり抑えて帰ってきた。
「ナイスピッチング、石井。こういう時にお前みたいな投球をしてくれると、監督としてはありがたい」
そう労いの言葉を告げると、
「ありがとうございます!」
相変わらず、はきはきした、大きな声で彼女は答えていた。
そして、迎える最終回。
泣いても笑っても、ここで追いつけないと、俺たち、いや彼女たちの「夏」が終わる。
得点差は3点。イニングは1回。
だが、ここで「運命」は再び回る。
雨が止んだのだ。
それは、まるで彼女たちの「反撃」を待っていたかのように、空からは、濃い雲の間から、陽射しが差していた。
我が校は7番の平野の打席。
しかも。
「デッドボール!」
腰付近に球が当たっていた。おまけに平野は、
(大丈夫か?)
他の選手より、明らかに小さい、身長がない彼女。体の丈夫さでは一番心配だった。
だが、何とか立ち上がり、一塁ベースに向かって歩き出したのを見て、胸を撫で下ろす。
8番は、途中交代してそのままライトの守備に着いていた、垣内だ。
右打席に立って、オープンスタンスからバットを構える。
1年生とは思えない体格を持ち、ムードメーカー的な性格の明るさで、既に先輩や同級生から慕われていた。
何よりも、中学時代に4番として活躍していた彼女は、野球経験が長い。そして、外野に飛ばすことに関しては、非常に長けていた。
4球目のカーブを狙って、ショートの頭上を越えるヒットを放ち、ノーアウト一・二塁となる。
9番は、交代したばかりの石井だ。彼女はこれがこの大会の初打席になる。
ところが、彼女は大柄な体に似合わず、繊細な打撃をするようで、ボールをよく見て、四球を選んでいた。
ノーアウト満塁。
さすがに相手バッテリーがマウンドに集まる。
だが、投手交代はなかった。あるいは、向こうも戦力がギリギリなのかもしれないが。
1番の吉竹。
彼女はもちろん、スクイズを警戒されていた。
だが、もちろん相手バッテリーは四球による押し出しは避けたいと思っていた。
そのため、ボール先行の3ボールから、吉竹はきっちりスクイズを決めて、得点は9-11となる。
いよいよ2点差に迫り、1アウト二・三塁で2番を迎える。
交代して、そのままセカンドに着いている鈴木だ。
先程の打席で2ベースヒットを放っていた彼女。
今度は得点圏での打席となった。
中学時代から「勝負強さ」には定評があるようだった彼女。アベレージヒッターとしては、この場面では最適で、期待が出来た。
ボールをよく見る、選球眼のいい彼女にしては、珍しく初球から振っていた。あるいは、彼女自身の得意な球が来たのかもしれない。
今度は、先程とは逆に、右方向に引っ張って、打球が深々とライト線を破っていた。完全に長打コースになっている。
三塁ランナーの垣内が悠々と還り、二塁ランナーの石井も還って、ついに11-11の同点に追いついていた。
「よし! 行けるぞ!」
「ナイスバッティング!」
「鈴木さん、凄い!」
ベンチはお祭り騒ぎに近い、盛り上がりを見せていた。
俺としても、正直信じられないくらいの、試合展開だった。
そして、3番の笘篠の打席。ランナーなし、1アウトで9回という場面。
だが、彼女には珍しく、外のボール球を引っかけて、あっさりとセカンドゴロに終わる。
運命は4番に委ねられ、2アウトランナーなしで、4番の清原を迎える。
この打席では、相手バッテリーがセオリー通りに攻めた。
つまり、「一発があるホームランバッターには外角中心」の攻めが定石とされる。
ただ、さすがにずっと外角だと読まれる。そのため、「内、外、内」という攻めだったが。
清原の打棒は、常識を上回っていた。
1球目、2球目とそれぞれ内角、外角に連続でギリギリのボール。相手はさすがに警戒しているのか、スライダーがボールゾーンに入っていた。
3球目。
内角にストレートだ。だが、交代した選手とはいえ、高校生レベルではそれなりに「速い」球だった。
清原はフルスイングしていた。
その打球が、雲間から陽射しが出てきていた、球場のライト方向へ高々と舞い上がる。
相手校のライトとセンターが必死に追っている。
この時、空には少しだけ風が吹いていた。
センターからライトへ。
その風も手助けになるかのように、白球は舞い上がり、長い滞空時間の末に、ライトスタンドに消えて行った。
「よし! ホームランだ!」
「清原さん、ナイス!」
ついに、というよりももう何度目かわからないが、勝ち越しに成功。
12-11。
だが、死闘の最後は、意外なほどあっけなかった。
9回裏。一点を追う浦山学院の攻撃は、2番浜名からの打席。
体幹がよく、制球力がある、1年生には思えないくらい大柄な石井。彼女の特徴はワインドアップから投げる、アーム式のスリークォータースタイルのフォームで、球速も1年生にしては、かなり速い。
球種は、スライダーとカーブというオーソドックスなものだったが。
だが、「初物」には弱いのか、それとも石井の角度のある球が生きたのか。
2番の浜名を三振にしとめ、さらに3番もセカンドゴロに打ち取る。
2アウトランナーなしで4番を迎える。すでに若田部はベンチに下がっている。
その4番を速球で追い込み、最後はスライダーを四隅のギリギリに決めて、見逃し三振に仕留めていた。
制球力という意味では、潮崎に劣らないくらい、石井は優れていた。
試合終了。時間にして、4時間以上の死闘は、12-11で終了した。
こうして、準々決勝を勝ち上がったものの、俺も選手たちも正直「疲労困憊」状態になっていた。
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