第95話 泥仕合(中編)
3回表。
イニングが始まる前のわずかな時間に、俺は若田部を見ていて、気づいたことを彼女たちに伝授していた。
「若田部は四球が少ないというデータがある。早いカウントから積極的に振っていけ」
あらかじめ、マネージャーの鹿取と奈良原から見せてもらったスコアブックを改めて見直した時に気づいたことだった。
一様に頷く彼女たち。
そして、その回は意外な結果を迎えることになる。
先頭の9番の潮崎が、珍しく早いカウントからフルスイングして、若田部のストレートを弾き返して出塁。
さらに、1番の吉竹は彼女らしい、「嫌らしい」攻撃を仕掛けていた。セーフティーバントだ。
しかも、彼女はバントが抜群に上手くなっていた。相手の隙を突くように、初球からバントを決め、三塁側の深いところに転がした。
相手の三塁手が掴み、一塁に投げるも。
塁間をわずか3秒台で走り抜ける「快速」の彼女はセーフになっていた。
ノーアウト一・二塁のチャンスに2番の田辺。
2球目の外のカットボールを逆らわずにライト方向に流し打ちし、ライト前ヒットで出塁。
ノーアウト満塁という絶好の機会を得た。
ここで迎えるは3番の笘篠。
我が校が誇るアベレージヒッターにして、アイドル並みに可愛い容姿で、人気の選手だ。
彼女には珍しいことだったが、レフトにフライを打ち上げ、これが犠牲フライになって、1点を入れ、1-1の同点に追いついていた。
さらに続けと、4番の清原の打席だったが。
彼女は、若田部の鋭く変化するスライダーに翻弄されて、残念ながら三振。
5番の石毛を迎える。
「お願いします」
いつもながら、剣道の試合に臨むように、礼儀正しく頭を下げて打席に向かう彼女。
1球目は内角ギリギリにシュート。見送ってストライク。
2球目は逆に外のスライダー。ボール。
3球目。
若田部は緩いカーブを放ってきたのだが。それがすっぽ抜けていた。もしかすると、雨による影響でボールを投げる時に「滑った」のかもしれない。
石毛は見逃さなかった。
緩いストレートに近くなるような軌道を描いていたその球をフルスイング。
あっという間に、打球は雨中を飛び、レフトの頭上を襲い、そのままギリギリでスタンドイン。非常に速い、滞空時間の短い3ランホームランになっていた。
「ナイバッチ!」
「石毛さん、ナイス!」
試合は4-1とひっくり返る。
ところが。
その次の3回裏。
突如として、潮崎の制球が乱れた。
彼女にしては、珍しく相手の8番、9番を連続四球で歩かせていた。
気になった俺は、タイムを取り、マウンドに郭を送る。
戻ってきた彼女に理由を尋ねると、
「雨でボールが滑って、思うように制球が出来ない、そうです」
とのことだった。
(やはりまだ未熟か)
正直、そう思わざるを得なかった。
確かに雨では滑りやすい、と言われる。だが、野球の試合に雨は付き物で、やりようはいくらでもある。
ボールと指先をなるべく濡らさないようにすること、ボールをグラブの中で下に向けておくこと、そしてユニフォームの濡れていないところで拭うこと、ロージンバックを使うこと、ユニフォームの着替えをすること、などだ。
そう思いながらも試合は進む。
1番にカーブを弾かれてレフト前に運ばれ、ノーアウト満塁。先程の我が校と同じような状況になる。
2番バッターは、バントが上手い浜名。
当然、スクイズを警戒して、ウェストボールを投げさせていた伊東だったが。
それでもボール先行なら、押し出しになる恐れがある。
3ボールからの4球目。
ストライクゾーンに入った潮崎の球を確実にスクイズで決め、4-2となる。
3番バッターはかろうじて抑えたものの。2アウト二・三塁で4番の若田部を迎える。
今の状態の潮崎に、この4番と対決させるのは危険に感じたし、本来なら一塁が空いているから、敬遠にすべきかもしれない。
だが、俺としては5番の梨田も怖かった。満塁にすれば満塁ホームランで4点取られるかもしれない。
その思いが、彼女に勝負をさせてしまった。
結果として。初球からボールが滑ったのか、ツーシームのなり損ないのストレートが高めに甘く入り。
―キン!―
たちまち、ライト頭上に運ばれ、スタンドインしていた。
3ランホームランで4-5。
逆転されていた。
続く5番の梨田を抑えて、チェンジになったところで、俺は潮崎に雨の試合での対策を今さらながら教えつつ、彼女を交代させた。
4回表は、手も足も出ずに凡退。
4回裏。代わったばかりの工藤がいきなり捕まる。
6番バッターにいきなりフォークを狙われて、ホームランを打たれていた。
彼女にしては珍しい、抜けたような球だった。工藤にも雨の対策を教えてはいたが。
4-6となる。
5回表。
1番バッターからの好打順。吉竹は、またも「仕掛けた」。2打席連続のセーフティーバント。
しかし、これは読まれていた。
外されて、その後はバントしにくい変化球を投げられ、気がつけば2ボール、2ストライクに追い込まれていた。
それでも吉竹は、意地の3バントを敢行。
そして、これが三塁手の元に行くが、タイミング的には完全にアウトだった。
だが、運命のイタズラか、不幸中の幸いか、三塁手が雨でぬかるんだ地面に足を取られ、ボールを弾いて、エラーによる出塁になる。
続く2番の田辺もまたバントを敢行。もちろん、強肩の梨田を警戒して、俺がサインを送った。
この時、相手側は、俊足の吉竹の盗塁を予想していたようで、裏をかく形で、バントが成功。しかも、今度は相手の一塁手が、同じくぬかるんだ地面に足を滑らせて転倒し、同じくエラーによる出塁となる。
この時、雨脚が強まってきており、ところどころに水溜まりのような場所が出来ていた。
3番の笘篠は、さすがというべきか。
この状況でも冷静に、相手のスライダーを流し打ち。
相手は引っ張りを警戒していたようで、捕手が内角にミットを構え、三遊間が詰めていた。
その裏をかいた笘篠の読み勝ちだった。
ノーアウト満塁という、先程と同じチャンスが再び巡ってきた。
ところが、試合とはわからないもので、4番の清原は、押し出し四球になり、得点は5-6となる。
続く5番の石毛がライトに犠牲フライを上げて、6-6の振り出しに戻る。
再び逆転のチャンスになるものの、6番伊東、7番平野が連続三振に倒れ、チャンスで得点は出来ず。
若田部が立ち直ったような投球を見せていた。
5回裏。
工藤は1番バッターを歩かせ、2番の浜名の打席。
バントを警戒していたから、ウェストボールで逃げていたが、3ボールからやはり狙われて、バントを決められる。
しかも今度はこちらの三塁手の清原が、雨の中で足を取られて、バランスを崩し、ボールを弾いて、浜名がセーフになり、ノーアウト一・二塁。
3番を抑えたものの、4番の若田部には、ストレートを狙われて、右中間を破るタイムリー2ベースヒットを打たれ、再び6-7と逆転される。
予断を許さない、一進一退のシーソーゲームが続いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます